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怒りでは走れない限界値を感じたNPO法人を作った人

皆さんは組織を作ろうと思ったことありますか? 私? え、私ですか。
私は別に作ろうと思ったわけではないのですが、無名人インタビューチームを作りました。なんでかって? 一人でやるよりも、生産量を上げたかった、色々な視点を入れたかった、という気持ちがありました。
いやでもねえ、人と人だから揉めることもあるし、こうやってって言ってるのにできてなかったり、なんだかピープルマネジメントの分量増えてて逆に大変なのでは? と思ったりもしますが、まああ、悲喜こもごも親子丼ということでね。
面白いですよ。
でも怒ることもあって、ああ怒んなきゃ良かったなと思ったり、怒って良かったんだと言い聞かせたりしたり。ここもまあ悲喜こもごもと。私の感情よりも早く走れ、ゆけ、無名人インタビューよ、と思っております。
台風、けっこう来てますね。異常気象ですね。異常気象というか、今まで自分が生きてきた環境、文化、習慣をスタンダードだと思っていると、まったくその考え方が通じなくなってきたかと思います。地球上の時間から見たら、そんなことは別に珍しくはないのですが。
自分の思いこみをきれいに流しさってくれる場所と時間が、人生のあちこちにあるといいんだなと思っております。
一緒に新しい時代が見て行こう、という意気込みの無名人インタビュー今日も本日も楽しんでいってね!!!(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは 岡村志穂 さんです!

2022年11月5日、群馬県・富岡製糸場にてイベント開催します!

現在:私が生きていても、生きていなくても世の中は変わらない。だけど、自分自身で生きることに意味はつけられるし、自分がいいと思えるならいい

qbc:今、何をしてる人でしょうか?

岡村:私は今は正社員で働きながら大学院に通いつつ、NPOの理事をしていて、税理士を目指してる専門学生ですね。

qbc:1日のタイムスケジュールってどんな感じですか?

岡村:朝は大体7時ぐらいに起きて、7時半ぐらいには仕事を開始して、夕方4時ぐらいにはもう退勤するみたいな暮らしをしています。朝5時ぐらいから稼働しているときもあります。

qbc:時短で働いてらっしゃるんですか?

岡村:フルリモートのスーパーフレックスっていう勤務形態ですが、フルタイムです。

qbc:退勤後はどんな感じですか?

岡村:税理士試験の勉強のオンライン講座を受けたり、大学院を今月卒業なんですけど、(無事修了しました)レポート書いたり。個人で活動していたことがNPO法人化したので、理事会や企画作り会議などをしてます。

qbc:お仕事はどんな感じのお仕事ですか?

岡村:仕事は経理をやってます。

qbc:税理士の資格は、どういう経緯で取ろうと思ったんですか?

岡村:私、会計を学んで、人生がめっちゃ変わって。
たまたま叔父が税理士だったのもあって、大学卒業してすぐ税理士を目指したんですけど、なんか疲れて辞めちゃって。
私にとって父親のような存在の叔父だったんですけど、今年の6月に亡くなったんですよね。
税理士を目指すのを辞めたことを、その叔父がずっともったいないって言ってて、なんていうか、夢の続きをまたチャレンジしようという気持ちになって、もう1回頑張ろうとなった感じです。

qbc:ってことは、大学院はずっと通われてた訳ではなくて?

岡村:大学院は2年前から通っています。叔父は10年ほど前からALSという病気で、いつ亡くなってもおかしくない状態だったこともあって、税理士を辞めざる得なくて。叔父は、税理士を続けたかったはずなんです。だから、私も2年前、叔父の思いを受け継いで、税理士に再チャレンジしようと決めました。でも、今年亡くなっちゃって、結局、叔父の夢を継げなかったんですけど。

qbc:税理士と大学院での勉強は関係がありますか?

岡村:ありますね。大学院では経営の勉強をしているので、税理士になった後も、お客さんの課題解決にも役立つことができます。

qbc:なるほど。会計で人生が変わったっていうのは、どういうことですか?

岡村:私、母子家庭育ちで、結構悲惨な貧乏だったんですよ。たまたま商業高校に入ったことで人生が変わって、それまでは毎日学校に行くけど、成績が取れないやつだったんですよね。やっぱりお金に苦労してるから、お金の勉強ってなるととても楽しくて。それで成績も良くなり、簿記を学んで、選択肢が増えた今がありますね。

qbc:経理のお仕事はいつからですか?

岡村:経理は大学卒業後すぐですので、もう20年ぐらい。人生の半分は会計やってます。

qbc:次にNPO活動について教えていただきたいんですが、どんなことをされてるんですか?

岡村:そう! 私、今回のインタビュー、「無名人集まれ」というところがすごく刺さった理由でもあるんですけど。
世の中って、みんなアートみたいに生きてるじゃないですか。アートみたいに生きてるってなんやねんって感じなんですけど、どの人の人生からも、学べることはたくさんあって。一人一人の人生がめっちゃ面白くて。私の中の前提で、いろんな人と喋ったら、人生ってめっちゃ変わるよなって、すごく思ってるんですよね。
それはなんでかって言ったら、自分の貧乏だった暮らしの中では、やっぱり選択肢っていろいろなくて。大学行くっていうのはお金がないから選ばないんですけど、たくさんの人と話したり、些細な一言で大学進学した方がいいんだとか、こっちにすると選択肢増えるんだって思った過去があって。「今の自分」と「あのときの自分」を比べると、自分の中になかった選択肢を選べるようになったなって思うようになって、じゃあ、そういう場作りをしたいって思うようになったんです。
元々は大学院のアントレプレナーっていう起業家養成の授業でチャレンジしたことがきっかけでした。その授業の中で、その場作りをしようと思ってやったら、最終的にNPO法人になったっていうような感じなんですよね。

qbc:活動を始めてどれぐらいでNPO法人になったんですか?

岡村:活動を始めて1年でNPOになりましたね。

qbc:振り返ってみていかがですか?

岡村:振り返ってみても、人生って些細なことでやっぱり変わるなと思ってます。最初は、将来税理士になった時に幅を広げるために、大学院に通い始めたのが、アントレプレナーという起業家ゼミがキッカケで、MBA取得に興味を持ち始めました。
ただ私、MBA取得することだけで終わることが、MBAの本当の価値ではないと思いました。その気持ちから、「MBAの価値とは何か?それは、社会に対して新しい問いや、何か挑戦すべきことではないか」と、考えるようになりました。
その考え方が根っこにあって、今のNPO法人の活動の土台にも繋がっています。
なんと言ったらよいか…何かを体験する場を提供した時、「あなた=参加者」の体感価格(感じた価格)にして、後払い設定で、感じたままの金額を払って貰ったらいいなと考えました。そうしたら、今の世の中に溢れている、「〇〇万円で〇〇取得できる!」っていう教育という名の「サービス」ではなくて、共にその空間にいるだけで、学びたい人は学べるんじゃないかって考えました。その思いを「場づくり」していき、それがNPO法人化するとは思っておらず、人生って面白いなと本当に思っています。
多分単純に、ちょっとしたMBAに対する疑心と、自分の持ってるリソースだけでやってみたいっていう感じで行ったことに、賛同してくれる人たちが現れました。現在まで3回実施しているのですが、合計額が約70万ぐらいになっていました。これは想像しておらず、やっぱり世の中面白いなっていうか、これからもそういう場を作っていこうと思いました。だから、この無名人インタビューも面白そうと思って参加しました。人生変わるかなって思ってます。

qbc:ありがとうございます。今、一番楽しいことって何ですかね?

岡村:生きてることですかね。

qbc:生きてることっていうのは、詳しく言うとどういうことですか?

岡村:なんかもう、生きてるだけでお得だなって最近思えるようになって。
昔はハッピーじゃないと、生きててもしょうがないって思ってました。今はチャレンジできたり、とにかく生きてるってすごいな、生きてるだけでありがたいなって本当に思うようになったっていうか。だから何してるかって聞かれたら生きてるときが楽しいですよね。

qbc:そうなったのっていつ頃からですか?

岡村:23歳の時です。身近な人が、会って4時間後に亡くなりました。それから、人っていつ死んでもおかしくないって思うようになって。命の有限性を肌で感じました。
そこから、改めて、自分の存在意義って何だろうって考えるようになって、自分って別にいても、いなくても、世の中そんなに変わらないなっていうことを理解したというか、腑に落ちたら、なんか自由になりました。23歳の時からちょっと経ってからですが。

qbc:何かそういう出来事があったんですか?

岡村:そうですね、ハンセン病患者が題材になっている『あん』っていう映画を観て。
なんていうか、まずそこに生きてることに意味はないけど、生きてるっていうことに意味をつけることはできるみたいなことをその劇中の人が言うんですよ。いまいちちょっとよくわからなくて、そのときは。
ちょうど、あんの舞台にもなった全生園(東京都東村山市)に行くツアーに参加して、全生園で生きてきた人の話を聞いたときに、この人たちも私と変わらないんだなってすごい思ったんですよ。なんていうか、嫌な人や意地悪する人はいるし、優しい人もいて、変わらないんだなって思って。

それと同時に、多摩市の主催でドリアン助川さんっていう『あん』を書いた人が話す場があったんですよね。そこで助川さんが、そもそもその小説を書こうと思って10年かけなかったって仰ってて。その理由は、助川さんが知人みんなで飲んでたときに、「私は社会の役に立ちます」みたいなこと言う仲間がいて、社会の役に立つって何だろうねっていう話になったそうです。まあ稼いだりとか、その出世したりとか、いろんな役に立つってのがあったけど、じゃあ障がいがある人はどうなのだろうという話になったらしくて。それでその時、ちょっと重さを感じたっていうようなことを仰ってました。

私はその話を聞いて、うん、そうだな、なんか自分もそう思ってたなって思って。なんかお金を稼いでいたらすごい人で、稼いでいない人はすごくなくて、別になくてもいいとかって。何か弱いものいじめじゃないけど、そういう発想があったなみたいなことをすごい思って。その辺りから、あぁ誰の命もみんな一緒なのだと考えて、今に至りました。
そういういろんなことがあって、変わらないし、生きてるだけでラッキーだし、すごい幸せなことだなって。

qbc:それは何年前ぐらいですか?

岡村:3、4年前ぐらいですかね。

qbc:それってやっぱり叔父さんのこともあってそう思ったんですか?

岡村:そんときはね、全くその叔父さんのことは気にしてなくて。単純に病気の叔父さんって感じだったんですけど。

ちょうどその時期は、私が結婚して無職になった頃なんですよ。専業主婦になった後に『あん』を見たんですよ。結婚して専業主婦になった瞬間、社会からいらない存在に思えたんですよね。会社で働いていない、経済的価値を生まない自分って意味ないなって。
先月まで給料で何十万とかもらってて、その人生に価値はあった気がしたのに、その翌月から無収入になって、食べさせて貰わないと生きていけないって思ったら、私ってなんで生きてたんだっけ、私生きてる意味あるんだっけってなったんですよ。
そんなときにたまたま『あん』に出会って、「意味はないけど意味は作れるんだ」っていう言葉が刺さって。「意味は作れるんだ。でも、よく意味がわからない」っていうところから、いろんな人とか会って話したりしました。みんなには人生迷走してるって言われたんですけど。だけど、この期間で私の中で「生きる」ということの確固たる哲学ができました。「自分の生きてる価値がわからない」からこそ、「生きる」ということを。

その哲学は、私は別に生きてても、生きてなくても世の中は変わらないけど、それでも、自分でその生きていくっていうことに、意味はつけられるし、自分がいいんだったらいいやっていう、そこの割り切りができて、そうしたら、生きることがすごく楽しくなりました。それまでは誰かの期待とかに生きてたんだなと思って。
「給料稼がない自分は駄目なんだって、私、思ってたんだ!」って気がついて、肩の力が抜けて、楽になったら、「人の生き方ってアートみたい」だと思うようになりました。だから、今まで出会った人やこれから会う人の、すべての人から学べるとも思うし。でも、今の世の中のビジネス書は大体何者かだし、そこに価値があるかのように映る。だけど、「価値を置いていない何者でもない人からも、本当はいっぱい学べるよね」っていうことをすごい思ったっていう感じです。

qbc:なるほど。ちなみに、趣味は何でしょうか。

岡村:趣味は漫画ですね。漫画を読みながらポテトチップスを食べる!

qbc:どんな漫画ですか?

岡村:漫画は全部好きですね。少年漫画も読みます。ちょっと絵がワイルドで、ミステリアスなやつとかも好きです。

qbc:今おすすめの漫画は?

岡村:いろいろありますね。『左利きのエレン』はキャッチコピーが刺さるなって感じです。「天才になれなかった全ての人へ」っていう、みんな天才なんかなれないからなみたいな。いやそんなことない、みんななれてるけど、なれてないっていうか。
今何って言われて出てこないな(笑)。『正直不動産』のようなベタなのも好きです。そして、漫画のお供には「ポテトチップス」がマストです(笑)

qbc:性格について、周りの人からはどんな風に言われますか?

岡村:自由だなって言われますね。

qbc:『あん』と出会う前とかはどういうふうな性格でしたか?

岡村:『あん』と出会う前は、めちゃめちゃ営業やってて走り回ってて。これも自由だったかもしれないですね。
20代で、サラリーマンしながら専門学校行ってて、税理士勉強して、一旦ドロップアウトするんですけど。その後、自分でお金を稼ごうと思って商品を開発するんですよ、副業で。
いつもなんかガシャンガシャン、好き勝手やってるように見られる。

qbc:じゃあ、自由と言われているのは、前から変わらないということですか?

岡村:いや、10代は自由じゃなかったです。自由な発想もなかったですね。結局、凝り固まってたんで。みんなを妬んでましたね。海外にすら行ってみたいとも思わなかったですね。

qbc:今、自分自身ではどんな性格だと思いますか?

岡村:今だったら、まあ、あっけらかんとしてますよね。もうちょっと何か経理っぽくなった方がいいんじゃないかと思う時がありますよね。


過去:子供のときはずっと怒ってました。何でこんな世の中なんだみたいな。だから好きだったドラマは『ミナミの帝王』と『ナニワ金融道』でしたね。

qbc:子供の頃は、どんなお子さんだったんでしょうか?

岡村:子供の頃は、陰が薄いキャラでした。
小学生の時に住んでいた家が団地だったんですけど、隣に反社会的勢力の組織のナンバー2が住んでたんですよ。本当に毎年逮捕されたりする。その当時は暴力団対策法も強くなく、本当に恐怖と隣り合わせの暮らしだったので、お母さんに髪の毛を結ってもらえる楽しみとか、そういうことは一切感じた記憶がありません。

早く大人になってこの暮らしから抜け出したい。だから、キラキラした恋だの愛だのとかそんなん言ってるよりは、お金が欲しい。そんな子供でしたね。寝て起きたら大人になってたらいいなって真剣に毎日思ってました。

qbc:どんな遊びをしてましたか?

岡村:1人遊びが多かったですね。
紙の着せ替えとかがあって、切り取ってひっかけて着せ替える遊びで友達とはそんなに遊んでないですね。

qbc:小学校時代の人間関係とかはどうでしたか?

岡村:もう半径5mで終わるような関係ですね。友達って言うほど友達だった記憶はないけど、でも、いじめられたくないから一生懸命機嫌を取るみたいな子でしたね。

qbc:家族関係は?

岡村:母1人子1人の母子家庭です。母はずっと仕事ばっかりで、いつも何か寂しさを感じてました。

qbc:それは何歳ぐらいのことですか?

岡村:小学校1年生ぐらいから高校まで。ずっと母は仕事がありましたね。

qbc:中学校はどんな感じでしたか?

岡村:中学校はね、ルーズソックスが全盛期だったんですけど、まあ履かないですね。だって履いてる子が呼び出されて、「調子乗んなって言われてんのを聞くと、別に靴下ごときで呼び出されたくもないし、スカートを三つ折りが多かっただけで、その先輩とかに言われるのも嫌だしっていう感じでしたね。だからもう、「無難に生きていたい。別に目立たなくていいし、無難でいたい」でした。

qbc:その頃の感情はどうでしたか? こういう感情で生きていたとか、こう思うことが多かったみたいなっていうのは?

岡村:怒りですよね。あの人はいいよね、羨ましいって。自分の家がいいと「いいよね」みたいな。そういうのはとても感じていましたね。

qbc:高校のときの感情はどうでした?

岡村:もう、高校のときもずっと怒りですよね。何でこんな世の中なんだみたいな。だから好きだったドラマは『ミナミの帝王』と『ナニワ金融道』でしたね。年末年始も紅白とかどうでもよかったですね。白が勝とうが赤が勝とうがどうでもいい、とにかく貧乏人だからなんか騙されないように生きていかなくちゃみたいな。何かそういうのを金貸しのドラマから学んでましたね。

qbc:そのあと進路はどうなっていくんですかね?

岡村:高校の後は大学に行きました。それも別に大学に行く気は元々なくて。貧乏だからもう就職しようと思ってたんですけど、先生から「本当に親孝行を考えるんだったら、大学行った方がいいよ。初任給5万円変わるよ」って言われたんですよ。高校生にとって5万円は大金ですので、5万円も変わるのかとびっくりして、大学に行くのを決めたんですよ。
こんな風に人生ちょっとしたことで変わるなって。だって誰も言わなかったんですよ。貧乏な家の人には大学進学なんて言ってはいけないんだろうって思われてたのか、あんまり言われなくて。その担任の言葉が私には刺さったっていう。もし、先生が学歴は必要だというぐらいだったら別に何も思わず就職していたと思います。

qbc:何を勉強しに大学に行かれたんですか?

岡村:経営学ですね。高校で会計を学んでいたので、その流れで経営学を学び、日商簿記っていう資格を大学時代に取得し、やっぱり会計って楽しいなって常に思ってて。その流れで経理に就職するっていう感じですね。

qbc:なるほど。怒りはいつごろ消えていったんですか?

岡村:怒りは大学卒業しても続きました。なんでこんな貧乏なんだろうって。やっぱりそんなに正社員でも給料もらえないじゃないですか。
じゃあ、どうしたらいいんだろうなってなって、サラリーマンをやりながらアルバイトをやり始めるんですよ。だから毎日トータル14時間ぐらい働く暮らしをしてて。そうすると、お金は得られたんですけど、最終的に体調崩すんですよ。ある日突発性難聴になって、朝起きたら音が聞こえないみたいな。

そこで、お金と体って自分の身の丈を超えると、何か不都合があるのかなって思うようになって。なので、一旦そこから穏やかな暮らしになりました。それでも、20代後半ぐらいに、やっぱりお金欲しいな、何か面白いことしたいなみたいに思い始めて。またバイトしたり物販したりみたいなことをして忙しくしたら、また体調崩して。突発性難聴が、もう片方もなっちゃって。もう体を大事にしなさいって医者に言われて辞めて、30代前半はしばらく穏やかに過ごしてたんです。
でも、本気で物づくりをしていた経験もあったので、当時出会った人に、本当に経営者としてやっていきたい気持ちがあるんだったら、1回営業はやった方がいいって言われたんですよね。そうして入った会社が不動産屋さんで。そのあたりは、「怒り」っていうよりは「自分がどう生きていくか」っていうことを考えてたかなと思います。

物づくりは、調味料を開発したんですけど、普通の調味料じゃないんです。溶かしたり、かけたり、混ぜたり、どれかをするだけで料理になるってマルチ調味料だったんですよ。
一つで万能!一緒に管理栄養士が監修してくれてて、着色料保存料を使わず、原材料には国産野菜を使ってて、3杯食べたらビタミンE取れるみたいな。エバラ食品さんにもプレゼンに行きました。
ありがたいことに、その製品がモンドセレクションを受賞して、大阪の阪神百貨店で出店する機会を頂いたり、シンガポールの展示場に出したものの、英語が駄目で全然売れなくて、思うようにいかなくて。

qbc:商品が生まれるきっかけって何かあったんですか?

岡村:きっかけは、女性は時間がなさすぎるっていうことからで、アイディアベースですね。子供がいたりするとなかなか自分のことに時間使えないというのを聞いて、やっぱり時間って大事だなって。女性に自分のための時間を生み出せる商品を作ろう、そうしたら愛されるんじゃないかみたいな。まあ、安直ですよね。

qbc:「自分がどう生きていくか」って思ったのは、何歳ぐらいのことですか?

岡村:33とかですかね。世の中的には遅いんですけど。あるきっかけがあって、不動産の営業をしてみないか」というお話を頂いた頃です。周りからは営業なんて止めておけ、30代で営業になってどうするの、みたいなことを言われたんですけど。いや、自分の人生だし、やってみなきゃわかんないわって思って、やってみるみたいな。

その後、営業になったんですけど、自分の存在価値って数字上げないといらないって言われるところがあって、精神ボロボロになりながら、泣いたりしながら毎日を過ごしてました。そうした時に、東京支店を立ち上げないかっていう話をいただいて、東京に行きました。
その頃は、自分でも、「自由」だと感じるようになってました。営業職に転職する前に、フィリピンに1ヶ月間留学したことが大きかったと思います。やっぱり、日本っていい国だなって。

qbc:ちなみにどちらから転勤されたんですか?

岡村:京都から。

qbc:結構京都の人って、あんまり外に行きたいっていう願望を聞かない感じがするんですけど、その辺はどうでしたか?

岡村:私自身、京都の人は少し閉鎖的な部分もあると感じています。それもあって、私、大阪の大学に通っていました。だから京都人っぽくないって言われるのかもしれません。

qbc:なるほど。それで、東京での生活はいかがでしたか?

岡村:東京は想像以上に刺激的でした。何がすごいって、面白い人がいっぱい歩いてる。でも、みんな、それに気がついてない。地方都市だと会えないような人が普通にいる。でも、普通にいすぎて逆にわからないっていう。めちゃめちゃ魅力的ですね。東京はすごい。

qbc:その後はどんな感じでしたか?

岡村:運もあってか、購入して下さるお客様も増え、営業成績も上がり始めました。
ちょうどその頃、東京で出会った人と、結婚しようという話になったんですけど、毎日深夜2時ぐらいまで働く暮らしだったんで、仕事を辞めて結婚しようと決めました。
じゃあ、専業主婦をやってみようって思いました。でも、ずっと働いてきた私にとって、どうしたらいいのか分からなくなって。もうちょっと色んなことをしてみたいなと思うようになって、ちょうどラグビーのワールドカップが日本に来てた時だったんで、ボランティアをしたり、その後、外資商社に勤めました。2020年の頃です。
面接の時、英語がそんなにできないのに「CFOになります」と発言したこともキッカケとなり、ご縁を貰いました。その後、コロナが蔓延し、一時期はほぼフルリモートに近い働き方だったんですけど、出社に切り替わる形になりました。その時は、大学院と並走してたんで、体力的にも無理だと、フルリモート勤務の会社に転職し、今に至ってます。

qbc:不動産って言っても結構種類がありますが、何の不動産ですか?

岡村:投資不動産でした。たまたま買いたいと思ってたとおっしゃるお客さんに出会って売れたんですけど、売れた瞬間から先輩の対応が全く変わったのですよね。それまでは質問も許されないし、結果を出さない存在は不要なような空気でしたが、売れた瞬間に私がすることが正しくなるのです。

qbc:やるやん、ってなった訳ですね?

岡村:すごいパラダイムシフトですよね。昨日までは酷いこと言われていたのに、昨日の私と何も変わっていないのに状況だけが変わるみたいな。いい経験をさせてもらいました。コミュニケーションっていうことが、実は最大の武器になるんじゃないかとすら思うぐらい、営業って素晴らしい仕事だなと思いましたね。

qbc:営業をやって何が良かったですか?

岡村:経理をずっとやってて、AIが仕事を奪う時代がくるって、今よりももっと強く言われてたときがあって。今はそう思わないんですけど、そういうのがあって経理って別に私じゃなくてもできるなってすごく思ったんですよ。仕組み化すればパターン処理できちゃうから、私要らないじゃん、じゃあ、要る人間になるにはどうするかっていうので、対局が営業だったんですよね。なので、経理から対局の営業をやった経験によって、選択肢が広がったなとは思っています。

未来:なんか世の中に怒り続けるのも疲れたから、じゃあ世の中良くする方がいいなみたいな。

qbc:ご自身がしたいのは何だと思いますか?

岡村:私がこれからしたいのは、人生をやり直す場作りです。なんかすごい抽象的な感じでやり直すってなんやねんってなるんですけど、人間と人間が出会うと、いつでもリセットできるじゃないですか。私はたくさんの人に出会って、本当にたくさんの人の話を聞いてきたら、自分が選ばなかった選択肢をたくさんしてきてるんですよね、今までに。それを通じて思うのは、人生はいつでもすごく変わるから、それが変わる場作りということで機会をつくりたい。

それにプラスして、私は物質的に【リセットハウス】を作りたいんですよ。世の中にあるシェアハウスのような形式で母子家庭を対象に。それ何やねんって言ったら、もう1回自分で這い上がりたいって思う人をサポートするための家です。そこに住んでもらって、その人の人生をリセットする。だから、リセットハウス。そのリセットハウスは、入居者の方が、再び世の中で活躍する仕組みにしたいと思っていて。
税金を払わなくていい家庭(非課税世帯)が税金を払える家庭(課税世帯)に変わるようなイメージです。自分が税理士を目指してるからこそ、税理士の使命の中に、世の中税金払う人がいっぱいになる社会になったら、日本としては強くなるし、その人たちも選択肢が増えるじゃないですか。そういうことをしたいと思って、今一生懸命活動しています。

qbc:5年後10年後、あるいは20年30年死ぬまでイメージしていただいて、どういうふうな未来を意識されてますか?

岡村:5年後は、そのリセットハウスを物質的にまず稼働させてるっていうのと、自分が税理士になってるっていうのは、絶対マストで。それを法人化してリセットハウスとうまく連携して、何か学び直しみたいな場作りをすると同時に、そこに関与した人が再就職しやすかったり、仕事をお願いできる仕組みにしていてもいいなと思ってます。

10年後になってくると、私、大学院にもう一回行きなおしたいと思ってて。博士を取って、アカデミックな話と実務と、両軸で話が出来るようにしたいと思っています。掛け渡しみたいな。頭固すぎなくていいっていうような感じでやりたいと思ってますね。
そうね、将来死ぬまでに、私と出会った人が幸せになってくれるといいなって、そういう人生であればいいな。ビジネスですごい成功したいとかはないけど、拡大志向っていうよりは丁寧に、そして、1人でも、もう1回やり直していく人が増える社会に近づくための取り組みができればいいなと、これは本当に切実に思ってますね。

そうすると、日本っていう国を強くできるし、日本をまだまだよくできるっていうふうに思ってるので。そこに関与したい、寄与したいみたいな。

qbc:お葬式で周りの人が岡村さんの事をどう思っているといいと思いますか?

岡村:いや、死んだときはもうひっそり死にたいから、誰にも何も言わなくていいって感じがいいですね。家族だけが、ああ亡くなったなと言って、骨を焼いてくれるのがいい。誰にも別に思い出してもらわなくてもいい。ただ、誰かの何かが変わるきっかけの、その何かちょっとした部分、芽でもいいから何かになれたら幸せだなと思って。それが別に私だって思われなくてもいいから。なんかそれはとても思いますね。
で、それを誰かに継いでいってもらうみたいな。そう、10年後には私このNPOを次の人に渡したいと思ってて。その時にどう渡せるかっていうのはすごい思ってます。

qbc:アートとはっていうお話が始めにあったんですけど、それはどういう意味合いで使われてますか?

岡村:「アートは正解がない」っていうのが、私の中のアートのイメージなんですよ。で、見る人によって解釈も違うし受け取り方も違うんですよ。だけどそれでいいって。人から見たら奇抜に見える人も、人から見たら繊細に見えて、それでいいっていうか、別に正解はないし、みんないろんな面を持ってるから。ただ、デザインと違って、自分が描きたいと思って描く、なんかアート的な生き方をする人が増えるといいなって。別にサラリーマンが駄目とかそういうことじゃなくて、サラリーマンだってアートでいれるけど、なんか面白くないなって思いがちな人も多いから。そうじゃなくて、どんな仕事であっても別に自分が自分らしく生きれば何でもいいじゃんっていう感じですかね。

qbc:経理とアートっていうのは、結構相反するものではないですか?

岡村:いや、私経理もアートだと思うんですけどね。同じ事であっても会社によってや人によって方法が違ったりもしますし。請求書一つとっても、100社あったら100社のカラーがあるじゃないですか。ロゴをどこに置いてくるとか、全て一つのアートだと思います。何もかも全部どこかで繋がっていると個人的に考えています。

qbc:そうですか、私はIT側の人間なので、アートになって厄介だなと思ってます。

岡村:ははは(笑)

qbc:一つのフォーマットでやってくださいよって(笑)

岡村:確かにそうですね(笑) その仕組みは一つのアートっていうか、その一つの表現ですもんね。

qbc:個別のアートになってしまってるんですよね。

岡村:確かに。それはそうですね、それはそりゃそうですよ本当に。システムが多すぎても逆に不便じゃないかっていうのがあるから、そこは何とかならんのかいね、とは個人的には思いますね。

qbc:ところで、「生きる意味をつける」っていうフレーズを何度かおっしゃっていますが、それまでのご自身の人生にはどんな意味があったんですか?

岡村:昔は「稼ぐ」とかだったんじゃないかなあとは思いますね。生きてるうちに稼ぎたい、なんとなく稼ぎたいって思ってて、今でも生きていく分は欲しいというのは事実としてはあります。でも、稼ぐっていうよりは誰かの役に立てたらいいなって。
自分のためには頑張ることができないなって思う限界値みたいなのを感じてて。誰かのためだったらちょっと無理ができるんだけど、自分の売り上げのため、自分の成績のためだとすぐ限界がきちゃう。そのポイントが今はあるので、誰かのためにっていうのはすごいある。だから頑張ろうと思うし。

qbc:利他的な、自分じゃない誰かのためにっていうのには、どうして気付いたんでしょう?

岡村:それは営業やってみて思ったんですよね。営業の最初って、なんか給料が上がるよとか、そういうこと言われてニンジン的な要素で走るんですけど、それが本当にニンジン食べれるようになると、別にそんなニンジン要らなくなってきて。むしろその目の前にいるお客さんが喜んでくれたり、こうなってありがとうとか、そう言われると、なんかそっちの方が嬉しくなっちゃって。そこで気づきましたね。
自分がこのように自分のために頑張れない瞬間が来るんだったら、他の人もきっとそうなんじゃないかなと思ってて。だから今のNPO活動のメンバーが集まってくれる理由も、もしかしたらこういった理由なのかもしれないなって思ったりします。それは仮説ですけどね。個人が法人化したばかりで色んな所が至らないNPO法人ですので、みんなが力を貸してくれてなんとかなっていますが、やっぱりまだまだわからないところはあります。だけど面白いなと思ってやってます。

qbc:もしもの未来の質問というのをしていて、もしも家が裕福だったら、どういう生き方をされていただろうと思いますか?

岡村:家が裕福だったら、多分何も考えなかったんじゃないかなと思います。それなりの暮らしをしてそれなりに過ごせて。
まず、怒りっていう感情もそんなに沸かないんじゃないかなと思うんですよね。私は、世の中理不尽だなってすごい思ってて。でも裕福だと、お金の面でそれがないわけじゃないですか。家族に対しても、お母さんが作ったご飯今日は美味しくなかったとかそういう目線になってたのかなと、普通だったら。

qbc:いろいろな人の人生を見てみると、子供の頃の不幸だったり、ネガティブな感情というものをどう克服したかによって変わってくると思うんです。そのまま悪い道というか、犯罪に手を添える人たちもいると思いますし、ポジティブになって行く人もいるし。
ご自身では、それは元々の要素だと思いますか?

岡村:同じ境遇ですこし不良になった人もいたのですが、当時はテレビやドラマの影響で、母子家庭の子供が不良になるみたいな番組が多かったんですよ。発信される情報に偏見があって。

qbc:すごい偏見に溢れた時代でしたよね。

岡村:そう、それでテレビの大人が言うんですよ。あの子は母子家庭の子だから、片親の子供は不良になるんだみたいなことを情報として見せつけられたときに、私は内心、不良にはなれないなと思ったんですよ。じゃないと想像通りの存在になってしまうので、だめだなみたいな。それによって、不良になることがそもそも捨てられたというか、選択肢に入らなかったんですよね。情報やドラマを見てなかったらなってたかもしれないですよね。タバコを吸ってみたりとか。

qbc:本当に裕福だったとしても、現在のご自身のバイタリティや行動力とかってあったと思いますか?

岡村:ないと思います。これは元々反骨精神で全てが動き始めて、憎しみから感謝に変わったときに、物事の視野が変わったなと自分的には思っています。
最初は憎しみしかなかった。”なんで親が”、”なんで社会は”、”みんなは羨ましい”、”あの人は恵まれている”とか、そういった視点でしかなかったんですけど、やっぱいろんな人との出会いによって、感謝できるっていうことを知ったら、あぁ一人で育児をした母親も大変しんどかっただろうなとか、ありがとう・ごめんね、みたいな。そうなったときになんか怒りでは走れない限界値みたいな、そこに気付かせてもらいました。怒りだけでは怒り以上に進めない。怒りのエネルギーは、ずっと何かに怒っていないといけないんですよ。ずっと怒っているエネルギーって不平不満を見つけないといけないし、とてもしんどいから、どこかで横に置いたのでしょうね。もうなんか疲れたなみたいな。なんか世の中に怒り続けるのも疲れたから、じゃあ世の中良くする方がいいなみたいな。
そう思ったきっかけは、多分いろんな人との出会いですよね。憎しみを吐露した時に、「何言ってんのあんた」とか言われましたからね。「親がこうで!」と私が怒ってるのに対して、「何言ってんの、もう大人やで」みたいなこととか言われて。そっか、私大人だったなみたいな。

qbc:なるほど。リセットハウスについてですが、社会の外部に存在するような感じで、その後まだ社会に戻していこうっていう発想じゃないすか。

岡村:うんうん。

qbc:もうそのままここにいてもいいよみたいなっていう発想はないんですか?

岡村:ないですね。人間には甘えとか依存があって、甘えさせることが駄目なんじゃないけど、やっぱり自分の足で立つということが、どんだけ選択肢を広げてるかっていうことをわかって欲しいなってすごい思ってて。
うちの家は貧乏でしたけど、母はずっと仕事をしていたから、進学しても物を買ったりとかしていたわけじゃないですか。それって、生活保護に母がもしなってたら私は多分こういう暮らしにはなってなくて。
そもそも、その生活保護をもらうということに視点や目的がいって、頑張らないための理由をつけて頑張らない生き方をすると、もう自分の選択肢が全てその生活保護の費用の中に収まる暮らしになるじゃないですか。
だからそれは駄目というか、勿体ないのではないかと思っています。楽しく生きるには、やっぱ「義務と責任」があると私は思っています。だから、社会にもう一度再出発してほしいし、そして、再出発した側がまた誰かを救う力になってほしいなって私はすごい思ってて。それが循環すると世の中はとても素敵な社会になると思いませんか?
依存する人とかだったら救えないというか。私たちも必死だから。

qbc:岡村さんにとって社会とは何ですか?

岡村:社会って、これは難しくて。昔は何かこうって言えたんですけど、いろんな人がいるものだと思うんですよ。だから、どんな選択肢も存在も、否定はできない。今回言った生活保護をもらう人も否定はできないし、そういう人もいるだろう。ただ、私の考える社会は、自分で自立したいと思う人を救う世界というか、そういう場の社会で、なんていうかね、言葉一つでいろんな人をふるい落としちゃうから、言葉って怖いなと思ってて。そう、抽象度は高いんだけど、自分の中では、届けたい人はすごい限定的なところがあるんだろうなと思います。全ての人は救えない。だから、自分が救いたいと思う人は絶対救おうみたいなところはあるのかなと思いますね。

qbc:夢を語っておられるんですけれども、しっかり足場があるなというふうに感じます。そのしっかりした足取りはどういうことから生まれたんでしょう?

岡村:経理だからじゃないですか?

qbc:やっぱりそういうことで合ってますか?

岡村:経理ってすごい現実的だから。

qbc:素晴らしいところは、自分が救える人しか救えないっていう、はっきりおっしゃられるところだと思います。

岡村:そうですか? そんなふうに言われると、嬉しいというか、照れますね。

qbc:いやだって、誰でも救えるって言う方が楽じゃないですか。
それをはっきり言えるのはすごいです。その人その人に合ったリセットハウスっていうのがあって、万人向けはできない。

岡村:そう。だからそれを作るために、なんかできそうな気配がして。叔父が亡くなったことで、その家も何か活用できる気がしていて。リセットハウスにできるかもしれない。ただボロボロなので、ちょっとその辺含めて動かなきゃいけないんですけど、そこで人がもう1回やり直せる場になったら、今空いてる空き家ももう1回リセットして、もう一回家としての価値を見出したりとか。なんかそうなっていったらすごい素敵だなって思ってて。
私、不動産やってたから不動産もわかるところもあるので、そこら辺をうまくできればいいなって、妄想と想像しながら。妄想しつつ、できないことはできない、できることはできるみたいな、チャレンジしてる感じですね。

qbc:なるほど。今やってることが、洋服だったとして、今着てる服は自分に似合った服ですかね?

岡村:似合ってるっていうか、どんな服を着たいっていうのが、別にないです。
ただ、誰かに提供できるんだったり、その人がこんな服欲しいなっていうのを、提供できるような人になりたいな。
本当にすごいいろいろな構想が自分の中にあって。自分が税理士になるからこそ、税理士としてのその価値を含めて、NPO法人の運営を通じて学ぶ事があるので、社会のNPO団体の会計処理を預かることがお客様からできれば、そこがビジネスになるから、それを学ぶ場を提供すれば、それでお金をお渡しできる。
っていうののイメージを持ってて、そこから発生して、どうあればいいのかっていうのは常に妄想してます。

qbc:会計事務所を立ち上げるとしたら、NPO法人と分けますよね?

岡村:分けます。NPO法人としては収益事業は認定NPO化する上で分けます。非収益として会計を学ぶ場を提供するんですよ。そしたら、会計事務所って結構職人的な先生方がやってて、アウトソースしたい仕事ってあると思うから、それを母子家庭のお母さんとか、ちょっと経済的弱者の人たちに教えるんですよ。

qbc:ああ、すごい!

岡村:そう。そしたら、1から10の工程があって10が完成だったら、1から10に細分化して、1を教える。そしたら1だけできるから1の仕事をさせる。そしたらお金が生まれるじゃないですか。そしたらまた2を学ぼうと思ってもらってという感じで、最終的に1から10の知識を全部得ると会計事務所とかでも働けるってなると、その人は転職できますよっていうような仕組みにしたいなと思ってます。

qbc:かつ、フルリモートで完結できるみたいな。

岡村:そうそう。そしたらね、日本もIT企業としてね、デジタルDXみたいなんかを言ってるんじゃなくて。

qbc:シンプルに、トレーニングしてあげればできるんですよね。眠れる獅子たちがやっぱりいっぱいいるんで。子育て中とかで働けない、条件が違ってて家にいざるを得ないからみたいな。日本のストレスだと思います。

岡村:でもそこをやっていければ、お金も回るし、運用系いいじゃんみたいになるし。しかも転職してスキルになるんだったら、その人の世の中に放ったっていいじゃんみたいな。
変な訳わかんない資格とかじゃなくて、ちゃんとやる。その辺は自分が商業高校だったから、やっぱすごい資格って強いなと思うんで、そこを担保できる団体になりたいですよね。
あの団体の基準を超えていたら安心みたいなね。

qbc:なるほど。最後に、何か残したことはありますか?

岡村:このインタビューは、読んでる人はぜひみんなやった方がいいんじゃないかなと思ってて。その人の一言で、やっぱ人生が変わることって絶対あると思ってますし。同時にこのインタビューをしてくださってることを本当にありがとうございますって思っています。これすごいな、本当に面白い取り組みだなと思ってて。
これから、収益化とか考えたりしたらあれかもしんないけど、絶対時代は個にフォーカスされてるから、この無名人インタビューやった人がいつか有名人になったら、それはここが起点だったなみたいなオチになるかもしれないし。なんか面白くなったらいいなと思ってます。これからも読みます(笑)

あとがき

今回の無名人インタビューはいかがでしたか? 面白かったですか? ぜひ、感想のある方は、コメント欄に爪痕を残していってくださいね。
起業家とコミックって、結びつきあるなって思ってるんですよね。コミックっていうか、マンガとアニメですが。
荒唐無稽というか、夢溢れるというか、気宇壮大というか、そういう夢ある感じと起業というロマンに共通点があるんですかね。
と、いうわけで私もようやく個人事業主になりました。
ありがとうございます。
本当に、ありがとうございます。
一緒にがんばらせてください。

インタビュー担当:qbc

編集担当:mii

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