宮古島に移住して十年経った人
むかしむかし、都会の喧騒に疲れた波音(なみおと)という名の男がいました。波音は毎日同じ景色の中で、同じ時間に電車に乗り、同じビルに通い、心の奥でずっと何かが足りないと感じていました。
ある日、友人から届いた宮古島の写真を見て、波音の心は大きく揺れ動きました。青い海、白い砂浜、そして島の人々の穏やかな笑顔。「ここで生きたい」という思いが、突然湧き上がったのです。
多くの人が「無謀だ」「後悔するぞ」と忠告しましたが、波音は決断しました。都会の安定した仕事を辞め、貯金を頼りに宮古島へ移住したのです。
最初の頃は、毎日が新鮮な驚きの連続でした。朝日が昇る海の美しさ、星空の壮大さ、人々の温かさに心を奪われました。しかし、すぐに現実も突きつけられました。仕事は限られ、台風の脅威、島の閉鎖的な一面、そして何より、観光客ではなく「住民」として生きることの厳しさを知ったのです。
一度は島を離れようと思ったこともありました。しかし波音は踏みとどまり、島の生活に溶け込む努力を続けました。地元の言葉を学び、伝統行事に参加し、島の課題にも向き合いました。少しずつ、波音は「よそ者」から「島の一員」へと変わっていきました。
時が流れ、移住から十年が経ちました。波音は今では小さな民宿を営み、島を訪れる人々に宮古島の魅力を伝える役割を担っていました。台風の後には真っ先に近所の手伝いに行き、祭りの準備では中心となって動くようになっていました。
ある日、新たに島に移住してきた若者が波音に尋ねました。「十年も住んで、後悔したことはありませんか?」
波音は穏やかな海を見ながら答えました。「後悔?いいえ、それはないね。簡単な十年ではなかった。でも、この島での一日一日が私を作ってきた。都会では見えなかったものが見えるようになり、大切なものが何かを教えてくれた。私はこの島に命をもらったんだよ」
波音は続けました。「宮古島に移住して十年。私はまだ『島の人』とは呼ばれないかもしれない。でも、この島の一部になれたことは確かだ。そしてこの島も、私の一部になった」
そして「根を張るのに、十年の忍耐」ということわざが、この島から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2025年4月14日20時27分に書く無名人インタビュー1055回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは 大林 領 さんです!
年齢:40代前半
性別:男
職業:カメラマン兼ツアーガイド
フォトグラファー大林 領 インスタグラム
https://www.instagram.com/daytrippers_photography/
ハレルヤツアー インスタグラム
https://www.instagram.com/halleluyah_miyakojima/
現在:島の人に「何年住んでるの?」ってたまに聞かれるんですけど、もう10年になりましたみたいな話をすると、もう島の人だねって言われることが増えたので。
ゆいぴ:
大林さんは今、何をされている方でしょうか?
大林 領:
私は今、宮古島在住なんですけども、カメラマンをしながら陸や海のツアーガイドをしております。
ゆいぴ:
そのツアーはいつからされてるんですか?
大林 領:
今年の5月で丸3年になる感じですね。今3年目です。
ゆいぴ:
ツアーの内容、概要についてもう少し詳しくお伺いしてもよろしいですか?
大林 領:
はい、大丈夫です。陸のツアーは宮古島の各所を、観光スポットや穴場スポットを巡りながら、例えば私のツアーは結構ファミリー層が多いんですけども、各所巡りながら家族写真を撮ってあげたりだとか。新婚さんの新婚旅行でのご案内や私の父母の世代60代、70代世代も多かったり。あとは女子1人旅とか。カメラが好きな方が来てくださるので、宮古島を巡りながらカメラのレクチャーをしながら穴場スポットを案内して写真を撮って楽しんでいただいたり。結構臨機応変にお客さまに応じてカスタマイズしながら、陸のツアーをやっております。それ以外はシュノーケルツアーで、特に人気があるのがウミガメを見れるツアーなんです。
陸のツアーとシュノーケルツアーと、あと撮影の部門でいうと星空撮影であったりだとか、あとはウェディングの前撮りとか、挙式とかパーティーの撮影であったりだとか。あとは、商品撮影とか宿泊施設のホテルさんとかゲストハウスとか一棟貸しの宿とかの撮影などもやってます。でも家族連れが多いので基本的に家族写真が多いかもしれないですね。
ゆいぴ:
大林さんはカメラマンでいらっしゃる?それともツアー会社にお勤めでいらっしゃる?
大林 領:
3年前から個人事業主として、元々はずっとカメラマンなんですけど、カメラマンにツアーガイドがプラスされた感じですかね。今は二本柱でやってます。カメラマンなんですけどツアーガイドもやっているっていう感じです。宮古島はこのパターンの人が結構多いですかね。インスタの人気が出だして、インフルエンサーとかそういう方々も増えて、プロカメラマンじゃないけどアマチュアでもそういう感じのツアーをやってる方とかもかなり増えました。カメラマンもツアーも何人いるのかもわからないぐらいの業者さんがいるっていう。そのような中で自身に撮影やツアーのご依頼を頂けるのはとても有難いです。
ゆいぴ:
宮古島でそういうお仕事をされるきっかけは何かあったんですか?
大林 領:
そうですね。自分が宮古島に住んで10年なんですけども。元々は大阪府の守口市っていうところの出身で、リゾートバイトで14、5年前に1回宮古島に半年ほど来てたことがあったんです。そこから数年経って、やっぱり宮古島に住んでみたいなということで10年前に移住してきました。そのときにカメラマンの仕事として、ウェディング撮影を主にやってたんですけど、そのときに何となくツアーガイドというか、内地から友達が来るたびに無償で陸を案内したりだとか、シュノーケルに連れて行ってあげたりなどしていたので、そういう仕事もカメラマンプラスやりたいなっていうところからですかね。
ゆいぴ:
なるほど。宮古島でのお仕事全般に対して、どのようなお気持ちや感情で向き合っていますか?
大林 領:
14、5年前に宮古島と出会って住んで、私が島の人たちにたくさんお世話になってきたのもありまして。宮古島の魅力であったりだとか、この10年の間に宮古島市役所で働いていたこともあって、地域おこし協力隊っていう総務省のお仕事なんですけど、やってたことがありまして。私が所属していたのがエコアイランド推進課というところに所属していたんですけども、宮古島市がエコアイランドを掲げているので。お客さんにただ旅行していただくだけじゃなくて、お客さんにも宮古島に貢献して頂き、魅力を私が伝えるだけじゃなくて、お客さんの満足度を上げるために、ツアーの後にゴミを1個2個拾って頂くとか。ビーチや現場の駐車場で拾っていただいて、宮古島に貢献できたなって思いを持ってもらえるような感じのこともやっていたりします。そういう気持ちで宮古島に恩返ししたい部分と、いろんなお客さんがこの数年良くも悪くも増えたので、質のいいお客さんっていうとちょっとあれですけど、なんか良い意味で宮古島をよく想ってくださるコアなファンを作っていけたらなという気持ちでやっております。
ゆいぴ:
お仕事以外の部分で、例えば普段やっていることとか、好きなこととかはありますか?
大林 領:
仕事以外でやっていることは、何があるかな…。普段は写真を撮ったり、海を眺めに出かけたりとか普段は仕事で外に出てることが多いので、家で結構ゆっくりしてることが多いかもしれないですね。休みの前の日にちょっと飲みに行ったりとかっていうこともあったり。お客さんからツアーの後に一緒にご飯行こうって言われることもたまにあるので、それで行ったりなど。まとまった休日っていうのがあんまりないので、飲みに行ったり家でゆっくりしたり、自分の作品作りとして風景写真を撮りに行ったりとか。海に1人で泳ぎに行くことは10年前はあったんですけど、今はちょっとなくなっちゃった感じかもしれないですね。家でゆっくりすることも友達とワイワイすることもどちらも好きです。関西にいる時より物欲もなくなりました(笑)
ゆいぴ:
そうなんですね。人の写真を撮るときと風景の写真を撮るときって自分の中で違いはありますか?
大林 領:
そうですね、人を撮るときと風景を撮るとき…。人を撮るときはできるだけお客さん、相手に緊張させないようにリラックスした状態で、できるだけこちらが楽しんでる雰囲気を出すと向こうも楽しんでくれるので。笑顔にさせてあげながら、気づいたら向こうが今撮られてたの?みたいな感じのできるだけ自然体に近い状態でいてもらうことを意識しながら撮ってますかね。あんまりカチッと、人をポートレートで撮ったりなどはあんまりしなくて、どちらかというと自然体を撮る方が好きなので。家族写真でも正面のそこに立ってくださいって指示して撮るよりかは、子供たちと遊んでもらってるシーンを結構多めに撮ったり。
風景写真は自分の間合いで撮れるので、この時間帯はこの場所がいいかなとか。もう10年住んでて大体この日差しがあると宮古の海のこの場所のブルーが映えるなとか。そういうのを考えながら、結構自分の間合いで風景写真は撮れるので、その違いは人との違いはあるかもしれないですね。すみません、ちゃんと答えられてるかどうかちょっと不安なんですけど。
ゆいぴ:
いえいえ。それこそリラックスして答えていただいて問題ないですよ。
大林 領:
ありがとうございます。
ゆいぴ:
宮古島で生活してる今はどうですか?お気持ちも含めて。
大林 領:
宮古島に住んで、先月で10年になったんですけど。島の人に「何年住んでるの?」ってたまに聞かれるんですけど、もう10年になりましたみたいな話をすると、もう島の人だねって言われることが増えたので。ようやく10年経って、島の人に認められてるような感じがします。地域おこし協力隊をしていたときもいろいろ皆さんにお世話になったりとか応援してくださって交流を深めたので、島に馴染んでるというか、ちょっとは馴染めてるのかなとは思ってるんですけど。最近はより他の人からそんな感じで言っていただけて、ようやく宮古島に馴染んだか、同じ島の人になったのかなみたいなことは感じますね。
ゆいぴ:
移住する前、移住後、地域おこし協力隊として活動していた期間、今の仕事をされている期間、で宮古島の捉え方やイメージに差はありますか?
大林 領:
リゾートバイトで来てたときは、普通に宮古島を楽しみに来てるみたいな感覚でした。地域おこし協力隊をしているときは恩返しをしたいという気持ちで島にできるだけ入り込んでいこうみたいな感じでやってきました。今はどうかな。10年経って、その地域おこしでやってたことを無駄にしたくなかったので、今でも宮古島市と繋がりを持ってるんですけども。ツアーをやった後に宮古島市が発行している、エコな活動をするともらえる地域クーポンがありまして。それをお客さんにお渡ししながら宮古島がこういう活動をしているとかっていうことも伝えながらやってます。でも今も恩返ししたいなっていう気持ちでやっていて、どうやったらさらに貢献できるんだろうなって考えている感じですかね。またこれまでとはちょっと違う感じで何か貢献したいなと思ってるんですけど。っていうのが今の気持ちですかね。
ゆいぴ:
パーソナルな部分もお聞きしたいんですけど。大林さんは自分でどういう性格だと思いますかね?
大林 領:
どうかな、人からはおおらかとか、穏やかだねみたいなことを言われるので、自分でもそういう感じなのかなとは思ってるんですけど。短所で言えばマイペースなところもあるので、それが長所でもあり短所でもあるのかなみたいな。そんな感じですかね。でも今までいろんな仕事をしてきたんですけども、自分で切り開いてきたというか。いろんな仕事を地域おこし協力隊であったりとか、カメラマンやツアーガイドもしたり、その前もいろいろやってたんですけども。自分で前に進んでいけるような活発的な性格ではあるかなと思いますね。
ゆいぴ:
自分のマイペースのどのような部分が長所で、どのような部分が短所だと思いますか?
大林 領:
マイペースで言うと、島の人が良くも悪くも緩いというか。それで自分もその島の時間というか雰囲気というか、宮古島のこのシチュエーションに合っているっていう部分では良いと思うんです。仕事ではマイペースさは出さないんですけど。友達と会うときに、宮古の人と居酒屋で待ち合わせすると絶対に僕が一番最初なんですけど、大体みんな遅れてくるっていう。マイペースな自分でも、びっくりです。この10年でどうかな、友達と会うときぐらいですかね。マイペースさが出ちゃうの。仲良い友達といるときは「領くんちょっとマイペースだね。」みたいなことはあるんです。仕事関係者や仕事に関してのマイペースさは若い時はややありましたが今はないと思っています。
ゆいぴ:
島時間っていうのは本当に存在するんですね。
大林 領:
そうですね、ありますね(笑)。住んでみて本当に一番びっくりしたのは、これからご飯食べるのに、宮古の人でよくあるのが、普通にシャワー浴びてきて、なんなら空きっ腹でお酒飲むとあれだからちょっと食べてきたみたいな。そういうことに驚かされることもあったりとか。今じゃもう全然普通なんですけど、馴染んじゃったんですけど。そういう内地(本州)ではちょっと考えられない、宮古の人の行動はあります。まあそれも育ってきた文化の違いもあるので全然良いと思います。30分以内なら許容範囲です(笑)
ゆいぴ:
じゃあ過去パートへ移る前に、宮古島でツアーガイドされているということでしたので、大林さん的に今イチオシの宮古島のスポットは何処かありますか?
大林 領:
宮古島でイチオシのスポットは、最初に宮古に来てもらったら自分の中で一番見てほしい宮古ブルーがあります。下地島空港と宮古島空港と二つあるんですけど、下地島空港の横にある17ENDっていうインスタグラマーの聖地みたいなところがあって。そこは数年前から結構人気で、晴れの日、例えば10時から大体2時ぐらいが宮古ブルーを見るのにベストな時間帯なんですけど、晴れたその時間に行くともう青すぎてちょっと頭がバグるぐらいのブルーが炸裂してる感じで私も今でも感動します。
ゆいぴ:
へえ。
大林 領:
晴れの日に、もし宮古島に初めて来る人だったら先ずはそこに行ってもらいたいですかね。
過去:結局自分が何したいのかなって突き詰めていったときにやっぱり写真かなと思って。
ゆいぴ:
大林さんは子供の頃、どんなお子さんでしたか?
大林 領:
子供の頃、どうだろうな。元気な子供。でも全然普通な感じでニコニコしてたんだと思うんですけど、めちゃくちゃ誰かの先頭に立っていくとかっていう性格ではなかったかもしれないですね。ごくごく普通の幼少期というか、小学生ぐらいまではそんな感じだったと思うんですけど。でも明るくて元気で、人見知りしない子だったと思います。
ゆいぴ:
小学校に上がる前で、覚えてることとか今でも強烈に記憶にあることって何かありますか?
大林 領:
強烈に?なんだろうな。今パッと出てきた感じだと、遊園地に遠足に行って。幼少期の記憶が結構薄くて、みんなで遠足で遊園地に行った記憶がすごい残ってますね。楽しかった、みたいな。よく幼稚園で出されてたおやつがこんな感じだったな、みたいな。最近でも売っている動物ビスケットもよく出てたんですけど、今でもスーパーとかに売ってるあれがよく幼稚園のおやつで出てきたなみたいな感じで。結構ささいな感じなんですけど。強烈な記憶はちょっとないかもしれないです。
ゆいぴ:
日常的な記憶をぼんやり、っていう感じですかね?
大林 領:
そうですね。
ゆいぴ:
小学生の頃の記憶はどうですか?どういう生活をしていたとか、これが楽しかったとか何かありますか?
大林 領:
小1生の1学期までは大阪に住んでたんですけど、そこから父親が転勤族だったので福島県へ。福島県に小学校から中学校2年生まで住んでたんですけど、雪国で、そのときはすごく大阪に帰りたいというか、寒すぎて。父親が元々スキーをやっていたので、当時父にスキーを教えてもらって(スパルタ)スキーが上手になって、それが後々、ちょっと話飛んじゃうんですけどスキーのインストラクターをやってたこともあって、こんな感じで繋がったなっていうことが経験としてもあったり。水泳もやってたので、それが今のシュノーケルツアーガイドにも必然と繋がってきたなとか。だから小学校のときに習ってたスキーや水泳とかっていうのが今に活きてるなっていうふうに最近思いますね。
小学校のときも人見知りとかもなかったですし、幼少期の頃と同じ感じで明るい感じで。小学校も中学校もそんな感じで過ごしてきました。中学3年生から大学卒業までは岡山県に住んでたんですけど、そこから中国地方に行って、またちょっと違う環境だなと思いつつ。それはそれで色々なことを楽しみながらやってはいたんですけど、私、高校のときは家がまあまあ遠かったので部活には入ってなかったんです。大学のときも介護分野の学科に行ってたので、実習があって実習が大変だったなとか。友達ともすごく楽しかったなとか。だいぶざっくりしてますけどそういう小中高大学を過ごしてきた感じですかね。
ゆいぴ:
なるほど。中学校では何か部活動されてたんですか?
大林 領:
中1と中2でバレーボール部に入ってたんですけども、中3でちょうど受験シーズンに岡山県に引っ越した先で、男子バレー部が、生徒数が少なくてなかったんですよ。1年だけ、無難なところだったらもう卓球しかないかと思って。父親もやっててたまにゲームセンターかどこかよく覚えてないですけど、卓球を教えてもらった記憶があったんで。少しやった経験もあったのでとりあえず卓球。親父もやってたからわからなかったら教えてもらえるかと思って1年だけ卓球部に入ってました。それなりに練習も、受験シーズンだったんで数ヶ月だったんですけど。
ゆいぴ:
ああ、そうですよね。
大林 領:
でも試合にも出させてもらって。案の定一試合目で負けるっていう、もう全然勝てないぐらいの感じでしたけど。良い経験をさせてもらいました。
ゆいぴ:
かなり転々とされてたみたいですが、そのことに対して子供の頃に何か思うことはありましたか?
大林 領:
中学校2年から中3に上がるときは、ああ今行くんだ、みたいな(笑)。転勤するんだ、みたいな感じでしたけど、父親の仕事だったのでしょうがないなと。でも行ったら行ったで結構すぐ友達もできる方なので。特に何かこれで苦労したとか、しんどかったなって思いは意外となくて。行った先々で結構楽しめるような性格なので、特に苦労したことはなかったかもしないですね。
中2から中3で岡山県に引っ越していったときに、ちょっと田舎だったんで初めてヤンキー、長ランとか短ラン着たヤンキーが神社の境内に。初日に母親と職員室に挨拶しに行く途中に神社があったんですけど、そこの途中にヤンキーが男女で7、8人ぐらいたむろしてて。母親とえらいとこに転勤してきたなみたいな話をしたのはよく覚えてますね。でもなんか転校生がちょっと珍しかったのか、そのヤンキーたちも結構仲良くしてくれて中3は安泰に過ごせました(笑)
ゆいぴ:
ヤンキーは同じ中学の人たちだったってことですか?
大林 領:
そうですそうです。中学校の近くの手前に神社があったんですよ。そこによくたむろしていて。仲良くしてくれたんで。高校からみんなバラバラだったんで特にあれだったんですけど、なんか良かったなーっていう感じです。
ゆいぴ:
なるほど。
大林 領:
すごい久々に思い出しました。
ゆいぴ:
大学は介護専科に行かれたんですかね?
大林 領:
はい、そうです。
ゆいぴ:
なんでその学問を選んだんですか?
大林 領:
高校のときも中学校のときも、特にやりたいことがなかったんですけど。中3の岡山県に引っ越したときの夏休みに、たまたま老人ホームにボランティアで、担任の先生に3人ぐらいが誘われて行ったときに、そこで働いてた介護士さんたちを見て、なんかすごい素敵だなと思って。それを何となく高校卒業ぐらいまで覚えてたんですけど、やりたいことないなと思ってたときにそれだと思って。介護の仕事に就きたいその為に介護の学科に進んで、介護士の資格を取ろうと思ったのがきっかけだったかもしれないですね。
ゆいぴ:
その大学に入ってみてどうでしたか?
大林 領:
最初短大に行ってたんですけども、この2年間で介護福祉士の資格を取って。その系列の大学に編入して3年生4年生は4年制大学に編入したんです。でも岡山県の田舎に大学があったので、友達の家に行くぐらいしか楽しみがなくて。なんかね、すごい隔離されたとこだったんですよ。ちょっと先に行ったら倉敷とか岡山市内はあるんですけど。でもまあ大学時代は友達がたくさんできたので、すごく楽しかったなっていう記憶しかなくて。介護福祉士の資格も取れて。
でも個人的にちょっとマイペースさがそこで、悪い部分が出たのか、社会福祉士の資格も取れたんですけど、そこで熱が途中から入らなくなっちゃって。国家試験の社会福祉士は取れなかったんですけど、そのまま就職して、相談員の仕事ではなくて介護福祉士さんの仕事で就職した感じです。ちょっと話を進めると、6年半ぐらい社会人になって働いて、そこから辞めてリゾートバイトに行った感じですね。
ゆいぴ:
6年半勤めた職場を辞めるきっかけがあったんですか?
大林 領:
6年半の間に沖縄の離島を巡ったり、そのときは趣味でカメラやってたんですけど、沖縄がそこですごく好きになって、カメラに目覚めて、何となくそのカメラで仕事して食べていきたいなみたいな、漠然と思ってたんですけど。ここで辞めないと、その上にいくと役職などがついてくるような感じで今や辞めないと無理だなと思って、もう思い切って辞めようと思いました。6年半で辞めてリゾートバイトに行ったんですけど、介護がめちゃくちゃ嫌いで辞めたわけとかでもなくて。でも介護を6年半やってみて、自分の仕事としてこれが100%めちゃくちゃ好きだなって思えなくなってきてた部分もあったので。好き度で言うと80%ぐらいみたいな。仕事に熱も、6年半の最後らへんとかも頑張りたいけど熱も入らないなみたいなのがあって。もう思い切って辞めようと思って辞めて、宮古島に半年行ってみようと思いました。
介護の仕事を辞める前に宮古島旅行に初めて、6年半目の12月ぐらいだったんですけど。そのとき宮古島で初めて泊まったゲストハウスのオーナーにちょっと仕事の相談をしてたんですよ。その人がオーナーだって知らずに僕が一方的に、お酒を飲みながら話してて。たまたま来てた宿泊者だと思って話してたんですけど、最後らへんにどちらからか聞いてみたら、僕ここのオーナーだよって言われて。散々話した経緯があったので、それだったら今12月だから、4月頃にいろいろ身辺整理してうち来る?みたいなことを言ってくださったんですよ。それがゲストハウスのヘルパーの仕事だったんですけど。そこに住み込みで働くと宿泊費は無料。そして仕事のお給料は出ないんですけど、自分で他でバイトするとか。なので貯金を切り崩しながら、最初の2ヶ月はゲストハウスで働きながら宮古島を楽しんでいました。貯金を切り崩しながら宿の仕事しながらお客さんの対応をしながら、いろいろなお客さんと毎晩ではないけどたまに乾杯しながら。いろんな人と繋がりや交流ができたなっていうのがあります。
その後の残り数ヶ月はカフェで働いてたんですけど、そこはバイト代がでたので。それでもその当時の、10年前の宮古島の時給ってめちゃくちゃ低かったので、本当に6、700円ぐらいじゃなかったかな。だからめちゃくちゃ、貯金がどんどん減っていった状態だったのでこれはまずいとなって。ある程度、半年住んでみて満足度を得られたので1回帰ろうと思って。大阪に帰ってから何しようかなと思ってたときに、たまたま友達に声をかけてもらって、スキーのインストラクターを2シーズンやったりだとか。関西で友人がやっていたダイビングサービスのアシスタントをやったりだとか。またちょっと、介護の仕事をやってみたんですけど。やっぱり介護じゃなかったなと思って半年ぐらいで辞めちゃったんです。結局自分が何したいのかなって突き詰めていったときにやっぱり写真かなと思って。
そこからユニバーサルスタジオジャパンで約2年ぐらい働いてたんですけど。そこでお客さんを撮る仕事があったので、そこで場数を踏んで人前でも緊張せずに撮れるようなメンタルを鍛えさせてもらったり。接客だとかを2年ほど学ばせてもらってから、10年前にまた宮古島に。やっぱり大阪でカメラマンっていうよりかは沖縄でやりたいなと思って、宮古島に来た感じですね。
ゆいぴ:
そのタイミングからまず何を始められたんですかね?
大林 領:
お世話になってた宮古島の先輩がいたんですけど。その方がデザイナーであり映像やスチール写真もやってたので。元々カフェで働いてたときは、店長が奥さんの方だったんですけど、そこのカフェにゲストルームがあったんで住んでたんですけど、そこの旦那さんの方とよくそこでお酒をくみ交わすことがありました。その方が映像やスチール撮影をやっていたのを知ってたので、そのときに沖縄本島だとライバルがいっぱいいるので、今行くなら宮古島かなみたいな。カメラマンもその10年前の当時は少なかったので、その先輩に相談して、写真で食べていきたいですとお願いしました。
一緒にやろうかとなり、そのときにウェディングのお仕事をちょこちょこもらってやりながら、朝と夕方に介護のバイトにまたちょっと行きながらとか。なので3回程、介護に戻ったんです。介護の仕事もまたやりつつ写真の仕事もしながら生活を繋いでいった感じで修行をしました。それが最初の2年ぐらい。ウェディングの写真撮影が当時はメインでした。で、3年目ぐらいに地域おこし協力隊の募集を知りました。その先輩が宮古島市と仕事をしてたんですよね。なんかこういう募集があるからもしよかったらやってみたらみたいな声をかけてもらって。それがきっかけで宮古島市に恩返しができたら、たくさんお世話になったのでできたらいいなっていうところで、応募したのがきっかけだったかもしれないですね。
ゆいぴ:
協力隊を卒業した後に今の仕事を始められたという流れですか?
大林 領:
そうですそうです。地域おこし協力隊の最終ミッションが、定住をして、できれば起業みたいなミッションがあったので。誰かの下で働くのももう嫌だなみたいな、これまでサラリーマンというか、老人ホームやUSJ、市役所とかそういうところで働いてきたので。今後は自分でやってみてもいいかなっていうところから、3年前にカメラマンプラスツアーガイドとして起業し個人事業主になりました。
未来:宮古島が世界に誇れるような、若者たちが島の外に出なくてもいいような環境であったりだとか、次の世代に繋げるような役割をこの後の10年ぐらい。
ゆいぴ:
この先のことについてもお伺いしたいんですけど。
大林 領:
はい。
ゆいぴ:
未来のお話ですね。近い未来からもっと何十年先の遠い未来まで、最後に大林さん自身が亡くなってしまうところまで考えたときに、どのようなイメージを未来に対して持っていますか?
大林 領:
近い未来だと、私は兄弟がいなくて一人っ子なので、両親が大阪と宮古島でちょっと離れてるので、去年一昨年ぐらいから、内地(本州)で家族写真を募集して撮ったりとか、全国で撮ったりはしてるんですけど。内地で仕事をこれから個人的に作っていけたらなっていうところが近々の目標でありまして。内地に戻るきっかけで両親の様子を見に行ったりとかもできるので。両親ももう70前後だったりするので、様子を見にいきながら内地でも仕事ができたらいいなっていうところではあります。
10年後、そうですね。今まで環境活動とか宮古島のこととかPRしてきたので。引き続き、宮古島が世界に誇れるような、若者たちが島の外に出なくてもいいような環境であったりだとか、次の世代に繋げられるような役割をこの後の10年ぐらい。若者たちに何か伝えるというか、そんなおこがましいんですけど、きっかけを作ってあげられるようなことができたらいいかなって。それが自身の得意分野の写真であったりとかツアーガイドであったりとか、何か自分が伝えられることプラス島の環境活動は引き続きずっと続けていくつもりではあるんですけど。それをやっぱり継続してこの先も続けていくっていうことですかね。
この先の未来、10年先と亡くなってからがちょっと曖昧になったかもしれないんですけど。次の世代、若者に何か伝えていけるような。何かっていうのを最近も考えてはいたんですけど。何かがちょっと今まだなくてですね。自分の仕事であったりとか何か伝えられることがあったら伝えていきたいなと。
あとちょっとやりたいなって思ってるのは、伝統行事とか島のそういうのに呼ばれることもちょくちょくありまして。自分の作品撮りとして、伝統行事の写真を今撮りためていて。それをゆくゆく写真集にして、宮古島の小学校であったりとか図書館であったりだとかっていうところに寄贈して一つ形を残して、自分の道標的な感じでその古き良きを残していきたい。何かを形にできたらいいかなっていうのも一つありますね。それを見て若者が私も写真やってみたいなとか思うきっかけになってくれたら、誰かが1人でもそうなってくれたら嬉しいなっていうのはあります。私自身が尊敬している写真家さんの写真集を見てプロカメラマンを目指したいなと思ったことがきっかけで今こうなってるので、そういう若者が1人でも現れたら嬉しいなって思いますね。
ゆいぴ:
次の世代に伝えていくことや繋げていくことっていうのは、大林さんの中に何が根本としてあって行いたいことなんですか?
大林 領:
宮古島で今までそういう伝統行事や風景写真であったりとかを写真集にしてる人たちは結構いるんですけど、自分は移住者として、10年島に住んで、自分にしか出せない色というか雰囲気であったりなど、自分のフィルターを通して伝えられる何かがあるんじゃないかなっていうのを撮りながら今探ってます。それぞれのカメラマンが同じ色になることはないと思うんですけど、似たような作品になることもないと思うんですけど、自分の色を出して宮古島の写真集っていうよりか記録集みたいな、伝統行事の記録としてその撮った写真はそれぞれの集落(自治会)に寄贈してるんです。
なので、そういう意味合いなのでそれは無償で、この島のそれぞれの集落の記録写真として貢献できたらいいなっていうことで伝統行事の写真は撮っていますね。
ゆいぴ:
大林さんの未来の行動の根本にあるもの。
大林 領:
根本にあるもの、そうですね。根本にあるものはやっぱり、人であったり、風景であったり、宮古島全体、島にすごく受け入れてもらえたというか。自分の中で第二の故郷じゃないですけど、すごい包んでもらってるような感覚があるので、受け入れてもらってる感覚があるので。一番にあるのはやっぱり、今後は宮古島にどんな形でもいいので、引き続き貢献していきたいっていう気持ちが結構強いかもしれない。それがカメラであったり、自分の得意分野で貢献できたらいいのかなとは思っています。
ゆいぴ:
序盤から恩返ししたいっていうお話を結構されてますよね。
大林 領:
なんでこうなったかがそこまであれですけど。でも自分の中ですごく宮古島や周りの方々に感謝してる部分がたくさんあるのでそうなったのかなとは思うんですけど。いろんな島に行ったんですけど、宮古島が一番好きっていうのもありますし、島の人に受け入れてもらうためには何か貢献したいなっていう部分もあります。移住者だからあんまり出過ぎないようにはしてるんですけど。でも島にちょっとでもこの人生の中で足跡を残せたら島に住んだ甲斐があったなというか。それがあるのかもしれないですね。それが恩返しをしたいという気持ちに繋がってるかもしれないですね。ちょっと今、答えがおかしくなったかもしれないけど。
ゆいぴ:
大林さん自身のマインドというか、気持ち的な部分で未来にどういう自分でありたいですか?
大林 領:
ツアーとか自分のコンセプト的に、ツアーのコンセプトとしてサイトにも載せてるんですけど、「笑顔と真心を込めて案内するツアー」を掲げていまして。これからも人に対してや生活する中で、これからもまたいろんなご縁をいただけると思うんですけど、誰に対しても笑顔と真心を込めて、これからも生活していきたいなっていう想いがマインドであります。でもこの先宮古島にずっといるのかどうなのか、永住って考えるとちょっとしんどくなるので、あんまり考えないようにしていて。自分の赴くままに今まで結構生きてきたので、それが良くも悪くもあるかもしれないんですけど、この先も自分の信じる方へ、向かいたいところへ、周りの人に心配や迷惑をかけないように進んでいけたらいいかなっていうところです。
ゆいぴ:
介護の仕事を辞めて、離島巡りしてるときに初めて泊まったゲストハウスのオーナーに相談して、そこで働くっていうお話あったじゃないですか。
大林 領:
はい。
ゆいぴ:
もしもこの一連の流れがなかったとしたら、今とかこの先の未来とか、どうなっていたと思いますか?
大林 領:
どうかな。それがなくても沖縄本島か宮古かには移住してたかもしれないですね。かなり沖縄が好きだったので。海外にもちょこちょこ行ってはいたんですけど、なんか沖縄の文化というか、沖縄とアメリカがチャンプルーされたような、パスポートのいらない海外に来たような感じの。沖縄の人が喋る訛りとか、三線の音色とか、いろんな沖縄文化とか人とか風景とかが、結構自分にバチッとはまったというか。ゲストハウスとかそういうきっかけがなくても、沖縄には来てた可能性はあるかもしれないですね。
ゆいぴ:
へえ。
大林 領:
なんか不思議ですけど、元々自分の前世は沖縄の人だったんじゃないかなってぐらい好きですね。
ゆいぴ:
それを感じ始めたのっていつぐらいなんですか?
大林 領:
どうだろう。でも14〜15年程前の半年のリゾバ体験が終わって帰って、なんでこんなに沖縄が好きなんだろうなみたいな。やっぱり引き寄せられるなみたいな、そしたら前世で沖縄に住んでたのか、沖縄の人だったのかな、とか。何となく感じるようになって今も思ってるかもしれないです。だから、いろんなきっかけがなくても、何となく引き寄せられて沖縄には来てたんじゃないかなとか思います。
ゆいぴ:
最後にですね、言い残したことっていうのを聞いてるんですけども。自分の人生を振り返ってみての遺言みたいになってもいいですし、この記事を読んでくださってる読者へのメッセージでもいいですし、インタビューの感想でもいいんですけど。最後に何かあればお伺いします。
大林 領:
そうですね、記事を見てくださる方に対して。宮古島は色々な魅力があるので、宮古島の表面的な部分だけじゃなくて、コアな部分などもいろいろ私が10年で経験してきたので、もしよろしければ私のツアーや撮影のご依頼でも大丈夫なので、私と出会っていただいて、宮古島の魅力をたくさん皆さんにお伝えできたらいいな思います。あとインタビューの感想は、1時間があっという間で、ゆいぴさんの引き出し方というかすごく喋りやすかったです。逆に勝手にペラペラちょっと喋りすぎてた部分もあったのかなっていう部分と、質問に対しての答えがちゃんとできてなかった部分もたくさんあったと思うんですけど。とても楽しい1時間でした。ありがとうございました。
ゆいぴ:
はい、ありがとうございます。
あとがき
鮮明に覚えてることがあって。今住んでいる土地に移住してきて最初の夏に、農作業の手伝いをしていたんですよ。ビニールハウスから出てパッと顔を上げて見えた景色に「私はこの刹那のために生まれてきたんだ」って思えて涙が出たんです。別に何のこともない、ただの畑と山々が広がってるだけの場所なんですけどね。なんかそういう不思議な瞬間ってあるんですよ。私はこれからも各地を巡るだろうけど、今ここにいることは間違いじゃないと、きっとこの先も信じてやみません。
【インタビュー・編集・あとがき:ゆいぴ】
#無名人インタビュー #インタビュー #カメラマン #ツアーガイド

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