素晴らしきかな、モラトリアム迷走休職日記:シーズンサード
1. 朝イチのクリニックは、まるで「開店待ちのホール」
月に数回、私は「心療内科」という名の戦場へ赴く。非常に人気の高いクリニックのため、予約制であるにもかかわらず、朝一番の入り口前には、すでに長い行列ができている。
その光景は、さながらパチンコ店の「新台入替の開店待ち」だ。
並んでいる人々のジャンルも実に幅広い。
あからさまに「徹夜で限界を迎えました」というオーラを放つお疲れの会社員、
どこか挙動が怪しく、常に周囲をギョロギョロと見回しているファンキーなおじさん、
魂がどこか別の次元へ旅立ってしまっているような目をした若者。
みんなそれぞれ、人生という名の重い荷物を背負ってここに並んでいる。
いざ開場(開院)し、待合室に滑り込むと、そこは「静寂のサバンナ」と化す。驚くほど全員が、一言も発せずに自分のスマートフォンを見つめているのだ。一糸乱れぬその光景は、ある種の宗教的儀式のようでもある。
ふと、思った。
「昔、スマホがなかった時代、人類はここでどうやって時間をつぶしていたんだろう?」
今ならスマホでSNSや動画を見られるが、ひと昔前なら、置いてある「いつの時代のだよ」
とツッコミたくなるような古い週刊誌を貪り読むか、ひたすら壁のシミを数えるしかなかったはずだ。そう考えると、現代の引きこもり環境はテクノロジーの恩恵を大いに受けている。壁のシミを1500個数える前に診察室に呼ばれるのだから、ありがたい時代である。
2. 燃料補給と、精神薬という名の「ブースター」
診察室でのやり取りは、驚くほどスピーディーだ。
医者:「体調はどうですか?」
私:「相変わらず、朝は起きられませんが、夜は散歩しています」
医者:「なるほど、じゃあ同じお薬を出しておきますね」
時間にして約3分。もはや診察というよりは、ピットインしたF1マシンが素早くタイヤを交換するような「作業」である。
しかし、ここで処方される精神薬を、私は密かに「自分の燃料」と呼んでいる。
この小さな錠剤たちは、私の脳内で足りなくなっている「やる気」や「平穏」を補給してくれる、いわば合法の脳内ブースターだ。
「よし、今日も燃料(ハイオク)満タン!」
薬局で受け取った薬の袋をバッグに仕舞うとき、なんだか自分が、最新鋭のサイボーグになったような、あるいは長距離トラックの運転手になったような、少し前向きで無敵な気分になれるから不思議だ。薬に生かされているのではない。私は今、科学の力を借りて人生をハッキングしているのだ。
3. アフィリエイトの奇跡、そして「自給自足」の真実
自宅という鎧の中で、私は新たなチャレンジを試みた。今後のためにと、リモートワークの第一歩として「アフィリエイトのレビュー記事作成」に挑戦したのだ。
どうせ時間なんていくらでもあるのだと
ここはあえて AIに頼らず
インフルエンサーたちのブログを参考に、「これをおすすめします!」という紹介文を、数百点も必死になって書きまくった。腱鞘炎になりそうなほどキーボードを叩き、画面に向かって熱弁を振るう日々。
「これで私も、不労所得で毎月ウハウハの仲間入りか……!」
数週間後、ドキドキしながら管理画面の「成果報酬」を開いてみた。
画面に表示されていたのは、目を疑うような小さな数字。
そして、その利益の出どころを突き詰めた結果、ひとつの衝撃的な事実にたどり着いた。
「これ……私が自分でアフィリエイトリンクを踏んで買った『お米』の報酬だけじゃん」
発信力ゼロの私がどれだけネットの片隅で叫ぼうとも、通りすがりの誰も私のレビューなど読まない。結局、自分が食べるお米を、自分でレビューして、自分で買うという、究極の「マッチポンプ式アフィリエイト」が成立しただけだった。利益というか、ただの「セルフ割引でお米を安く買った人」である。インフルエンサーへの道は遠く、私のリモートワークは「米の自給自足」という形で幕を閉じた。
4. ネットの海で、高すぎる「自己肯定感」に溺れかける
人との関わりが難しい今、私はスマホで自分と同じような境遇の人のエッセイやブログを検索しては、夜な夜な読み耽っている。仲間を探すように。
しかし、ネットの海を回遊していると、すぐに息苦しくなる。
そこにあるのは、二極化された極端な現実ばかりだからだ。
一方は、
「うつ病から一念発起してリモートワークで起業! noteで月収50万達成した方法!」
「こうするべき!自己肯定感を高める5つの習慣!」
といった、キラキラした成功体験のオンパレード。読んでいるだけで、
「それができないから困ってるんだよ」と、
胸の奥がチクチクと痛む。あの高すぎる自己肯定感の視点は、
私にとっては完全に
「別の星の出来事(他人事)」だ。
かと思えば、もう一方は、読むだけで引きずり込まれそうになるほど深刻で、リアルな闘病の苦しみ。
「私が求めているのは、どっちでもないんだよな……」
成功してギラギラしたいわけでも、絶望に沈みたいわけでもない。ただ、この「ちょっとダメな日もあるけど、スーパーの半額シールで喜べるくらいの、ちょうどいいゆるさ」
で生きている人の足跡が見たいのに、それはなかなか見つからない。
5. それでも、私は「次」を企んでいる
画面を閉じ、私はふう、と大きなため息をついた。
収益化だの、起業だの、noteでの成功だの、そんなものは今の私には難易度が高すぎる。だから、私は心に決めたのだ。
「私は私のペースで、このゆるい生活環境を全力で愛して、前向きに治療生活を送ろう」
これでいいのだ。大金は稼げないけれど、家の中で30分間大名行列をする体力はある。アフィリエイトで実質安くなったお米は、今日も美味しく炊けている。
とはいえ――。
私の胸の奥にある、
あの「動画編集」や「アフィリエイト」に火をつけた、小さな好奇心の種はまだ死んでいない。
完璧な成功じゃなくていい。誰かにドヤ顔できるような成果じゃなくていい。「次は、家の中の変な間取りをテーマに、また不審者みたいな動画でも撮ってみようか」「誰も読まないかもしれないけれど、この不味いコーヒーの淹れ方を大真面目にnoteに書いてみようか」。
何かしらのチャレンジは、これからも続けていきたい。だって、その「ちょっとしたやらかし」こそが、私の退屈なモラトリアムを一番鮮やかに彩ってくれる最高の調味料だから。
燃料(お薬)をパクリと飲み干し、自給自足したお米の味を噛み締めながら、私は次なる「愛すべき無駄な挑戦」の計画を練り始めるのだった。
つづく… かも。
