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(ショートショート)ゆっくりと

 ゆっくりと、私は歩き出した。

 昨日までの「学生」という守られた肩書きを脱ぎ捨て、今日からは「社会人」という、まだ少しサイズの合わない新しいスーツをまとって。

 正直に言えば、この先に広がる世界が怖くてたまらない。

 一歩足を踏み出せば、そこには甘い誘惑が至る所に潜んでいて、自分を見失いそうになる瞬間があるだろう。

 思い描いた理想とは裏腹に、分厚い壁にぶち当たり、膝をついて立ち直れないほど打ちのめされる夜も、きっと来る。

 けれど、そんな時こそ、私は一旦立ちどまるのだ。

 重たい頭を上げて、どこまでも高く広がる空を見上げ、深く、深く、肺がいっぱいになるまで呼吸を整える。

 世界は、決して悪意だけで満ちているわけではない。

 理不尽な誰かがいる一方で、不器用な優しさを差し出してくれる「いい人」も、この街のどこかに必ずいるはずだ。

 社会に出ること。

 それは単に「働く」ということではなく、不確かな世界の中で自分の足で立ち、誰かと関わりながら生きていくために必要な、避けては通れない冒険なのだ。

 不安も、恐怖も、トランクの底に詰め込んで。

 私は再び、地面をしっかりと踏みしめ、新しい季節の中へと歩みを進めた。


Fin。


※この小説はフィクションです。
登場するモノや人物は存在しません。



↑この企画に参加しました。
ありがとうございました。