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難病の私が輝けるまで第三話(創作大賞2025恋愛小説部門連作短編)

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まきなは、ふと笑った。


 「ずるいね。聖夜せいやって。私が迷ってる時に、いつも居心地いごこちよさそうに横にいるんだもん」

 「それ、ほめてる?」

 「うん。ちょっとだけ」


 (ああ、もう、これが日常になればいいのに)

 (”病気持ち”の私じゃなくて、”私”として聖夜せいやの隣にいられる日が来るなら)

 日曜の朝は、あたたかくて、やさしかった。
焦らず、でも確かにふたりの時間が進んでいた。

 「男性とふたりきりで水族館に行くの初めて」
聖夜せいや の車の助手席に座りながら、まきなは少しうつむいてつぶやいた。
心臓が、鼓動こどうと言うよりもはじけるようにねている。
普段なら気恥ずかしくて口にできないはずの言葉が、ポロリと唇からこぼれた。

 聖夜せいやは、驚くでもなく茶化すでもなく、穏やかに笑って「そうなんだ」と返してくれる。
その何気ない、相槌あいづちが、まきなには優しくて心地よかった。

 「水族館に行く前に、洋服買いたいんだけど」

 まきながそっと切り出すと、聖夜せいやが首をかしげながらも楽しそうに返してきた。

 「そうだね。俺、同じ服ばっかり着てるから、ちょっとはおしゃれしようかな」

 まきなは小さく笑いながら、どこか嬉しそうに目を細めた。

 「じゃあ、私が選んであげるね」

 自分でもどうしてそんなことを言ったのか、分からなかった。
だけど、聖夜せいやの新しい一面を見たいという思いと、ふたりで何かを選ぶというささやかな共同作業に、心が浮き立ったのだ。

「えっ」

 自分の口から飛び出した声に、まきな自身が驚いた。
情けないほど間の抜けた声。
耳まで熱くなっているのが分かる。
恥ずかしさに目をそらしながらも、胸の奥にぽっとともった光は消えそうになかった。

 聖夜せいやが連れて行ってくれた高級こうきゅうブティック店「AIMEE BLEU エメーブルー」の店内てんないは静かで、どの服もハンガーからひんの良さが伝わってくる。
上質じょうしつ素材そざいとエレガントで遊び心があるデザインが売りだ。

 奥のラックから、店員がそっと聖夜せいやの肩幅に合いそうなシャツとジャケットを提案してくる。
まきなは、迷わずうなずいた。

 「これ、絶対似合う」
まきなが、ぽつりと言うと、聖夜せいやは気恥ずかしそうに口元を緩めながら試着室へ向かっていった。

 ほどなくして、着替えを終えた聖夜せいやが現れる。
 
 「どう?」

 その姿に、まきなは一瞬言葉を失った。
シンプルながら計算されたシルエットの服が、聖夜せいやの整った容姿と引き締まった体格を際立たせている。

 「かっこよすぎて、声でなかった」
赤面しながらそうつぶやくと、聖夜せいやほほもほんのり朱に染まった。

 「じゃあ、次はまきなの番だな」

 聖夜せいやがふと立ち止まって、ある一着いっちゃくを手に取る。

 「これ、どう?」

 それは、淡いあわラベンダーグレーのシフォン素材そざいのワンピース。
すそはななめに流れるアシンメトリーカット。

肩はほんのりけ感のあるシフォンで、首元に細いリボンタイ。
ウエストは細めのベルトで軽く絞しぼられている。
華奢きゃしゃなラインが際立きわだつデザインだ。

 「ちょっと、大人っぽくなるけど…たまには、ね」
まきなはかがみの前でそっと当ててみる。

 (こういう服、自分には似合わないと思ってた。でも…)

 「すごく、かわいい」

 「うん。俺が言いたかったのはそれ」


 さらに、聖夜せいや小物こものもさりげなく選ぶ。
あわいブルーグレーのロングカーディガンに、シルバーのフラットパンプス。
つえを持っていても負担ふたんにならない、機能性きのうせい考慮こうりょされたセレクトだった。

 聖夜せいやがクレジットカードで支払いを行うためにレジへ向かう途中、店の入り口が開き端正たんせいな顔立ちの美人が高級ブランドを着こなしさっそうと入ってくる。
聖夜せいやのお見合い相手だった氷室 桐華ひむろ とうかだ。
聖夜せいやを見るなり、笑顔の裏にとげかくした声を出す。


 「あら、聖夜せいや様。奇遇きぐうね。……って、そちらは?」
まきなのつえに目をとめると桐華とうかの目元がにやりとゆがむ。


 「へぇ、おしゃれな障害者しょうがいしゃさんって、最近は増えてるのね。すごい。ものみたい。何着なにきても”普通ふつう”にはなれないのに、努力どりょくはしてるのね?」


 その瞬間しゅんかん聖夜せいやひとみするどひかる
聖夜せいや一歩前いっぽまえに出て、ひくい声で言った。


 「もう二度と、まきなを侮辱ぶじょくするな」

 「え?」

 「”もの”?”普通ふつうじゃない”?きみこそ自分じぶん言葉ことば下品げひんさにづいたほうがいい。きみおれえんは、もう完全かんぜんれたから」


 桐華とうかくちびるみ、かえらずにみせた。
すぐに、スマホをり、聖夜せいやはは海 冴絵うみ さえ連絡れんらくれる。


 気まずい空気を変えるため、まきなと聖夜せいやは新しい服に着替え水族館デートへ。
そこには、ゆっくりと泳ぐくらげの水槽すいそう
まきなは、ひかりなかれるくらげをながら、こころかせる。


 「ああいう人の言葉、まだちょっとこわい」

 「わかってる。けど、俺がとなりにいる。何があっても」
聖夜せいやの手が、そっとまきなの手をつつむ。


 (こんな手をにぎってもらえるなんて…)

 (怖さがゼロになるわけじゃない。でも、勇気ゆうきの方がほんの少しだけ勝つ)
水族館すいぞくかんのブルーの光の中、ふたりの影が静かにかさなる。

 まきなのマンションまで送る車の中で水族館デートの事で盛り上がるまきなと聖夜せいや


 「中学生以来だよ。水族館なんて」
まきなは、助手席で声をはずませた。
ほほはほんのり桜色に染まり、心から楽しんだ様子がその笑顔ににじんでいる。

 「くらげかわいかったね」
小さな手で空を泳ぐ真似をしながら、まきなはふふっと笑う。
そんな様子に、聖夜せいやの胸がほのかに温かくなる。

 マンションの前に車を止めた後も、まきなの笑顔が頭から離れなかった。
聖夜せいやはふと、ハンドルに目を落としながら決意する。

 逃げるのはもう辞める。
まきなとちゃんと未来を考えたい…。

 まきなとデートの翌日、聖夜せいやは自身の母の海 冴絵うみ さえに面会する。
その態度は、冷静で、静かだが、内に強い怒りをはらんでいた。

 「あなたたちが”選ぼう”とした相手が、どれだけおろかか証明しょうめいされた。僕は、まきな以外の人間をつまにするつもりはない。今後、その意見を曲げることもない」

 「聖夜せいや、あなた、私たちはあなたの将来を…」

 「僕の将来は、僕が選びます。もう、誰の支配も受けません」
その言葉に、冴絵さえが何かを言い返そうとしたとき、執事しつじってはいる。

 「奥様、天野 鷹真あまの たかまさ様よりお電話が。かなりおいかりのご様子です」

 天野 鷹真あまの たかまさ財政界ざいせいかいにも影響力えいきょうりょくがある財閥界ざいばつかい実力者じつりょくしゃ聖夜せいや祖父そふとも懇意こんいだった人物じんぶつだ。
伝統的でんとうてき老舗しにせグループ「天野財団あまのざいだん」の総帥そうすい
物腰ものごしおだやかでめったなことでおこることはないがおこるとこわ人物じんぶつである。


総帥そうすいとは、組織全体そしきぜんたいのリーダー、とく大企業だいきぎょう財閥ざいばつのトップを言葉ことばです。最高指揮官さいこうしきかん最高司令官さいこうしれいかんといった意味合いみあいもあります。


 天野 鷹真あまの まさたかからの電話でんわおびえる聖夜せいやはは冴絵さえ

 天野 鷹真あまの たかまさは、偶然にもその日、孫娘への誕生日プレゼントを買いに同じブティックにいた。
氷室 桐華ひむろ とうか暴言ぼうげん聖夜せいや毅然きぜんとした態度たいどをすべて目撃もくげきしていた。

 電話口で天野 鷹真あまの たかまさは言う。
 「海家うみけ若者わかものじつ立派りっぱだったよ。だが、氷室ひむろ令嬢れいじょう、あれははじだな。きみたちは、まさかあんな品性ひんせいのないものえんむすばせようとしたのか?」

 「もうわけございません。鷹真様たかまささま

 「きみたちの””と”品格ひんかく”が、いますべてためされている。このけんわたしは”氷室 一誠ひむろ いっせい”にもつたえた。さて、どううごくかものだな」

氷室 一誠ひむろ いっせい氷室ひむろグループの代表取締役社長だいひょうとりしまりやくしゃちょう氷室 桐華ひむろ とうかちちむすめにはあまい。

 財界ざいかい影響力えいきょうりょくのある天野 鷹真あまの たかまさ言葉ことばは、”絶対ぜったい”にひとしい。

 氷室 一誠ひむろ いっせい氷室 桐華ひむろ とうかちち)は、すぐに天野 鷹真あまの たかまさ屋敷やしき出向でむき、平身低頭へいしんていとう謝罪しゃざい

 だが、天野 鷹真あまの たかまさはただ一言ひとこと。「”教育きょういく結果けっか”は、おや責任せきにんだよ」
それだけって、ける。

 その直後ちょくご週刊経済誌しゅうかんけいざいしが”氷室ひむろグループのインサイダー疑惑ぎわく”を報道ほうどう
また、過去かこ秘書ひしょへのパワハラ、企業買収きぎょうばいしゅう強引ごういんなやりくちなども暴露ばくろされる。

 すべて、かねてから財界内ざいかいない問題視もんだいしされていた件だった。

 天野 鷹真あまの たかまさが「てみぬふりをめた」瞬間しゅんかんに、氷室家ひむろけ信用しんようくずれた。

 そのあと聖夜せいやはは冴絵さえに最終通告する。

 「ぼくにとって大切たいせつな人をきずつける人間にんげんを、家族かぞくとはばない。かあさん、あなたも、”ためされた”のは、ぼくじゃなくて、そっちだったんだ」

 冴絵さえ言葉ことばうしない、初めて”自分じぶん見下みくだしていた相手あいてけた”ことをさとる。

  はじめてのこいにまきなはとまどっていたのは事実じじつだ。
女性じょせいばかりの環境かんきょうそだち、難病なんびょうかってからは”だれかをきになる資格しかくなんてない”とふうじてきたまきな。

 そんななか、まっすぐな気持きもちをぶつけてくる聖夜せいやこころれる。

 (こいが”障害しょうがい”をしてくれるんじゃない。こいがあるから、不安ふあんなままでもあるいていける)

 (”まもられる”だけじゃなくて、”おもいをかえす”自分じぶんでいたい)

 (わないんじゃない。”いま自分じぶん”をあいしてもらえるのかがこわい)

 あの日、距離を置こうと決めたのは私だった。

 「時間がほしい」と言ったとき。
聖夜せいやの目が一瞬れたのを覚えている。
その目に、ほんの少し罪悪感ざいあくかんを覚えた。
でも、それでも離れなくてはいけなかった。

  (自分の身体と向き合うために)

 指定難病。脊髄小脳変性症せきずいしょうのうへんせいしょう
病名が正式についたあの日、帰り道で見た夕焼けが、やけにあざやかだった。

(あぁ、これからの私は、”普通”のままではいられないんだな)
そう思った。

 薬も治療も、根本的に治すものではなかった。
進行を遅らせるだけ。
転倒も、ふらつきも、記憶力の低下さえも、いつか日常になるかもしれない。
 
 そんな身体で、聖夜せいやの隣に立っていていいのか。
聖夜せいやは、まぶしいほどまっすぐな人だ。
ずっと家族や期待と闘って、ようやく自分を見つけようとしていた。

 その聖夜せいやの手を、今の私が握っていいのか?

 (ダメだ。私は、自分の事だけで精一杯だった)

 でも、ただの”逃げ”じゃないようにしたかった。
逃げるなら、前に進むために、せめて強くなるように。

 私は、より高度なリハビリができる専門病院に通う決意をした。
歩けるようになりたい。
自分の足で、もうう一度聖夜せいやの前に立ちたい。

 (いつか、ちゃんと、自分の足で会いに行こう)

 それが、私の目標になった。

 職場の上司、二宮 美咲にのみや みさきに相談すると、美咲みさきは少し驚いた顔をした後、すぐに笑ってくれた。
 
「資格?いいじゃない。私も一緒に受けようかな。会社帰りに一緒に勉強しようよ」

 その言葉が、どれだけ心強かったか分からない。

 深夜までの勉強。
転倒しながらも通ったリハビリ。
はじめは数歩しか進めなかった。
でも、ある日、自分の足で数十メートル歩けたとき、涙があふれた。

 「歩けた。私、自分で歩けたんだ」

 その日から、杖は”保険”になった。
頼るものではなく、”自信”の代わりに持ち歩くような存在。

 そして、資格も取れた。
心のどこかで聖夜せいやに褒めてほしいと思った。

 だから、偶然とはいえ、あの日コンビニで聖夜せいやを見かけたとき、胸がギュッと痛んだ。

 再会なんて、もっとドラマチックなものであって欲しかった。 部屋にひとり。
でも、あの夜の月明かりの下、聖夜せいやの「会いたかった」の一言で、すべてがむくわれたような気がした。

 (ちゃんと自分の足で、聖夜せいやに会いに来られた)

 今度こそ、自分の意思でもう一度”恋”を始めたいと思えた。

 夜の部屋にひとり。
東京湾を望む高層階の窓から見える夜景は、きらびやかで整っているのに、どこか空虚くうきょだった。

 聖夜せいやは、自分の部屋にいながら、居場所のない感覚にさいなまれていた。

  ソファーのひじ掛けに肘をつき、グラスをかたむける。
中身はもうぬるくなったウイスキーだった。

 「なぁ、これが俺の人生なのかよ」

 ため息のように呟いた声は、誰にも届かない。
華やかな家柄。
大手企業の役員席。
周囲からの称賛しょうさんと期待。

 だが、そのすべてが「他人が用意した人生」でしかないことに、ずっと気づいていた。

「お前は、”海 冴絵うみ さえの息子”なんだから」
「”海財閥うみざいばつの後継ぎ”としてふさわしい振る舞いをしなさい」

 幼い頃から、選ぶ前に道が用意されていた。
誤った選択技は与えられず、用意された正解だけをなぞる毎日。

 でも、まきなと再会して気づいてしまった…

 まきなは、自分の足で立とうとしていた。
病気という現実を抱えながらも、苦しんで、前に進もうとしていた。

 「俺は、何をしてるんだ?」

 それからの聖夜せいやは早かった。

 母・海 冴絵うみ さえに「家を出る」と告げたとき、リビングは氷のように冷えた空気に包まれた。

「逃げるの?何も成し遂げないまま?」
聖夜せいやという名前に恥じない選択をしなさい」

 もう、それにはこたえない。

 「俺はもう、誰かの期待に応えるために生きないよ」

 母の静かな怒りにも、父の落胆らくたんにも、かつてのようにおびえなかった。

 海グループの関連会社を辞め、地道でも”自分で選ぶ道”を始めることにした。
マンションも、自分で探した。
まきなの近く。
でも、両親にもまきなにも知らせるつもりはなかった。

 「本当に、自立できたと胸を張れるようになってから、会いに行こう」

 口に出さず、心の奥に置いたその想いが、彼を支えていた。

 カーテン越しにれる街のあかりをながめながら聖夜せいやは静かに誓った。

 (もう、誰の人生でもない。これは俺自身の人生だ)
 (そしていつか、対等な立場で、まきなの手をもう一度取りたい)

 それが彼の「自立」の原動力だった。

 夜風が、春の匂いを運んでいた。

 コンビニを出たあと、どちらからともなく歩きだし、気づけば聖夜せいやむマンションの前に立っていた。

 「ちょっと、寄っていく?」
聖夜せいやが言ったとき、まきなはためらいもなくうなずいていた。

 新しく借りたというその部屋は、以前より少しだけ広くて、落ち着いた色のインテリアが並んでいた。
どこか静かな空気をまとう空間は、まるで今の聖夜せいやうつしているようだった。

 ソファーに並んで座ると、しばらく言葉もなく、ただ時の流れに身を任せていた。
時計の針が静かに進む音だけが、やけに耳に残る。

 ふいに、聖夜せいやがまきなの手をそっと取った。
温かくて、力強くて、あの頃と変わらない手だった。

 「まきな」

 まっすぐに、見つめられるその瞳に偽りはなかった。

 「結婚を前提に、付き合ってほしい」

まきなの胸に、熱いものがこみ上げた。
この数ヶ月間、あの日離れてからこの不安も、葛藤かっとうも、今この瞬間にすべて溶けていくようだった。

まきなは、少しだけうるんだ目で聖夜せいやを見つめ返す。

 「ハイ。たとえこのさきからだおもうようにうごかなくなってもーーそれでも聖夜せいやのそばにいたいっておもった」

 言葉をつむぎながら、自然と笑みがこぼれた。

 「きって気持きもちに、いとか立場たちばとか、必要ひつようないって。やっとそうおもえた」

 ふたりのあいだには、もう余計なものは必要なかった。
過去の傷も、不安も、病気の影も、それをすべて包み込むような”今”があった。

 聖夜せいやは、まきなの手を優しく握りしめたまま、一言だけ言った。

 「ありがとう。まきな」

 月明かりが、ふたりを優しく照らしていた。
そしてその夜から、まきなと聖夜せいやの新しい時間が、本当の意味で始まったのだった。

 いくつものすれ違いと、不安と、それでもつながろうとする気持ちを乗り越えて。
まきなと聖夜せいやは、結婚を前提に歩み始めることを選んだ。

 初めてのデートの日。
春の柔らかな陽射ひざしが街を包む午後、聖夜せいやはまきなの隣を歩いていた。
人の波の中で、まきなの歩幅にそっと合わせながら、何度も信号のタイミングを気にしてくれるその仕草に、まきなは胸がじんわりと温かくなるのを感じていた。

 事前に調べていたおしゃれのカフェの前にたどり着いたとき、まきなの足がふと止まった。

 店の入り口には、小さな段差と急な階段があった。

 ほんの数段。
だけど、まきなにはそれが簡単じゃない。

 「ごめん。ここ、ちょっと厳しいかも」

 まきなが申し訳なさそうにつぶやくと、聖夜せいやはまるで最初から想定そうていしたかのように、微笑ほほえみながら答えた。

 「うん、分かってる。実はね、もう別の店を予約してあるんだ」
 
 「え?」

 「ここから歩いて五分。完全バリアフリーのレストラン。口コミで雰囲気も料理もいいって評判だったから、行ってみようよ」


 その声には、優しさと自然さがあった。
”気をつかってる”とか、”遠慮えんりょされてる”とか、そんな温度を一切感じさせない。
まるであたりまえのような口ぶりに、まきなは胸がギュッと締めつけられた。

 「なんか、私のためにいろいろ調べさせちゃってごめんね。重いでしょ?」

 思わず出た本音。
罪悪感ざいあくかんが声を出した。

 すると、聖夜せいやは立ち止まり、まきなの正面に回って優しく目を見つめた。

 「まきな、俺ね、”してあげてる”なんて、一度も思ったことないよ。好きな人と、一緒に楽しみたいだけ。段差があったら別の道探す。それだけだよ」

 その言葉に、まきなの目の奥が熱くなった。

 自分の歩幅に合わせてくれる人。
自分の”できない”に寄りって、”できる方法”を一緒に探してくれる人。
それだけで、こんなにも救われるんだと、まきなはあらためて思った。

「ありがとう。聖夜せいや

 小さくつぶやく声は、春の風にそっと溶けていった。

 そしてふたりは、おだやかな午後の光の中、並んで歩きだした。
その先には、優しさで包まれたレストランと、少しずつ深まっていくふたりの距離が待っていた。

 予約してあった完全バリアフリーのレストランは、大きなガラス窓から光が差し込む静かな空間だった。
落ち着いた照明と、木のぬくもりを感じる内装。
テーブルの間隔も広く取られていて、車椅子でも気兼きがねなく過ごせる設計だった。

 案内された席に座ると、まきなは「ふうっ」と一息ついた。

 「なんか、すごく落ち着くね、ここ」

 「うん。静かで、空気も柔らかい感じがする」

 聖夜せいやは、メニューを手に取りながら、まきなの顔をちらりと見た。

 「何食べたい?」

 「ん~、お肉。でも魚もいいなぁ。でもさ、こうやってふたりで外食って、ほんと夢みたいだなって思ってたから、メニューなんて見てる余裕ないかも」

 まきなが笑いながらそう言うと、聖夜せいやもつられるように笑った。

 「夢か。俺も、こうしてまきなと一緒にご飯食べられる日が来るなんて思ってなかった」

 「え、そうなの?」

 「うん、中学生の頃、保健室で渡したポケットティッシュ覚えてる?」

 「もちろん。あれなかったら鼻血まみれだったよ」

 ふたりはふっと笑いあう。
 
 まきなの笑顔が自然とこぼれた。
そのとき、聖夜せいやが少し真剣な表情になった。

 「まきな。今日、バリアフリーのレストランにしたの、たしかに少しはまきなのためでもある。でも、それよりもまきなとちゃんと、ちゃんと向き合って、一緒に過ごしたいって思ったからなんだ」

 その言葉に、まきなは視線を落とした。

 「私ね、まだ”迷惑かけるかも”って思ってしまう瞬間しゅんかんがある。でも、それを受け止めてくれる人が隣にいるって、こんなにも安心できることなんだって、今日実感した」

 「ありがとう。ほんとに」

 言葉にまるまきなの手に、聖夜せいやの手がそっとかさねられる。

 「まきなは、ただそこにいるだけで、俺の力になるんだよ」

 まきなはその手をぎゅっと握り返した。

 心と心が、静かに寄り添うような瞬間。
レストランの窓の外では、夕陽ゆうひが街を柔らかく染め始めていた。

 とはいえまきなははじめてのこい戸惑とまどっていた。
聖夜せいややさしさが、ときに”あわれみにかんじてしまう葛藤かっとう

  レストランでの食事を終え、席を立とうとしたまきなの手元に、淡い色のバッグが視界に入った。

 「重たいなら、バッグ持つよ」
聖夜せいやがそっと声をかける。

 「自分で持てるから、大丈夫」
まきなは微笑ほほえみながらも、少しだけ視線をらした。

 すると聖夜せいやは何も言わず、店の前に車をまきなが乗りやすいように回してくれていた。
扉を開けると、まきなは深く息を吸って、静かに言った

 「結婚のこと、まだ答えを出せなくてごめんね。怖いの。自分の事で足を引っ張るかもしれないから」

 聖夜せいやはハンドルの前で、ただ真っすぐまきなを見つめていた。
言葉はなくても、その沈黙がまきなには、温かくて優しかった。

車内に静かな夜の気配が満ちていた。
まきなの言葉を受け止めたまま、聖夜せいやは少しだけ顔を伏せていたが、やがてゆっくりとまきなの方へ向き直った。

 「まきな、もう一度ちゃんと言わせてほしい」

 その声は低く、真剣で、揺るぎがなかった。

 「僕はまきなと生きていきたい。どんな未来でも、一緒に向き合っていけるって信じてる。結婚を前提に、改めて付き合ってください」
 
 まきなは、胸の奥が熱くなるのを感じながら、小さくうなずいた。
涙でにじむ聖夜せいやの笑顔が、夜の街灯に優しく照らされていた。

 夜、まきなはひとりでベッドに座り、あかりを落とした部屋の中で、静かに目を閉じた。

 手元の杖をぎゅっと握りしめる。
難病なんびょうになってから、何かを「選ぶ」ことが怖くなった。
「誰かの荷物になるかも」と思えば、好意すら疑ってしまう。

 (でも、聖夜せいやは、一歩いっぽも引かなかった。私のことを、選び続けてくれた。なら私も、もう、逃げたくない)


 聖夜せいやは次の日、ブティックで選んだしつのいいスーツにつつみ、ジュエリー店にいた。
ジュエリー店の奥で、小さな箱を手に取る。

 「まきなには、これがいい」

 選んだのは、シンプルなプラチナに、青くんだサファイアが一粒ひとつぶあしらわれた綺麗な指輪。
意味は「誠実せいじつな愛」「困難こんなんえ、成功へとみちびいてくれる力」があるとされている。


 聖夜せいやは独立することにした。
うみグループの御曹司おんぞうしでありながら、聖夜せいや一切いっさいの後ろだて断ちたち、自らの会社を立ち上げることが出来た。

 会社名:「Sエス.Ableエイブル
”Seiya+Able”
Able=できる
「共に生きるAble」とは、お互いの違いを認め合い、共に協力して生活していくという考え方です。障害者や高齢者、外国人など、様々な人々が、それぞれの個性と能力を尊重され、共に社会に参加し、活発に活動できる社会を指します。
できる・共に生きると言う意味を込めた福祉×広告ベンチャー。

 「どんな立場にあっても、”選べる未来”を提供したい。だからこそ、まずは自分の足で立たなきゃ、意味がない」
聖夜せいやは、まきなとの将来を見据みすえての決断だった。

 まきなは静かに決断していた。
聖夜せいやが新たに立ち上げた会社「Sエス.Ableエイブル」。
その名前には、聖夜せいやの「出来ることを増やし、支え合える場所にしたい」という願いが込められていた。

 「私も、あなたと一緒に進みたい」
ある日、まきなはそう口にした。
株式会社エルアークを退社し、聖夜せいや の元で新しい一歩を踏み出す。

過去に縛られず、未来を共に築いていく。
その決断に迷いはなかった。

 とはいうものの、まきなは、自分の中でれる想いを整理しきれずにいたのだ。

 (エルアークを辞めるべきか?聖夜せいやの新しい会社に行くべきか?)
その葛藤かっとうを打ち明けられたのは、会社の上司であり、誰よりも信頼できる存在・二宮 美咲にのみや みさきだった。

 「迷ってるなら、一歩踏み出してみたら?」
美咲みさきの言葉は、押しつけがましくなく、けれど確かにまきなの背中をそっと押してくれた。

 「私、行ってみます。聖夜せいやのもとへ」
そう口にしたとき、まきなの心には風が吹き抜けたような、静かな覚悟が芽生えていた。

 そしてまきなは、優しく笑う美咲みさきに見送られ、新しい一歩を踏み出した。

 季節の変わり目。
まきなは、体調が不安定になり、ある朝、マンションでふらついて転倒てんとうする。
病院に搬送はんそうされる。


 病室の窓から、夜の景色をぼんやりと見つめるまきな。
聖夜せいやが静かにやってくる。
その姿を見て、まきなは涙を浮かべながら言う。

 「怖いの。こうして、聖夜せいやに来てもらえるのが嬉しいのに…”また倒れたらどうしよう”って、そればかり考えてる。
支えてもらうたびに、好きなのに自信がなくなるの…」
聖夜せいやはまきなの手を握りしめ、おだやかに言う。

「じゃあ、俺がたおれたら、支えてくれる?」
「え?」
「そのとき、”俺は君の足手まといになる”って言われたら、悲しいだろ?同じだよ。支えるのは重荷おもにじゃない。”君と一緒にいる”って、そういうことだろ?」

 まきなは、こらえていた涙を一気いっきにこぼす。
それは、悲しみではなくて、救われた安堵あんどの涙。

 「ありがとう。聖夜せいや。私、ちゃんと、”一緒に生きていきたい”って思えた」

 聖夜せいやの手を握り返した瞬間、まきなは、「支えられる」ことをおそれるのではなく、「支え合う」ことの意味を知る。

 まきなの退院の日。玄関まで迎えに来た聖夜せいやに、まきなは”笑顔”を浮かべながら言う。

 「あのね……。やっぱり私、あなたとちゃんと向き合いたい。前みたいに、”ありがとう”だけでごまかさない。聖夜せいやがいてくれると、嬉しい。怖いけど、嬉しい。ずっと、そうだった」
聖夜せいやは、ほほ笑み返す。

 「ちゃんと伝えてくれて、ありがとう。俺も、隣にいるって決めたんだから」

 
 まきなは、日中リハビリセンターに通いながら、午後からは在宅勤務として聖夜せいやの会社「Sエス.Ableエイブル」のブランディング企画に参加する。
初めは、デザインや文章校正など広告代理店時代のスキルをかしたサポート役。

 だんだんと、障害者当事者としての目線をかした企画案やプレゼンでも力を発揮はっきし始める。

 「”無理しなくていい”って言われるより、”必要とされたい”って思ってたんだと気づいた」


 聖夜せいやがまきなのマンションに荷物を運びこみ、同棲どうせい生活がスタート。
ソファーで並んでテレビを見たり、リモート会議の横でお互いの存在を感じたりしていた。
 
 ある夜、食器を洗うまきなに聖夜せいやがタオルを渡しながら言う。

 「ここが、俺の帰る場所だなって、思う」

 ベッドに並んで横になる夜。
静かに手をつなぎながら、まきなが心の中でつぶやく。

 (きっと、まだ不安もある。でも、今なら言える。”私、幸せになっていいんだ”って)
 (この手を、これからも離さない。いつかちゃんと、となりに立てる私になるから)

 その手のぬくもりが、未来を照らしていた。

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