(ショートショート)これだけですよ アマノ文筆クラブ
スマホ一台あれば、世界が掌の上で完結する。
そんな便利な時代になったものだ。
社会人一年目の私は、移動も、買い物も、すべてをデバイスの中に集約させている。
キャッシュレス決済が当たり前になった今、私のバッグには小銭の重みすらない。
余計な持ち物を持たない軽やかさが、今の私の流儀だった。
昼休み、同僚と連れ立って、オフィス近くのコンビニへお弁当を買いに行った。
レジの列に並び、私は迷いのない動作でスマホをかざす。
電子音がピッと鳴り、決済は一瞬で終了した。
その手際の良さを近くで見ていた同僚が、目を見開いて駆け寄ってきた。
「えっ、もう終わり? そんなに簡単に終わるの?」
私は少しだけ笑って、スマホの画面を彼女に向けた。
「これだけですよ。財布も出さなくていいし、すごく楽なんです」
「すごいなあ……私、本当に機械音痴で。ついていけなくて、いつもレジでアタフタしちゃうよ」
同僚は困ったように苦笑して、謙遜を口にする。
何でもかんでもデジタルに塗り替えられていく現代。
世の中の進化のスピードはあまりに速く、私たちはその奔流に必死でしがみつくしかない。
けれど、進化と引き換えに、何か大切なものを置き去りにしているような気もする。
便利になったというけれど、果たしてそれは人間にとって「幸せ」への近道なのだろうか。
進化する技術の影で、もしかしたら私たちは、どこか別の部分で退化しているのかもしれない。
情報の海を泳ぎ回る指先は器用になっても、顔を合わせる温度や、言葉の奥にある行間を読み取る力。
そんな人間本来の感性まで、アップデートの過程で消えてしまわないだろうか。
店を出て、オフィスへの道を歩く。
隣を歩く同僚の横顔を見て、私は思う。
どんなに世の中が便利になっても、どんなに世界がデジタルの光に包まれても、せめてこの胸にある「人間の心」だけは退化させずにいたい。
ピカピカに磨き上げられたスマホの画面に、初夏の空が映り込んだ。
その向こう側にある、誰かの温もりを忘れないために。
Fin。
※この小説はフィクションです。
登場するモノや人物は存在しません。
↑この企画に参加しました。
ありがとうございました。
