トストーネスで振り返るキューバ史
調理動画はインスタアカウントにあります。
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Tostonesは、未熟な調理用バナナ(つまり青バナナ)をスライスし、油で2度揚げた料理。「トーストする」という意味のスペイン語、tostarが由来。
「毛布はかけておきなよ」少年は言った。「僕が生きている間は、食べずに漁なんてさせない」
「じゃあ長生きしてくれよ、体に気をつけてな」老人は言った。「何を食うんだ?」
「黒豆ご飯と、揚げバナナと、シチューがある」
少年は、それを二段の金属容器に入れてテラスから持ってきた。ナイフとフォークとスプーンも二揃い、それぞれペーパーナプキンで包んで、ポケットに入っていた。 青空文庫『老人と海』より抜粋
キューバは1492年、コロンブスの第一次航海で「発見」された。
以降、1902年までスペインの支配が続く。
丁度、ロシアの南下を防ぐために、日英同盟が結ばれた時であった。しかし、キューバのこの独立は形式的なものであり、事実上のアメリカ合衆国の支配の始まりでもあった。
1901年のプラット修正条項には、アメリカ合衆国の内政干渉権、キューバ国内二箇所にアメリカ合衆国の軍事基地を置くなどが盛り込まれており、内政と軍事を奪い取って支配するというこの時代の帝国主義国のテンプレ条約である。日本が朝鮮半島に手を伸ばし、併合を目指したのもこの頃であった。キューバは辛酸苦渋(しんさんくじゅう)を嘗めてきた。1933年、合衆国大統領に就任したフランクリン·ルーズベルトは、従来までの強硬姿勢にかわって、いわゆる「善隣政策」を行って中南米における通商拡大を図っていった。しかしながら、戦後、親米派バティスタがクーデターで政権を奪取し、憲法を停止。独裁政治を開始した。これにより、米国のキューバ支配は頂点に達し、バティスタ政権とアメリカがキューバの富をほぼ独占し、その富は米国本土の物となっていた。
ここに冷戦の土壌、反米意識が生まれた。



その後亡命していたカストロとチェ·ゲバラは祖国に舞い戻り、
ついに1959年、バティスタを国外逃亡に追い込んだ。アメリカの次は誰か。ソ連である。アメリカは社会主義国となったキューバに対し、
締め付けを強化した。対するカストロは、ソ連への傾斜を強める。
そして、ソ連のフルシチョフは、これをアメリカにキューバという
ナイフを突きつけるチャンスと見た。このように利害関係は一致。
ソ連は密かにキューバでのミサイル基地建設を開始した。アメリカは偵察機によってソ連のミサイルがキューバに配備されたことを知り、海上封鎖を実行してソ連にその撤去を迫った。

1962年、キューバ危機である。
その後アメリカによる経済封鎖は2015年まで続き、同年、アメリカ大統領オバマにより国交は回復した。
2016年、カストロは死去。しかしキューバの共産党一党独裁は続き、最悪の米軍基地、グアンタナモはいまだに残っている。

