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[ジャズ沼のほとり] JOHN COLTRANE「LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD」。魂の輪郭をメロディとして造形していくような演奏。【超極私的名盤探訪vol.9】

 ジャズとの付き合いは、個人的にはすごく古い。ホントに幼い頃、モノゴコロついた頃から、家の中でジャズのレコードが鳴っていた。父親がジャズ好きで、テナーサックスを趣味で吹いていた。会社の同僚とバンドを組んでたほどだ。ただし、コドモが親の趣味をそのまま好きになることはない、むしろ反抗心から、ジャズが憎いほどだった。
 しかし、18歳あたりで初めて、主体的にジャズを聴くようになった。ジャジーなヒップホップや、英国のアシッドジャズが注目を集める90年代が到来した頃だ。そして直接的には、「渋谷系」の影響だ。
 90年代は、ロック/ヒップホップ・R&B/テクノ・ハウス/レゲエなどなどの距離がすごく近かった。60年代/70年代/80年代の音楽の距離も近かった。いわゆる「渋谷系」というムーブメントには、ジャンル越境/時代越境/邦楽も洋楽も越境/という美意識があって、全部のジャンルを一貫して聴いてるリスナーやDJがいた。PIZZICATO FIVE 小西康陽の博覧強記っぷり、FLIPPER'S GUITAR(小沢健二/小山田圭吾)のサンプリングセンス、KING OF DIGGIN' MURO の音源探究心、SUBURBIA SUITE/CAFE APRES-MIDI 橋本徹の審美眼、菊地成孔の饒舌っぷり。
 こうした先達たちの語りやクリエイティブに追いついていくには、それ相応の知識が必要で、その中には当然ジャズも射程距離に入っている。もう聴くしかない!と思うのですよ。

 しかしジャズは手強い!ジャズ沼は深い!
 古くは1930年代のものから、去年発表されたような最新のジャズまで、ほぼ100年に近い、長い歴史の積み重なりを目の前にすると、もうコレは一つの音楽ジャンルとククれるモンではないと恐れ入る。さまざまな時代、さまざまな土地、さまざまなプレイヤーたちが、それぞれ全く別の世界観や美学を多様なカタチで発信している。音楽としてはずっと後発のロックの世界がサブジャンルでメチャメチャ細かくサブジャンルに分割されてるのに、「ジャズはジャズ」という認識がもうダメ。ジャズの歴史とコンテクストへの解像度をもっと上げなければ。ということで、CDやレコードはボチボチ買うけど、気持ちとしては「ジャズ沼のほとり」にずっと立ちすくんでいるだけ。これを30年近くは続けたかなあ。

 でもコロナ禍の頃に状況が変わった。この時期に近所にジャズ喫茶が2軒ほどできて、ここに通うようになって、目からウロコが落ちた。マスターに色々音源について教わったりもして、CD/レコード収集もギアアップ。なんとか「ジャズ沼のほとりに足首程度は浸かった」感じになれてきた。
 ただ、相変わらずその音楽を言語化するほど咀嚼できるかというと、なかなか難易度はまだ高い。でもしょうがない、一発書いてみる。

JOHN COLTRANE「LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD」1961年

  そんな中で、一番、心にフィットしたレコードは何か?と3日間くらい悩んで、選び出したのがこのアルバムだ。JOHN COLTRANE、35歳の時のライブ録音。前年1960年に設立されたばかりの新興レーベル IMPULSE! からのリリース、このレーベルにとって COLTRANE はその後に看板スターになっていったし、COLTRANE にとってもこのレーベル所属時期がキャリアの臨界点になったと思う。そんな COLTRANE を囲むミュージシャンは。バスクラリネット、ERIC DOLPHY。ピアノ、MCCOY TYNER。ベース、REGGIE WALKMAN と JIMMY CARRISON。ドラム、ELVIN JONES。名武将がゾロリ揃ってる感じだな。

 一曲目の「SPIRITUAL」、約14分間の演奏が好きなのかもしれない。タイトルが指すスピリチュアルとはなんなのか?日本人の中で「神様」というと清浄感というか澄み切った感じがすぐに連想されてしまうけど、その神々しい恍惚感とはやはり違う。
 いやいやむしろ、ミドルテンポのグルーヴがグルグルと攪拌されていく感じ。その中で、COLTRANE のサックスが自らの魂の輪郭を、丁寧に探りながらメロディとして造形していくような、奇妙な生々しさが、心に響くというか。瞑想しながら仏像を彫る仏師のような趣きすらある。自分の内部に細い糸を垂らしてその糸が何に触れるかジックリ観測し表現する…そんな演奏。そんなプレイを聴くボク自身も自分の内部を丁寧に観測しているかのような気持ちになる。そこに加えての、ERIC DOLPHY のバスクラリネット。クラリネットがこんな渋い音を出すのか、と思わせるプレイ。そして彼も仏師で素晴らしい。結果的に DOLPHY の音源もこのあと3枚くらい入手しちゃうことになった。
 
 二曲目の「SOFTLY, AS IN A MORNING SUNRISE」は、スタンダードナンバーとあって、軽妙なキャッチーさと明るさがあって、重心が低い一曲目とはだいぶ雰囲気が変わる。最初に演奏をリードするのは MCCOY TYNER のピアノで、実に軽やかでウキウキ。あとから登場の COLTRANE もソプラノサックスに持ち替えての明るさがある。しかし、なんだが奇妙なフレーズが多くて全然安心ができないのは気のせいか?

 そして三曲目「CHASIN' THE TRANE」、約16分の演奏。DOLPHY のバスクラも、TYNER のピアノも退場して、センターポジションは COLTRANE たった一人、16分間ずっとソロを吹き続ける勇姿。
 
楽曲タイトルは、オレの背中を追っかけてこい!という意味なのか?無尽蔵に溢れ出るアドリブプレイがどこにいくのかサッパリわからないままに、ボクの耳はひたすら引きまわされる。この時期から COLTRANE が1967年に夭逝するまでずっと行動を共にするベースプレイヤー JIMMY GARRISON と、パワフルなドラマー ELVIN JONES だけが後方を支えてる。この二人がどこにいくのかわからないフロントマンを、アグレッシブなグルーヴでガンガンに煽っていく。ELVIN JONES のドラム、まさしく電光石火、火花を撒き散らすようなビート。どこでどんなフィルインをかますのか?それをフロントマンが求めているのか?それがなぜ察知できるのか?こちらも展開が全然予想できない。もう、3人の猛獣が無邪気に暴れているかのような気分だ。こんなライブ演奏を目の前で見てたらどんな気持ちになるだろう?

 こんな音源、何回聴いても聴き飽きない。実はこのレコードそのものは15年前くらいに買ってたモノで、最近初めて聴いたモノでもない。しかし、COLTRANE の天才は、その先の展開なぞ素人には1ミリも予想がつかず、そしてそのままに疾駆していくのでフレーズが頭に残るわけでもなく、結果的に何回聴いても新しい発見や感動が出てきてしまう。もう止まらない。これがジャズの快楽で、ジャズの中毒性なのではないか?やっとこのタイミングでこの理解に辿り着いたわけだ。

 でも。コレだけがジャズの快楽というわけでもなく。
 ジャズの沼にハマるのは、コレからだ。まだ、ほんのイントロダクション。さあ、ここから深く沈降していこう。

(過去に他のプラットフォームに書いた文章を、改訂更新転載してみました)


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