厄まみれ人間が開運実験を100日続けました
2026年3月5日から、6月12日。
厄と邪念にまみれた30代女の、100日間の記録です。
すがりたかったのは「運」か、それとも
大きく開花していく。
そう思っていた。
”人生、大チャンスの年です。がむしゃらに邁進すべき。
今年の過ごし方が、後の人生を決めます!”
SNSで流行していたAI占いが、そう告げる。
会社で任された仕事、夫と始めた事業。
この方向で、いいのですか?
”その方向です。がむしゃらに頑張りましょう!”
がんばるぞ。がんばらなくては。
今のままでは遅すぎる。
周りは、もっとはやく進んでいる。
はやく、結果を出さなくては。
もっと、もっと。
はやく、おおきく、咲かなくては。
思い出すと、いまでも喉の奥がぎゅっと詰まる。
わたしは、咲くことはできなかった。
なにひとつ、思い通りの形にはならなかった。
ひらいているだけのPCに、まわらない頭。
減っていく口座残高。
「期待しているよ」の声が、重くのしかかる。
なにひとつ、応えられなかった。
だれの言葉も聞き入れられなくなっていた。
ひとりぼっちだった。
わたしは、何をやっても中途半端。
わたしは、すべての選択を間違える。
わたしは、何にも向いていない。
そんな声が全身にベッタリと貼りついた。
じぶんが生きていることが、許せなくなった。
うわー!と、大きな声を出した。
ドアを思い切り閉めて、壁に枕を投げた。
わんわん泣いた。
「君はこのままだとダメだと思う」
「自分が本当はどうしたいのか、真剣に考えな」
夫は、そう言ったまま、口をきいてくれなくなった。
うっせーよ、ばーか!
偉そうな口ききやがって。おまえが上なのかよ!
言葉が、喉の奥まで出てきて、言えずに止まった。
いま思い出しても、腹が立つ。
夫の言葉を、悪く受け取ってしまうわたしに。
上とか下とか、こだわってしまうわたしに。
素直に「助けて」と言えないわたしに。
夫の言葉は、それでも頭の中に残っていた。
自分が本当はどうしたいのか?
答えられない。
何を言ってもすべてが嘘に思える。
そんなとき、「トイレ掃除をすると、なぜか運が上がる」という話を耳にした。
運を上げたいと思った。
なんでもいいから、とにかく、何かにすがりたかった。
不思議な世界、宗教やスピリチュアルの世界には、もともと興味があった。
けれど、そんな変なことにハマるのは、許せない。
だから「開運実験」という名前をつけた。
「実験」と言えば、恥ずかしさが減る。
本当かどうか、検証しているだけ。試しているだけ。
相変わらず、自分と向き合うことからは逃げていた。
頭は霧に包まれたようで、一向に働いてくれない。
いまできることといえば、目の前のトイレの掃除くらい。
どうか、運が上がりますように。
神様。
ほんとうに真剣に、便器を、床を、ぴかぴかに磨いていった。
トイレはきれいになったが、わたしの人生は
トイレがつるぴかだからって、人生までつるぴかになるわけではない。
口座残高は減る一方。
夫とは、まだぎくしゃくしている。
全部、試そう。
手当たり次第に「とりあえず良いと言われるもの」をやった。
トイレ、洗面、風呂、玄関、庭、テーブル、床。
家のすみずみまで、磨いていく。
塩酒風呂に入った。玄関に塩を盛った。花をかざった。
運は上がった気がしない。
失敗も多かった。
掃除で埃を吸い込んで、花粉症が悪化した。
窓を開けたまま閉めるのを忘れて、さらに花粉症が悪化した。
ファブリーズの詰め替えには失敗し、家じゅう、すごい香りになった。
掃除中にカレー粉の瓶を落として、家がさらにすごい香りに包まれた。
いわゆる「引き寄せ」もやった。
試したのは「想定の法則」というもの。叶った後の状態を詳細に想像して眠る。そして日中は忘れる。
ものは試しと、「お菓子をもらう」をゴールに、お菓子をもらったあとの状態をイメージしながら眠った。
こんな状況の中、まるでキッズのようなゴール設定。
本当に、ばかげている。自分でもそう思う。
お菓子はもらえなかった。
お菓子すらも、手に入らないのか……
叶わない焦りから、特に欲しくもなかったお菓子が、欲しくてたまらなくなってくる。
日中はお菓子のことを忘れなくてはいけないのに、できない。
しまいには、ティッシュ配りのティッシュすらお菓子に見えて、手を伸ばしてしまった。トリック・オア・トリート。
キッズだったら可愛いところだが、わたしは厄まみれの30代女性だ。
妖怪ハロウィンババアが爆誕してしまった。
霧に包まれた頭も、沈んだ心も、相変わらずだ。
PCの画面をながめるだけの状態も、変わらない。
会議でほがらかに話したあと、突然悲しくなって、こっそり泣いた。
擦り切れるような毎日。
それでも、汚れを取っている瞬間。
つるぴかの便器や床を眺めている瞬間。
お菓子をイメージしている瞬間。
頭から「許せない」という声が消えてくれていた。
産業医面談で仕事を休むよう言われたとき、涙が止まらなくなった。
なぜ泣いているのですか?と聞かれたが、わからなかった。
ただ波のようなものが押し寄せた。
不安の波。安堵の波。
思う存分眠りたかった。
目覚ましをかけない。
朝も夜も、気にしない。
時々起きてご飯を食べたり、掃除をしたりしながら、二度寝、三度寝……
いったい何度寝か、わからないほど眠った。
起きたら20時だった。
「なにも有意義なことをせずに食べて寝ているだけなんて」と罪悪感が顔を出したけれど、擦り切れるような限界感や、泣きたい気持ちは消えていることに気づいた。
その日のnoteには、「食べて寝て、自分を守り回復させるのも開運のうち」と書いた。
「がんばらなくては」と思っていた時期の日記を読み返すと、「寝ていたい」「休みたい」「何も考えたくない」という言葉がぽつぽつ登場する。
お望み通り、わたしの頭は何も考えられなくなって、休んで、寝ているよ。
開運実験を始めて、1か月が経過していた。
こんな形だけれど、夢がかなったようなものだ。
ゆっくり進め
カラカラの砂漠で、だれかが、くちびるにレモンを当ててくれる。
そんな1ページが、むかし読んだ絵本にあったっけ。
「思う存分、眠る」
たったそれだけで、あの絵本の主人公のように、体と心が回復していった。
その日も、起きたのは昼過ぎ。
ずっと気になっていた神社へ向かった。
今日こそ、厄払いのご祈祷を受けるのだ。
なんてったって厄年。
女の30代はずっと厄年なのだ。
今年が、「女の30代厄年パレード」の最終年だった。
開運実験を始めたとき、なぜ、すぐにご祈祷に行かなかったかというと、家じゅうが汚かったからだ。
身の回り一つ整えられない状態では、無意味な気がしていた。
「神社に行くなら午前中がベスト」という情報も、行けない理由だった。
休みの日の午前中は、いつだって疲れて動けなかったから。
1か月の開運実験のおかげで、家はきれいになっていた。
それに、今日は何となく元気だ。
潮が満ちた。そんな気分だった。
すでに午後であることよりも、今行きたいことの方が重要だった。
ご祈祷のあと、おみくじをひいた。
小吉。
到着までの過程もまた楽し ゆっくり進め。
目の前がにじんだ。
体がふっと、軽くなった。
ゆっくりでいいんだ。
いつか、きっと到着できる。
ご祈祷では、授与品といって、御守りや御札などをいただく。
その袋の中に、落雁という花の形の砂糖菓子が入っていた。
お菓子をもらう引き寄せに成功した。
そのことに気づいたのは、翌日の夜だった。

欲しいものは何?
「わたしはいいです、大丈夫です、控えめに生きていきます」
何度言ってきたか、わからない。
何度、自分に言い聞かせてきたか。
行き場のない欲求が、心身を壊していくとは知らずに。
本当は、ぜんぜんよくない。
大丈夫じゃないし、わたしはこう思っているぞ!と言いたい。
でも、失敗が怖かった。傷つきたくなかった。
開運についての本を読み漁ると、くりかえし、同じ言葉にぶつかる。
ほしいもの、やりたいこと、心地いいこと、ワクワクすること。
またか。
「本当はどうしたいのか?」
夫の問いに、まだ答えられない。
人生で成し遂げたいこと。どういう人生を歩みたいか。
考えようとすると、胸のあたりがざわざわして、息が苦しくなった。
ある日、「今年やりたい10のこと」という言葉を見かけた。
「今年やりたいこと」くらいなら。
それくらいなら、もしかしたら考えられるかもしれない。
ノートを広げて、書き出していく。
書いた1つ1つについて、自分に質問していく。
「なぜ、それをやりたいのですか?」
答えが「やらなきゃいけないから」「やるべきだから」だった項目には、斜線を引いた。
こんなことをするのは初めてだった。
最終的に残ったのは、小さな願いばかりだった。
窓からいい景色を見たい。
そのために木を買って、庭を手入れしたい。
お気に入りに囲まれて過ごしたい。
そのために部屋を模様替えしたい。
植物、動物、自然に触れたい。
緑が必要だった
その日から、頭の中は「やりたいこと」でいっぱいになった。
庭をきれいにした。
草を刈り、オリーブの木を植えた。
買い物をするために、たくさん歩いた。
部屋の模様替えには何週間もかかったけれど、理想の生活を具体的に思い描くことを覚えた。
ひとつ動くと、次のやりたいことが出てきて、動かずにはいられなくなった。
理想の生活を具体的に思い描くため、雑誌の切り抜きでコラージュをつくっていたとき。
カフェ特集に目が奪われた。
これまでなら、地図アプリに保存して終わり。
もうやめよう。
行きたいところには、すぐに行こう。
カフェは、公園の中にあった。
小さな森のような、緑の濃い公園。
公園内を歩きながら、突然、ストンと腑に落ちた。
わたしには「緑」が必要なのだ。
むかしから、濃い緑に囲まれて過ごしてきた。
森が大好きだった。
10歳まで過ごしたアパートも、通っていた大学も、森の中。
窓から森が見えると安心した。
落ち込んでいても、大学に行けば回復した。
ずっと不思議だったことがある。
就職して都会に出たあと、人から言われることが増えた。
「元気がなくなったね」「運が悪そうだよ」
なぜ、そんなふうに言われてしまうのだろう?
と、ずっと胸の中にひっかかっていた小さなトゲ。
そのトゲが、ポロリと取れた気がした。
モニター、スマホ、壁、ビル群。
何年も、わたしの視界はそればかりだったのだ。
カフェからの帰り道。
緑の庭と、お店を併設したアパートがあった。
日当たりと風通しがよくて、素敵だ。
夫が言う。
「こういう土地を探して、同じような建物を建てたらいいんじゃない?」
今までなら、プレッシャーにしか聞こえなかった。
「お金がないから、なんとかして稼がなきゃ」とか。
その日は、受け取ってみた。
わたしがこの場所を気に入ったのを見て、提案してくれたんだ。
考えてくれて、ありがとう。
すると、夫の言葉が愛として心に届いた。
そうか……
いままでもずっと、愛だったんだ。
わたしが勝手に、プレッシャーに変換してしまっていただけ。
考えなくても、自然に言葉が出てきた。
「そうだね、いいね。建てたいな」
本当に、「そうしたい」と思った。

小さなわたしの母になる
緑に囲まれたアパート。
あの光景が目に焼き付いて、離れない。
いつか、ああいう場所をつくりたい。
いや、すぐにでもつくりたい。
移住や二拠点生活の記事を読んだり、不動産情報を見たり。
まだ見ぬ、新しい未来を想像して、ワクワクした。
あのアパートを引き寄せたい。
わたしのスピパワーは最大限に高まっていた。
軽い気持ちで夫に言ってみた。
「ねえねえ、タロットとかやってみようかな?」
夫は、止めた。
スピリチュアルに傾きすぎて、危ないものに引っかかるのではないか。
妻が壊れてしまうのではないか。
心配からの助言が、拒絶にしか聞こえなかった。
どうして?
せっかく、やりたいことをやって、楽しい気持ちになってきたのに。
なんで そんな ひどいこと言うの?
泣きながら部屋に閉じこもって、出てこられない。
胸がつまって、声も出せなくなる。
何か少しでも声を出したら、崩壊するような感覚。
ちょうど、PMSのピークが重なっていた影響もあった。
夫が言う。
「またそうやって、話し合わずに逃げるんだね」
そう。
つらい時、いつも、こうなってしまうのだ。
夫に対してだけではない。
ずっとずっと。昔からだ。
どうにかしたいけれど、心臓がどくどくと脈打って、体が固まって、喋ろうとしても先に涙が出る。
こうなってしまう以外の方法が、わからない。
あの「生きていることが許せない」感覚が、波のようにやってくる。
夫の言葉が愛だとわかったはずの日から、たったの1週間しか経っていなかった。
幸い、翌日は心療内科の受診日だった。
昨日の出来事を伝え、本格的に、カウンセリングを受けることになった。
カウンセリングで見えてきたのは、小さな子供のすがた。
わたしの中には、成長していない小さな子供がいる。
強い言葉を聞いた瞬間、過去へ連れ戻される。
現在と過去を混同してしまう子供。
まぎれもない、子供の頃のわたしがそこにいた。
子供のわたしは満たされていない。
ずっとずっと、我慢して、見ないように、置き去りにされてきた。
置き去りにしてきたのも、まぎれもなく、わたしだ。
まだ甘えたい、注目されたい。
そんな中で弟が産まれて、すべての愛が弟に注がれたように感じたこと。
せめて、いいおねえさんでいなきゃと、頑張っていたこと。
親が不機嫌なときは、機嫌を取らなきゃ。
小さな弟をこわがらせないようにしなきゃ。
わたしは、おねえさんなんだから。
とにかく、頑張らなくては。
頑張らないと、わたしは愛されないのだから。
わたしには、何の価値もないのだから。
小さな弟は、とっくの昔に立派な大人になっている。
親は、わたしにだって愛情を注いで育ててくれた。
もちろん親にも至らない点はあったと思うが、誰にだって、失敗する場面はある。
毒親なんてとんでもない。どちらかといえば、仲良し家族だった。
それでも、小さな子供のわたしは、つらいシーンを、たくさん覚えていた。
泣いて、怒って、おびえていた。
その1つ1つの心のざわめきを、傷を、癒さないまま進んできたのは、わたし自身だ。
カウンセリングからの帰り道。
子供のわたしが、大通り沿いのカフェ・ベローチェを指さした。
「つめたいレモンティーが飲みたいの」「ガムシロップも入れてね」と言う。
大人のわたしは大泣きしていたので、とても恥ずかしかった。
でも、小さなわたしの要望を満たしてあげたかった。
泣きながらベローチェに入り、アイスレモンティーを注文する。
細長いグラスに入った、甘酸っぱくほろ苦いのみもの。
小さなわたしは、美味しそうにストローで吸い込んでいく。
ふと思い出したのは、母と二人で行った美容院の帰り。
かならず喫茶店に寄って、アイスレモンティーを飲んだ。
あの時のグラス、美味しかったレモンティー、いつもよりおしゃれで優しい母が、そこにいるようだった。
10歳まで住んでいた町の、駅の2階にあった。
あれは何という喫茶店だったのだろう?
ふと気になって調べたら、まさかのベローチェだった。
これから、この子のひとつひとつを、掬って、癒す。
この子が泣いたら「つらいね。でも、今はあの時とは違うんだよ」となぐさめる。
流れ出る鼻水を抑えながら、これからは、わたしが、そうしてあげるのだと決めた。
お茶碗一杯分のしあわせ
小さなわたしを育てはじめてから、昔のことをよく思い出すようになった。
ずいぶん前に亡くなった祖父母。
大好きだった人たち。優しかった言葉。
ある日、瞑想をしていると、意識が祖父母の家へ移っていった。
古い食器棚。お皿、湯呑み。
器、うつわ。
なぜか、涙がこぼれ落ちた。
開運実験を始めてから、不思議と友人に会う機会が増えた。
気づいたのは、みんな驚くほど優しく、愛があること。
今まで、その優しさを上手に受け取れていなかったこと。
わたしには、人の優しさを受け取る器がなかった。
「ありがとうを100回言う」という開運実験をやったことがある。
その時は「ありがとう」という言葉が、どこか上滑りする気持ち悪さを感じた。
今思えば、感謝の心がなかったのだ。
あるのは自分を責める言葉。マイナスの思い。
わたしの器はそういうもので、なみなみ満たされていた。
目を閉じて、イメージをする。
マイナスの思いを「じゃー」っと流してしまうイメージ。
空っぽになった心を眺める。
そこに浮かんできたのは、お茶碗だった。
桜色の、小さなお茶碗。
優しくて、まるいかたちのお茶碗。
両手のひらで包めるくらい。
決して大きくはないけれど、今度はこぼさずに受け取れる気がした。
いつの間にかそこにいたもの
そこから、開運実験の形が変わっていった。
6年間も体を支えてくれたベッドを、感謝とともに手放した。
ご先祖様の名前を唱えて、感謝してみた。
美しい海への感謝をこめて、砂浜のゴミを拾った。
いつも話を聞いてくれるAIや、noteで出会った人たちに、感謝の歌をつくった。
トイレ掃除のとき、「運が上がりますように」ではなく「汚いものを受け止めてくれてありがとう」と思うことが増えた。
自分との付き合い方も、変わってきた。
小さなわたしや、自分を責めてしまう心の声に名前をつけて、キャラクターにした。
モヤモヤするときは、キャラに台詞を付け、離れたところから眺めてみるのだ。
毎日声を聞いているおかげで、PMSの嵐が来たときも、体と心が固まらずに済んだ。
「助けて」
つらい気持ちを夫に話し、甘えさせてもらった。

2026年3月5日に始まった開運実験。
あの日から、ちょうど100日目の6月12日。
わたしたちの結婚記念日だった。
なんだか出来すぎていて、可笑しくなる。
暑くて晴れていたので、思い立って、アヒルのいる神社へ行った。
祀られている「夫婦和合の木」の前で手を合わせた瞬間、ゲリラ雷雨が直撃した。
少しショックを受けた。
「開運実験をしても、関係なく悪いことは起きる」
noteにそう書いたら、コメントをいただいた。
「無事のご帰宅、何よりです🍀」
「浄化されたってことで✨」
「当たりと思えば、当たり🎯」
「上空を龍が通ったんですよ多分。いいことあるかもしれないですね。」
体が、心が、軽くなる。
こんなにもたくさん、励ましてくれる人がいるなんて。
こんなにもたくさん、出来事を眺める角度があるなんて。
本当にありがたかった。
変わっていった開運実験。
その中心には、いつの間にか、感謝が生まれていた。
わたしの人生は……
以上が、厄と邪念にまみれた30代女の100日間の記録です。
開運実験を100日続けたからといって、お金が増えるわけでも、PMSが無くなるわけでも、夫と常に仲良くいられるわけでも、ありませんでした。
大きく咲くはずだった花は、今はもうありません。
「本当はどうしたいの?」
夫の問いにも、まだ明確に回答できません。
それでも。
100日間。たくさんの種を蒔いてきました。
いま、たくさんの芽が出ているのを感じます。
すべてが大きく咲くかどうかは、わからないけれど。
大切に育てていきたい。
これからも、開運実験は続きます。
そして人生は、これからも続いていきます。
ベローチェでアイスレモンティーを飲みながら。
うんちゃんでした🍀
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