見出し画像

新聞投稿:国民主権とメディアの役割

   大義なき解散。予算や重要法案は置き去り、雪国居住者や受験生への配慮もない身勝手な解散、近ごろの一部メディアの総選挙批判は、やや行き過ぎてはいないだろうか。
「今なら勝てそうだから解散した」との非難が許されるのであれば、選挙に負ければ「総理失格」と責任を問われ、勝てば勝ったとて「議席目当ての自己本位」との批判を免れない。つまり、結果いかんに関係なく先に結論は決まっている、そんな風にも見えてしまう。
    自由民権運動を背景に誕生した日本のメディアは、国民の政治意識が未成熟だった時代、天皇主権の旧憲法下で藩閥政治を批判、疑獄事件を追及するなど、権力監視の重要な役割を果たしてきた。その意義は大きい。
 しかし戦後、日本国憲法が制定され国民主権となり、第一義的には国民自身が選挙を通じて権力を監視する立場となった。当初はメディアがそれを補完していたが、国民の政治意識が高まるにつれ、両者の間に緊張が生じるようになり、その結果、選挙で示される国民の判断と離れた批判が目立つようになったように思う。
  戦後80年を迎えた今、現憲法下の国民主権にふさわしいメディアの役割とは何か?改めて考える時期に来ているのではないだろうか。

令和8年1月26日長崎新聞「声」に投稿 ボツ

いいなと思ったら応援しよう!