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あなたはわたし

私が高校生だった頃、家の門限は21時と定められていた。

父は、その数年前に不本意な形で会社を解散していて、仕事がない訳ではなかったけれど、昼間からアルコールを手にすることが増えていた。

そうして父の関心は専ら、当時唯一同居していた私に向けられ、毎日の帰宅時間まで厳しく管理された。

父は私に、病弱な母に代わって家事全般を担う、従順な孝行娘の役割を望んでいたのだろう。

「高校へは、厚意で通わせてやっている」
のだから
「親権者が言えば、いつでも辞めさせられる」

そんな脅し文句を真に受けて私は、父の機嫌を損ねないように、注意深く振舞うしかなかった。


ところが、人生初の親友ができて、私の人生が大きく動き出す。

私とその友人は共に、同じような心の傷を抱えていて、二人で過ごす時間がとても楽しく、掛け替えのない大切な間柄だった。

少しでも一緒にいたくて私たちは、しょっちゅう夜の繁華街へ出かけるようになった。
そこには、私たちを平等に受け入れてくれる人たちが、たくさんいたからだ。

21時の門限を守るためには、20時には街を出なければならない。

20時と言えば、夜の街の賑わいは、まだはじまったばかりで、何もかもこれから、という時間なのに、だ。


門限を過ぎて帰宅すると大抵、父は玄関先に、鬼のような形相で仁王立ちしていた。

「何時だと思ってるんだ!」
「こんな時間まで、出歩きやがって!」

そう頭ごなしに怒鳴られて、頬を張られ、二、三歩よろける。

こういう展開になることがわかっていても、私は、夜の繁華街から早々に去ることができなかった。

ネオンライトが煌々と灯り、多くの人たちで賑わう繁華街。
そこには、いつもの仲間と、居心地のいい居場所に、他愛のないおしゃべり、美味しいものや、ノリのいい音楽が溢れていた。

ただ居るだけで肯定される安心感を、私はたぶんそこで、生まれてはじめて知った。

けれども一歩、街を外れてしまえば、たちまち田舎の暗闇が広がる。
そうして私は途端に、安物のスカートを履いた、ただの冴えない女子高校生に戻るのだ。


父からどんなに叱られても、私は何も反論しなかった。
迂闊なことを口にすれば、酔った父が更に激高することを知っていたから。

そして何より、

「父の言いつけを守らない自分が悪いのだ」
「約束やルールを破ったから罰せられて当然だ」

と信じていたから。

21時という門限が妥当なのか、出かけたい理由、大切な友人のこと。
そんなあれこれを、父と対等な立場で対話する、という発想が私には、はじめからなかった。

家庭内で父は、常に強者で、絶対的家父長。
父が一方的に判断、命令をし、妻と娘たちは従う。

そんな封建時代のような価値観を、私はいつの間にか内面化していた。


昭和の家庭では、よくある風景だったのかもしれない。
令和の今だって、ひょっとすると、あちこちでまだ息づいている価値観なのかもしれない。

それでも、ふと思う。

もしもあの頃、私がチャットGPTに相談していたなら、どんな答えが返ってきただろうか。

児童相談所? 警察? 
虐待、DV、ヤングケアラー、モラハラ?

あるいは、
「家庭内の問題を安易に外部へ公開してはいけません」
だろうか?


今、話題の元監督。
野球に疎い私は、彼の偉大な業績をほとんど理解していない。

日頃、家庭では、きっと良き夫、良き父親だったのだろうし、また今回の社会的制裁は、事柄に対して過剰だったかもしれない。

前提として、たとえば家庭内の些末な出来事まで、何でもかんでも公にすることが正義だとも思わない。

それでも。
私には、どうしても伝えたいことがある。

それは、カッとなって思わず振るった暴力は、決して教育でも躾でもないということ。

いかなる背景があろうとも、暴力は、加害者も被害者も一律に、思考を停止させてしまうということ。

誰だって、言葉で諭されたり、思考し、自分の意見を持って、話し合う権利が認められているはずだ。

暴力の、重い軽いは問題ではない。


今、まさに暴力に苦しんでいるあなたへ

どうせ無理だと、諦めかけているあなたへ

そして、昔、高校生だった頃の私へ

私は全力で、そう伝えたいと思う。


ねえ お願い高速を飛ばして
悲しみの向こう側まで連れてってよ
今日だけは総てに糸目は付けないの
硝子窓に映るあなたはわたし
他人事では居られないあなたはわたし

硝子窓 / King Gnu


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ちえ 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。もしも気に入っていただけたなら、お気軽に「スキ」してくださると嬉しいです。ものすごく元気が出ます。