日本を壊した3人の女。若桑みどり・大沢真理・上野千鶴子が仕掛けた「家族解体工作」の全貌

事の発端は、1995年ごろに開催された北京女性会議に遡ります。
ここで「ジェンダーとは社会的・文化的なものであり、後から変えることができる」という誤った定義が作られてしまったことが全ての元凶です。
しかも、これが自然発生的に広まったわけではなく、男女の特性そのものを否定したいという危険な思想を持っていた若桑みどりという人物が、教育現場に直結する資料にその偏った定義を巧みに捩じ込み、事実上の強制力を持って思想に従わせてしまったというのが、この問題の隠された真実です。
結果として、判断能力の未熟な若い世代にこの思想が刷り込まれてしまいました。これが原因でジェンダーフリーという言葉が独り歩きし、ランドセルの色が多様化され、さらにはLGBT運動が過激に育つ土壌が完成してしまったのです。
現在のアウティング禁止条例や、同性愛的な行動が学校現場で黙認されている現状も、すべてはこの時に教育のマニュアルが書き換えられたことの延長線上にあります。

これは元々、アメリカの教育哲学者バーバラ・ヒューストンが学術的に使用した用語で、当初は単に「性別による制限をなくす」というだけのものでした。
義務教育において、身体差に関係ない部分では性別に配慮した点数評価を行わないようにし、性別によって就ける職が左右されることを防ごうというのが、彼女の本来の主張に過ぎなかったのです。
しかし、単なる修正案に過ぎなかったものを、「女性らしさと男性らしさを解体するべきだ」と拡大解釈し、日本の教育現場に持ち込んだのが若桑みどりという人物です。
若桑さんの出した「男女共同参画に関する学習資料」は、ジェンダーは社会的で文化的な性別であると会議が提唱してしまったのもあり、教職員や教育委員会は国の方針として解釈し、マニュアルを完全に変更しました。
これにより男女混合の名簿を普及させ、男性が先で女性が後という概念を無くしました。さらに「男の子らしく」「女の子らしく」ということを徹底的に禁止しました。保母→保育士などの用語変更どころか主人・家内さえもほぼ禁止の状態になりました。
教科書ですら母が家事をし、父が働くという場面を避けるように文部省が基準を作ったのです。
こうしてランドセルの色さえも自由化され、男の子は黒で女の子は赤も葬られていくことになります。

この流れを決定づけるために、経済的な側面から理論武装したのが大沢真理という学者です。彼女は「男は仕事、女は家庭」という昭和的な役割分担こそが日本の経済をダメにしていると主張し、国や自治体に対して、男女の区別を徹底的になくすことこそが正義であると吹き込みました。
大沢真理が当時、その理論の正当性を主張するために切り札として用いたのは、OECD加盟国の統計データでした。彼女は「女性の労働参加率が高い国ほど、実は出生率も高い」という相関関係を示すグラフを突きつけ、専業主婦を優遇する日本の税制や社会保障こそが、女性を家庭に縛り付け、結果として経済も少子化も悪化させているという理屈を展開しました。彼女はこれを「男性稼ぎ主モデル」と名付けて諸悪の根源であるかのように攻撃し、北欧のような共働き社会こそが理想だと説いたのです。
しかし、この主張が本当に正しかったのかを現代の数値で検証すると、残酷なまでの矛盾が浮かび上がります。
政府がその言葉通りに女性活躍を推進した結果、現在の日本は共働き世帯が専業主婦世帯の2倍以上に増え、女性の就業率は当時とは比べ物にならないほど上昇しました。彼女が問題視した「M字カーブ(子育て期の女性の退職)」も解消に向かっています。ところが、現実はどうでしょうか。出生率は回復するどころか過去最低を更新し続け、経済も停滞したままです。
「女性が家庭を出て社会で働けば、子供も増えて経済も良くなる」という彼女の統計に基づいた予言は、日本の現実においては完全に外れ、単に女性が労働力として駆り出され負担が増しただけで、少子化の解決には一切繋がらなかったという事実だけが残ったのです。
確かに大沢真理たちが理想として掲げたスウェーデンやフランスなどの北欧・西欧諸国では、確かに女性の社会進出と共に出生率が一定の水準(1.8前後)を維持できた時期がありました。しかし、これは「高福祉・高負担」という国民が給料の半分近くを税金で持っていかれるシステムと、男性が家庭進出を強制されるような社会契約があったからこそ成り立った特異な例に過ぎません。
一方で、日本と同じ東アジアの韓国や台湾、あるいはイタリアやスペインといった南欧諸国を見てください。これらの国々は、儒教的な価値観や「家」の概念が残る中で、女性の労働力化だけを急速に進めました。その結果どうなったかと言えば、女性は仕事と家事育児の「二重負担」に耐えきれず、結婚や出産そのものを諦めるという選択を取り、出生率は世界最低水準の0.7や1.0近くまで暴落しています。
つまり、都合の良い北欧のデータだけをつまみ食いして、「女性が働けば子供が増える」という幻想を日本に持ち込んだ結果、女性を疲弊させ、少子化という国難を招いたのは、日本だけでなく「身の丈に合わないジェンダーフリー」を強行した国々に共通する失敗なのです。

これに呼応するように、上野千鶴子のような社会学者が、女性たちに向かって「結婚して家庭に入り、無償で家事をするのは搾取だ」と説き、伝統的な家族のあり方を根本から否定する思想を広めていったのです。
つまり、誰が何のために広めたのかと言えば、こうしたフェミニズムの学者たちが、行政の力を利用して、日本に残っていた「男らしさ・女らしさ」という文化や、伝統的な家族の形を破壊し、社会の仕組みを根底から作り変えるために広めたというのが事実です。
彼らの目的は、生まれ持った性別によって人生が決められることを防ぐという当初の理念を超え、結果として男女の生物学的な違いさえも無視するような「行き過ぎた平等」を達成することにありました。
質問者様が仰る「男が男を、女が女を」という点についても、このジェンダーフリー思想が拡大解釈された結果です。
「性別による役割の押し付けは悪である」という考え方が、いつしか「異性愛だけを普通とすることも差別である」というLGBTの権利運動と合流し、性別だけでなく恋愛対象の区別さえもなくすべきだという風潮を作り出してしまいました。
ランドセルの色が自由にされたのも、まさに「黒は男、赤は女」と決めること自体が、子供に性別の意識を植え付ける「悪」だと断定されたからです。
しかし、こうした極端な思想には当然ながら反発が起きました。
行き過ぎたジェンダーフリーは家族の絆を壊し、子供の健全な育成を阻害するとして、当時の安倍晋三氏をはじめとする保守的な政治家たちが猛烈な反対運動を展開しました。
その結果、2005年には政府が公文書で「ジェンダーフリーという言葉は使わない」と宣言する事態になり、表向きにはこの言葉は消滅しました。
ところが、言葉は消えても一度変えられたマニュアルや教科書の基準は簡単には戻らず、現在は「ジェンダーレス」や「多様性」と言い方を変えて、その思想だけが社会に定着してしまっているのが現状なのです。

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