寝付けない夜、壮絶な闘いになった話。
ASMRというものがある。
環境音や人の声、指で何かを叩いた音なんかを録音したものだ。
なんかこう、心が落ち着く気がして、寝る前に流したくなる。
一週間ほど前、爪でカランっとコップを叩いてる音を聞いてたら投稿者が囁き始めた。
後ろ側から声がして、耳じゃなく皮膚が反応し、ゾワゾワっとしていた。
おそらく背後に誰かいると、本能として敵に近付かれているような感じがするのだろう。
好きで聞いていたのに、敵だ!!と認識していた。
落ち着くための音で、落ち着けない。どうしたらいい。
しかし、あくまで状況が精神的に落ち着かないだけで、音自体は好きだった。
どうしたらいいのだろう。そこで私は考えた。
例えば我々は地球温暖化の中、わざわざクソ暑い日に日焼け止めを塗ってまでして外に遊びに行こうとする。
まるで愛する人の欠点すら含めて抱きしめるような選択だ──それはASMRも同じだった。
勝手に人類の歴史を重ねて自分の感情を肯定し、
私は動画を再生し続けて囁きに耐える道を選ぶことにした。
動画を流しつつも耐える方法を試行錯誤する中、背中のゾワゾワを打ち消すにはどこか他の場所に意識を集中したら良いのでは!?という発想に行き着いた。
坐禅だ。
意識を“背中”ではなく“手元”に集めれば、ゾワゾワを無視できるのでは?という発想だ。
それを思いついてからの行動は早かった。
あの「口の漢字」を作るように両手を重ね、ベッドの上で仰向けのまま胡座のように足を折りたたんでいた。
なんと間抜けな姿だろう。
しかしこれで打ち消すんだ。
例えば、ノイキャンとは周囲の騒音を打ち消すために、その騒音と逆位相の音を発生させノイズを相殺する仕組みだが、そのイメージに近い。
囁きに“別の集中”という反対勢力をぶつけて、存在そのものを帳消しにしていく感じ。
打ち消しに打ち消して、世界から囁きが消えていく。
そのイメージで、私は坐禅に集中した。現代版滝行と言ってもいい。
すると、だんだんゾワゾワ感は消え、音も何も聞こえなくなっていった。
いよいよ私はASMRに勝ったのだ。
電車でスマホをいじっていると、最初は確かに身体が揺れている感覚があったのに、
いつの間にかその揺れが身体の外にあるように感じられてくる。
次に、アナウンスの声がどんどん遠くなっていき、ついには音そのものが耳に届かなくなる。
気づけば扉が開く音も消える。
ふと顔を上げた時には、目的地を乗り過ごしている。
あの段階的に、“一つ一つ感覚が剥がれていく“ような感じ。
あれに、近い。
意識も、音も、そしてASMRチャンネルへの感謝も、全部が“無”になった。
この感情を虚無という気がする。
全てを置き去りした私は、その夜よく眠れ、朝起きたら知らないうちに耳から抜けたイヤホンが転がっていた。
……なんで再生したんだっけ?
あとがき
なんというか、せっかく貰ったから……と、苦手な食べ物だけど味変して頑張って食べてみたりとか、そういうのって色々日常にありますよね。
人間って、バカバカしくて楽しい。
