ディランの歌詞の訳
英語の詩、詞の場合、約束事として、韻を踏むというのがあり、おそらく、押韻のために語句を選ぶということがあるだろうと思う。
似た意味の単語をもってきて言い換えるとか、むりやりあまり使わない言い回しで表現してみたりとかがあり、またそれがなんとも詩的な感じとなったりするんだろう。
単語のひとつひとつの意味を忠実に追っていくより、韻を踏むがための言い換えがあることを考慮、想像しなければならない。
さらに、そもそも、詩というものは、取説なんかとは違って、表面的な意味を伝えるためではなく、奥に存在するイメージなり気分なり、表面的な言葉で表現できないものを、言葉の組み合わせや音の響きや見た目のイメージなどで、いくつかの意味を同時に、意図的にあるいは意図せずに無意識に表現し、鑑賞者の五感、あるいは六感に働きかけるというものだろう、ということもあり、英単語、文章を、日本語にいわゆる「直訳」することは、野暮でもあり、また不親切、もっといえば怠慢ということにならないか。
などとえらそうなことを書いてしまったが、
そういうことなら自分でやってみろということで、
自分でやってみた次第で、さらに人目にさらしてみた次第。
ディランの詞について思うのは、普遍的であるということ。
時代、国、人、どんな場面にもあてはまるというか、とくに今の今、すごく感じる。
ディランの詞が難解だという先入観で、詞をないがしろにするのは、あまりにももったいないと思う。
14年まえの文章から抜粋
