お題『晴れた日に』 #シロクマ文芸部
『テイクフリー』
晴れた日にため息を拾った。
幹線道路に架かる巨大な歩道橋を上りきったところで、それは埃のように頼りなく揺れていた。見つけてしまったものは仕方がない。私はさっと拾い上げてハンカチに包み、鞄の外ポケットに仕舞った。
いつ頃からこんなことをするようになったのかは覚えていない。もちろん世の中の人みんながため息を可視化できるなどとは思わない。おかしいのは私で、私のしていることは奇行だともわかっている。何か特別な思いがあるわけでも、強要されているわけでもなく、ただなんとなく気の向くままに行動しているだけだ。
拾ったため息はいつも、散歩コースの中ほどを過ぎたあたりで川に放すことにしている。どうか持ち主のもとへ返りませんように、水に流せますように、とささやかな祈りをこめて。
だけど今日は、晴れていた。ひと欠片の雲もなく、明るく伸びやかに青が広がっていた。きっとこの晴天は、やっとの思いで階段を上り終えて息をついた人の、ささやかな憂うつなど気にも留めないのだろう。あまねく降りそそぐ陽光が残酷に思えて、私はビルの間の薄暗い路地に逃げ込んだ。
コンクリートの湿った匂いが表通りの喧騒をやわらげて、幾分かはほっとできる。ポケットから取り出したため息を手のひらに乗せ、注意深くこまやかに眺めてみた。しかしよく観察したところで、内容がわかるわけではない。寄る辺なく震えるそれを、実のところは持て余していた。
省エネモードの自動販売機が、雑居ビルのエントランスの奥で最小限の明かりを灯している。手前には簡素な長机があり、五階にある英会話教室と二階のインド料理店のチラシが並べてあった。「ご自由にお取りください」と書かれた紙は薄茶けていて、置かれてから過ぎた年月を想像させる。私はふと、ここにため息があったらどうなるだろうと思いついた。
時折強く吹くビル風になすすべもなく飛ばされてしまうのか。それとも私のように妙ちくりんな人が気まぐれに持ち帰るのだろうか。このビルの関係者ではないことに気が咎めつつ、マメに様子を見に来るからと誰にともなく言い訳をして、私は机の端っこに拾ったため息をそっと置いた。
処遇を決めたことで安堵した私の口から、長細いため息がこぼれる。ついでにそれも並べておいて、私は散歩に戻った。ほんの小さないたずら心が巻き起こす事態を知りもしないで。
(了)
こちらの企画に参加させていただきました。
