インド旅日記
光の祭と帰り道
短い休憩を取ったあと、帰路のトレッキングが始まる。といっても、車道を歩くとはいえ、通る車はほとんどない。ときどきバイクが唸り声を上げて通り過ぎ、また静寂が戻る。音のない風景の中で、靴底の音だけがリズムになっていた。
ママの説明では、この道の途中に滝があるという。撮影のため、帰り道を少しずらして歩いているらしい。4時間ほど経った16時過ぎ、ようやく滝に到着する。陽は傾き始めていたが、観光客は一人もいない。水飛沫が霧となり、夕陽を受けて金色に光る。疲労と静寂が混ざり合い、妙に現実感が薄い時間だった。
撮影を終える頃には夕暮れ。さらに1時間ほど歩いて、小さな村に辿り着く。ここからシェアジープを拾って、チョークティアまで戻る予定だった。
だが、村の運転手たちは口を揃えて「3倍の料金だ」と言う。理由は簡単。ディワリだった。
ディワリとは、ヒンドゥー暦の10月または11月の新月を中心に5日間続く、インド最大の祭りである。「光のフェスティバル」とも呼ばれ、富と繁栄の女神ラクシュミを祀る。暗い新月の夜、ランプの光で闇を払い、女神を自宅に迎え入れる――そんな祝祭だ。
この時期、北インドでは『ラーマーヤナ』を演じる「ラムリラ」も各地で上演されており、チョークティアの町でもディワリの期間中、毎夜この劇が催されている。
自分もママたちに誘われて少しだけ顔を出した。何度か観覧した経験もあり、また地域のどんど焼きに外国人が混ざったような空気に、いつも居づらさを感じ、今回も早々に退散した。子供と家族のための行事に、旅人が居座るほど図太くもない。
話を戻すと――ディワリの時期は、誰も働きたくないのである。3倍の値段をふっかけるのも、「神様がそう言ってるから」くらいのノリで値段が決まる。
つまり――「払うか、歩くか」。
自分たちは後者を選んだ。矜持というより、敗北感を伴った意地にも近いが、乗せたくないと言う運転手に頭を下げて、金に物言わせるのも自分達らしくないと言えば格好もつく。
しかし平坦とはいえ、チョークティアまでは8キロ。昨夜ほとんど眠れず、朝から山を下り、さらに滝を経て、まだ歩く。疲労の限界で笑うしかない。途中、道端に転がる日本のより2回りはデカい松ぼっくりを蹴りながら、ただひたすら前へ進んだ。
1時間ほど経つと、辺りは真っ暗になった。
蹴り飛ばしていた松ぼっくりも、どこかに消えた。
その時、道端に一軒のチャイ屋が見えた。灯りがともり、笑い声が響いている。村人たちが宴会をしていた。ピケが話し掛けられ、事情を説明すると、酔っ払いのオジさんが「チョークティアの手前まで帰るから、乗っていけ」と言う。バイクは1台、こちらは4人。インドでは3人乗りくらいまでは法律より信仰の方が強いが、オジさんは2往復してくれると言い出した。
申し訳なさとありがたさが同居したまま、ここから更に1時間歩くくらいなら、異国の地での旅の恥は搔き捨てと、バイクの後ろにしがみつく。夜風が、顔を切るように冷たい。
ママの家に着いたのは、22時半。
ドアを閉めた瞬間、身体の芯から冷気が抜けていくのがわかった。
そのまま、何も考えずに寝落ちた。
夢も見なかった。たぶん、神様もディワリ休暇中だったのだろう。
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