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インド旅日記


山の上のキャピタリズムと光るシヴァ神


目を覚ますと、寝起きのチャイと軽めの朝食が用意されていた。

昨晩は3年ぶりに再会を果たした旧友との晩餐もそこそこに、日付が変わる前には寝落ちしたと記憶している。時計を見ると、すでに朝の8時を過ぎていた。


インド人のママ、ピケ、ゴルの3人はすでに起きており、自主制作映画のロケ撮影の準備と朝食の支度を同時にこなしていた。

それらを「朝飯前だよ」と軽く片づけると、我々はママの家をそそくさと後にした。


バス停には、発着を待つ人々とバスのほかに、シェアジープも何台も並んでいる。

ママはその中から適当に1人を選び、ヒンディー語で何かを尋ねる。運転手と思しきその男は断るような仕草をして、別の方向を指さした。その指の先に向かうと、ようやく乗れそうな1台を見つける。


運転席を含め13人乗りのシェアジープ「ボレロ」。

すでに何席か埋まっていて、満席まではあと数席。出発の合図とともに、車はドワラハットを経由し、山道へと入っていった。


およそ1時間ほど走ると、「パンドゥコリ」という山の頂上へ続く登山道の入り口に到着した。

そこにはママ行きつけの友人が営むチャイ屋があり、我々はそこで早めの昼食をとる。正午を過ぎた頃、登山道へと足を踏み入れた。


通常の登山行程なら、頂上まで2時間ほどの道のりだという。だが今回は撮影をしながらの道行きだ。

立ち止まり、角度を変え、動画を確認し、また歩き出す。登山よりも撮影の方が本命なのだ。


やがて日は暮れ、山の夜は早く一気に暗くなる。

バックパックからヘッドトーチを取り出し、さらにゆっくりと歩を進める。

午後7時、あたりが完全な闇に包まれる頃、ようやく頂上のアシュラムにたどり着いた。


ここで少し説明を挟んでおく。

アシュラムとは、ヒンドゥー教における精神修養の場であり、もともとはグル(師)とシシュヤ(弟子)が共同生活を送り、修行を行うための庵や修道院のような施設だ。自然に囲まれた人里離れた場所に建てられることが多く、滞在者はヨガや瞑想、儀式を通じて解脱を目指す。

共同で食事や掃除といった奉仕活動(カルマ・ヨーガ)を行いながら、師の教えに従い規律ある生活を送る場所である。


ビートルズが1968年、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのアシュラム(現・ビートルズ・アシュラム)に滞在して瞑想修行を行ったのは有名な話だ。

その経験は後の『ホワイト・アルバム』にも影響を与えたとされる。


もっとも、現代では「アシュラム」といえば、リシケシュなどで外国人が参加する“リトリート”施設のようなものが主流になってしまった。

日常から離れ、精神的な体験を“味わう”保養地。言ってしまえばスパや健康ランド、あるいはスーパー銭湯の類である。資本主義の波は聖域にも届いた。


それでも、本物のアシュラムやサードゥ(修行僧)は今もなお存在する。

お金ではなく宗教哲学に基づく生活を貫き、自然とともに修行を続ける者たち。

かつてはそれが当たり前だったのだろう。しかし今や、ヨガ業界もライセンスビジネスと化し、“本物の教え”は遠ざかってしまったのかもしれない。


7、8年前にママが訪れたというこの山頂のアシュラムは、昔ながらの厳格な修行を行っており、奉公をすれば一宿一飯の施しが受けられたという。

雰囲気のある、良い場所だったとママは話していた。


だが、頂上に近づくと、闇の中にやたら明るい光が見えた。

シヴァ神の偶像にライトアップが施され、境内は妙に整備されている。嫌な予感がそこには確かにする。

固く鍵がかけられた門の鈴を鳴らすと、若い修行者のような青年が現れた。事情を話し、一夜の宿を頼む。

だが、最初は入場すら断られる。


ママが「遠く日本から修行に来た男を追い返すのか」と演説めいた口調で押し切ろうとするも、グルと思しき僧に説教を食らう羽目になった。

結局、1人500ルピー、計2000ルピーを支払って、電気の通わない部屋に通される。

どう見てもキャピタリズム丸出しの“商業アシュラム”である。もしかすると予約が必要だったのかもしれない。


その後、精進タリーが配膳された。

これがまた、質素ではあるもののびっくりするほど美味かったのである。



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木の洞


登山道入口のチャイ屋の店主の作品


アシュラムの食堂

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