結婚してくれ #これからの家族のかたち
よく〝結婚したい〟と思う。
結婚してるのに。
結婚がイコール幸せではない事例もたくさんある。
むしろ私の身の回りの同級生で結婚した人のほとんどが離婚してるし。
私自身も、結婚してもさみしさがなくなるわけじゃなかったから、その点に関してはとてもショックである。
たださみしさは、猫を飼ったってエッチなお店に行ったって、何をどうしたって埋まらないということがわかった。
どちらかと言うと空腹に近い。
満腹になってもしばらくしたらお腹がすくように、一時的にさみしさが埋まることがあっても、ずっとは続かない。故にその都度埋めるしかない。
そも結婚したって血はつながらないし。
書類1枚じゃ血縁のある家族になることはできない。
見様見真似で、ままごとみたいに家族を作ったけど、結局はごっこ遊び。
や、友達だって友情ごっこでしかなかったけど。
血のつながりがあろうとなかろうとみんな他人だよ。
なんて言うと怒られるのかな。
怒れる人はきっと、円満な家庭を知っている人だろうから、私はうらやましいと思う。
定型の人間関係なんてないのに、「家族ならこうあるべき」みたいな、理想像なのか多数派のイメージなのか。
私の生まれた家庭はハナから機能不全だった。
いつかもし子供が生まれたら世界で二番目にスキだと話そうなんて、とても素敵だと思えない。
愛情に1番とか2番って順位をつけだしたら、まだ見ぬ誰かと出会ったときに、その順位は更新され得るものになる。
でも人を愛することが素晴らしいことであるなら、たくさんの人を愛せることは、たくさん素晴らしいことになるんじゃないのか?
や、実際に複数の人を同時に愛していると、浮気とか不倫ってことになるんだけど。
長く生きていればそれだけたくさんの人と出会うのだから、好きな人が増えていくほうが自然に感じる。
為念。アロマンティックが不自然と言いたいわけではない。
むしろ異性愛規範と恋愛至上主義と性愛と恋愛の同一視が悪魔合体するから、セックスレスが悩み事になるような。
若いカップルが「付き合ってるんだから、するのは当たり前」とパートナーに性交渉を押し切られる形のデートDVも同源。
性的指向だけでなくアセクとかアロマとか、性愛や恋愛との距離感自体の多様性も当たり前のものになっていったらいい。
つきあってたらセックスしなきゃいけないなんて、枷でしかない。
最大限でハグとかでいいよ。
美術館とかカラオケとか保護猫カフェとか、一緒に行ってくれるなら十分楽しいじゃん。
家族と恋人と友達と同僚と、何が違うのだろう。
家族は生計を共にする点がエクスクルーシブかもしれない。
でもルームシェアとか、〝ひょんなことから始まる奇妙な共同生活〟とかあるしなー。
私もニートだった頃は、よく友達に飲み代を出してもらっていた。とても申し訳なかった。
お陰で今は働いてるから、むしろ家賃が払えないって泣きついてきた友達の家賃を払ってやれるようになったよ。
うちは子なしフウフだし。自分の人生で何人を幸せにできるのかなあ。
みんなと結婚できたら、家族になれたら良かった。
そしたらけんかしても、家族でい続けられたかもしれない。
むしろ実母とは、縁が切りたくても切れなくて悩まされているくらいだし。
健康な人しか生きていけない時代が来るのだろうか。
元来そうだったとも言えるけど。
助け合うために社会があるのだと思っていたから、施政者たちがなりふり構わず弱者切り捨ててドン引きですよ。
