【短編小説】JAM #シロクマ文芸部
曇り空が森の木々に重たくのしかかっている。
どんよりとした鈍色が、朝からおれの気分をうんざりさせていた。
こんな日はろくな事がない。
そんなことを思っていたら、案の定だ。
顔のない男が扉の向こうに立っていた。
どこから声を出しているのか、かん高い声で「ごめんください」などと言っている。
手に握っためん棒の感触を確かめる。一歩でも扉を越えてきたら、顔があったであろう場所にめん棒を突き立ててやる。
ここは、おれの聖域だ。顔があろうがなかろうが、関係ない。──やってやる。
部屋の中を挽きたての小麦の粉が舞っている。
窓から射し込んだ光が、その微細な粒子を浮かび上がらせていた。
男がついに1歩踏み出したのを見て、おれはめん棒を振りかぶった。
腹に気合いを込め、顔のない男めがけて突進しようと腰を落とした。
「ぼくに、顔を作ってくれませんか?」
唐突に、顔のない男がそう言った。
*
山奥にポツンと建つ、このログハウスでパン屋を始めて5年になる。
【ベスト・オブ・モンディアル・デュ・パン】という権威あるパンコンクールがある。
7年前にそのコンクールで優勝したおれは、青山の1等地の誘いを蹴ってこの森の中に店を建てた。
驕りがなかったと言えば嘘になる。
うまい水にうまい空気、大自然の中でおれの最高のパンを食べさせたかった。
客は多くなくていい。
分かるやつだけに、分かればいい。
しかし現実は甘くなかった。
最初の1年はメディアに紹介されたこともあり、客足は順調だった。
2年目、3年目になると徐々に客足は遠のき、今週はまだひとりも客が来ていない。
冷静に考えれば、それもそうだ。
車も入って来れないようなこんな山奥に、わざわざパンを食べにくるようなやつは余程のもの好きだろう。
だが、おれはまだ諦めていない。
交通の便を言い訳にはしない。
まだ、おれのパンが至高の域に達していないだけだ。
一度食べたら二度とおれのパン以外は口にしたくなくなる、そんな麻薬のようなパンを作るべく、日夜パン生地をこねている。
*
そんなおれのもとに、この珍客だ。
顔を作るだと?
おれのパンは食べるもので、首の上に乗せるものじゃあない。
だから、そう言ってやった。
「顔?なんでおれがお前の顔なんぞ作らにゃならん。おれのパンは食べるもので、乗せるものじゃねえ」
顔のない男は、相変わらずどこから出ているかわからない声で、大げさな身ぶり手ぶりを交えながら答えた。
「ぼくは、ヒーローになりたい。お腹を空かせた可哀想な子供や動物たちに、あなたのパンを食べてもらいたいんです」
何を言っているんだ、こいつは。
薬でもやっているのか?
大げさな動きもますます怪しい。
おれのパンを食べさせるのは同意だが、なぜ顔にする必要がある?
「そもそも、どうして顔がない?どうなってるんだ?」
うるさく動いていた男の動きがピタリと止まった。
さすがに不気味さを感じざるを得ない。
「ぼくも、よくわからないんです。気付いたら、こうでした。いや、気付いたらというか、そもそもが、こうでした」
男はピクリとも体を動かさず、ボソボソと呟くようにしゃべった。
むくりとおれの中で、こいつに対する同情心が湧いてきてしまった。
昔からそうだ。
道端に捨てられた犬や猫を見ると、つい拾って帰ってしまう。
おかげでこの山奥でも淋しい思いはしていない。
連れてきた5匹の犬猫たちと一緒だからだ。
「──わかったよ。それで、どんなパンを作ればいいんだ?」
おれはあきらめてこの男の顔を作ってやることにした。
どうせ客も来ない。
余らせたパンは自分か犬猫たちの腹に収まるだけだ。
それに、興味も湧いてきた。
この男の首の上に乗せるならば、どんなパンがお似合いだろうか。
「ありがとうございます!そうですね、ぼくはあまりパンに詳しくないのですが──1番得意なパンなどはどうでしょうか?」
「ふん、いいだろう。そこの椅子に座ってちょっと待ってろ」
バゲット。
フランスパンとも呼ばれる、おれの1番得意とするパンだ。
シンプルながらとてつもなく奥が深い。
クープ──火の通りや形を良くするための切り込みのこと──の入れ方ひとつ取っても、職人によって千差万別だ。
数時間後、焼き上がったバゲットを窯から取り出した。
クープの形も焼き色も、申し分ない出来映えだ。
男は大人しく椅子に座ったまま、おれの作業をじっと見詰めていた。
いや、見詰めていたかはわからないが、とにかく大人しくしていたことには好感を持った。
「出来たぞ。──それで、どうしたらいいんだ?そこに乗せればいいのか?」
「はい!お願いします!」
男の嬉しそうな様子に、少し照れた。
人付き合いはあまり得意ではない。
かえってぶっきらぼうになってしまい、投げるように置いたバゲットは、男の首の根本に刺さるようにそそり立った。
「ありがとうございます!元気10倍です!さっそく、可哀想な子供を探してきます!」
そう言うと男は店を飛び出して行った。
「お、おい!ほんとにそれでいいのか──」
おれの問い掛けは、誰もいない空間に虚しく吸い込まれた。
*
数時間後に男が帰ってきた。
自信作のバゲットは半分の長さに折れ、体には木の葉がまとわりついている。
「──どうだった?」
男はバゲットの頭を悔しそうに左右に揺らす。
「ダメでした。お腹を空かせた子どもたちはいたんですが──なんだか怖がられてしまって。石を投げられました。逃げ出した先に崖があって……」
それはそうだろう。
バゲットは30センチを越える長さだ。
この男の身長を合わせれば、有に2メートルを越える。
バゲット頭の大男が近寄ってくれば、石を投げるのも致し方ない。
子供たちを責めるのは酷というものだ。
「だろうと思ったよ。次はこいつを試してみろ」
そう言うとおれは、先程焼き上がったばかりの巨大なベーグルを男に投げてよこした。
ベーグルは半折れのバゲットを押しのけるように、男の首の上におさまった。
「うわ!ありがとうございます!今度こそ子供達に、こいつを食べさせてみせますよ!」
なんだか、無理やりパンを食べさせる犯罪者に見えるのは気のせいだろうか。
男はベーグルを頭に乗せると、再び外に飛び出していった。
「──さて、次は何を作るかな」
日も暮れかけた頃、男は再び戻ってきた。
コンクールに出しても審査員を唸らせるだろう、会心作のベーグルは、しなしなにしおれていた。
「──どうだった?」
男はしなびたベーグルを撫でながら、申し訳無さそうにうつむく。
「水を、掛けられました。真ん中に空いた穴が、怖いと」
くそっ、噛みしめるほど小麦が香るバゲットも、もちもちの食感が癖になるベーグルも、食べてもらわなければどうにもならない。
「あのー、目や口などを付けてもらうわけには、いかないでしょうか?それと、できれば子どもたちの好きな甘いパンとか、もしかしたらいいのかもと、思ったり、思わなかったり──」
「おい、おれに、キャラクターパンを作れと、言っているのか?」
キャラクターパンを下に見るわけではないが、おれはパリのコンクールで優勝したパン職人だ。
そのおれがキャラクターパン──だが、やつの言い分にも一理ある。
納得のいかない顔で渋々パンをこね始めた。
目や口を付け、中身に甘い餡を入れた。餡は京都の大納言小豆で作った餡だ。
焼き上がったパンをベーグルの代わりに置いてやった。男は嬉しそうに自分の顔を撫でている。
「これは元気100倍、勇気リンリンですよ!行ってきます!」
理由のわからないことを言いながら、男は三度店を飛び出していった。
数時間後、顔の無くなった男が店の扉をくぐってきた。
おれとやつは無言で見つめ合った。
見つめ合えていたかは疑問だが、やつは飛び跳ねながら言った。
「やりました!全部食べてくれました!こんな美味しいもの、食べたことないって、言ってくれましたよ!」
昔感じたことのあるような、懐かしい喜びがおれの心をじんわりと温めた。
そうだ。
おれは何を思い上がっていたんだ。
おれの作ったパンを、誰かがうまいと言ってくれる。
ただ、それだけでよかったんだ。
おれは口元がにやけるのを必死に隠しながら「そうか」とだけ呟いた。
そう言いながら、既におれの手は次のパンをこねていた。
「おれの名前は、ジャムだ。お前は?」
男は嬉しそうに手足を動かしながら、その名前を口にした。
「ぼくの名前は──」
若かりし頃の彼らの出会いを夢想してみました。
おそらくおじさんが尖っていた頃もあることでしょう。
そして、書いたあとに思いました。
あれ?フランスパンマンなんて、いないよな?いない…よな?
ググったところ、おりました。

フランスパンマンでこそありませんでしたが、ムッシュがおりました😅
ベーグルパンマンは幸い存在しませんでしたが、ちゃんと調べてから書くべきでした。
ファンの皆さま、やなせ先生、お許しくださいませm(_ _)m
ちなみにめん棒は耳掃除の綿棒でなく、パンをこねるこちらのめん棒です。

耳掃除の綿棒でも面白いは面白いんですが😅
小牧幸助さまの企画 シロクマ文芸部「曇り空」に参加させていただきました。 よろしくお願いします。
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