鹿が踊り、馬は恋する遠野
五月、妖怪及び動物調査を実施するため、岩手県遠野市に行ってきた。
なんでもこの町では河童の捕獲が盛んに行われているそうだ。

この町の河童は赤いんだそうだ。と友達に教えてもらったのだが、赤といわず緑といわず、いろんな色の河童が町中溢れかえっていた。
遠野は河童の捕獲許可証をバンバン発行しており、河童の個体数はおそらく遠野物語著作時より減少しまったのだろう。今回は活動状態の河童には出会えずじまいで、木化した河童を捕獲するにとどまった。本屋で捕獲したからきっと本好きの河童に違いないと思う。

河童の捕獲をしにきた伝承園で、とある情報を入手した。この伝承園には馬と人の夫婦がいるのだそうだ。
その夫婦の物語がこうだ。
ある家で、娘が馬と恋に落ちた。娘の父親は娘と馬の仲を嫌い、馬を憎んで殺してしまう。そして娘も馬の死を悲しみ、跡を追って死んでしまった。馬と娘は死後に結ばれたのだそうだ。
だいたい異種婚姻というものは、動物側が人間に化けたり、人身御供として動物と結婚させられたりが多いような気がするのだが、この町では馬の姿のまま娘から愛されている。しかも相思相愛である。しかし、やはり異種婚姻というのはうまく行くのが難しいようで、彼らは死んでしまった。だが、この話には続きがある。
その後両親を心配した娘が、馬の頭を持つ蚕を両親に授けたのだそうだ。それが養蚕の始まりであり、娘と馬は養蚕の神となり、オシラ様と呼ばれる様になった。
死後、彼らは信仰の対象になったのだ。
伝承園にはそんな馬と人の夫婦オシラ様の祀られたオシラ堂があり、壁いっぱいにオシラ様の像が置かれている。

かつて農耕や運搬、交易のために遠野では馬が重宝されており、馬っこと呼ばれ家族の大切な一員とされてきた。遠野でかつて見られた曲り家と呼ばれる構造の家屋は、住居と厩が連なっており、人と馬が一つ屋根の下で暮らしていた。馬と人が密接に関わる町では馬と人も恋に落ちてしまうのだろう。
馬と人の恋物語に想いを馳せたあと、この町の鹿が見れるらしいとの情報を聞きつけて、私は遠野南部神社へと向かった。なんでも、遠野を含む岩手県にはニホンジカの他に姿形がだいぶ違う鹿がもう一種いるそうだ。
この鹿は、牛の角と龍の鼻を併せ持ち、髭は馬の尾、腰には山鳥の羽、頭から背中にかけて柳の木などをカンナで薄く削ったカンナガラが流れている。

唯一鹿の特徴は、「目」らしいのだが、野生動物の鹿がつぶらで黒目がちなのに対して、しし踊りの鹿は目が吊り上がり白目が大きく、こちらを睨め付けてくる。
白目が外から見えるというのは、人間に代表される特徴であり、視線を伝え表情を作る、コミュニケーショを行う上で重要な役割を果たすとされる。つまり、この目はどちらかというと人間的な目であるのではないかと思う。
さらに、いわゆる一般的な日本の獅子舞に比べると、白目がちの目が蛙の様に黒い顔の上方に飛び出しており目を惹く。
本来意思の疎通ができない野生動物とされる鹿が、もはや鹿には見えない異形となり、ギョロリとわれわれを見下ろして、意思を伝えようとしてくるのである。
それは結構不気味だ。
遠野の鹿は踊る。

鹿踊り(ししおどり)と呼ばれるその踊りの始まりは定かではないが、狩猟でとった鹿や猪、カモシカへの供養なのではとも言われている。「しし」とは主に人間が食用とする猪や鹿などの獣全般を指す古語である。
だから遠野の鹿たちはきっと鹿を含む自然への、親しみと畏敬の念の集合体の様な姿なのだろう。だからもしかしたら、鹿踊りの「しし」とは獣と、鳥と、木と神獣の特徴を持ち、人の意思を持つ、そんな生き物なのかもしれない。
鹿が笛と太鼓の音に合わせて激しく踊るたびに、カンナガラがちぎれて舞っていく。
カンナガラは神道の古語では、「神の意のままに」という意味を持つ。だとしたら、鹿が伝えようとしている意思とは、神の意思なのではないか。
私は遠野南部神社で鹿の観察を行った。鹿は祭礼奉納のために踊っていた。信心深い鹿である。
私は狸が好きだ。なので、旅の締めくくりには狸に出会わねばならぬ。
こんなに人と動物の関係が深い町なのだから、狸くらいいるだろうと歩き回っていると、いた。

狸はケーキに化けていた。
どうやら調べてみると、近隣に8軒ある菓子屋のうち4軒で狸ケーキが売られている。
ケーキ化けが大流行である。
遠野物語拾遺では狸が人間を化かして婚礼のご馳走を貪り食う話が残っている。
現代の狸は人のものを食べるどころか、人に食べてくれと言わんばかりのケーキ姿なのだが、大丈夫なのか。と遠野の狸の弱体化を心配しながら、私はタヌキケーキの捕獲を行った。
4軒のタヌキケーキを食べ比べてみた、私のおすすめは「つるた菓子店」。しらふのたぬきと酔っ払いたぬきがおり、他では味わえないこだわりのある狸ケーキだった。夏には山に帰っちゃうみたいなので、注意!

遠野では、妖怪も動物も人のすぐそばに暮らしていた。つかず離れず絡み合いながら。おそらくは昔から、ずっと。
