三賢者と「ぼくは、」―器がないのに水を注ぐなかれ―
ぼくは、勉強が頭に入ってこない。
ノートを開いても、ただ風がページをめくるだけ。
「なんで覚えられないんだろう」と思うほど、心のなかに靄がかかっていく。
そんなときだった。
遠くで小さな焚き火が燃えていた。
三人の男が、まるで時代の境界線を踏み越えてきたようにそこにいた。
一人は、裸足で空を指さしている。
一人は、膝にノートをのせて何かをじっと読んでいる。
もう一人は、何もせずただ草の上に寝そべっていた。
「おや、なにかを詰め込みすぎてこぼれそうな顔をしてるね」
そう言ったのは、空を指さしていた男――ディオゲネスだった。

「詰め込もうとなんてしてないよ。
ただ…覚えられないだけだ」
ぼくは、反射的に言い返す。
「ふむ。それはつまり器がまだないのに水を注いでるということさ」
「器?」
「そう。勉強ってのは器があってはじめて入る。
器ってのは“思考の型”だ。哲学だよ」
「でも、学校ではそんなもの教えてくれない」
そう呟いたぼくに、もう一人の男――モンテーニュが、優しく口を開いた。
「哲学はどこででも学べる。
机の上だけじゃない。
むしろ哲学は“自然”に触れることで根っこから芽を出すんだ」
彼は指で草を撫でながらつづけた。
「木を見てごらん。太陽に向かってまっすぐ伸びてる。
でもね、見えないところ――根っこが深く張られてるんだ。
勉強っていう“枝”を育てたければ、まずは“根”を育てなきゃ」
ぼくは、木を見上げた。
横で何も語らなかったソローが、そっと目を開けて風を聴いていた。
「根を育てるって、どうすれば?」
「まずは、世界に触れることさ」
ディオゲネスがまた語った。
「朝焼けの色、石の冷たさ、人の言葉の裏にある沈黙。
それを感じる。そこから“なぜ?”と問うんだ」

「なぜ?」
「なぜ木はまっすぐ伸びるのか? なぜ自分は焦ってるのか? なぜ勉強が必要だと思ってるのか?
この“なぜ”が君の器を磨いていくんだ」
「でも、そんなの遠回りだよ。みんなテストで点を取って、先に進んでるのに…」
モンテーニュが笑った。
「焦ることはないよ。枝が先に伸びても、根がなければ嵐ですぐ倒れる」
ソローが静かに立ち上がり、ぼくの肩に手を置いた。
その手は冷たかったけれど、どこか深い森のようなぬくもりがあった。
「君はまだ、学ぶ準備ができていないんじゃない。
学ぶ“土壌”を育てている最中なんだ。
それは誰にも見えないけど、一番大事なことなんだよ」
その夜、ぼくは星空を見ながらこう思った。
勉強って、知識の詰め込みじゃなかったんだ。
それはきっと「ぼく」という器をつくる旅の途中にあるものなんだ。
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