三賢者と「ぼくは、アリョーシャを見つめる」
ぼくは、アリョーシャがわからない。
優しく、正しく、揺れない。
でも、その優しさは「誰かを選ばない」ようでいて僕には痛い。
彼は誰の課題を背負っている? それとも…全部手放してるのか?
そして、何をもって愛と呼ぶのか―
夕暮れの修道院跡。
風が静かに吹き、鐘の音が遠く響く。
そこに賢者が現れる。
「アリョーシャは“父殺し”の悲劇のただ中にいる。
そして、彼の優しさは“罪責の転移”かもしれない。
彼は“父”を赦すことで、自己の深層にある矛盾を昇華しようとしている。
だが、その愛も防衛機制かも」
「いいえ、アリョーシャの愛は計算されていない。
それが真の愛。
彼は課題を分けてなんていない。
すべての痛みを“わたしの痛み”として受け止めているのです。
神は選り分けることなく降りてくるのですよ」
「いや、アリョーシャは見事なまでに課題を分離している。
誰の課題なのかを見極め、手を出すべきでないものに“共に在る”という形で寄り添っている。
これは愛の形をした“勇気”なのだ」
ぼくは、頭を抱える。
「でも、アリョーシャは“誰も救えなかった”じゃないか。
イワンの虚無、ミーチャの激情、スメルジャコフの絶望……
愛していたなら変えられたはずだ。
いや、変えるべきだったんじゃないか?」
フロイト:
「他者を変えようとするその欲望が、すでに“父性”の繰り返しでは?」
アドラー:
「“変える”ことは、他者の課題だ。“信じる”ことは、あなたの課題だ」
マザー:
「変えることはできなくても愛することはできる。
それで充分よ。
“私たちが果たすべきこと”はただ隣にいること。
奇跡はいつもその先で生まれるの」
ぼくは、静かに目を閉じて言う。
「課題を分けた先に愛が残るなら、僕はそこに立ちたい。
誰かを救う力はなくても、誰かを信じる勇気なら持てる気がする」
遠くアリョーシャの微笑が浮かぶ。
それは何かを判断する笑みではなく、ただ「存在すること」への祈りのようだった。
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