三賢者と「ぼくは、魔女を知らなかった」
ぼくが最初に“魔女”という言葉を耳にしたのは、凍てついた冬の日だった。
隣村で子どもが病で死んだらしい。
母親は泣いていた。
でも、人々は首を横に振りながらこう言った。
「あれは魔女の仕業だ。あの老婆、畑に何かを撒いていたと聞く。」
そのとき、ぼくはまだ「魔女」が何か知らなかった。
けれど人々の目がひとつの身体に“すべての苦しみ”を集約する瞬間をぼくは見た。
やがて町には書物が届いた。
『マレウス・マレフィカラム(魔女への鉄槌)』。
修道士クラマーによって書かれたその本はこう記していた。
「悪魔と交わり、夜に飛び、人畜を損なう女たちがいる。
疑わしきは罰せよ。拷問によって真実は白日の下に晒される。」
ぼくは司祭がその本を朗読するのを聞いた。
言葉は火のようだった。
そして民は信じた。
言葉が「神の意志」と重なるとき、証拠など要らなかった。
ある朝、鐘が鳴った。
誰かが告発されたのだ。
まずは疑い。
つぎに証人。
そして拷問。
痛みに耐えられなかった者は「悪魔と契約した」と告白した。
それが「証拠」となり、新たな告発を生んだ。
狩りは終わらなかった。むしろ、自己増殖した。
それはもう信仰でも義憤でもなく、“手続き”だった。
町に配られたパンのように、日常に魔女狩りはあった。
火刑台で女が叫んでいた。
その目は、何かを訴えていた。
でも誰も言葉を返さなかった。
ぼくはその場にいた。
ただ立っていた。
誰かの娘だったかもしれない人が焼かれるのを、ぼくは見ていた。
「なぜ、誰も止めないのか?」
その問いは、炎の中へ消えていった。
ぼく自身がそれを声にできなかったからだ。
そしてある年、“問う者”たちが現れた。
シュペー神父は叫んだ。
「拷問による告白など、信仰でも正義でもない!」
『Cautio Criminalis』は人々に問いを投げた。サラサル・フリーアスは記録した。
「告発7,000件のうち、有罪たる証拠は皆無である」
スペインでは裁判が停止され、火は消えた。一部の裁判官は気づき始めた。
「我々が燃やしていたのは、“悪”ではなく“不安”だったのでは?」
ぼくは驚いた。
火刑ではなく、「問い」が“火を消した”のだ。
時代は移り変わり、
火刑台は取り壊され、
『魔女への鉄槌』は埃をかぶった。
でも、ぼくの中にだけは問いが残った。
「あのとき“言葉”を持てたなら、ぼくは何をしただろう?」
ぼくは今、スマホを見ている。
画面の向こうで、誰かが「炎上」している。
根拠も曖昧なまま「悪」とされている。
指は、スクロールしてしまう。
目は、背けようとしている。
でも、耳の奥であの声が残っている。
「なぜ、誰も止めないのか?」
「ぼくは、再び傍観者になるのか?」
それとも。
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