幾多の命へ捧ぐる曲|雨風夕日

雨風夕日
作詞・作曲|U
朝 逃げ遅れた 祈りを照らす
風 集め始める 破片を乗せて
雨 終りのない 哀しみを流す
夜 新たな粒子 光に変わるだけ
空 見下ろす雲は 星のため息
赤 夕日が溶かす 地平線
影 野うさぎ跳ねる その鼻先
青 深い宇宙 ただ広がり続ける
誰もが孤独な原子 重なり引き合う波
螺旋が織りなす生命 瞬きの連鎖
サヨナラ サヨナラ サヨナラ
サヨナラ サヨナラ サヨナラ
スズ ガザ イスラム ハマス クリミアに吹く風 名も知らぬ少年
カミシュリ ムンバイ ジュパ 方舟に降る雨 ケルズの少女
サヨナラ サヨナラ サヨナラ
サヨナラ サヨナラ サヨナラ
サヨナラ サヨナラ サヨナラ
サヨナラ サヨナラ サヨナラ
雨風夕日

【曲作りの経緯】
緊急事態宣言が解除され、閉塞感が薄らいだ後、2022年ウクライナ侵攻、2023年ガザ侵攻を受けて、『いのち』が断末魔のような叫び声をあげたときに作った曲になります。今尚、この曲を聴くと、人間の手がもたらした無惨で惨烈な場面がフラッシュバックのように明滅し、暗転した胸が苦しさと痛みを感じます。亡くなった命の冥福と、日常を奪われたこどもたちに再び無垢な笑顔が戻ることを願わずにはいられません。
今でこそ、トラウマやPTSDという言葉は、市民権を獲得してよく知られるようになりました。このトラウマやPTSDが世間に知られるきっかけとなったのは、ベトナム戦争であることは、トラウマの専門家の間では有名です。
二〇二二年一月には、『複雑性PTSD(以下、CーPTSD)』が疾患として認められました。同時に、その原因として『小児期逆境体験(以下、ACEs)』も認められることとなりました。ACEsは、端的に言えば、こども時代のつらい経験のことです。
ACEsには、虐待、DV、兄弟間差別、無視、死別、親の精神疾患・依存症などが含まれます。それらは、PTSDよりも複雑な症状を長きに渡って引き起こし、こどもひとりの人生を凄惨なものへと変えてしまいます。これは、全身疾患として現れます。
例えば、愛着障害、発達障がい、気分障害、不安障害、睡眠障害、気管支疾患、消化器疾患、免疫性疾患、慢性疼痛、線維筋痛症などが当てはまります。まさに、全身を生涯に渡り蝕みます。
わたしたちの暮らす世界では、物理的な世界のみならず、デジタル空間の世界が広がっています。どちらの世界でも、CーPTSDは起こりえます。これを読んでいるあなたも、他人事ではありません。なぜなら、PTSDやCーPTSDは、人間ならば誰しもが罹患する可能性のある病だからです。わたしたちは、日々、情報の波によって危険に晒され、心と命を傷つけられる可能性を孕んだ世界で生きています。
無自覚な世界や情報や言葉によって傷を負ったひとの、その深い傷がすこしでも楽になり、癒しの旅を始められることを願ってやみません。
心に深い傷を抱えながらも、今、そこで、踏ん張っている、しがみついている、泣き叫んでいる、嘆き悲しんでいる、耐え忍んでいる、闇に震えている、不安に苛まれている、それでも生きているすべての命へと向けて、あなたへ、あなたへ、あなたへ、あなたへ、あなたへ、あなたへと向けて、この言葉とともに、
二〇二五年一月現在、もう一度、この曲を弾き語り始めています。
生きていてくれて、ありがとう。

【本音|またの名をこころの内で響く音】
で、終わってればきれいに終われたところ、それじゃあ足りんことに気づいた。
(ん、どうする気よ?)
どうするもなにも、ないことにできん。というわけで、これ、書き足すことにしたよ。
偉そうなことを言いながらね、おいらは、おおばかものでした。いや、おお、おお、おおおお、おおおおおお、極大おおばかものでした。つい、さっき、気づきました。
(おおお、おま、いままで気づいとらんかったん?)
幻聴がするよ。いや、幻聴ではないよ。真実の声だよ。だって、それ、みなさんの声だもの。みなさんの、やさしい声だもの。みなさんが、必死になって、わたしへと届けてくれていた声だもの。そして、いまこの瞬間にも届けてくれている声だもの。
「こん、ばかやろう!」
おもわず、おいらは、じぶん向けて声を荒げました。しょんねーよ、ばかやろうなんだから。だけど、聞こえた、みなさんの声。届いたよ、みなさんの声。届いていたんだよ。声にならない声も、届いてたよ。何もしてないとおもってる声も、届いてるし、ただ、居てくれるだけで精一杯の声も聞こえてる、届いている。
だからね、受け取ったよ、みなさんのおもい。だからね、いまのおいらは、やさしさに包まれているよ。届けてくれた、たくさんのやさしさに。いまは、それを、ちゃんと感じている。見えている。聴こえている。だからね、ありがとう。ありがとう。ありがとうだよ。
ちょっとなに言ってるかわからない。
そういう人もいるね。いいよ。そんなことは、いまに始まったことじゃない。もう、ずっと、そうなんだから。そう、おいらはね、もう、ずっと、ぎりぎりなんだよ、そうそう、余裕なんかないの。なんかいいこと言ってるのは、空っぽだからだし、業だ、命だ、なんだって格好つけてるのは、おいら自身が格好良くなんかないから。でもね、だからね、もう一段、深く潜れたよ、さらけ出せたよ、ほんとはダサいやつなのを、そりゃ恥ずかしいよ、だって、
Uは、すべてを構成するものだ。
わたしの、からだや、あなたのnoteを。
木や、水や、火や、土や、
花や、虫や、雲や、星を。
これは、この宇宙をつくるもの。
UCHU
ほら、
宇宙は、炭素と水素とUで、出来ている。
とか言っちゃってるもの。
( ¯−¯ )←こんな顔して!
ほんなこん、よく言えたよね。はずいよ。
あほまるだしの、まるだしまるちゃんだよ!
ほれでも、よう、みんな、やさしさ届けてくれていたよ。ありがたいことだよ。ふつう、こんなやつ、スルーよ、相手してもらえんよ、だのにだよ、ありがたいよ、つながりって。ぬくといよ、つながりって。信じてもらえるって、こんなに、こんなに、こんなに尊いんだって、あらためて、教えてもらったよ。
Uは、UCHU、違かった。
Uは、優だ。やさしさの優だ。
みんなからもらったやさしさでできてるのがUだった。だから、ね、みんなの力を、やさしさを、ぬくもりを、つながりを頼って、おいらは、もうすこしだけ、できれば、もうすこしとすこしだけ、歩きたいよ、進みたいよ。這ってでも、ぶざまでも。届けるよ、やさしさに包まれながら、やさしさを。
だってね、ばあちゃんは、もう、おらんから。ほんとは、ずっと、おらんから。わかっとったよ。んだけんど、どっかで、みてるんじゃないかって、いつもおもってただよ。もう何十年、何十年経ってんのに。ばあちゃんはね、もう、おらんだ、とっくのとうに、おらんだよ。ばあちゃんは、おらんくなった。おらんくなったんよ。おいら、わかってたよ。ばあちゃんに届けたかったけど、もう、おらんから届けられんこと。だからね、おいらがとどけるのは、ばあちゃんのじゃないし、ばあちやんのかわりのひとでもない。どっちもちごうよ。おいらが届けるのは生きてるひと。おいらが手を差し伸べて、差し伸べた手をつかんでくれて、つながってくれて、おいらのことを信じてくれるひと。だれかは、だれかの代わりじゃない。ばあちゃん、ほれでいいけ?ほれでいいだよね?ばあちゃん、おいら、間違うてたかもしれん。けんど、ほれを、みんな、ぬくといやさしさで包んでくれっとたよ。ばあちゃん、ばあちゃんがほんなふうになるように育ててくれただよ。ばあちゃんのぬくといやさしさを、こんだ、おいらが、信じてくれるひとたちに届けるよ。ばあちゃん、おいらはしあわせだよ、だって、こんなにもたくさんのひとが信じてくれてるだもん。ぬくといやさしさをくれてるだもん。こんなしあわせなこんないよ。だから、もうちっと、もうちっとだけ、おいらに生きる力をください。やさしさを届けたいから。届けたいひとがいるから。みんなからもらった信頼でぬくとまったやさしさを、できたら、時空と次元を飛び越えて、響かせたいから。だから、だから、
だから、みなさん、力を、かしてください。
繰り返し間違えながら生きる自分をさらけ、慈しみ、太古から吹いてくる風になりたい
✎_U

それを祈りとよぶ
祈りは誰かに届くと優しさへと変わり
冷えた心をあたためはじめる
ひとりで届けるんじゃない
みんなで届ける
だから わたしは ここにいる
ただ ひたすらに
無心で花ひらこうとする蕾のように

(おい、最後に格好つけとるで!)
へへへ
本年もご回収よろしくおねがいします
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