FandL論 歌詞編① 『偶像讃歌』
まえがき
FandL論の歌詞編は、以前から着実に書き続けている。
ただ、完成度を上げるためにブラッシュアップに時間をかけてしまい、完成まであと一歩というところで発表のタイミングを逃してばかりだった。
だから、歌詞の評論はまだ発表できていないというのが現状なのだ。
最初に発表したかった『ロードオブフューチャー』の評論は、FandLの活動開始1年の集大成として、多乃美晴(以下「美晴」)の役割に大きく舵をとった構成にしていた。
だが、その文章を世に出す前に美晴は活動休止、そして卒業してしまった。
この後悔が今回の評論を書くことを急がせていることは間違いない。
偶像讃歌は、披露されてからまだ数回しか歌われていない。
ではなぜ、時期尚早なこの時期に評論を書こうかと思ったかと言うと、それはひとえに「タイミングの問題」である。
この曲は、いまの4人の時間に属している。
だからいま書くのだ。
FandLの曲は、基本的に応援歌の形態を取ることが多い。
不満や不安を抱えながら忸怩たる思いを胸に生きる我々を励まし、肩を抱いて共に進んでいこうと次の一歩を踏み出す勇気をくれる曲が多い。
もちろん例外はある(『ラブソング』『フロキャン!』『チンチロフィーバー』『初めまして恋心』など)。
近年のFandLは私小説的な曲が増えてきたという実感がある。
初めてそれを感じたのは『ロードオブフューチャー』だ。
この曲は彼女たちの明るい未来を歌っている。
駆け抜けてきた最初の1年の総括をしつつ、仲間とともに先に進んでいこうという意思表明の曲だ。
それに対し『偶像讃歌』は「今ここにある彼女たちの危機感、焦燥感」そういったものを歌っているように感じられる。
美晴のラストライブ翌日(12/17)に公開された最新曲『偶像讃歌』がこれだ。下記のリンクから曲を聴いてみてほしい。
【FandL新曲先行公開】
— FandL (@FandL_official) December 17, 2025
4人体制FandL最初で最後の楽曲
「偶像讃歌」
作詞:栖永みら(@Mira_FandL )/紫
作曲:飼育委員
全ての夢追い人への魂のアンセム pic.twitter.com/nfq9lhd5uv
ここから書いていくのは、すべて筆者個人の見解だ。
事実と憶測はきちんと明示して誤解のないように書くつもりではあるが、勢いで読者を混乱させてしまうとしたら、すべてぼくの責任と思っていただいて構わない。
しかし、どうしても今このタイミングで書いておかなくてはならない、そう感じている。その理由はおいおい明らかにしていく。
1)時系列の整理
今回の評論はかなりの高難易度だと個人的には思っている。
というのも、ぼくが想像するに、この曲の成立過程がとても複雑だから。
FandLというグループが置かれている現状と照らし合わせながら論をまとめていくことにしよう。
ここでは、楽曲の解釈とは切り離して、確認可能な事実としての時系列を提示する。
2025年 7月29日 FandL1周年記念ライブ開催
7月31日 FandL追加メンバー募集開始
11月26日 多乃美晴 活動休止告知
12月12日 〃 卒業告知
12月16日 〃 ラストライブ(5人体制終了)
12月17日 『偶像讃歌』MV先行公開
12月26日 『偶像讃歌』ライブ初披露
この情報を元にしてこれから書いていく以下の内容は、あくまで筆者の想像であることを記しておく。
2)『偶像讃歌』が内包するカオス
YouTubeに投稿された『偶像讃歌』を聞いてまず思ったのは、
(FandLらしからぬカオスだな)
というものだった。言葉が悪いけれど。
このMVが投稿された翌日、運営がこんなポストを投下した。
偶像讃歌の冒頭
「Never hide,my idol」
hideは”隠れる”ですが、
歌詞の中にFandLの「これまでの14曲」が隠れています
ぜひ探してみてください!
これを読んで、いくらか腑に落ちた。
詩を読みながら聞いた初日に「GRAVITY」「賽」「くだらねぇ」「タイムラプス」「散る花束」あたりの単語を見て、
(あ、これは過去曲の集大成的な感じなのかな)
と思ってはいたのだ。
そりゃそうだ。14曲すべてが詰め込まれているとしたら、そりゃカオスになるのは当たり前だろう。
3)クレジットに秘められた謎
『偶像讃歌』の楽曲クレジットを見てみると、15曲目にして初めてプロデューサーの「紫」氏の名前が作詞家として記載されている。最年少メンバーである栖永みら(以下「みら」)との連名だ。
ここで再び腑に落ちる。
この曲の持つカオス、それは作詞者が2名いることによるレイヤーの重複が元になっているのではないか。
4)それでも消えない違和感
『偶像讃歌』が14の過去曲のモチーフによるモザイク画であることは理解した。
だけど、今この曲を創る意味は何なんだろう。
総決算としての曲ならば、7月の1周年ワンマンで披露した、通算10曲目である『ロードオブフューチャー』があるではないか。
若干の違和感をおぼえつつ、12月27日に開催された「OTONOVA2026セミファイナル」(@新宿Live Freak)に参加した。
フロアから生で聴いた『偶像讃歌』に、ぼくは心を撃ち抜かれることになる。(文末にライブ映像へのリンクあり)
5)『偶像讃歌』はロックである
ライブを経験する前後で、これほど評価が変わった曲はない。
ネットでMVを視聴したときは「歌詞のちぐはぐさ」と「地に足のつかない感じ」が居心地悪く同居していた。
ところがライブで観たこの曲は、まるで別物だった。
メンバーの言葉が直接胸に刺さってきたのだ。
全編に渡って、それぞれの言葉が過去曲の思い出に乗って記憶を刺激する。それと同時に、メンバー全員から切迫性のようなものを感じたのだ。
Cメロにおける痛みの叫びだけではない。
AメロBメロでの、ともすると切れ切れの声、震える声、声を張らない歌唱、そんなパーツでさえ胸を震わせてくるのだ。
なんなんだ、これは。
仕事中にずっと考え続け、やっとひらめいた。
これは「紛れもないロック」だと。
なぜ、ここまで心が震えたのか。
歌詞は整理されていない。
曲も決してわかりやすいとは言えない。
それでもライブでは、否応なく感情が掴まれた。
その理由を考えたとき、日本のロックが繰り返し語ってきた言葉に行き着いたのだ。
それは、技術や構造の話ではなく、「本当の気持ちを語れているか」という問いだった。
忌野清志郎(RCサクセション)は、繰り返しこんな趣旨のことを言っている。「ロックは上手いとか下手とかじゃない。本当のことを言ってるかどうかだ」。
また、甲本ヒロト(THE BLUE HEARTS)は、「ロックンロールは心の叫びだ」と、たびたび語っている。
FandLのこれまでの14曲は整合性に満ちており(『フロきゃん!』『チンチロフィーバー』でさえ完成された世界観がある)、楽曲の持つ強さをメンバーがどう表現するか、という方法論で歌っていたように思える。
だが『偶像讃歌』は違う。
これまで俯瞰で見ていた世界、聴衆に寄り添って慰め、肩を抱いて並走していた世界に見えていたものが、今回はメンバー自身の痛みを自分の言葉で発しているように感じるのだ。
上手い下手は二の次にしても、今の自分の感情を噓偽りなく表現することを最優先にしているように聴こえる。
だからこそ、これまでにない種類の感動を覚えたのだろう。
では、メンバーが抱える「今の感情」とはどういうものなのか。
ここから先はぼくの妄想がさらに大きくなる部分だ。
6)『偶像讃歌』に感じる共時性
1章で提示したとおり、この曲の成立過程において起きた予測しなかった事態がある。それは美晴の活動休止からの卒業だ。
そもそも、曲というのは一朝一夕にできるものではない。特にFandLは曲の練りこみが深いからなおさらだ。
プロデューサーが、作詞作曲編曲、メンバーへのディレクション、レコーディングからマスタリングまで一手に受け持っているグループならまだしも、分業制のグループでそうはいかない。
『偶像讃歌』も例外ではないだろう。
5人体制で歌うことを前提に製作は始まったはずだ。
そのプロセスの途中で起きたメンバーの欠落。
そもそも、過去曲を練りこんで作るというこの曲のコンセプトがあったとしたなら、メンバーの欠落による方向修正は避けられない。
以前にも別の曲が美晴の不在を受けて頓挫した経緯がある。
それでも、いま『偶像讃歌』を世に問うということには、それなりの理由があるはずだ。
ぼくが感じた、いまこのタイミングで『偶像讃歌』を出す理由。
それは、「この曲は美晴がいた時代の14曲を総括し、先に進むためにはどうしても必要な曲である」ということだ。
評論とは著者の私見が大半を占める。
いくら客観視しながら書いても、ある程度は書き手の持つ情報や偏見に支配されるのは必然だ。
ぼくの場合、卒業した美晴に肩入れしていたという立場で書いている。
だから、製作陣(特に作詞したみらや紫P)から「なに頓珍漢なことを書いてんの?」と言われれば返す言葉はない。
だが、評論とはそういうものではないだろうか?
ということで、ここからは誤解を恐れず、ぼくがこの曲から感じたことを書いていく。
これまでの14曲の共通点とは何か。
それは「初期メンバー5人による曲」ということだ。
なんだそんなこと当たり前じゃん、そう思われる方もいるだろうが、そう簡単な話ではない。
別の機会に書こうと思っていたFandL論(歌詞編)の総論では、歌割り(歌詞割り)にここまでこだわっているグループはないという事を、事例を参照しながら解説するつもりでいる。
5人でしか表現し得なかった歌の世界が、確かにあったのだ。
7)ぼくがこの論を急いで書く理由
新曲に関する運営からのポストには、他にも重要なキーワードがあった。
「4人体制FandL最初で最後の楽曲」
「偶像讃歌」のジャケット(?)イラストには、マイクケースが描かれている。
6本入るケースに4本のマイクが入っており、それぞれのマイクの尻には色がついている。現在のFandLメンバー4人のメンカラーだ。
残る2本分マイクの空白と、そこに貼られたテープに書かれた「I NEED YOU」の文言。
これはどうとでも深読みできるところだけれど、ぼくはFandLの新体制(新メンバーの加入)が秒読みなのではないかと邪推する。あくまで状況証拠からの類推に過ぎないけれど。
FandLは他のグループに比べて新曲の供給が異様に早い。
そして『偶像讃歌』は(4人体制最初で最後の曲)と銘打たれている。
つまり、次の曲が出るときには現在の体制ではないということだ。
ぼくはプロデューサーに絶大な信頼を寄せている。
有言実行の人。
生半可な気持ちでグループの今後を左右する言葉をポストする人ではない。
だからこそ、この曲が〝過去〟になる前に、ぼくはこの曲を、現在形で書いておきたかったのだ。
〝過去〟とは何か。
それは未来から見た現在の4人体制のことだ。
メンバーが増えるにせよ減るにせよ(それはないと思うが)、現在の4人体制が長くは続かないだろうということは想像に難くない。
いわば過渡期ともいえる現在、最初で最後に残しておきたい曲となれば、考えられる曲のコンセプトとしては「新体制に向けた過去の清算」そして「今の自分たちにしか感じられない痛みをメンバーに語らせる」ことだと、ぼくは思う。
つまり、〝初期メン時代の総括〟だ。
もしそれが正しければ、この曲は現在の4人のメンバーで歌うことでしか成立しないだろう。
新メンバーが入ってからの『偶像讃歌』は、少なくともぼくには本来の文脈から外れてしまうように感じてしまうと思う。
なぜなら「美晴を失った痛み」という文脈を正確にトレースし、表現できないから。
だからこそ、4人体制である今ここで、本論を書いて公開したいと思ったのだ。
8)歌詞から読み取れる2枚のレイヤー
前述したように、この曲は2名の作詞者がいる。
・栖永みら(メンバー)
・紫(プロデューサー)
この2名体制が、歌詞のちぐはぐさを生み出していることは間違いないと思うのだが、結果として今までにない切迫感を生み出すことに成功しているように感じる。
ここで、この曲における役割分担を妄想してみる。
もちろん作詞分担の証明はできないから、プロデューサーとメンバーとの立場の違いからの類推だけれど。
紫プロデューサーが担当したのは、コンセプトを提示し、過去の14曲を束ねて整合性を持たせ、FandL曲として成立させる役割。
みらが担当したのは、「今ここでどうしても伝えたい歌詞」ではないだろうか。
以下はぼくが「生身のみら」を感じ取った箇所だ。
「神様聞こえる? 変わっていく日々に置いていかれそうで」
「記憶の隅 隠したはずなのに「終わるな」と震えてた」
「揺らいだ分強くなれると」
「神様も知らぬ間に その全ては変わり続けてる」
「時がああ 残酷に進む 一瞬でも逃したくないんだよ」
これまでも「今を生きる」ことの重要性を問い続けていたFandLだが、仲間を失ったことで「今ここにあること」が当たり前ではないということを、より身近に感じるようになったのではないだろうか。
残酷だけれど、人は失うことで大きくなれることがある。
そして、ラスト。
「偶像(アイドル)が死ぬその日まで / ねぇ音楽よ止まないで」
アイドルが「死ぬ」日が本当に来ることをFandLのメンバーは知ってしまった。
アイドルはいつかステージから退場する。
この切実なメンバーの痛みを、結果として『偶像讃歌』の歌唱を通して昇華できるのではないかと、ぼくは感じている。
9)栖永みらの変貌
未発表のFandL論で書いていた内容をこちらで展開しよう。
この曲の作詞者でもある栖永みら(以下「みら」)に関しての事柄だ。
他のメンバーについても語りたいことは山ほどあるが、美晴の不在を受けていちばん変わったとぼくが実感するのがみらであるという意味合いでここに取り上げることにした。
前回のFandL論で、「語り手」として多乃美晴を定義していたが、ここでは少し進化させてみる。
多乃美晴は「痛みの翻訳者」である。
説明しよう。
ここで言う「翻訳者」とは、誰かの痛みを代弁する人ではない。ましてや物語を美しく整える存在でもない。
自分自身の弱さや逡巡を、観客が受け取れる形に変換して差し出す存在のことだ。
FandLの楽曲は構造として「痛み」を歌う楽曲が多い。
満たされない日々、弱さを自覚しながらも鬱々とする自分、でもやっぱり変わらなくちゃ。変わりたい。
こうした葛藤がAメロBメロで積み重ねられ、サビの後のCメロで「でもこんな弱さがやっぱり自分にはあるんだよ!」と叫ぶ。
ここでいったん等身大の自分に戻るときに、美晴の「普通さ」が効く。
弱い自分が強くなるための、前を向いて一歩踏み出すための、その初動時に訪れる痛み。
それを美晴がメンバーの代表としてCメロで叫んでいた。
4人体制が正式にはじまる直前。
美晴が活動休止していた時期、そのCメロはみらが代理で担当していた。
具体例を出すと、『ロードオブフューチャー』が顕著だが、実際その時期に聞いたときの感触は、「曲が持っている景色が変わった」というものだ。
歌い手によって、これほどイメージが変わるものなんだ。
あらためてFandLの凄さに震えたものだ。
そして、あらためて美晴が果たしていた役割の大きさに想いを馳せた。
美晴が卒業し、4人体制として動き出した現在も、かわらず『ロードオブフューチャー』のCメロはみらが担当している。
そもそも、栖永みらというアイドルは、FandLというグループの中で孤軍奮闘しているというイメージがぼくの中にあった。
尖りつづけて注目を惹き、「有名になりたい」「大きな存在になりたい」という向上心を持つアイドル。
美晴を失った現在、ぼくがみらに対して抱くイメージはジャンヌ・ダルク的なものに変わった。
説明が必要だろう。
ここで言う「ジャンヌ・ダルク」とは、英雄とかヒロインとかそういうイメージではなく、
自分が一番前に立ちたいわけではない。
でも誰かが旗を持たなければ隊列が崩れると理解している。
恐怖や迷いを抱えたまま、それでも声を上げる役を引き受ける。
といったものである。
美晴が背負っていたCメロの重要性を、恐らくみらは誰よりも理解していたはずだ。
美晴の呪縛といったら言葉が強すぎるかもしれない。
だが、今後も既存曲を歌い続けるにあたって、この呪縛は解かれなくてはならない。
その意味で、『偶像讃歌』はその呪縛からの解放という役割を持っているような気がする。
実際ぼくがこの曲をライブで聴いて感動したポイントはCメロだけではない、と前述した。
メンバー全員から「痛み」を感じ取れるのだ。
Cメロだけではなく、歌詞全体に「痛み」が偏在している。
つまり、この曲に関しては「痛みの翻訳者」が必要なくなったように感じるのだ。
次の体制が始まるまでこの曲を歌い続け、4人全員が「痛みの伝達者」として成長していくのだろう。そう予想している。
10)『偶像讃歌』は痛みの再分配である
『偶像讃歌』は、これまでCメロに集約されがちだった「痛み」を、四人の声へと分配し直す曲だ。
つらつらと述べてきたように、『偶像讃歌』はこれまでのFandLの楽曲群とは一線を画す作りになっていると感じている。
それは14曲のモチーフを散りばめたモザイク構造であることと不可分ではないだろう。
前章でも書いたように、曲中における「痛み」の置かれるポイントが、これまでの一点集中型ではなく、偏在型になっている。
痛みの翻訳者が不在になったいま、翻訳そのものを全員の役割に組み替える必要があったのだ。
5章で述べたように、ロックとは心の叫びである。
美晴を欠いた悲しみかもしれない。
先行きが見えない不安かもしれない。
常に挑戦し続けることへの恐れかもしれない。
だが、四人全員で叫ぶことで、その残像が「未編集である痛み」に連続性をもたらす。
そこに、観客はFandLの未来を視るのかもしれない。
そんな幻想を抱いた。
おまけ)『偶像讃歌』ライブ映像
下のリンク先の動画は、ぼくが初めてライブで『偶像讃歌』を観たときの映像。実際の空気感を味わってほしい。
歌詞全文
Never hide, my idol
神様聞こえる? 変わっていく日々に
置いていかれそうで 痛み感じないように
簡単に行かない100も承知なのに
甘い賽は弾かれちゃうようです
拍手の音に隠され
指さえ触れられないリアル
記憶の隅 隠したはずなのに
「終わるな」と震えてたah
神様ねぇお願い
あと少しだけここで歌わせて!
夢を見る僕ら正解も知らず
限界値超え 希望抱いて
何度目の正直っていうから
揺らいだ分 強くなれると WOW
信じさせてこのステージで
嗚呼、散る花束数え
タイムラプスの様にくだらねぇ歯車
君に届けたい声は平行線
まだ諦めたくない 行かなくちゃな
追うほど 逃げてく夢たち
言い負かすみたいな GRVITY
忘れてはいけない何かが
僕に訴えを投げたah
神様も知らぬ間に
その全ては変わり続けてる
夢を見る僕ら 世間も知らず
間違いだらけ未完でI NEED YOU
僕ららしい時間を魅せよう
僕らしい言葉で行こう
あまのじゃく 認められなくて
時がああ 残酷に進む
一瞬でも逃したくないんだよ
最初で最後と何度も歌おう
伝えたい何かが産まれるたび
また生き抜いて
聞こえ良い言葉 並べるなよ
心で魅せてやりたいでしょ
何度目の正直っていうから
素直なままないこう 上へ
偶像(アイドル)が死ぬその日まで
ねぇ音楽よ止まないで
あとがき
構想を得たのは、上記のライブを観た直後でした。
どうしても年内に書き上げたくて、PやメンバーやFinder(FandLのファンネーム)にも約束して背水の陣を布いてみました。
それから4日間。
なんとか除夜の鐘を聞く前に完成しました。
バランスを欠いた評論かもしれないけれど、それなりに読みごたえにあるものになったと思います。
苦労してでも評論しがいのあるグループ、それがFandLです。
もしこの評論を読んで興味が湧いた方がいたら、ぜひライブに行ってみてください。それが難しい方は、全曲がサブスクでも聞けますので、そちらでぜひ(最新曲である『偶像讃歌』だけはまだ未配信)。
ぼくがFandLに出会った2025年が、そろそろ終わろうとしています。
それでは、みなさま良いお年をお迎えください!
