黒い胆汁 #10 エピローグ 土橋絵夢の越境
2025年10月15日(水)

あれから2週間経った今でも信じられないのだが、俺は今、間違いなく地下アイドルグループのマネージャーをやっている。
今日は彼女たちの再出発の日だ。
それと同時に、俺のマネージャー業の初日でもあるのだ。
今日の会場はShibuya Abyss。
地下二階、天井低め、キャパ二百強。
黒い箱に銀の梁が走り、フロアは緩い段差が二段。
ステージは横長で奥行き浅め。
PA卓は後方センターにある。
先週カンナに会いに行った新宿のライブハウスより綺麗な箱で、俺は少しホッとした。
なにせ初めてのマネージャ業だ。右も左もわからない。
こんなときは先輩アイドルに頼るに限る。
カンナに教わるままに、音源のCDと進行表をPAに渡した。
* * *
いま俺はライブハウスのフロア後方で両腕を高く掲げている。
このライブを録画し、プロデューサーである茂木に見せるために。
はじめは胸のあたりに構えて録画しようとしたのだが、前にいる客が邪魔になってステージが映らない。
仕方なしに手を上げてみたら、こんどはジャンプしたりペンライトを高い場所で振ったりするヤツがいるせいで映り込んでしまう。
最後の手段で背伸びをした。
これでようやく画面に邪魔が入らずに撮影できる。
安心したのもつかの間、まず15秒ほどでふくらはぎが笑い出した。
無理だ。
このままつま先立ちを続けたら、俺は数日間歩行不能になってしまうだろう。
前方に邪魔な客がいない絶妙な角度を見つけてそこに移動する。
ただ、両手を掲げてスマホを両手持ちしないと画面がブレる。
仕方なしにバンザイの格好をしていたが、こんどは肩が笑い出した。
さっきまで出番だったグループのマネージャらしい女性は、150㎝くらいある一脚というか長い自撮り棒というか、そういうものを使って手ぶらでステージを見ていた。
俺もほしい。
明日にでもちひろさんに物品請求を出そう。
念願の復活ライブだ。
せっかくの映像がブレブレだったらプロデューサーの茂木に悪いし、第一メンバーにドヤされるのは火を見るより明らかだった。
「アンタ、プロデューサーが初めて見る『紅蓮の炎』なんだよ、こんな、お客さんの頭しか映ってない動画撮ってどうすんのよ!」
カンナの舌打ちが聞こえてくるようだ。
肩の張りはもう忘れよう。筋肉痛なんて怖くない! ウソだけど!
いよいよ彼女たちの出番だ。
フロアのBGMが止まった。
登場SEはない。
メンバーがステージに出てきた。
まだ照明がついていない。
見えるのは5人のシルエットだけだ。
立ち位置は下手から、ひーちゃん、ジンジン、カンナ、ココロ、ハイハイ。
暗いままの状態で、カンナの声が聞こえた。
「本日より活動再開します『黒い胆汁』です! それでは聞いてください」
カンナにスポットライトがが当たった。
左手でマイクを構え、フロアを睨んでいる。
「紅蓮の炎!」
フロア前方から悲鳴のような地鳴りのような声が沸き上がった。
俺は正直、この新曲をまだ聞いていない。
レコーディングはまだだったし、実際に初披露する前に茂木が消息不明になってしまったため、実質上のお蔵入りになっていたからだ。
メンバーだってライブでは初披露なのだ。
俺は緊張しながら歌い出しを待っていた。
── 闇に溶けた声は 誰にも届かない
記憶の底でまだ 赤い影が笑う
カンナのソロだ。
先ほどまでのフロアのざわめきが一瞬にして引いた。
甘く切ない、それでいて強さを秘めた声で歌いあげていく。
俺は、高く掲げている自分の両腕に鳥肌が立ったのがわかった。
カンナは右手を前方に突き出し、大きく開いた手のひらを徐々に握っていく。
最後のひと息まで吐ききって、カンナは天井を見上げた。
そのタイミングでギターソロのイントロが始まる。
同時に残りの4人にも照明が当たった。
── 憎しみも 祈りさえも
同じ色に燃えて
手のひらから零れ落ちる
Bメロはココロだ。
ステージの上手から下手へ、フロアの様子を確認するように歌いながら移動していく。
1サビを歌うのは意外なことに、ひーちゃんだった。
── Tear my spleen,
let the kidneys’ river flow,
still I blaze in crimson fire.
普段のひーちゃんからは想像できないような歌声だった。
流暢な英語、真剣な表情。
サビ終わりでは固く目を瞑っていた。
あの子たちが歌っている。
ステージ上で歌い、踊っている。
信じられない、というのが俺の素直な感想だ。
ひと月前までは、この子たちの存在すら知らなかった。
最初はイヤイヤ動いていた。
目的も知らされず、ただ再結成・契約更新の同意を得るためだけに、この子たちと向き合った。
対話をし、話を聞き、泣き、笑い、感情を共有するうちに、離れがたい気持ちが芽生えた。
何の因果か、結局はもうしばらくこの子たちと一緒にいることになったけれど、こうやってアイドルとしての姿を見るのは、驚いたことに今日が初めてなのだ。
感傷に浸っているあいだに「紅蓮の炎」が終わってしまった。
進行表は茂木から来ていたPDFを印刷したものを、会場のPAに渡した。
渡すだけで勝手にあちらさんがやってくれるから心配しなくていい、と言われていたが、念のため目を通してみると、今日は20分枠だけれど曲は2曲のみだった。間に「新体制お披露目」が入るからだ。
曲名を見ると、1曲目がさきほどやっていた「紅蓮の炎」。
2曲目はお披露目のあとに歌うのだが、曲名空白になっている。
どういうことだ? 俺にも秘密ってことなのか?
フロアの照明がついた。
MCがはじまる。
カンナが口火を切った。
「えー、というわけで『黒い胆汁』……お待たせしましたっ!」
フロアが沸騰した。
対バンだからクロタン目当ての客はそれほどいないはずだ。
だが、さきほどの圧倒的なパフォーマンスを見せられた初見客にも、何か爪痕を残したのではないだろうか。
「えっと、何か月ぶり?」
「もう3年ぶりくらいな気がする」
「いやいや、ひーちゃんまだ生まれてないだろ」
「ハイハイすべってるよ」
「んなことあるか……じゃあ久しぶりのアレ、やるか」
「待ってました! ハイハイの変顔。あ、いつもと違う界隈の対バンに来てるから初めましての方が多いよね? 私たちのこと初めて見るよって人、手あげてー」
ひーちゃんのほんわかしたトークのおかげで、フロアはいい雰囲気になっている。
ちらほら手が挙がるなか、最前下手で赤と緑のペンライトを振る中年男性に近づいたひーちゃんが「こらこらアナタは初見じゃないでしょ」と言って周辺の笑いを誘っていた。
「いいですか? 一瞬しかやらないから見逃しちゃダメですよ。じゃ、ハイハイの変顔まで、5,4,3,2,1,ハイ!」
ステージ中央まで出てきていたハイハイが渾身の変顔をする。
フロアは微妙な空気になった。
ジンジンがステージ最前方、フロアに落ちる寸前のところまで出てきてフロアに背中を見せ、ハイハイの顔を覗き込んで爆笑していた。
全身を痙攣させ笑い続けるジンジンを、ココロが定位置まで引っ張っていった。
「ホラ、あんまり笑いすぎると横隔膜が痙攣して後悔するから」
カンナが話を戻した。
「いま聞いてもらったのは、クロタンの新曲『紅蓮の炎』でした」
深々と頭を下げるカンナを見たメンバーが次々と頭を下げる。
「最初にお伝えしなきゃいけなかったんですけど、6月に私たちのプロデューサーが突然失踪しまして……結局はいろんな悪い偶然が重なっていたんですけど、ハイ、元気です。ということで、今日の復活ライブになったわけです。ご心配おかけしました。ありがとうございます」
再び頭を下げるカンナとメンバーたちに、フロアから拍手が沸いた。
「それでですね、知ってる方は知ってると思うんですが、今日は私たちの新体制お披露目なんです!」
会場がどよめく。
「どういうことかというと、別にメンバーの入れ替えがあるわけじゃなくて、今、この場で、わたしたち新しいグループになります!」
さらに大きなどよめき。
メンバーはすでにセンターを空けて両サイドに退避していた。
プロジェクタがステージ奥の壁に光を投影している。
「PAさん、ちょっとステージの照明落としてください」カンナが指示する。
プロジェクタの光が十分に見える明度になったところで、再びカンナが口を開いた。
「そのグループ名は……」

「じゃーん!『メランコリア』です!」
それまでとは声色を変え、キュートな発声でグループ名を宣言した。
会場には悲鳴と歓声と得体のしれない咆哮が満ちた。
そりゃ混乱するだろう。
今までやってきたのがゴシックロックみたいな路線だったのだから。
このロゴを見て「ロックだね」という奴は一人もいない。
フロアの喧騒が収まらないうちにカンナは続けた。
「えっと、実は新衣装も今日は持ってきてまして」
ふたたび湧くフロア。
「これから着替えてきちゃおうと思ってるんですけど、いいですか? いいよね?」
再沸騰した観客は指笛を鳴らす者もいた。
「じゃ、ここで私たちはお色直しのためにいったん戻りますね」
言いおいてメンバーは舞台袖から楽屋に戻った。
着替え中に何をするのかと思っていたら、茂木からの指示は、自分の映像を流すように、とのことだった。映像素材もPAに渡してある。
フロアの照明が消え、プロジェクタに茂木の姿が映し出された。
病室で撮影されているのだろうが、知らない人間には自宅や事務所で撮影されているとも見えるように画角を調整してある。
「みなさまこんばんは、『黒い胆汁』改め『メランコリア』プロデューサーの茂木です。こんなお見苦しいオッサンの姿なんか見たくないのは承知の上ですが、今回どのような経緯で活動休止に至ったのか、そしてなぜ新体制になるのかをご説明したいと思います」
前半部分は俺が今まで実際に見聞きしてきたことがベースとなっていた。
後半、メランコリアのコンセプトの話になったあたりから、フロアが反応しはじめた。茂木は煽りもうまい。
「ロックアイドルっていっぱいいますよね? でもみなさん、そんな子たちの可愛いキュートな部分も見たくないですか? 見たいよなお前ら、知ってんだぞ」
ここで拍手が起きる。
「かといってキュートだけでもつまらない。だから、これまでのクロタンと、これからお披露目する『メランコリア』、まあ略すならメラリアかな、その二本立てでこれからの活動を続けていくつもりです。ロックは今まで以上にロックに、キュートはどこもマネができないくらいキュートに。そんなグループとして再始動したいと思っております。おい、お前ら! ついてこれんのか⁉」
ここで茂木の映像が終わった。
舞台裏からのカンナの声がマイクを通して聞こえてきた。
「えーっと、皆さま本当にお見苦しい映像を失礼しました。ってことで着替えも終わったので、そろそろ出て行ってもいいですか? いいよね?」
歓声が沸く。
「じゃあ覚悟しといてよ! それではSEスタート!」
一人ひとりセンターに出てきては各々が可愛いと思うポーズを決め、それぞれの立ち位置に移動する。
SEが終わるタイミングで全員が唱和した。
「私たちー、メランコリアです! それでは聞いてください。曲名は……」
俺の記憶はそこで途切れている。
気が付いたら満場の拍手がフロアを満たしていた。
ステージ上はもう無人だった。
録画は大丈夫か⁉
我に返って腕の先を見ると、ちゃんとステージ上を映している。
ひとまず大きなため息をつき、腕を下したところで右後ろからその声は聞こえてきた。
「あの……ドМさん……ですよね?」
甘く艶のある声。
囁きほどの小さな声なのに、俺はその場から身動きができなくなった。
声の主を振り返ることもできない。
「あ、そ、そうだけど……キミは?」
「私? 私は、みら」
「み、みら……」
「そう、栖永(すなが)みら。FandL(ファンドル)の最年少メンバーです」
辛うじて呼吸はできるが、指先一本すら動かすことができない。
まるで麻痺系の魔法をかけられたようだった。
「……で、何の用……ですか」
「ひーちゃんに聞きましたよ、ドМさんって有能なトラブルシューターだって」
「え……?」
「ちょっと相談したいことがあるんですけど、このあと終演後物販のときに相談に乗ってもらえませんか?」
「は、はい、喜んで!」
裏返った声を恥ずかしく思いながらも、久しぶりにあのスイッチが押された音が聞こえた気がした。
俺の中の「ドМスイッチ」が。
この出会いが新たな物語の序章であったことに、まだこの時の俺は気づいていなかった。
クロタンクロニクル「黒い胆汁」完
【註】本作に登場する栖永みら、FandLは架空の存在、団体であり、フィクションです。みらの言動は著者の妄想の産物であり、本人とは何ら関係がありません。
本作の執筆にあたり、栖永みら本人、およびFandLマネージャ紫氏に許諾を得ていることをお断りしておきます。
栖永みら @Mira_FandL
FandL @FandL_official
蛇足

【資料抜粋】
『メランコリア』新曲歌詞カード(社外秘)
(仮題:アラモード∞パニック!)
作詞・作曲:茂木
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♪ 1番
Aメロ(メンバー紹介風)
ひーちゃん ふわふわおやつで夢ごこち〜
ジンジン 流れ星キャッチして未確認!
ハイハイ ドカーン!飛び跳ねフルパワー!
カンナ ……ちょっと待って!落ち着いて!
Bメロ(掛け合い)
ひーちゃん ねむい〜
カンナ ライブ中に言うな!
全員 でもそれがアタシたち!
サビ(全員)
アラモード∞! キラキラ大騒ぎ
今が最高だって言いたいの
バカみたいでいいじゃん
一緒に笑えたらそれが奇跡
落ちサビ(ココロ)
ドクンドクン…体温が教えてる
まだ生きてる 君と生きてたい
⸻
♪ 2番
Aメロ
ハイハイ 全力ジャンプで空割って!
ジンジン キラキラ未来を盗撮中〜☆
カンナ 忘れ物?ほらまたマイク!
ひーちゃん ……あれ?ネイル可愛いでしょ?
Bメロ(ふざけ合い)
ジンジン エイリアンだ!
全員 どこ!?火星!?
ハイハイ ちげーよ!隣の席!
サビ(全員)
アラモード∞! ドタバタ冒険隊
転んだって ほらドラマになる
くだらなくていいじゃん
君と描けたら全部ストーリー
落ちサビ(ココロ+全員ハモり)
痛みも傷も まだ抱えたまま
それでも笑うよ 君がいるから
⸻
♪ ラストサビ(全員)
アラモード∞! キラキラ大騒ぎ
声を合わせて 今を刻もう
「バカだな」って言われてもいい
だって愛してる この瞬間を
END(掛け声)
全員 せーのっ! 生きてるだけでアラモードっ☆
