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黒い胆汁 #3 カンナ

 2025年9月24日(水)

 昨日は双葉杏から地下アイドルについてのレクチャーを受けた。
 正直、俺の置かれている業界とは別の世界線の話なんじゃないかと、何回も思った。
 昔から、いわゆる「地上」のアイドルには人並みに興味は持っていたが、追っかけをするほど熱中していた訳でもない。
 だから、いきなりこの業界に入ってアイドルのお守りをさせられるようになって、ようやくこの世界というものが分かってきたような状況なのだ。

 職場である美城プロの別館から徒歩でJR渋谷駅へ向かう。
 夕方は仕事帰りの客でごった返していた。
 カンナの出番は19:15からだ。
 勢いで開演の17:30に行ったとしても、知らないアイドルのパフォーマンスを2時間近く見るつもりはない。

 今年の4月に区の条例が変わったとのことで、それまでビラ配りのアイドルで溢れていた(それからメンズアイドルも)ハチ公前で立ち止まり何かを訴えかけているのは、今や政治色の強い人間だけだ。
 昨日に引き続き今日も天気がいい。
 そして何より気温が低く湿気もないから快適この上ない。
 新宿に着いた。東口から地上に出る。
 地上に出てすぐに目につくのが、元アルタビルだ。
 今年の春に閉館してしまい、いまは解体作業中とのことだった。
 子供だった俺が「笑っていいとも!」を熊谷の実家で見ていた頃は、どんなに大きなスタジオなんだろうと思っていた。
 しかしアイドル事務所に入り、仕事でキースタジオに行ったときには驚いたものだ。
 こんなところで公開生放送を平日は毎日やっていたのか。
 小さくはないけれど、なんというか、もっと巨大なスタジオでやっているのかと思っていたのだ。
 自分の所属する事務所のアイドルが、キースタジオのステージで歌い踊る。それを見て深い感慨に浸ってしまったのも仕方がないことだろう。
 こんな懐古厨の話はこのへんで切り上げることにする。

 地図アプリを起動して歩きだした。
 目的地まで6分と出ている。
 西武新宿駅の方向に歩いていく。
 夕方の新宿はことさら人が多い。
 なるべくトラブルにならないように、肩をすくめて歩いた。
 大きな通りを2つ渡って西武新宿駅の付近にたどり着く。
 いま俺が立っているのは、西武新宿駅の駅前通りを隔てた商業施設地帯だ。
 商業施設といえば聞こえはいいが、かなり古い建物が多く、まさに猥雑な雑居ビル群という風情。
 目的地には到着しているはずなのに、目的のライブハウスが一向に見つからない。
 額と背中にうっすらと汗が滲んできた。
 危ないところだ。これが二週間前だったら俺は死んでいただろう。
 今年の猛暑はとんでもないレベルだったからな。

 目的地の一角を何度も行き来しているが、目当ての場所がさっぱり見つからない。
 途方に暮れた俺は、脳内に双葉杏AIを起動し、昨日のレクチャーを再生してみた。
(ドМさん、地下アイドルが地下で活動してるとは限らないんだからね)
 そんなこと言われてもな……天を仰いだ瞬間、その文字が見えた。
「新宿joker」
 ふぇ?
 なんだ? 雑居ビルの上の方にあるのか?
 慌てて建物のエレベータに近づいてフロア表示を見る。
 4F 新宿joker
 乾いた笑いが口から出た。
 俺は地下のライブハウスだとばかり思っていたのだ。
 気を取り直し、エレベータを呼び4階へ。

 扉が開いた目の前に、いきなり派手な服を着た女の子がいた。
「こんにちはー! わたし白鳥ななって言います! 今日は誰目当てですか? よかったらコレもらってください! じゃまたねー!」
 視線の先にいたのではない。エレベータの扉の目の前にいたのだ。
 呆気にとられ一瞬体がフリーズしてしまったが、このままでは取り殺されると思ってなんとか呪縛を解いた。
(ねえ杏さん、これが地下っていうものなの???)
 逃げるようにその場を離れ、フロアの入口らしき方向へ進む。

 ドアを開けると長年のタバコの煙が堆積したような臭いが充満していた。
 入口の机にいるお兄さんが「前売りですか? 当日券?」と聞いてきたので、杏に教わった通りの回答をした。
「当日券で」
「今日のお目当ては」
「えっと、カンナさん」
「はい、ドリンク代込みで2600円です」
 内心では冷や汗ダラダラ流しながら、最初の通過儀礼は終わった。
 ドリンクチケットをもらいフロアに入る。
 入ってすぐ、左側の壁に今日のセトリが貼ってあった。


 現在時刻は18:58。
 なんとか間に合ったようだ。
 いまステージが無人だということは、6組目のバブルガム・シンドロームが終わったところか。
 改めて室内に目を戻す。
 正面がバーカウンター、右奥にフロアとステージがあるようだ。
 しかし、こんな狭くて天井が低くてタバコ臭い場所で、本当にアイドルがパフォーマンスをするのか?
 いまはちょうど演者の入れ替えの時間らしい。フロアにも薄く照明が点いていて、客の様子が見える。
 ぱっと見たところ、俺を含めて10人もいないだろう。
 まさかな。こんなスカスカな箱は見たことがない。
 小さくてもzepp、大きければ東京ドームの公演をやってきている事務所の人間に、この箱はまさに衝撃だった。
 これ次の演者が始まったらゾロゾロ人が入ってきて満員になるやつだろ?
 そんなありえない妄想をしたくなるほど、現実は非情だった。
 俺はとりあえずフロア後方の中央あたりに位置取りしてみた。

 客電が消え、ステージへのライトが強くなる。
 呑気で陽気な音楽が流れてきた。
 まるで遊園地のピエロの登場シーンだ。
 ステージ上手袖から出てきた人物を見て、俺は来た場所を完全に間違えたかと思った。
 泥酔した足で行ったドン・キホーテで勢いで買ったパジャマみたいな服を着て出てきたのは、どこからどう見てもその辺にいるおばさんだった。
 スマホでタイムテーブルを確認する。

 19:00~19:15 星空れいな
 現在時刻は19:02だ。
 ちょっと可能性を考えてみよう。
 1)この人物が星空れいなである
 2)この人物は星空れいなではない
 3)この会場は新宿jokerではない

 まず一番可能性が高いのは1だろう。次いで2、最後に3だ。
 希望としては2だったが、目の前のおばさんが「星空れいな」であってほしくないという儚い願いはすぐに打ち消された。
 シャンソンの名曲「ろくでなし」のイントロが流れてきたのだ。
「今日はようこそおいでくださいました。星空れいなです。よろしくねー」
 激しく手を振りながら歌い出すおばさんは、満面の笑みを浮かべていた。
 俺はこれでも一応アイドル事務所、それも一流のアイドル事務所のスタッフだ。
 ライブの現場にも何度か応援に駆り出されたこともある。
 仕事に就く前にくらべて、だいぶ耳は肥えたつもりなのだ。
 何なんだこれは? 場末のスナック? うたの王様? それとも死後の世界?
 とにかくひどいものだ。
 キーも外しまくっているし、何より発声ができていない。
 落ちサビでは、まるで首を絞められた鶏みたいな奇声になっていた。
 脂汗が全身の毛穴から噴き出してきた。
 このままでは俺は確実にここで絶命するだろう。
 いますぐにこの場を離れようと思い、バーカウンターの方を振り返って驚いた。
 なんとこのおばさんの奇声に合わせて、陶酔したような表情でペンライトを振っている客が数名見受けられたのだ。
 ウソだろ? 
 目をつぶって頭を振りながらフロアを逃げ出した。

 受付を抜け、外に出る。
 エレベーター前は外廊下になっており、外気を吸うことができた。
 やっと息を吹き返したところで、異様な雰囲気に気づいた。
 エレベータ前は外階段になっているのだが、階段の上からも下からも嬌声が聞こえている。
 目をやると、どうやらステージが終わったアイドルがそこで特典会をやっているらしい。
 さっきエレベータ前で出くわした白鳥なんとかが昇り階段のところでファンらしき人物と談笑している。
 俺が知っている特典会は、貸し切りの駐車場とか、だだっ広い体育館とか、そういった場所に数百人のオタクが並んでいるやつだ。
 ほとんど吐き気を催したところで、俺の前から短髪の少女が歩いてきた。
 すれ違いができないだろうと思った俺は、咄嗟に通路を空けた。
「すいません」
 言いながら通り過ぎた少女は、会場の扉を開け中に吸い込まれていった。
 ぼやぼやしていたら今日の目的であるカンナのステージを見逃してしまう。
 再び中に入るのは躊躇われたが、まず一杯呷ってしまえば何とかなるだろうと思い、バーカウンターに足を運んだ。
 さきほど入場のときにもらったドリンクチケットをカウンターに出し、ビールを頼む。
 小さなプラカップに注がれた黄金色の液体を、俺は一気に飲み干した。
 ステージからは、おばさんが唸る「青い珊瑚礁」らしき曲が聞こえてきた。松田聖子に対する冒涜だと思いはしたものの、さっきの信者たちはまだペンライトを振って応援している。
 世界は広い。
 アルコールで胃袋に火が灯った気がして、俺は勇敢にもおばさんが唸り続けるステージに近づいて行った。

 タイテの変更がなければ、次がカンナの番だ。
 やっとおばさん(何だっけ? ああ、星空れいなだった)が退場し、フロアでペンライトを振っていた猛者の一人が客たちに向き直り「ありがとうございました!」と叫んだ。
 誰に対して、そして何に対して言っているのだろうか。
 そうだ、観客の吐き気を催させて申し訳ないという謝罪の気持ちなのだろう。そういうことにした。余計なことは考えまい。
 再び客電が落ち、イントロが流れだした。

 ステージの照明が消えた。
 電子ピアノのイントロが流れた瞬間、俺は少し震えた。
 これは中島愛の『ライオン』じゃないか。
 薄暗いステージに演者が出てきた。これがおそらくカンナだ。
 「星を廻せ 世界のまんなかで」
 歌い出した瞬間に、ピンスポットが演者に当たった。
 「あ!」思わず声が出た。
 さっきエレベータ前ですれ違った少女だ。
 驚きは次の瞬間に違う驚きに連鎖した。
 なんだこの歌声は!
 さっきのおばさんの幻影は一瞬にして消え去った。
 いまこの瞬間、世界はカンナと俺だけしかいなかった。
「生き残りたい 生き残りたい」
 目が離せない。
 瞬きができない。
 不思議だった。カンナの発する言葉が、声が、すべてが、俺に余すところなく吸収されていく。
 こんな体験は初めてだ。
 一曲目が終わった。
 気づけば俺は涙を流していた。

 次はごく短いドラムのイントロからすぐ歌い出しの、『おんなじキモチ』だった。東京女子流だ。選曲のセンスがいい。
 さっきのライオンが「動」だとすれば、こっちは「静」だ。
 ゆっくり、やさしく聴かせる。
 一曲目と同じアイドルが歌っているとは思えないほどに、声や雰囲気が変わっている。
 そんな存在が、わずか数メートル先にいる。
 これは奇跡なのではないか。

 曲の途中からフロア最前の一人の客が、ふと気になった。
 客たちの様子を見ていると、カンナのメンバーカラーは赤らしかった。
 1曲目の途中まではちらほら灯っていたペンライトが、サビに達した時点でほぼ全員が赤のペンライトを振っていた。
 その時からずっとだと思う。その客は赤と緑、2本のペンライトを振っているのだ。何かしらの意味があるのかもしれないが、俺はカンナの歌声に魅了されていた。

 2曲目が終わり、いったんステージの明かりが強くなった。
「聴いていただき、ありがとうございます。大好きな中島愛さんと東京女子流さんの曲でした。そして次に歌う最後の曲は、いなくなってしまったボクの相棒に届けたい曲です。それでは聞いてください。BiSHさんの『プロミスザスター』」
 勉強不足で初めて聞く曲だったが、イントロから胸が震えた。
 さっきカンナが言っていた「いなくなってしまった相棒」という存在が頭の中を去来していたから、余計に涙腺を刺激される。
「絶対約束されたものなんかないんだ」
 この歌詞が、やけに俺の琴線を震わせた。カンナがいちばん伝えたいことのように感じられたのだ。
 あの声、眼差し、ダンス、すべてがここではないどこかに向けて発せられていることを、痛いくらいに実感した。表現、とはこういう事を指すんじゃないだろうか。
 ラスサビに達したところで、俺の涙腺は決壊した。
 そこからはもう、打たれまくった後のサンドバッグのように、その場でゆらゆら揺れていることしかできなかった。
「ありがとう。このあと終演後物販です。新規の方は写メ1枚無料なので、よかったら来てください。それじゃ」
 酩酊していた。
 ビールよりもカンナという存在に酔っていた。

 終演後物販までは時間がある。
 ライブもあと2組残っていたはずだ。
 フロアにいると、さっき味わったカンナの感動が薄まってしまう気がしたから、入り口の扉を開けエレベータ前の廊下に出た。
 昨日あたりから急に秋の気配が強まった。今日も湿度は低めのような気がする。過ごしやすい季節だ。
 それにしても、さっきカンナが言っていた「いなくなった相棒」とはどんな存在なのだろう。
 カンナの第一印象は、プライベートなことは必要最小限しか話してくれなさそうな人物だった。話をどう持っていくかで再結成の成否が変わってくるだろう。
 ここからどう進めるか杏に確認を取りたかったけれど、さすがにアイドル相手にこちらから連絡を取ることはできない。
 ここでふたたび脳内杏AIに問いかけた。なあ、どうしたらいい?
(特典会でまずお金払ってチェキ撮りなよ。最初はお客さんで入ってカンナちゃんの心のバリアを薄くする。話はそこからだと思うけどな)
 なるほど。
 俺は外階段のあたりで、特典会をやっている人達と極力目を合わさずに時間を潰した。

 そのうちに、フロアからちらほらと人が出てきた。どうやら終演したらしい。
 あらためてフロアに入ってみると、中では慌ただしく人が動いていた。
「特典会場を設置しますので、フロアの方は全員外に出てくださーい」
 折り畳みの長机を1つずつ軽々と両手に持って運ぶスタッフがアナウンスしている。
 フロア後方のバーカウンターあたりにいても問題はないらしく、数人のオタクがたむろしていた。俺もその辺に移動した。
 カンナの特典会場はフロア上手側の壁ぎわらしい。
 一人でどこからか出てきたカンナは、モスグリーンのキャリーケースからこまごまとした物品を取り出しては机に並べている。
 小太りの中年男性が近くでそれを見ていた。
 ステージ上に1組、フロアにカンナともう1組、合計3組が終演後物販のようだ。
 「メランコリックJellyです、これから物販はじめます」の声がステージ上から聞こえてきた。近くにいた人たちが拍手をしている。
 カンナも準備が終わったようだ。
「カンナ、物販はじめます」
 さっきからカンナの近くにいた中年が、ことさら大きな音で拍手をしていた。
 しばらく様子をみて、例の中年がひとしきりチェキを撮ったあとに、俺はカンナに近づいていった。
 テーブルにはお品書きがある。

 サインチェキ¥1000(サイン+トーク60秒)
 写メ¥1000(トーク60秒)デジカメ可
 アクリルスタンド2種 各¥1500.
 カンナデザイン フレークシール3枚入り¥200 

 安っ!
 俺の住んでる世界では、¥1000でトーク60秒はありえない。
 CDの購入金額に応じて時間は変わるけれど、¥1000につき5秒がせいぜいだ。12枚で¥12000支払ってようやく60秒ということになる。

 声をかけようとする前に、カンナから話しかけてきた。
「ご新規さんですよね。ステージの直前に廊下で道を空けてくれた。ライブも後ろの方で観てくれてましたね」
 歌声からは想像していた声とは違い、低音のハスキーボイスだった。
「あ、ああ……」
 知らないアイドルが目の前にいるという事態に対して俺はあまり耐性がない。
 予想通りドギマギしている自分が、少し滑稽に思えた。
「あの……し、新規です!」
 見事に声が裏返った。
「あはは、わかってますよ。えっと、チェキがいいですか? 写メ?」
(杏はどちらか選べるならチェキにしろって言ってたな)
「ち、チェキで」
「ツーショでいいですか?」
「あの、ソロでお願いします」
「えー、残念。わかりました」
 それほど残念そうでもないカンナはチェキの機械を自撮り風に構えて撮影した。
「えっと、お名前は?」
「ドМ、です」
「え、なんて?」
「あ、いや、ど、土橋です」
「『土橋さんへ』、っと」日付と俺の名前を書き終えたカンナは顔を上げて俺を見た。
「どうでした? 初見だったんでしょ?」
「良かった、いやマジで」
「ありがと。でも他にお目当てがいたんじゃないの?」
「いや、キミなんだけどね、今日のお目当ては」
「……ってことは、誰かにボクのこと聞いてきた?」
「こういう者なんだけれども」
 ここだと思った俺は、すかさず仕事用の名刺を取り出しカンナに差し出した。
「えっと……」書かれた文字を読み始めてすぐにカンナの顔色が変わった。
「まさか」
「ここじゃ詳しい話はできないけど、とりあえず茂木さんは無事だ。続きは場所を変えて話そう」
「わかった」
 言うなりカンナはチェキに何かを書きだした。
 差し出してきたチェキの下の余白には、こう書いてあった。
【近くのマック 22時 まってて】
「じゃあね、また来てね!」
 急に明るい声を出してカンナは手を振り出した。
 特典会場から体よく追い出される形になった。
 仕方なく俺は入口に向かいながら、大きなヤマの入り口に立ったような気分に襲われていた。

 地図アプリで検索すると、徒歩2,3分のところにマックがあった。
 入店し、コーヒーを注文して2階席に移動した。
 窓際のカウンター席に座る。
 さきほどのカンナとのやりとりを反芻してみた。
 俺が名刺を出したときのあの反応。
 カバンからクロタンのフライヤーを取り出した。
 アー写のカンナは今より少しふっくらしていたが、何かを見据えるような鋭いまなざしは間違いなく同一人物だ。
 地下アイドルを初めて経験してわかったのは、この世界はとてつもなく広いということだ。
 カンナのパフォーマンスは掛け値なしに素晴らしいものだった。もっともっと大きな舞台でも通用するだろう。
 だが現実は場末のライブハウスで10人くらいの客相手に歌っている。
 美城のアイドルとの差は、何なんだろう。
 年齢も容姿も実力も同程度で、一方は全国のドームで公演、もう一方は両手で足りるくらいの観客。
 不公平だ。あまりに理不尽だ。
 だが、これが現実なのだということを、俺は知ってしまっている。
 この業界に関わって、こんな気持ちになるのは初めてだった。
 俺が日々見てきているのは、世間的なトップアイドルだ。
 洗練されたパフォーマンスがあり、計算しつくされたマーケティングがあり、それに多くのファンが熱狂する。
 それに比べてさっき見た世界は何だ。
 美城のアイドルのパフォーマンスを見て、感心することはあるが、感動することは少なくなってしまった。
 だが。
 カンナのステージを見て、俺は心が震えた。生きている実感を覚えたのだ。
 地下アイドルというものを、名前の先入観だけで遠ざけてきた自分に腹が立った。
 地上も地下もあるか!
 近づいてくる足音を察知して顔を上げると、灰色がかった白のハーフパンツと半袖パーカを着たカンナが、片手に紙コップ、もう片方の手を俺に向けて振っていた。
「おまたせ、土橋さん」
 時間を無駄にするタイプではないらしい。俺の隣の席にすわりながら、次の言葉を口にした。
「悪いニュースじゃないって言ってたよね? 聞かせて」
「ちょっと待ってくれよ、俺にも心の準備ってものがある」
「しばらくここで待ってたでしょ? もう準備はできてるはず。最初に聞かせて。プロデューサーは今なにしてるの?」
「入院してるんだ」
「そっか、それならよかった……あ、いやよくはないか」
 あからさまに肩の力が抜けたカンナは、紙コップの中身を勢いよく吸って薄く笑った。
「続けて」
 あっという間に主導権を握られてしまったが、まずはカンナを安心させることが先決だ。
「改めて言うけど、茂木さんは生きてる。ただ、今は動けない状態なんだ。だけど、キミたち5人には再結成、というか再集結してほしがっている。なぜなら……」
「契約期限、だね」
「察しがいいな」
「ボクはね、やりたいと思ってるよ。だって、そのために今だってソロ活動してるんだから」
「今のうちに言っておくけど、俺は上からの命令で動いてるだけで、今言った以上の情報は持ってない。それでもよければ話を続ける」
「わかった。もう一回まとめて教えてくれる?」
「条件は、
 1)9月29日までに5人全員から契約更新の同意を得ること
 2)そのうえで9月30日に都内某所に集合すること
 この2点なんだ」
「難しそうだな」
「どうして?」
「まず期限が近すぎる。そして、5人はバラバラに生活してる。アイドル活動からは遠ざかってるメンバーもいるし。それに……」
「なんだ?」
「いや……ボクはリーダーやってたけど、いまいちメンバー間をまとめきれてなかったからさ……」
「説得する自信がないって?」
「いや、それはアナタの仕事でしょ?」
「そりゃそうなんだけど、正直どこから手を付けたらいいかわかんないし、他のメンバーの連絡先も知らない。無理ゲーなんだよ、もともと」
 カンナは中空に視線をさまよわせた。
「わかった。ボクが仲介するよ。他のメンバーに連絡してアポ取るわ。そしたらアナタに連絡する」
「それは助かるな」
「連絡先、教えて」
「メアドでいい?」
「ちょ、lineとかやってないの?」
「やってなくはないけど……友達いないし」
「ちょっと貸して」
 俺のスマホをひったくったカンナは素早く指を動かし、気づかないうちに友達登録していた。
「とりあえず連絡ついたメンバーから日程を決めて報告するからさ」
「わかった。じゃ再確認だけど、再結成と契約更新には同意してくれるね?」
「他の全員が同意したら、ボクもやる。一人でも欠けたら、この話はナシだ」
「ちょっと待ってくれ、俺一人じゃ何をどうやったらいいかわからないよ」
「しょうがないな、何かあったらボクのLINEに連絡してくれていいからさ」
「よかったー、助かるわ、マジで」
「がんばってよ、土橋さん。ボクもまたあの5人でやりたいと思ってるんだからさ」
 初めて名前を呼ばれた嬉しさはあったものの、明日からの遠い道のりを想像して、気が遠くなりかけた。
「まずは、ひーちゃんからだな。彼女とアポが取れたらLINEするから。じゃ」
 言うなりカンナは立ち去ってしまった。
 俺はひとり途方に暮れていた。

 再結成期限まで、残り5日。
 軍資金、残り¥27,250

#4に続く



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