ウエダミライは何者で、何がしたいのか?
最終更新:2026.1.5
ウエダミライと言います。
この自己紹介を結論からいうと、文章を通して誰かの役に立ちたい!という事です。
簡単な紹介

ウエダミライと言います。
34歳、妻と息子と一緒に住んでいます。
好きなものは、家族とイオンとウォーキングです。唐揚げも好きです。noteももちろん好きです。
嫌いなものはあまりありません。生卵と確定申告くらいです。
基本的に楽天家であり、死なない限りおおむねハッピーに捉えられる自信があります。
やっていること

名古屋で建築系の法人営業をしています。
その傍ら、空いた時間でクラウドソーシングでのWebライターをしています。
フリーランスになりたいとか社長になりたいとか様々試し、なんだかんだサラリーマンに落ち着きました。(後述させて下さい。)
発信の場として、2024年からnoteでエッセイを書いています。
生い立ちとそこから形成された思考

幼少期
本当に何も考えず育つ。
好きな事をし、好きなようにして育つ。
ただ、幼心ながらにお母さんが怒っているときは大人しくしようとは思っていた。
アニメ大好き。2000年前後のアニメのオープニングはだいたい歌える。
ポケモン大好き。ダイヤモンドパールまでなら鳴き声はほぼ完ぺきに覚えている。
小2で父が他界しているが、驚くほど心の傷などない。むしろ死後に美談ばかりでてくる父がどこか神格化されている。
少年~青年期
中学生までスポーツもへたくそ、勉強はそこそこだが1位でもない、女の子にはモテないという湿った河原の石の裏のような生活を送る。
高校生になり得意なスポーツを見つける。部活の組織も居心地がよく、親友もできる。インターハイや国体、オリンピック予選にも出場し、自己肯定感の成長がタケノコをも凌駕する。
部活に夢中になりすぎて大学の推薦入試を失念していたことを除けば、進学にも後悔は特になし。
大学でも部活は続け、ウエダの自信の下支えになる。一人暮らし、友達、バイト、彼女、勉強、それまでネット上でしか見ていなかった偏差値55くらいの小さな憧れを概ね体験し、社会生活での視野は飛躍的に広がる。
就活も納得のいく大企業に決まり、田舎ではマウントが取れそうなキャリアを邁進する。お母さんは昔からそれがいいと言っていた気がする。
新卒~独立
大企業に属している同僚や上司は非常に刺激的だった。
時には厳しく、時には優しく、多くの人の考え方を教わった。ビールを挟んでの喧々諤々の議論も楽しかった。
大学の時に広がった社会生活の視野は、地球上の1市区町村だった事を知った。地図アプリでズームアウトさせられた気分だった。
この企業で上り詰めて、社長になろうと思った。
理由は当時はまったく言語化できていなかったが、今思うとそれが人生で一番楽しそうな事だと思っていたのだと思う。
子供が「しゃちょう」が「かいしゃ」で一番偉いと思っているのとニアイコールと思ってもらっていい。
できるだけの努力はしたと思う。結果も評価してもらえたと思う。
しかし入社して4年、頭をよぎり始めたのは独立だった。
世の中には、もっと自由に、もっと裕福に、もっと伸び伸びと人生を謳歌する「しゃちょう」がたくさんいるようだ。
言語化されていない、憧れだけが先行していた。
その3か月後にはベンチャー企業に転職し、その1年後には個人事業主としての初めての朝を迎えた。
登山のためにはまず山に1歩目を踏み出すことが重要で、その後は無心で歩き続けるしかないと当時は考えていたし、それが躊躇なくできた。
傍から見たらリュックもコンパスも持たずにクロックスでヒマラヤふもとに来た、やる気だけはすごい人に見えたと思う。
個人事業主と絶望
やれることは何でもやりたい。
名古屋の広告代理店社長と仕事をするウォーターサーバー販売を中心に、イベント運営、ホームページ制作、動画制作等、空いた時間に何でも詰め込んでいった。
毎日忙しく、お世話になった社長の姿から勉強したビジネス像をアウトプットする毎日だった。
楽しいと思った。
セールスやマネタイズの難しさを知ったり、会社の看板がないことの大変さを知ったり、今までいろいろな人の助けを借りてサラリーマンをやっていたことを重く重く実感する毎日。
大学時代の親友の結婚式も断ったし、実家の家族の集まりも断ったし、妻と遊びに出る時間もほとんど仕事に使った。
経済的な余裕が生まれているわけでもなく、初めてお金を借りた。計画的に返せるかは正直不安しかなかったが、その不安がパフォーマンス低下を産むと思い、不安と思わなかった。
それでも、後の賛辞を買うための投資だと信じて歩いた。
弱音を吐く社長には誰もついてこないと思って歩き続けた。

宝を求めて地中を掘り進める男性を比較した絵を、一度は目にしたことがあると思う。
見事に宝にたどり着きそうな男性と、あと数メートルで宝というところで諦めて踵を返す男性を比較した絵だ。
僕としては3つ目の比較対象として、宝のある場所とは別の場所をひたすら掘り進める男性の絵も追加してほしい。
もうすぐ宝かも!とひたすら掘り進めればいいというわけではない。冷静に、どこらへんに宝があるのかを考える時間が必要だと思っている。今では。
結論、個人事業はうまく行かなかった。
お金も人間関係も限界。何よりも自分の本心に蓋をし続けた精神に限界が来てサラリーマンに戻ることにした。
皮肉にも、やっと弱音が吐ける事に安堵した。
「新卒の企業辞めなきゃ良かった」
出てくる弱音は心底 心を抉った。ずっと分かっていた事だったから。
再出発と勝算、幸せの閾値
未経験OKの建築系会社に入社し、営業の仕事に就いた。
給料は正直新卒2年目の方が高い。でも転職活動の過程で高望みはできない事は感じていた。
ライフワークという思いは更々無く、まさに飯を食べるためのライスワークだった。
そんな風にどこか斜に構えていたが、今までの幼い考えと、どの山の頂上にも近づけていない実績を恥じていた事は確か。
もう一度自分を拾いなおす思いで毎日通勤した。
するとどうだろう。
結果もそれなりに出たし、人間関係も抜群に楽しくなった。
言いたいことが言えて心理的安全性は今までのどんな環境よりも高い。また休みも満足に取れ、新しく読書や運動などの趣味も広まった。
人に感謝する事ばかりになった。
話しかけやすい職場の人にも、これまで自分のキャリアや人生観を作ってくれた人にも感謝しかない。
もちろんこれまでのあがき続けたキャリアがあっての事。全ての経験に感謝しかない。
そしてなにより、一緒にいてくれる妻に感謝しかなかった。
精神が満たされた始めたとき、人生の勝算が見えた。
今まで漠然と「しゃちょう」になって「ばくだいなしさん」を稼いで「すきなこと」をやるぞ!!と思っていたが、落ち着いて具体的な目標を決めると、欲しいものは意外とすぐ手に入った。
妻と旅行にも行けたし、納得いくマンションも買えた。
その後さらにキャリアアップで転職。
今では歳相応な買い物は問題なくできるレベルになり、会社でのポジションも上がっている。
「なんだ、意外とできるんじゃん。」
自分の幸せの閾値は意外と低いことを知ったし、これならもっともっと人生を充実させられると思った。
今では子供も生まれて、胸を張って「幸福だ」と言える人生を過ごしている。そしてそんな気持ちや経験を材料に人を楽しませられたら、と考えている。
今後やりたいこと

「人を楽しませたい」は良いものの、どうすれば…と考えて、ツールとして「文章」を選びました。
僕自身、文章でたくさん笑ってきたからです。
中高生のころは毎日夢中でテキストサイトを読み漁りました。patoさんの「Numeri」はパケ死を恐れるウエダ少年の最高のおもちゃであり、最高の教科書でした。
ケラケラ笑い転げた事を思い出し、次は笑わせる側に立ちたいと思ったのがきっかけです。
こんな事を考えているうちに、noteでエッセイを書くに至りました。
「無くてもいいけど、あったら嬉しい」くらいのエッセイを書きたいと思います。
楽しんでもらえるエッセイを研究し、書き続け、もっと多くの人に届けるのが今の目標です。
良ければフォローしていって下さい。
長くなりましたが、これからもよろしくお願いします!
つづく
