【短編小説】かずこさん
「ねぇ、ひとかけらちょうだい」
りんご飴みたいな色のマフラーを巻いた女の人が、声をかけてきた。
水曜日の三時半、穴場の大野公園。赤いブランコの上で、板チョコを食べようとしていたときだった。
「え……っと」
「ごめん、びっくりしちゃったよね。なんでもない、なんでもない」
女の人は、見る間に真っ赤になって、マフラーに顔をうずめた。その姿がなんだかかわいくて、わたしは板チョコを割った。板チョコはうまく割れず、三角定規のようなかけらになってしまった。
「はい、どうぞ」
「ありがと。わたし、かずこです」
かずこさんはとなりの黄色のブランコに座り、とがったチョコをじっと見つめていた。
「チョコの涙…。ありかも」
そうつぶやいてチョコを舌先にのせる。
「うん、甘い!…あぁ、ダメだ。涙はしょっぱい
んだ」
かずこさんはひとり言をつづけた。
かずこさんは「不思議な人」だった。
次の水曜日、いつものように公園に行くと、かずこさんがブランコをこいでいた。
「あっ、みくちゃん。となりどうぞ」
わたしにきづいたかずこさんは、赤いブランコをポンポンとたたいた。
となりに座ったけれど、なんだか気まずくて、わたしは手さげ袋からマシュマロを取り出した。
白いマシュマロは、柔らかそうに見えるけれど、かみごたえがある。何度もかみ続けるわたしの横顔を、かずこさんは見ていた。
「食べ…ますか?」
「いいの? ありがと」
かずこさんはマシュマロを袋からいくつか取り出すと、一気に口の中にほうりこんだ。
「うん、消しゴム食べてるみたい。」
かずこさんは「苦手な人」になった。
わたしは、苦笑いをして推理小説を読み始めた。
次の次の水曜日、わたしはかずこさんがブランコに座っていないことを願いながら、公園にやってきた。
だけど、神様に願いは届かなかった。
わたしは、かずこさんに軽く頭を下げ、赤いブランコに座ると、反対側を向いておせんべいをかじった。
だけど、おせんべいはパリッとしていて、隠れて食べようとしても音がひびいてしまう。
「いい音がするね」
かずこさんは、笑った。
「かずこさんもどうぞ」
かずこさんの口の中で、パリパリ音がする。
「おいしいね」
「うん。でも、わたしはしなしなのおせんべいが好き」
ムイシキに会話を続けてしまった。
「じゃあ、ぬれせんべいだね」
「ぬれせんべいってなんですか?」
「なんか、ぐにゅってしていて、ふにゃってしているおせんべいだよ」
「ふふ、なにそれ」
それだけのヒントじゃ色も形も想像できなくて。ちょっとだけ面白かった。
おせんべいを食べ終えたわたしは、SF小説を取り出した。
かずこさんは、知らないうちにいなくなっていた。
家に帰ると、ママは台所で夕食の用意をしていた。
「おかえり」
「ただいま」
「今日は何して遊んだの?楽しかった?」
「うん。公園で友だちとおせんべい食べたよ。ママ、ぬれせんべいって知ってる?」
「知ってるよ。みくは食べたことないっけ?こんど買ってくるね。またお友だちと一緒に食べな」
次の次の次の水曜日、わたしとぬれせんべいは、かずこさんを待っていた。
だけど、十分待っても、二十分待ってもかずこさんはこなかった。
そのうち、ポツポツと雨が降ってきた。
わたしは、屋根があるベンチに移動した。
ため息をついて、ぬれせんべいの封を切った。醤油の香ばしいにおいがする。一口かじると、びっくりした。本当にぐにゅっとして、ふにゃふにゃしている。それに味が濃い。思わず、水筒のお茶を一気に飲んだ。
そうか、このおせんべいは、公園で一人で食べるお菓子じゃないんだ。こたつの上であったかいお茶を飲みながら、ゆっくり食べるおせんべいだ。
「ごめ~ん、おくれた~」
かずこさんは傘もささず走ってきた。
「かずこさん、これ」
「お、ぬれせんべいだね。どう、おいしい?」
わたしは横に首をふる。
「…おいしくない。全然おいしくない。もうやだ」
雨音にかき消されそうな小さな声。だけど、やっと言葉にすることができた。
わたしにも友だちはいる。今日の休み時間は友だちと絵を書いた。アイドルの話をした。体育館でドッジボールをした。
学校でぼっちになりたくないから、話を合わせて楽しそうなふりをする。
だから、放課後は遊ぼうって誘わないし、誘われない。
でも、「放課後、友だちと遊ばないの?」ってママは言う。
わたしは本が好きだ。悲しい話を読むと涙が止まらなくて、冒険の話を読むとワクワクして、推理小説を読むとハラハラして、本は、心をいっぱいにする。
「家で本を読んでいたい」と答えたら、ママは悲しそうな顔をした。だから、わたしは水曜日に友だちと遊ぶふりをする。公園で2時間くらい本を読んで家に帰る。
「みんなと遊んで楽しかったよ」そういうと、嬉しそうにママは笑うんだ。
ぬれせんべいを食べながら、かずこさんは話を聞いてくれた。そして、「わたしの家、あそこ」と、公園の前にある白いアパートを指さした。
「いつも、見てたの。みくちゃんがブランコでお菓子を食べているすがた。」
かずこさんには、やっぱりばれていた。
「あーあ、こたつの中でゆっくり本読みたい」
「うん」
「でも、ママに本当のこと言えない。ママ、きっと悲しむよね」
「うん」
「でも、わかってる。言わなきゃだめだよね」
「うん」
「でも、わたし、がんばれるかなぁ?」
「がんばれなかったら、また一緒にお菓子食べるよ。でも、食べすぎて、太っちゃうのは困るなぁ」
かずこさんはぺたんこのおなかの肉をつまんだ。
雨はいつのまにかあがっていた。
玄関の扉を開けると、ママはタオルをもって、走ってきた。
「おかえり、雨だいじょうぶだった?」
「うん」
「どこで遊んでたの?楽しかった?」
わたしの頭の中に「楽しかった?」の文字が浮かぶ。
「楽しいっていうより…楽になった」
「え?」
わたしは、手さげ袋から本を取り出した。
「ママ、この本知ってる?」
宝物の本、橋本すーこ先生の『ノアとキリン』。
「あのね、ノアっていう女の子がキリンと旅に出る物語なの。キリンは動物園のオリから逃げ出して、広い世界を見たかったんだって。それから、ノアたちは小人に出会ったり、氷の世界をさまよったりするの。キリンはシマウマの王様にプロポーズされるんだよ」
わたしは目を閉じて、深呼吸した。
「それでね、満月の夜にキリンに乗って砂漠を走るシーンは、とってもステキで何度も何度も読み返したの。それくらい本が好きなの。だから」
いま、言わなければ。また水曜日は公園だ。
「友だちと遊ぶより、本を読みたい。ママ、心配しなくて大丈夫。わたしは、ちゃんと楽しいから」
キリンは旅に出た。でも、結局、キリンは動物園に戻ってくる。オリのそばにやってくる、小鳥と話をすることが一番幸せだったと気づいた。自分の居場所は、自分が知っているんだ。
それから、二人であったかいお茶と残ったぬれせんべいを食べてゆっくり話をした。
ぬれせんべいは、涙のせいでもっとぬれせんべいになった。でも、何倍もおいしかった。
水曜日、わたしはブランコを高くこいだ。
かずこさんは、今日も公園に来てくれた。
「ちゃんとママに言えたよ」
「そっか、がんばったね」
「今日は、かずこさんに会いに来ただけ」
かずこさんは、くしゃくしゃの笑顔でわたしの頭をくしゃくしゃなでた。
「これ、チョコとマシュマロとおせんべいとぬれせんべいのお礼。よかったら読んでください」
そういって、かずこさんは水玉の紙袋に入ったプレゼントをくれた。中をのぞくと、ノアがこっちを見てウインクしていた。新しいノアの小説だ。
「偉大な小説家・橋本すーこ、本名は橋本数子です」
自己紹介のあと、耳まで真っ赤になったかずこさんは、白いパーカーのフードをそっとかぶった。
かずこさんはイチゴ大福みたいだった。
おしまい
