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【エッセイ】唐揚げが目にしみる

日曜日、唐揚げを作った。
もも肉二枚と胸肉一枚、計三枚。
もも肉は塩胡椒、胸肉は醤油ニンニク。
片栗粉の衣でカラッと揚げた。
(うそ。胸肉は少しベタついた)


「揚げ物は家で作るものじゃない。買うものよ」
先輩ママ友の進言を忠実に守ってきた。
だが、子供が成長し食べる量が増えたら買うより作る方が安上がりになった。


唐揚げ作りは面倒くさい。油でキッチンは汚れるし、油の処理もしなきゃいけないし。


それでも、
家族4人揃ってご飯を食べられる日はそう多くないから。
「ママの揚げたての唐揚げが1番美味しい」と言ってくれるから。


わたしは唐揚げを月一回程度つくる。



思えばわたしもおかんの作る唐揚げが大好きだった。
学生のころ、焼きサバやコロッケの惣菜が食卓によく並んでいた。
それでもリクエストすると、作ってくれた。


目分量の塩胡椒、大量の片栗粉をまとった手羽元の唐揚げ。


適当に作るのに、なぜかジューシィで味付けも完璧だった。


おかんはもう唐揚げを作らない。
糖尿病の親父との生活だし。
帰省したときは、わたしと姉で料理を作るようになったし。
(相変わらず妹は何もしない。why?)



そして。


わたしには、かけがえのない唐揚げがある。


あれは30年以上前のこと。


母が妹を妊娠中、前置胎盤と診断され長期入院していた。
6歳と7歳のわたしと姉は、母のいない生活を送っていた。


「お母さん、明日も電話してね。絶対やよ!」


甘えん坊の姉は、何度もせがんでいた。
安静が必要な母は、毎日公衆電話まで歩いた。


わたしは、姉と電話を代わろうとしなかった。
電話代がもったいないし、迷惑をかけたらダメだと思ったのだ。
それに、親父とじいちゃんとばあちゃんにもなんとなく悪い気がした。


母がいなくても、家族がいる。
わたしはいつも通り生活していた。


そんなある日。


煮物と味噌汁しか作れないと思っていたばあちゃんが唐揚げを作った。


テーブルの上には揚げたての唐揚げが並んでる。


「ばあちゃん、なんで?なんで?」


ばあちゃんは、恥ずかしそうに笑った。
その顔を見たら、わたしもちょっとだけ恥ずかしくなって、大きめの唐揚げにかぶりついた。


ばあちゃん。



味が



しないよ。



ばあちゃんの作る料理はいつも味が薄い。
白菜の煮物も、エノキの味噌汁も。


健康志向のためじゃなくて、味見をしないから。(だけど、ぜんまいの煮物は絶品。why?)


唐揚げもきっとそうだ。と、いうよりそもそも作り方すら知らなかったと思う。


相変わらずのばあちゃん。


でも…。


わたしはテーブルの上に置いてあるアジシオを手にとり、唐揚げにふりかけた。


「ばあちゃん、すっっごく美味しいよ」


あの頃。
わたしは素直じゃなかったから、寂しいときに「平気」って言ったし、平気なときに「寂しい」って言ってた。


わたしは唐揚げを何個も頬張った。


その姿を家族は静かに見守ってくれていた。


あの日は、特別な日。


ばあちゃんが最初で最後の唐揚げを作った日。


わたしは、


ずっと


塩味の唐揚げが大好きだ。






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