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寂しかったのだ


序章


 私はストレスに悩まされている。そう思うものは多分この人類にもそれなりにいるだろう。私もその一人だ。ストレス。皆大半の人が嫌いだろうが、実はみなストレスが好きだというのが私の最近思うことだ。いきなり何を話出すのかと疑問に思われるかもしれないが、それを認めるとふと気が楽になるものだ。私はこれを今年の夏ごろ思った。
 しかし、ストレスが好きとはどういうことなのかというのは疑問だろう。ちなみに、その解には以前から私は実はうっすら感づいていた。というのも私は以前こちらの本を読んだからだ。

 こちらの本はスマホにお毒された我々人間の現状とその対策について書かれていた。そこには「不安は人間生き残るために用意されたメカニズムである」というようなことが書かれていた。だからストレスは人間が生きる上で必要だから人間は(正確には脳みそは)ストレスが好きなのだろう。そう考えていた。
 (ちなみにその本に関する感想も記しています↓)

 とは言っても不安、ストレスの不快感はやはり否めない。そして今年の11月私はとあることに苦しめられていた。それは後ほど語るが、最初はなんとなくのストレスだろうとは思っていたーー正確に言えばなんとなくそう思い込もうとしていいたのだと今は思う。というか薄々気づいていたがちゃんと向き合えてなかったとも言えよう。だが、そのなんとなくのストレスだろうという安直で拙い発想がとある本を読むきっかけとなった。
 それが今回感想をつづっていく。こちらの本である。


本章

初発の感想


 こちらの本は、先ほど序章にあげた"スマホ脳"の著者:アンデシュ・ハンセンが書いた続編的な本だ。内容はスマホ脳と被るところも多いが、その内容は私自身大事だと思っており、復習のいい機会だと思っている。
 本書は彼の持つ人類の生物進化の観点からストレスに向き合っていく内容。私自身これは全人類に読んでほしいと思っている内容ではある。これは切だ。そのくらい人間が生きていくうえで大事な内容だと確信している。ぜひ手に取ってみてほしい。
 ちなみに本書の文章的感想を先に述べておくと、基本的には読みごたえのある本だとは思う。しかし、少し表現としてよくわからない箇所が数個あったようにも思う。これは多分言語の壁が影響しているだろう。言語は国の考え文化が繁栄されるため、日本語ではくまなくニュアンスを伝えきれないところがあってもしょうがない。翻訳の久山葉子氏も相当頑張ったとは勝手に思っている。本書を読むときは少し注意いただきたい。
 とはいいつつ、私の理解力がないだけの可能性も大いにある。

 さぁここからは本書のネタバレ的な内容だ。まっさらな状態で本書を出迎えたい場合はここからの先はおすすめしない。ではいこう

人間全体としてのストレスの正体


 何故人間はストレスを感じるのか。それは生き残るために必要だったからだ。こんなことはもう自明の前提だがーー私のなかではーー、ではそれが一体どういうときに感じるのかという具体的な内容、本質的人間のメカニズムーー今回ですべて語り切れないーー、は正直まだフォローできていなかったように思う。なのでそれに迫りながら、私が思ったことを綴っていこう。
 人間にとってストレスとはどんな役割があるのか。それは自分の身を守ることと言えよう。そうしなければ自分の命は危うくなってしまうからだ。そうしないと人に殺されるかもしれない。ウイルスにかかって死んでしまうかもしれない。昆虫に毒殺されるかもしれない。そう我々の脳みそは思い込んでしまう。
 この時、我々の体ではHPA系という部分が活発になる。苦手な人、汚そうな場所、無駄に群れている虫の集合体、はたまたウイルスにかかって死にそうになっている人、そういうのを見ると我々の脳みその扁桃体という部分が警報を鳴らし、そのシグナルが下垂体(Hypothalamus)→視床下部(Pituitary gland)→副腎(Adrenal glands)へと続いていく。そうすると副腎はコルチゾールという物質を出し始める。コルチゾールはストレスホルモンであり、抗ストレスホルモンでもあると言われるが本質はエネルギー動員。生き残るために心拍数を上げたり、筋肉に対して戦闘もモードを発動させたりしする。そしてここは推測だが、その体の反応が脳の島皮質ーー脳が感情を作るのはここらしいーーという部分に帰ってくる。そしてストレスという不快感につながると言っていいだろう。
 ちなみに扁桃体からのシグナルは直接島皮質や他の部位にストレスホルモンを出している可能性もあるかもしれないが、少なくともかなり迅速ーーコンマの中でもコンマーーの対応が扁桃体には本来求められる。
 このような体のメカニズムにより自分の身を守るように進化してきた。そうしないと命にかかわるからだ。狩猟採集民族時代は….!!!

現代のストレスとは


 ここで疑問に思った方も多いだろう。苦手な人を見て命の危機にかかわることなんてあるんだろうか?いや会社でのストレスや人前でのパフォーマンスの緊張はどう説明するんだ?命に直接かかわらないのでは?など浮かぶだろう。だが、言わさせていただこう。多分だが、脳みその勘違いである
 我々の体は狩猟採集民族の時代から変わっていない。なぜならば生物の進化というのは何万年とかけて行われる非常に長いもので、実を言うと人間がやっと農耕に手を出したのは1万年前と言われている。ちなみに狩猟採集の時代は25万年前からはじまったと言われている。25万分の1でやっと田植えを始めているのだ。そこから目まぐるしいスピードーー一応地球規模でみればーーで環境は変わり果てている。そりゃぁ人間の体内アップデートついていけない。ゲームやプログラミングで不具合があればアップデート、修正などをすぐ試みるだろうが、それが我々人間にとっては何万年もかかってしまうのだ。ここのギャップだ
 このギャップのより多大なエラーが脳で起きている。故に実は色々な芸術、味などを楽しめている(ドーパミン的エラー)と思うが、同時にストレスの側も同様だ。
 苦手な人というのは人間が生んだ捉え方の一つ。本能に準じてその意味を用意すれば「こいつに殺されるかもしれない。どうする、逃げる、それとも先にやってしまうか」実はこれだと思っている。だから人間は人をいじめたくなるとも言えるのだが、多分本質はこれだと思っていい。しかし我々人間には理性がーー脳科学的に言えば前頭葉ーーを持っているのでその気持ちの抑えたり、解釈の方向を変え対応することができる。これは人間の救いだ。
 会社でのストレスもこれと似たようなところがあるが、人間関係以外のところで言えばエラーなところもあると思う。ここに関してはまだ不明なところがある。
 人前でのパフォーマンスもそうだ。失敗するということが我々の命に関わると思っている。失敗により自分の立場・居場所を失うと思い込んでしまう。実際はそうではないのに。そうすると孤独になってしまうかもしれない。そして私は命絶えるのだ…、なんて脳みそは思い込むわけだ。実際のところは被害妄想でしかないが。
 でも仕方がない。脳が進化していないのだから。余程本能のアルゴリズムを変える画期的なメソッドが出ない限りここは避けられないだろう。でもこう思ったときは脳が勘違いしているだけ、ということを踏まえると多少気持ちは楽になるとは思う。特に楽器演奏なんかは狩猟採集民族的に捉えれば、イノシシを狩りに行くのと同じ気持ちだと思い込めばいい。死なずに帰ってこれたら人安心。そう思っておく方が落ち着くだろう
 ちなみに人前でのパフォーマンスの例は少しストレスととあることを切り分けて考える必要がある。それを次のトピックで見ていこう

ストレスと不安の違い


 不安とストレスの違い。考えたことはあるだろうか。私は本書を読むまで考えたことがなかったが、実は違いがある。下記参照だ。

◇不安
特定の対象が明確ではない、漠然とした不確かさや恐れ、心配する気持ち
◇ストレス
物理的・精神的な外部刺激(ストレッサー)や、それに対する心身の反応全般

 簡単に言えばストレスが原因で不安を感じるとも言える。また不安はストレスに包括されるともとりたい….
 例えば私の同い年にはあまたの大学3年生がいるが、彼らは漠然と不安を抱えている(に違いない)。2年も経てば一応建前的に社会と呼ばれている日本の会社に放り出され、ずっとそこから辛い、病むかもしれないと言われている環境に耐えなければならないかもしれない。それが待ち構えていると思うと、自分の今後の人生がどうなるか心配になってくるものも多いだろう。これが不安の代表例だ。こういうことで『自分は生きていられるだろうか』なんて思ってしまう。死ぬのを潜在的に恐れているとも言えよう
 何度も言うが脳みそが勘違いしているのだ。でも仕方がない。誰のせいでもないのだ。こういうときは今に集中するしかない。具体的にどうしろとかはここでは言えないが、間違いなくそれは一つ不安をかき消すことを助けてくれるはずだ。

内子のストレスの正体


 さぁ、私の感じていたストレス。ここの問いに戻ろう。薄々感づいていたとは言っていたものの一体なんだったのか。ちなみに言うともっといえばそれは不安の部類だった。実は本書にそれについて1章分まるまる使って書かれていた。それは"孤独感"である。
 孤独は人に害を与える。それは人間は群れでくらし、協力してここまで生きてきた。それは狩猟採集民族時代からも変わらない。そしてその時代の人間が一人という状態はかなり危険だった。一人ーー孤立状態であれば群れとりも死ぬ確率がぐっとあるからだ。昔は人間は群れることでなんとか生き延びていた。人間は一人だと生きていけないので死ぬんじゃないかと不安になるのだ。故人間は孤独だと感じたら、非常に寂しくなるようにできているのだ。その弊害は私が一番よく感じている。
 私は他とは違う趣味、考え方、生き様を持って生きてきた自覚がある。その始まりは多分小学校1年に遡る。それ以来、私はこの群れたがりの学生とは何か違うと思いながら生きてきた。群れることは悪、そんな発想も出てきながら人格形成もなされたことだろう。今はそうは思わないがやはり群れてるだけの奴、流行りに乗ってるだけの奴にはなりたくない。不必要な群れはストレスになるという考えには変わりはない。しかしそこにはやはりいつも寂しさが残っていたように今は思う。とは言うものの少なからず友人は居た。なんならその友人とも年末飲みにいく約束をするくらいには今も親交はある。だがそんな友人たちとも話が合わなくなってきたり、皆girl friendの相手ばかりで私に時間を割くことはかなり減った。そういうのもあり、元あった寂しさがより助長されているように思う。
 さらには配信、声活動においても実はこういうことを思うことがある。私自身あまり人に懐く、懐けるタイプではない。全然そういうところは苦手。人を誘うときはかなり覚悟を決めて誘ったりしている。そんな私は最近Spoonという媒体で配信をしているのだが、ここではかなり色んな方とここ1年ご縁を紡いだつもりだ。私の配信にもたくさんの方が来てくれるようになったーー比べればけまだ少ないほうだけどもーー。おかげさまで色々な方と接することができている。感謝したい。しかし、色々な方と接しているならば孤独なんか感じている場合か?と思われるかもしれない。だがこれが感じてしまう。
 ここで大事なのはあくまで孤独"感"であること。色々な人と接していてもやはり感じてしまう。(これもまた人間のエラーなのだろうか)実は本書にも色々な人と関わっていても孤独感を感じる場合はあるという。私はその例だ。そしてその人には何が足りないかがこの文言から見えてくる。
 『孤独感を解消するには薄い関係大勢よりも深い関係少人数の方がいい』
 この文言にははっとした。今思えば深い関係値のある存在ーー昔からの友人が私から遠のいているからこそ孤独感が増したというのがかなりミソだと思う。そして私は思った。新たに友達を作らなければならない!!!正直このマインドはつい最近まで毛嫌っていた節がある。そんなのは中途半端に群れることを助長してしまうのではないか?そんなことを思っていた。群れる安心感を私は知っていたからだ。しかし、そんなことを言っている場合ではない。今秋、いや人生の大半私が苛まれてきた悩み、それは孤独感だったことには間違いがない。
 だが未だに群れることにかなり慎重だし、脳が簡単にそれは受け付けない。いつも私はコミュニティの中ではアウトサイダーだ。しかし、その生き方も少しの信頼できる友がいれば通用すると思っている。これもまた脳みその勘違いなのだから。そして新たにこの人だという人物を私は何人か目をつけている。その方々今後ともよろしくお願いしたい。

終章


 孤独は実は煙草を吸うのと同じくらい体に悪い。さらにうつ病への触媒になってしまうこともあったりするーー本書を読むとうつ"病"とは言いたくなくなるーー。それくらい実は体にも悪い。だから健康的な意味でも孤独は本来避けた方がいい。まぁまだ葛藤はぬぐえないがね…笑
 そして本書は他にうつ病へのメカニズム、運動の効果、人間の持つ宿命本能など様々なトピックからストレスについて向き合っている。ぜひとも読んでみてほしい。

さらにそして、
孤独を解消したからといって幸せになれるわけではない

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