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忘れられない、あの秋の日々「世界の色彩が薄くなる季節」

私にとって、秋は「世界の色彩が少しずつ薄れていく」季節だ。

あれほど力強く茂っていた木々の緑は、鮮やかな赤や黄色に変わり、やがて地面へと落ちていく。その鮮やかささえ、すぐに色を失い、灰色へと溶けていく。

空もまた、どこか白っぽく透き通り、光は柔らかくなりながらも、どこか遠くへ行ってしまったように感じられる。景色全体が色彩フィルターを通したかのように、淡く、儚げに見えてくる。

そんな季節が訪れると、毎年無性に「寂しさ」を感じるのだ。それは一年を通して「終わりに近づいているから」かもしれない。

いや、根本的なところで言うと「焦り」なのかもしれない。

いつの頃からか、時間が経つのがやたら早く感じるようになった。

年が明けて、新年心新たに「今年こそは」と目標を立てるが、気が付けば暖かな春が訪れ、色鮮やかな夏になる。

そして、何も出来ずに秋を迎えてしまう。

「今年の残りも、もう僅かじゃないか」

そんな生き方の繰り返しになってしまっているからだ。

自分は何も進めていないという感覚。
そして、周りから取り残されているという感覚。

そんな「焦り」が、この季節に「寂しさ」を生み出しているのだ。
世の中では「紅葉の季節」だとか、「食欲の秋だ」と、また夏とは違った色彩を放っているが、私の目からは色褪せて見える。

でも、だからこそ見える物もある。

世界が色褪せて見える時こそ「自分の心の色」は濃く見えるものだ。外の鮮やかさが静まる分、内側の思考や感情が際立って見えるようになるのだ。

「自分にとって価値のあるものとは何なんだろう」
「きっとこれが私にとって価値のあるものだ!…いや本当にそうなのか?」

それは傍からみれば無意味な行為なのかもしれない。「そんな難しい事考えずに気楽に生きろよ」と。

確かに、自分の思考や感情と向き合うことは「苦しい」
それは心に色々なペンキをぶっ掛けて、「自分に合うかな?」と試行錯誤しているかのようだ。

それは不格好だったり、おかしな色だったりするかもしれない。人から笑われるかもしれない。

でも、私にとっては「色褪せた心のまま」でいるより
「不格好でも色鮮やかな心」でいたいのだ。

秋の物寂しさは、決してマイナスのものではない。

それは「自分の内側と向き合え」という合図なのだ。色が退いていくからこそ、見えてくる景色がある。

世界が色褪せたとしても、自分の心は色鮮やかに生きていけるのだ。




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草なぎ|生き直し支援作家 / 病気・内向型の生き直し よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!