手放せることと諦められないこと ―About me―
はじめまして、Teika(テイカ)と申します。
質問:あなたは、目の前が見えなくなるまで殴られたことがありますか?
→ある時の私は日常茶飯事でした。
10数年前、アメブロでDV・性暴力・虐待のサバイバーとしてその経験等をつれづれに書いておりました。
https://ameblo.jp/ub-proj/
自身の体験を記事に書くことができるまで、
相当の時間がかかりました。
書いていた頃も、今思えば自己肯定感などなく、自己犠牲は当たり前、
人が当たり前にしていることがほとんどできていないのに、
外面だけは完璧に見せることは出来ていました。
出来ていなかったこと、
家族と一緒に食事をしてはいけませんでした。
この意味、理解できないと思います。
そして、ブログを書くことから離れ、子どもを守るのに必死で働き…
感情や事実を隠す癖が治らない愚かな私は、簡単に騙されました。
そして怒りという感情が制御できない日々が続きました。
成人した息子から、
「もういい加減自分の好きなことをしてください」
と、言われました。
好きなこと?
…やれば殴られる、壊される、隔離される…
やってはいけない思い込まされていたことでした。
歌いたい、、、
演じたい、、、
…あとどれだけ生きられるのかなった時、
生活を守るための労働+やりたいことを全力でできる時間は限られている。
「歌を唄う」
これだけは諦められなかったのです。
昔の様に鍵盤で打ち込みDTMをやって、、、
すぐにできる訳がありません。
禁止されていたことをやることの恐怖と闘うことから始まりました。
pianoを弾くという行為も自分の曲でなく、
他人の為ならばそれなりにできました。
自分の曲のコードを指で押さえることさえ、やってはいけないこと、
恐怖でした。
私を支えてくださった医師からは
「寛解まであと2年は必要、無理はしないで」
その言葉通りに無理しなければよかったのですが、、、
子どもを育てるためにはそうはいかなかったのです。
そして、ボロボロになって、もう何もないとなった時に
「ああ、何もないのではなく、何も要らないんだ」
と、開眼しました。
意味もなくとっていたもの、不要な感情を手放していきました。
息子の私への思いがようやく理解できるようになったのです。
「好きなこと」は、私が諦められなかったこと、そして手放せないのだと。
実は今日、こんな私を今まで支えてくれた友人の誕生日なんです。
その記念となる日に活動開始宣言がしたくて準備してきましたが、
思い通りに進んでいない状況ですが、、、
諦められなかったこと、手放していく姿を残していきたいと思っています。
今現在、過去の私のような体験をしている子どもたちを支援していきたいと思い、ここで準備し、実行するために活動をして参ります。
お付き合いいただけたら幸いです。
よろしくお願い申し上げます。
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引き続き応援いただけましたら幸いです。
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