noteはアイデア発表会ではない。わかるものの再配置である ━━斬新なネタを求める書き手さんへ《今週の三題噺発表》
花見の季節になると、屋台のりんご飴を見るたびに少しだけ気まずくなる。毎年いる。毎年赤い。毎年あの、噛んだ瞬間に口のまわりまで祭りにしてくる感じも変わらない。
なのにちゃんと毎年人が並ぶ。あれを見ると頭のどこかで、まだベタは生きているらしいって思う。流行に置いていかれた古い優等生みたいな顔で、屋台の列の中にちゃんと立っている。
noteを見ていると、ときどき妙に考えてしまう。ベタだけどおもしろいものがある。逆に、斬新なのに全然おもしろくないものもある。
新しい言葉、新しい切り口、新しい構成、新しい視点。たしかにやっていることは新しいのに、読んでいるこっちの脳がずっと入口の前で靴を脱げずにいる。おもしろがる前に、まず理解で息が切れる。頭の中に受付があって、「本日の展示は前衛的です」と言われたまま立ち尽くす感じで。いや、前衛でもいいんだよ。ただこっちはまだ案内図も見ていない。
「ベタが正義」という話ではないのよ。そんなことを言い出したら、表現の世界が学級新聞みたいになる。安全で、無難で、誰も怒らないけれど、読んだあと何も残らない。
そうじゃなくて、ベタにはベタの交通整理がある、ということで。
人は見たことのある景色だと、そこに入るのが速い。花見だと言われたら、もう桜の下にブルーシートが見える。コンビニのおにぎりが少しつぶれている感じも、昼間から飲んでいる人の笑い声も、だいたい頭に出る。ここが強いんだよ。「花見」だけでそこまで浮かばせるから説明コストが安い。
そのうえで、そこに何を1個だけねじ込むか、なんじゃないかな。
全部を新しくしようとすると読者の頭は忙しくなる。地図も新しい、乗り物も新しい、通貨も新しい、あげくに重力のルールまで違うみたいな国にいきなり降ろされる。観光ではなく遭難である。
斬新なのにつまらない文章って、だいたいこの感じで。
書いている本人の中では全部つながっている。自然に見えてる。でも向こう側にはまだ橋がかかっていない。川のあっちで「ほら来て」と手を振られても、読者は靴下まで濡れる未来しか見えない。
たとえば漢字検定もそうだ。いきなり一級の問題を出されたら、ありがたみより先に白目が来る。「薔薇」とか「躑躅」とか、いや書けてたらかっこいいよ、とは思う。
でも日常でそんなに出会わない字ばかり続くと、試験というより古代の呪術に参加している気分になる。人は少し背伸びすれば届くものには燃えるけれど、助走の段階で膝が笑う高さになると、もう感心しか残らない。感心はする。けど夢中にはなりにくい。
文章に必要なのは「最適な複雑性」なのではないか。
簡単すぎると眠い。難しすぎると入れない。そのあいだの、わかるけど少しだけ新しい、知ってるけど言い方がずるい、景色は見たことあるのに置いてあるものが変、というあたりに人は長く立ち止まる。
銀メダルくらいがちょうどいいのかもしれない。
金じゃないのかって自分でも思うけども。そこは金って言えよって。でも銀メダルには妙な現実味がある。すごい。十分すごいのよ。なのに少しだけ悔しさが混じる。あと半歩が見える。届きそうで届かなかった距離がそのまま物語になる。
文章も全部をやり切ってしまうより、少しだけ届ききっていないところがある方が読者の手が伸びる。
完成されすぎたものって正しさはあるのに参加する余地がない。拍手はされるけど自分も書こうにはなりにくい。
読者は作家の完成品を見に来ているようでいて、案外そうでもないのだと思う。
理解できる場所に立ちながら自分の知っている世界が半歩だけずれる、その感覚を求めている。
花見の屋台で見たことのある景色の中にひとつだけ変な会話があるとか。普段使う日本語の流れの中に漢字検定の問題みたいな密度の高い一語が混ざるとか。王道の話をしていたはずなのに、途中で急に、あれ、この人かなり変な見方してるなとか。その半歩が効く。
刺さる文章は新しさを大量に積んだ文章ではない。読者が知っている足場の上に、新しい重心を置いた文章だ。
この足場を軽く見るとだいたい失敗する。ありきたりを嫌うあまり、ありきたりが持っている機能まで捨ててしまうから。
定番には定番の理由がある。花見が毎年ベタでも成立するのは桜が強いからだけじゃない。人が何を見て、何を飲んで、何を話すかの予感まで、もう景色として共有されているからだ。その共有を使えば書き手は本当に見せたいズレに体力を回せる。
まぁ、こういうことを言っていると、自分がものすごく設計できている人みたいで少し恥ずかしい。現実には書いては「普通すぎるな」と思い、ひねっては「誰が入れるんだこれ」ってなり、その往復で机の前に小さく座っている時間の方が長い。
ベタを怖がり、斬新に憧れ、でも読まれたい。だいぶ勝手である。書き手なんてたぶん全員すこし面倒くさい花見客だ。場所取りはしたいのに目立ちすぎるブルーシートは敷きたくない、みたいなことばかり考えている。
次に書くとき少しだけ意識したいのは、新しさを足すことより、読者が立てる地面を消さないことだ。
全部を発明しなくていい。ひとつでいい。見たことのある景色の中に見たことのない角度を置く。そのくらいがいちばん長く残る。
常に書くことを考えてしまう人は、たぶんその配分をずっといじっている。ベタと違和感の配合。わかるとわからないの境目。祭りの屋台の赤さと、帰り道の少し冷えた風みたいな、そのちょうどよさを探している。
書くのは完全な新規開発ではない。読者の知っている世界に知らない手触りを混ぜる仕事だ。
だから次の記事も全部を新しくしようとしなくていい。花見くらい知られた景色でもいい。そこにあなただけの銀メダルを置けばいい。読者は案外、それをちゃんと見つける。
《前回の三題噺》
1.銀メダル
2.花見
3.漢字検定
説明しよう!三題噺とは、まったく関係のない3つの言葉を強引にひとつの話にまとめる文章遊びであーる。頭をフル回転させながら、「どうつなげる?」「オチどうする?」という落語的プレッシャーが味わえます。エピソード構成力、語彙力、そして無茶ぶり耐性まで育つ、文章版・筋トレRPG。それが三題噺。やってみなきゃ、もったいない!
《今週の三題噺》
1.テトリス
2.狙いうち
3.春一番
ハッシュタグ
#木曜日は3ースデイ
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締め切りは一応来週4月1日(水)まで。
過ぎても大丈夫です。
#放課後ライティング倶楽部
[画像協力:さちわ]
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