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スーパーファミコンが私の青春をめちゃくちゃにした

『スーパーマリオワールド』1990年11月21日

神様は平等じゃないと知ったのは、1990年の冬だった。

うすうす気づいてはいた。足の速いやつは足が速かったし、女子と普通にしゃべれるやつは、こちらが一生かかっても手に入らなさそうな自然さで女子としゃべっていたし、先生に好かれるやつは、怒られる時ですら大御所に好かれる新人タレントみたいなしたたかさがあった。そういう差はまだ「そういうものかもしれない」で済ませられた。人間はいろいろだ。背の高いやつもいれば、九九が速いやつもいる。その程度の話だと思っていたのである。

そこへスーパーファミコンが来た。

これはいけない。

ゲーム機というのは本来もっと公平な顔をしているべきだと思う。勉強ができるかどうかや、クロールが速いかどうかや、女子にモテるかどうかとは別の場所に置いておいてくれないと困る。

ところがスーパーファミコンは、そういう子どものささやかな願いを平気で踏みにじった。

なにしろ持っているやつがいる。
持っていない私がいる。

それだけで世界は二つに割れたのである。「スーパー」の二文字が、当時の小学生に与えた衝撃は今の大人が想像するよりずっと大きい。あれはゲーム機というより新しい時代そのものだった。

教室の空気が少し変わったのを覚えている。

昨日までドラゴンボールの話をしていたやつが、今日は「マリオ、乗るねんて」と言っている。何に乗る?ヨッシーである。緑色の恐竜にマリオが乗る。しかもベロが伸び敵を食べ卵を産む。文字列にするとかなり様子の危険な生物なのだが、当時の私たちは誰一人としてそこに引っかからなかった。スーパーファミコンの前で人は驚くべき速度で常識を手放す。色がきれいで、マリオが飛んで、恐竜が出る。その3つだけで十分だった。

問題は、私の家にはまだそれがなかったことである。

親にねだった記憶はある。かなり真剣に訴えた記憶もある。「今買わないと時代に置いていかれるから!」みたいなことまで言った気がする。小学4年生か5年生の子どもが、自分の家にゲーム機がないことをビジネス書みたいに表現しているのだから切羽詰まっている。

ところが親はこちらの文明論にいっさい耳を貸さなかった。「ゲーム機が新しくなるたびに人類の夜明けみたいな顔をするな」と思っていたのだろう。あの頃の私はスーパーファミコンの発売を産業革命くらいの顔つきで受け止めていた。

だから私は持っている友だちの家へ行った。

この「行った」という言葉も少し違う。正確に言うなら吸い寄せられたのである。冬の放課後、ランドセルを背負ったまま、なんとなく歩いていたはずなのに、気がつくとスーパーファミコンのある家に着いている。あれは地域の避難所に近かった。男子もいた。女子もいた。ふだんゲームなんかしなさそうなやつまでいた。まだ小学生の世界には、のちの陽キャだ陰キャだという分断がそこまで本格化していなかったから、みんな「新しいもの見たい」という、その一点だけで集まれたのだと思う。万博みたいなものである。私たちは未来を見に来ていた。

テレビの前には人だかりができていた。

スーパーマリオワールド。

タイトルからしてなんだか堂々としている。ワールドである。兄弟から世界へ。

ブラウン管の中では見たことのない鮮やかな色が動いていた。ファミコンのマリオはあれで十分すごかった。しかしスーパーマリオワールドを初めて見た瞬間、私は「ああ、昨日までの世界、ちょっと古かったんだな」と思ってしまった。昨日まで何の不満もなかったくせに、新しい色、新しい音、新しい動きが目の前に現れた途端、人は平気で過去を裏切る。新文明とはそういうものなのだろう。

友だちは、やたらとうまかった。

そりゃそうだ。いや、持っているやつだけが知っている余裕みたいなものがあった。どこで助走をつければマントで飛べるのか、ヨッシーから降りるタイミングはどこか、どのブロックに何が入っているのか、そういう「まだ持っていない人間には分からないこと」をそいつはもう知っている。情報の格差に殴られているような気分になった。持っているやつはソフトと一緒に未来文明まで先に配られているのである。ずるい。私は御曹司でもなければ社長の息子でもないのだから、せめてヨッシーくらい平等にしてほしかった。

やがてコントローラーが回ってきた。

この瞬間の緊張を私はたぶん一生忘れないと思う。小学生の放課後には何度か人生に似た瞬間がある。初めて好きな女子と二人きりで話す時とか、先生に作文を褒められた時とか、そういう小さな事件と同じ種類の緊張があの灰色のコントローラーには詰まっていた。失敗したくない。うまいと思われたい。せめて「全然できへんやん」とは言われたくない。そういう見栄が手のひらにじっとり汗をかかせる。

見事に穴へ落ちた。

しかもかなり序盤で落ちた。自分でも驚くくらいきれいに落ちた。あまりにもきれいに落ちたので、一瞬マリオが死んだというより私の中にいた「スーファミうまそうな自分」が死んだような気がした。まわりが笑う。悪意のある笑いではない。ごく普通の友だちの失敗を見た時の笑いである。

当時はその笑いをまともに受け止めるほど人間ができていなかった。だから笑いながら、「いや、今のは確認やから」と言った。何の確認だ。穴の深さか重力の存在か自分でもよく分からない。情けない時、人間は言い訳の中身レベルまで落ちる。

もう一回やる? と誰かが言い、コントローラーがもう一度回ってきた。私はまたやる。今度は少しだけ進む。ヨッシーにも乗る。嬉しい。嬉しいのにすぐ穴に落ちる。するとまた笑われる。私も笑うがなんだか悔しい。でも帰りたくない。ここにはスーパーファミコンがあるからというだけではなかった気がする。とりあえず同じテレビを見て同じところで笑っていられた、あの放課後の空気そのものが惜しかったのだと思う。

家に帰ってからもマリオの動きが頭から離れなかった。その夜、自分の部屋で何もしていないのになぜか少し負けた気分になっていた。あいつは今もマリオで空を飛んでいるのだろうに、私は親に「また今度な」と言われて寝るしかない。子どもの世界には子どもの格差がある。その格差はときどき算数のテストよりも残酷な顔をしてやってくる。

今思い出して最初に浮かぶのは、悔しさより熱気のほうだ。誰の家だったかも曖昧な、少し散らかった部屋。ランドセルを放り出したままブラウン管の前に座り込む子どもたち。男子も女子もとりあえずマリオの新しい動きに目を丸くしている。あの冬の放課後には、たしかに未来だけが先に来ていたのである。

『SimCity』1991年4月26日

道路一本で人は揉める。

それを知ったのは友だちの家で『シムシティ』を見ていた時だった。テレビの中には更地が広がっていて、そこへ友だちが道路を一本引いた。ゲームというより公共事業の始まりだった。

本気で意味が分からなかった。

こちらはまだゲームというものには分かりやすい興奮が必要だと思っている年齢である。穴を飛び越えるとか、敵を倒すとか、勝つとか負けるとか、そういうものがないと何を楽しめばいいのか分からない。ところが『シムシティ』は、いきなり「ここに街を作ります」な顔をしてきた。

建てたのは住宅地である。

小学生が放課後にときめく言葉としては地味だ。しかもその隣には商業地が置かれ、少し離れた場所には工場が建てられる。私は画面を見ながら、これは本当にゲームなのか、それとも社会科の授業がテレビに侵入してきたのかをしばらく判断できなかった。

不思議なもので最初は「何がおもしろいの?」と思っていたくせに、5分も見ていると口が地方議員になる。

「いや、工場はもっと離した方がええんちゃう」

気づいたら言っていた。

自分でも驚いた。さっきまでこのゲームの存在意義すら疑っていた人間が、もう公害対策に参加している。コントローラーを握っているのは友だちなのに、私はすでに町の未来を少しだけ背負っていた。たぶん人間には地図を見せられると勝手に意見を言いたくなる性質があるのだと思う。知らない町の道路工事にすら「そこ混むやろ」と言いたくなる生き物なのだから、画面の中に更地を渡されたら、もう黙っていられるはずがない。

友だちの部屋は市役所になった。

コントローラーを持っているのは一人だけなのに、部屋にいる全員が市長だった。「そこ橋つないだら便利ちゃう?」と言うやつがいる。「いや、先に警察署やろ」と言うやつがいる。「学校いるやろ」と、急に教育行政へ目覚めるやつもいる。誰も選挙で選ばれていない。税金の意味もろくに分かっていない。それなのに全員が真顔だった。小学生というのは責任が発生しない政治に対してだけ異常に前向きになれる。

私はとにかく木を植えたかった。

なぜなのかは分からない。木が多い町はいい町だと思っていたのだろう。根拠はない。都市計画というよりただの雰囲気である。でも工場を増やしたがる友だちを見るとなんとなく嫌な気持ちになったし、税金を上げようとするやつを見ると、まだ納税したこともないのに「それは住民がかわいそうやろ」と思った。私は画面の向こうの架空の市民に勝手に「お気持ち、お察しします」と寄り添っていた。政治思想というより善人ぶりたい小学生の自画像だ。

『シムシティ』には勝ち負けがない。

誰かを倒す必要がない。1位になる必要もない。女子に「すっごぉーい」と言われる必要もない。ボールも飛んでこないし、赤甲羅も飛んでこない。ただ町を作る。道路を引き、家を建て、店を増やし、火事が起きたら消防署を建てる。私はその穏やかさに少し安心していた。競争がない場所なら人はもう少し優しくなれるのではないかと思ったのである。小学生にしてはずいぶん大きな勘違いをしているが真剣だった。勝ち負けがなければみんな穏やかに笑っていられる。そういう世界があるなら、できればそこへ行きたい。

ところが勝ち負けがないのに、私たちは普通に揉めた。

「なんでそこにまた工場建てるねん」

「いや、ここ道路つながってへんやん」

「税金高すぎやろ」

「木が少なすぎるやろ」

声を荒げるほどではないし喧嘩でもない。けど誰も譲らない。全員、自分の町がいちばん正しいと思っている。工場を増やしたい人間には工場を増やしたい理由があり、道路をまっすぐ並べたい人間には道路をまっすぐ並べたい美学があり、私は私でとにかく木を植えれば人は幸せになると思い込んでいる。勝敗がない分、理想そのものがぶつかるのだと、その時ぼんやり知った。

かなり困る発見だ。

何事も負けるのが嫌だった私は、勝ち負けのない世界なら安全だと思っていたからである。実際にはそこでも人は自分の正しさを持ち込む。ドッジボールでボールを投げる人間も、シムシティで工場を置く人間も、結局は「自分はこうしたい」を抱えている。違うのは投げているものがボールか都市計画かだけで、根っこの部分では全員かなり面倒くさい。

ゲームが終わって家に帰ったあとも、なぜか道路のことを考えていた。あそこに橋を架けたらどうなるのか。工場はもっと離した方がいいのではないか。公園を増やしたらあの町はもう少しよくなるのではないか。私は一度も市長になっていないし、コントローラーだってほとんど握っていない。それなのに頭の中では自分だけの町が勝手に広がっていた。

『シムシティ』が見せてくれたのは町ではない。

「こういう世界だったらいいのにな」という、自分でも少し恥ずかしい理想の置き場所だったのだ。現実でそれを言えば笑われるかもしれない。木を増やしたいとか、公園が多い町がいいとか、工場は離した方がいいとか、そんなことを真顔で言えば、友だちに「お前、市長か」と突っ込まれるに決まっている。『シムシティ』の画面の前では、そのしょうもない理想をそれなりに本気で話せた。

勝ち負けがないから楽しかったのではない。

自分の理想を誰にも採点されずに差し出せたから楽しかったのだと思う。

あの頃、画面の中に作ろうとしていた町は、道路も住宅地も発電所もめちゃくちゃだったはずなのに、少なくとも私にとっては、世界でいちばん住んでみたい町だったのである。

『バトルドッジボール闘球大激闘』1991年7月20日

人気者は肩が強かった。

小学生の頃の私はかなり本気でそう思っていた。勉強、スポーツ、顔。そういう分かりやすい才能はいくつもあったけれど、休み時間の校庭でいちばん即効性があったのは速いボールを投げられることだった。ボールを取る。構える。女子が少しだけ見る。男子が少しだけ下がる。その瞬間だけそいつのまわりに小さな王国みたいなものができる。

王国の外側で私はほとんど逃げていた。

ドッジボールは不思議な遊びだ。野球やサッカーほど本格的な競技ではないのに始まった瞬間、教室の空気がそのまま校庭へ持ち出される。ふだん後ろの席で消しゴムを飛ばして笑っている男子まで目の色を変えるし、女子も当たり前のように混ざってくる。それでも人気者は人気者だったし、モテるやつはなぜかドッジボールもうまかった。神様は肩の強さに女子と気軽に話す権利みたいな特典を付けすぎていたのだと思う。

私にも一応、役割はあった。

逃げることである。

ボールが飛んでくると本能が勝手に体を動かした。ひゅるりと右へ逃げ、ひゅらりと左へ逃げ、なぜか必要以上に腰を落とし、自分でも意味の分からない奇声を出しながらコート内を走り回る。避けているというよりボールに命乞いをしている動きだった気がする。

女子が笑い、男子も笑う。イジメのような雰囲気はなかったのだろうがこちらとしてはたまらない。私はドッジボールをしているつもりだったのに、いつの間にか即興コントの演者になっていたのである。

悔しいことに少しウケていた。

情けない姿で笑われると傷ついているのに、大阪では「おいしい」と思ってしまうことがある。吉本新喜劇で育っている小学生の私はその罠にまんまと落ちていた。怖い。恥ずかしい。でも笑われるとちょこっとだけ存在を許された気もする。人気者がボールを受け、剛腕で当てて拍手をもらうなら、私は「うっひょーい!」と逃げ惑って笑いをもらう。私はその場にしがみつくため自分の情けなさを差し出していた。

放課後、友達の家で『バトルドッジボール 闘球大激闘』をやった時、救われた気がした。

ガンダム、ウルトラマン、仮面ライダーがいる。その全員が同じコートでドッジボールをしている。

冷静に考えると世界観は宇宙規模の玉突き事故である。それでも逃げ回っていた私にとって、その雑さはむしろありがたかった。理屈が壊れている世界ではこちらの情けなさも少しだけ薄まる気がする。ガンダムがドッジボールをしているのだから、私がゲームでは強くても別にいいじゃないかと。

そこでは私は投げる側だった。

親指でボタンを押すだけで必殺シュートが出る。相手が吹き飛ぶ。画面が揺れる。現実では一度も投げられなかったような一球を何度も投げることができた。

人気者への復讐行為ではなかったと思う。校庭で変な声を出しながら逃げていた自分への情けない復讐だった。「ほらな。本当は投げられるんや」と誰にも聞こえない場所で言い返していたのである。

ゲームの中にも現実は入り込んでくる。

一緒に遊んでいた友達の中には現実のドッジボールがうまいやつがいた。そいつはゲームでもうまかった。納得がいかない。ゲームくらいは異世界であってほしい。校庭でボールを取れるやつがブラウン管の中でも必殺シュートを決めるのは神様の二重請求である。肩の強さは現実だけで使い切ってほしい。こちらは現実で逃げているのだから、せめてゲームの中では投げさせてくれないと困る。

それでも『バトルドッジボール』が好きだった。

勝てるから、強かったからではない。現実でボールから逃げるしかなかった自分がゲームの中ではほんの少しだけ違う形をしていたからだ。本当の自分ではない。ゲームの中で必殺シュートを撃てるからといって、校庭の私が急に強くなるわけではない。けれど当時の私はその違いにすがっていたのだと思う。

本当の自分はこっちだ、と。

ブラウン管の中で相手を吹き飛ばしている私のほうが本当なのだと。

子どもはそういう都合のいい話がないと自分を保てない日がある。ボールが怖い。女子に笑われる。男子にも笑われる。それでも次の日また学校へ行くために放課後のブラウン管の中だけでも強い自分を作っておく必要があった。

あの頃の私は情けない自分が見つからない場所を探していただけだった。校庭では見つかってしまう。女子の笑い声の中でも見つかってしまう。けど友達の家のブラウン管の中では隠れることができた。

そこの名前がたまたま『バトルドッジボール』だったのである。

『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』1991年11月21日

押してはいけない空気ばかり押していた私は、ゼルダでは押すべきスイッチがちゃんとわかっていた。

小学校という場所は子どもにとってあまりにもヒントが少ない。どのタイミングで笑えばいいのか、誰の隣に座れば安心安全なのか、なぜあいつが人気者で、なぜ私はその周辺で無駄にうろうろしているのか、そのへんの説明がまったくないまま一日が始まる。先生は「みんな仲良く」とだけ言うが、仲良くの方法までは教えてくれないし、人気者の男子はそのへんを生まれつき知っているみたいな顔でサッカーをしている。

正解の見えない現実がずっと苦手だった。苦手なくせに気にしすぎる子どもでもあったのだと思う。

余計な一言を言ってしまったあとに一人で反省したり、誰かの何気ない顔色が気になったり、別に誰も怒っていないのに「今のはまずかったかもしれない」と勝手に心の中でホームルームを開いたりする。小学生にしては神経質だった。

ハイラルは親切だった。

壁が怪しければほぼ爆弾で壊れる。床に変な模様があればだいたい何かある。スイッチは押せばいいし、鍵はそのへんの宝箱に入っている。

小学生にはもちろん簡単なゲームではない。迷うし、敵はまあまあ強いし、どこへ行けばいいのか分からなくなることもある。

しかし分からないことには答えが用意されていた。ここを押せば何かが起きる。この部屋の謎には解き方がある。その約束があるだけでずいぶん安心していた。

現実でうっかり押してしまった空気のスイッチが何を爆発させるか分からないのに、ゼルダでは押すべきスイッチのほうがちゃんと光っている。こんなに誠実な世界があるだろうか。

『神々のトライフォース』を初めてやった時、剣や盾より先にその誠実さにやられていた。

リンクはかっこいい。マスターソードは特別だし、闇の世界へ行ける感じもたまらない。本当に気持ちよかったのは、ダンジョンの中で行き止まりにぶつかって、「いや待てよ、この部屋だけいやに広いな」と立ち止まるあの時間。その瞬間だけ自分が少し頭のいい子どもになった気がしていたのである。

実際はそこまで頭のいい子どもではなかった。授業中にぼんやりしていたし、算数の文章題になると急に「りんごを何個買ったんやったっけ」と話の入口から迷子になるタイプだった。人間関係の文章題にはさらに弱かった。AくんがBくんにこう言った時、Cくんはなぜ笑ったのかみたいな問題は今でもかなり苦手である。

ところがハイラルの地下では慎重で論理的になる。さっき開かなかった扉は別の部屋のスイッチとつながっているのではないか。ここで手に入れたアイテムは次のボス戦だけでなく、あの気になっていた段差にも使えるのではないか。学校では先生の質問に当てられると声がひゅっと裏返るくせに、ゼルダではやたら落ち着いている。二重人格に近い。

「ゼルダをやっている時の自分」がかなり好きだった。

人間関係でうまく立ち回れない子どもが、ゲームの中でだけ「ちょっと待てよ、ここに鍵を使うのは違うぞ」みたいな顔をしているのだから。ハイラルの王様がその姿を見たら、まず学校での挙動から正してくれと言いたくなるはずだ。

ゼルダの謎を解けるということは自分には何かちゃんとしたものがあるという証明のような気がしていた。体育の授業でボールが飛んでくると変な避け方をして笑われるし、女子と話せば必要以上に声が高くなるし、人気者の会話には入れたとしても二歩目で足がぐねってなる。そんな私でも地下迷宮に放り込まれれば急に冷静になる。現実で一つも使いこなせていない脳みそを、ハイラルにだけはきちんと接続できる。

その救いの副作用は、現実よりゼルダの世界の方が生きているのではないかという感覚に襲われることだ。

本気でハイラルに移住できるとは思っていないが、気持ちとしてはかなり近いところまで行っていた。現実には押してはいけない空気が多すぎる。 

ゼルダは違う。笑うべきタイミングはないが、押すべきスイッチはある。人間関係のコマンド入力は苦手なのに、フックショットの使いどころは分かる。考えれば考えるほど、私の適性は学校よりダンジョンにあった。

「答えがある世界」が好きだったのだ。

ゼルダの謎はどれだけ遠回りしても、最後には必ず「そういうことか」にたどり着ける。爆弾を置く場所をミスしても、せいぜいリンクが少し焦げるだけである。現実の失敗はもっとぬるっとしていて、どこからどこまでが失敗なのかすら分からない。その曖昧さに比べればゼルダの失敗はあまりにも明快でやさしい。

だからハマったのかもしれない。剣を振るのが好きだったからでも、ボスを倒す達成感が大きかったからでもない。深いところにあったのは、「この世界は、私がちゃんと考えればちゃんと答えてくれる」という信頼だった気がする。

こんな相思相愛な関係があるだろうか。クラスの誰かのちょっとした一言を3日くらい引きずるくせに、ハイラルでは壁のひびを見つけて機嫌を直している。

その体質は大人になってもあまり治っていない。Switchの『ブレス オブ ザ ワイルド』や『ティアーズ オブ ザ キングダム』にかなりハマった。大人になったのだから別の楽しみを見つけてもよさそうなものだが、結局またハイラルへ戻っている。

昔みたいに「自分は頭がいい」とまでは思わない。今は祠の謎を前にして十分くらい棒立ちになり、「これ絶対さっき見た装置をどこかにくっつけるやつやん」と言いながら、まったく違うものをくっつけて爆発させている。失敗の規模が少し派手になっただけである。

ゼルダはなんだか機嫌をよくする。目の前にある謎がまだこちらを裏切っていないからだろう。考えれば解けるかもしれないし、解けなくてもどこかに道はある。「さっきの返事、あれでよかったんかな」と布団の中で蒸し返す必要がない。うまくいかなければまたやり直せる。

そんな親切な世界を小学生の頃に知ってしまったのはよくなかった。よくなかったが、かなりありがたかった。

押すべきスイッチがちゃんとわかりやすく光っているハイラルに、あれほど安心したのだろう。

たぶん今もまだ少し、している。

『ストリートファイターⅡ』1992年6月10日

波動拳が出せるだけで友達が増える時代があった。

今そんなことを言ったら少し心配されると思うが、1992年の中学校ではかなり本当だった。

昨日までサッカーの話をしていた連中が、「昇龍拳ってどうやって出すん?」と聞いてくる。陸上部のやつが真面目な顔でコマンドの話をしている。普段ゲームの話なんてしなかった男子まで休み時間になるとケンや春麗やガイルについて語り始める。『ストリートファイターⅡ』は一時的な通行証みたいなものだった。持っているとふだん入れない場所の扉が開くのである。

私はその通行証を大事に握りしめていた。

家でスーパーファミコン版をやっていた。ゲーセンではない。ゲーセンに行く友達もいたし、実際そいつらはうまかった。100円玉を入れている人間はやはり目つきが違う。こちらは家のテレビの前で何度失敗しても財布が痛まない安全な場所から波動拳を練習しているのに、向こうは一回の負けが100円の消失につながる勝負の世界で生きている。緊張感が違う。こちらが家庭菜園なら向こうは漁船である。荒れた海へ出て腕一本で魚を獲って帰ってくる人間たちに、畳の上で育てたナスを見せているような気まずさがあった。

それでも家で練習した波動拳はそれなりに私を外へ連れ出してくれた。

「ヤス、誰使うん?」

そんなふうに聞かれるだけで少しうれしかった。相手はクラスの中心にいるような男子だったり、サッカー部で女子とも普通にしゃべるようなやつだったりする。普段なら廊下ですれ違っても「おう」くらいで終わる相手が、ストⅡの話になると立ち止まる。それだけで自分が少しだけ格上げされたような気がしていた。人間には隣接ボーナスがあると本気で思っていたのだと思う。人気者の近くにいれば自分も少し人気者に見えるし、ゲーセンで鍛えたやつらと技の話をしていれば、自分もその端っこにいる人間になれる。実際には家で何度も波動拳を出していただけなのに。

その勘違いは気持ちよかった。

昼休みにストⅡの話をしている間だけ、いつもの自分より少しだけ外側に出られる。リュウが強いのかケンが強いのか、ガイルの待ちはずるいのか、ザンギエフはどう近づくのか、うまいやつはダルシムを使うとか、そんな話をしていると絶対に入れない輪の中にほんの数分だけ入れているような気がした。

ゲーセン組が「昨日、めちゃくちゃ強いやつおってさ」と話し始めると私は一気に黙る。こちらの経験は家庭用で止まっているので、話の中に出てくる「乱入」や「連勝」や「台パン」みたいな言葉の前では土地勘のない観光客になる。それでも黙ってうなずいていれば、なんとなく仲間みたいな顔はできた。

問題は、その輪が女子のいる場所へ移動した時だった。

ストⅡの話をしている時、私は彼らと同じ側にいる気がしていた。同じ画面を見て、同じキャラクターの話をして、同じように「今の昇龍拳は出たやろ」みたいなことを言える。その瞬間だけは階段の何段かを一気に上がったような気分になる。

けれど陽キャたちはそこからさらに別の扉を平然とひょいと開ける。ゲームの話をしていた流れのまま、女子の輪へ入っていくのである。あまりにも自然に。廊下の角を曲がるくらいの気軽さで。こちらはそこに見えない関所があると思っているのに、彼らは「よっ!」と顔パスで通っていく。

私はその後ろを2メートルくらい離れて歩いていた。

2メートルという距離は絶妙である。一緒にいると言えなくもないし、でも完全に一緒ではない。前の会話が聞こえるくらいには近いのに自分の声を差し込むには遠い。私はその距離で毎回、「ここからどう入るんや」と考えていた。ストⅡならコマンドがある。下、右下、右、パンチ。練習すれば出る。女子の会話にはコマンドがない。いつボタンを押せばいいのか分からないし、押したつもりの言葉が空中で消えることもある。昇龍拳よりずっと難しい。

陽キャたちは笑い、女子も笑っている。私は笑うタイミングだけカウンター昇龍拳のごとく合わせる。内容に入れていないのに口角だけは参加している。会話ではなく笑顔の素振りだった。しかもたまに誰かがこちらを見ると心拍数が上がる。何か言わなければいけない気がする。でも何を言えばいいのか分からない。だから自販機を探すふりをした。喉なんて渇いていない。さっきウォータークーラーで水を飲んだばかりである。それでもなけなしのお金でコーラを買う。缶を開ける。飲む。炭酸が喉を通る間だけ自分が輪に入れていないことをごまかせる気がした。

コーラ1本で孤独をごまかしていたのである。100円くらいで買える、甘くて黒い避難所である。私はそこで缶を持ちながら、「まあ、別に女子としゃべりたいわけちゃうし」みたいな顔をしていた。嘘である。しゃべりたいに決まっている。ただしゃべりたいと思っていることがバレるのが嫌だった。入りたい輪に入れないことより、入りたいと思っている自分を見られるほうがもっと恥ずかしかったのだろう。

ストⅡは私の世界を少し広げた。

その先にはもう一つの世界があって、そこには女子がいて、私は結局そこへは入れなかった。波動拳は出せた。昇龍拳もたまには出た。女子の輪へ入るコマンドだけは最後まで分からなかった。

『ストリートファイターⅡ』は、格闘ゲームであると同時に残酷な地図でもあった。

ここまでは行ける。

ここから先は行けない。

そういう線がブラウン管ではなく教室の中に引かれていることを、あの頃ようやく知り始めていたのである。

『スーパーマリオカート』1992年8月27日

1位はいちばん暇な人のことだと思っていた。

前には誰もいないし、後ろから来る連中のことばかり気にしていなければならないのだから、考えてみればあれほど落ち着かない立場もないのだが、当時はそんなことを知らなかったので、「1位だ」と思った瞬間に舞い上がっていた。

しかもその日はただの1位ではない。友だちの家の六畳間には男子が数人いて、そのうえ珍しく女子まで二人いた。スーパーファミコンの新作というのは、まだ世界が今ほど細かく分断されていなかった時代には、そういう普段なら交わらない人間まで同じ部屋へ集める力があった。『スーパーマリオカート』という大ヒット作も、まさにそういうゲームだった。

女子というのはゲームのうまい男子を特別な目で見る生き物だと本気で信じていた。それまで特別な目で見られた経験など一度もないが。しかし人間というのは不採用通知が届いていない会社にはまだ受かる可能性があると思いたい生命体なので、自分が恋愛対象に入っていないと確定するまで可能性だけは握っていたかったのだと思う。

その日の私は気合いが入っていた。勝ちたいというより、うまく見られたかった。圧倒的に勝って「すごい」と言われるのは、どう考えても私には荷が重い。そうではなく、「ヤス、意外とうまいやん」と言われたい。この「意外と」が重要だった。最初から期待されていない人間がほんの少しだけ予想を裏切る。中学生の私はその程度の栄光をかなり真剣に欲しがっていた。

レースが始まると、なぜかうまくいった。スタートダッシュが決まり、最初のカーブも大きく崩れず、気がつけば1位だった。まずい、と思ったのはその時である。

1位になったことが嬉しくなかったわけではない。私はそこで初めて1位というのはゴールではなく本番の始まりなのだと知った。

後ろから何か飛んでくる。緑甲羅が何個も横を抜け、バナナで少し滑り、赤甲羅が当たり、気づけば誰かがスターで突っ込んでくる。私はハンドルを切っているのか、人生を守っているのか分からない状態になっていた。

あのゲームの1位は王様ではない。全員から狙われる賞金首である。さっきまで「ヤス、意外とうまいやん」という未来を想像していた私は、その数十秒後には「ここで変な負け方をするな」というずいぶん後ろ向きな願いに切り替わっていた。

もちろん願いは届かない。

1位だったはずなのに、いくつかの甲羅と、いくつかの判断ミスと、私自身の実力不足がきれいに手を取り合い、あっという間に4位まで落ちた。「うわー!」と叫んだのだが、あれは悔しさの声というより、かなり計算された演出だった。本当に悔しい人間はあんなに丸い叫び声を出さない。そこにはちょっとだけ笑いを混ぜ、「まあ、しゃあないな」という空気を自分で作ろうとする浅ましさがあった。負けることそのものより、負けた瞬間の自分がどんな顔をしているかのほうを気にしていたのだと思う。

だから負けるたびに説明が増える。「いや、最後の赤甲羅な」「今のコース苦手やねん」「このコントローラー、十字キーちょっと硬ない?」と、頼まれてもいない分析を始める。コースのせい、アイテムのせい、コントローラーのせい。他責のデッドヒートだ。原因を増やせば増やすほど、自分のせいではない部分が広がる気がしていたのである。情けない自分をそのまま見られるくらいなら言い訳している自分を見られる方がまだマシだと本気で思っていた。

ところが、その日一緒にいた女子の一人が私の必死の工事現場をたった一言で更地にしてしまった。

「あはは、ヤスって負けるとめっちゃしゃべるやん」

終わった。

赤甲羅もコントローラーもコースも十字キーも、数分かけて積み上げた言い訳の足場は全部まとめてその一言で片づいてしまった。

悔しさを笑いに変え、敗北を分析に変え、なんとか見苦しくない場所まで持っていこうとしていたつもりだったのだが、外から見えていたのは、負けたあとにいきなりベラベラとよくしゃべる男子だったらしい。その指摘が痛かったのは彼女が意地悪だったからではない。何の悪気もなく、見えたままをそのまま言っただけだからだ。わざわざ傷つけようとしてくる言葉より、何気なく言われた事実のほうで深く刺されることがある。

マリオカートはレースゲームだと思っていたのに、あの日いちばん速く走っていたのは私の言い訳だった。負けた瞬間に発進し、コースのせいにして加速し、コントローラーのせいでさらに伸びる。誰にも頼まれていないのにひとりでぺらぺらとゴールテープを切っていく。あの頃の私は自分の情けなさを隠すためなら赤甲羅より速く口を回せたのだと思う。

今でもマリオカートの画面を思い出すたび浮かぶのは負けたあとにだけ急に饒舌になる、自分をちょっとでもかっこよく見せたいという欲望に最後まできれいに負けていた、あの見苦しい中学生の姿である。

『す~ぱ~ぷよぷよ』1993年12月10日

連鎖というものはゲームより先に人間関係の中にあったのかもしれない。

中学生の頃はそんなことを考えるはずもなく、連鎖といえば、同じ色のぷよが4つくっついて消え、そのあと上から落ちてきた別のぷよがまた消えて、画面の向こうからとんでもない量のおじゃまぷよが降ってくる、あの理不尽な現象のことだと思っていた。

今になって思えば、一人と仲良くなると別の誰かとも話すようになり、一人に笑われるとその場にいた全員から少しずつ笑われているような気がしてくる中学生の教室そのものが既に立派な連鎖だったのだと思う。

友だちの家で初めて『す〜ぱ〜ぷよぷよ』をやった時、私はこのゲームをかなり甘く見ていた。かわいい顔をしたぷよが落ちてくるだけだし、穴へ落ちるわけでもなければ、殴られるわけでもないので、これは穏やかなゲームなのだろうと勝手に思っていたのだ。

実際は穏やかな顔をしたぷよたちがこちらの判断力をじわじわ奪い、少し迷っただけで画面の中が取り返しのつかない汚部屋みたいになっていく、性格の悪いゲームだった。

相手はファンシーだった。これが怖い。ストⅡなら負ける時にも声が出るし、マリオカートなら赤甲羅が飛んでくるので怒りの矛先も分かりやすいのだが、ぷよぷよの強いやつはあまり騒がない。こちらが「赤どこ置いたらええんやろ」と考えている間に、対戦相手は画面の端で何かよく分からない建築をしていて、まだ何も起きていないのに、もうこっちが負ける未来だけがそっと組み上がっているのである。

「いくで」と言われた時には、だいたいもう遅かった。そもそもあの「いくで」とか「いってらっしゃい」って掛け声はなんなのか。

そこから何連鎖だったのかは覚えていない。3連鎖だったのか4連鎖だったのか、あるいは私の記憶が負けた悔しさで勝手に12連鎖くらいに盛っているのかも分からない。覚えているのは画面の上からおじゃまぷよが降ってきた瞬間、ゲームで負けたというより、何かの審査に落ちたような気持ちになったことである。しかも審査員は、あの丸くて柔らかそうな顔をしたぷよたちである。納得がいかなかった。

私はすぐに結論を出した。このゲームは私に向いていない。たいへん便利な中学生の結論である。努力する必要もないし練習する必要もないし、負けた理由を自分の判断力や忍耐力や計画性のなさに求めなくて済む。「相性が悪い」。これで全部片づく。中学生の私は自尊心を守る言葉だけはやけに早く見つける人間だった。

それからぷよぷよのような落ちものゲームを少し遠ざけた。嫌いになったというより、近づくと自分の弱さが画面に表示されるので困るのである。アクションゲームなら「反射神経が」と言えるし、RPGなら「レベルが足りない」と言える。ぷよぷよは言い訳がしにくい。自分で置いたぷよが自分の首をしめてくる。ほとんど人生の中盤戦である。中学生にそんなものを見せないでほしかった。

それから時を経て数年後、高校へ入った私は、なぜか少し調子に乗っていた。高校デビューというほど派手なものではない。髪を染めたわけでもなければ、急に明るい人間になったわけでもない。それでも新しい学校にはこれまでの私を知らない人がいる。小中学校時代の失敗や、女子の前で妙な声を出した記憶や、ゲームに負けてベラベラ言い訳をした姿を誰も知らない場所で別人のふりができる。

なにかの流れで、女の子の家へ遊びに行くことになった。

どういう経緯だったのかはあまり覚えていない。覚えていないというより、そこだけ記憶が都合よくネオン発光していて細部が見えない。とにかく私はその女の子の家にいた。女の子の家である。この言葉だけで当時の私の脳内にはかなりの数の職員が緊急招集されていたはずだ。失礼のないようにしろ。変なことを言うな。靴下に穴はないか。部屋を見すぎるな。においを嗅ぐな。笑顔は自然か。自然な笑顔とは何だ。そんな生活指導会議が頭の中で開かれていた。

「ゲームする?」

そう言われた瞬間、私はもちろんうなずいた。何のゲームでもよかった。トランプでもよかったし、人生ゲームでもよかったし、黒ひげ危機一発でも、おそらくその日は「おもしろそう」と言っていたと思う。女の子の家でゲームをするというだけで、こちらはすでに人生のボーナスステージに入っている。

ところがテレビの前に置かれたカセットを見た時、中学生時代の敗北が脳内クローゼットの奥からゆっくり出てきた。

『す〜ぱ〜ぷよぷよ通』だった。

よりによって、ぷよである。

「あ、これ苦手やねん」と反射的に言いかけたが言わなかった。女の子の前で苦手と言うのは負けを認めるより少し重い行為だった。かといって「得意やで」と言えるほど愚かでもない。結果としてただ曖昧に笑った。人は本当に困ると意味のない笑顔でその場を乗り切ろうとする。

勝負は予想通り、
ぼこぼこだった。

中学生の時と同じように何をどう置けばいいのか分からないまま画面を散らかし、相手は楽しそうに、しかし容赦なく連鎖を組んでいく。違っていたのは私があまり悔しくなかったことだった。いや、まったく悔しくなかったと言えば嘘になる。負けているのだから悔しい。けれどその悔しさの奥に、どうしようもなくうれしいものが混ざっていた。

女の子の家で、女の子と、ぷよぷよをしている。
ぷよぷよで、ぼこぼこにされている。

それだけで負けの意味が変わっていた。

男友だちの家でぼこぼこにされたぷよぷよは、私の自尊心を削るゲームだった。ところが高校で女の子の家でやるぷよぷよは、同じように負けているのになんだか自分が少しだけ人生の明るい場所へ出てきたような気持ちにさせる。勝敗というのは誰といるかでこんなにも意味が変わるのかとその時たぶん初めて知った。

私は負けながら笑っていた。なにかの性癖が覚醒したのかもしれない。

昔なら負けるたびに「このゲーム嫌いやわ」と心の中で言っていたはずなのに、その日は「もう一回やる?」と言われるだけで、下ネタでもないのになんとなくうれしかった。自分でも情けないと思う。ぷよぷよが楽しくなったわけではない。連鎖の美しさに目覚めたわけでもない。ただ女の子と同じテレビを見て、同じタイミングで笑っている自分に浮かれていただけである。

帰り道、自転車を漕ぎながらぼこぼこにされたなと機嫌よく思っていた。中学生の頃に負けた時とはまったく違った。同じゲームで同じように負けたのに世界だけが変わっている。いや、世界が変わったのではなく、私が勝手に意味を変えていたのだろう。けっして何かに覚醒したわけではない。

中学生の頃にあれだけぷよぷよで負けていなければ、高校で『ぷよぷよ通』を出された時、「ルール知らんから」と逃げていたかもしれない。あの時の惨敗は数年後に女の子の部屋で曖昧に笑うための予習だったのだ。人生の経験値というものは、こちらが思っているよりずっと遠回りして返ってくる。

しかもたいてい本人が忘れた頃に、すっぱそうな顔をして戻ってくるのである。

『ファイナルファンタジー6』1994年4月2日

エドガーとマッシュをくんずほぐれつさせていた、かわいい女の子の話をするには、まず雪の話から始めなければならない。

『ファイナルファンタジーⅥ』のオープニングで魔導アーマーが雪原を歩いてくる。改めて書くとかなり無茶な導入である。ロボットに乗った3人が雪の中を黙々と進んでくるだけなのに、あの頃の私はあの時点でもうだいぶやられていた。ただ雪が降っていて、音楽が鳴って、よく分からない事情を抱えた人たちがこちらに説明もなく歩いてくる。その説明のなさが逆にたまらなかった。

それまでのゲームは基本的に分かりやすいものだった。うまいやつはうまい。負けたら悔しい。友だちの家でやれば盛り上がる。そういうちゃんと人前で共有できる楽しさがあった。

FF6はそちらの方向へあまり親切ではなかった。ゲームとしては抜群におもしろい。キャラクターは多いし必殺技もあるし物語も進む。

いちばん強く掴まれたのは、しめっぽい部分だった。あのキャラクターは何を考えているんだろうとか、あの2人は画面の外でどんな会話をしているんだろうとか、ゲームの中で与えられた以上のものを勝手に想像し始めてしまう、その感じである。

危ない兆候だったと思う。

マリオを見て、「クッパを倒したあと、ピーチ姫とどんな距離感で会話しているのだろう」と考えたことはない。FF6ではそれが終わらなかった。ティナの顔つきが気になる。ロックの言い方が気になる。エドガーとマッシュが兄弟としてどういう空気で育ってきたのかが気になる。気になるというのは便利な言葉だが、実際にはもっとねっとりした何かだったと思う。

ただ先が知りたいのではない。この世界の中へもう少し深く入りたいし、できれば自分の勝手な解釈で勝手に住みつきたい。「ゲームが好き」というより「この世界に居座りたい」に近かった。

私のオタクはたぶんあそこから始まっている。

当時は自分がオタクになりかけているなんて思っていなかった。せいぜい「FF6、おもしろいな」くらいの自覚である。オタクというのはアニメ雑誌を何冊も買い始めるとか、リュックにポスターがネギのように刺さってるとか、教室でぼそっと誰にも分からない単語を喋り出すとか、そういう外見上の変化を伴って人は変わっていくのだと勝手に思っていたのだ。

ゲームのキャラクターのその先を考え始める。画面の中で語られなかった感情を勝手に補完したくなる。ストーリーが終わっても頭の中だけは終わらない。そういう症状がある日いつの間にか出ている。

高校へ入った頃の私は、一瞬だけわりとうまくやっていた。

女友達ができた。体育祭の打ち上げにも行った。放課後にだらだら喋る相手もいたし、文化祭の準備で残って、青春っぽい時間を過ごしたこともある。ずいぶんまっとうな高校生活に見える。実際、入学して自分でも少しだけ「ここから変われるかもしれない」と思っていた。中学までの女子の輪の前で缶コーラを持って立ち尽くすような自分をうまく過去に置いてこられたのではないか。ここならもう少し普通に笑えて、自然に話せて、ちゃんと青春の輪の中へ入れるのではないか。人間は新しい制服を着ると生まれ変われると思い込む。

そんなに甘くはなかった。

高校生というのは自意識がむっちゃ濃い。濃いうえにその濃さを隠すのが下手だ。ダダ漏れなのだ。私は特にその傾向が強かった。少し仲良くなれたと思うと次に何を話せばいいか分からなくなる。昨日は笑えたのに今日は急に「昨日のあれ、調子に乗りすぎたんじゃないか」と一人内省会が始まる。女子と普通に話しているつもりでも、あとで「あの返し、変だったかもしれない」と布団の中で蒸し返す。体育祭の打ち上げでわいわいしている時でさえ、どこかで「今の自分は、この場にちゃんと馴染めているのか」と確認している。高校生活というのはもっと無邪気に騒いでいい場所のはずなのに、頭の中ではいつも小さな異端審問会が開かれていた。

そうやって私はだんだんそっちへ戻っていった。

物語やゲームや漫画のほうである。逃げたと言ってもいい。現実の人間関係は面倒だ。距離感を間違えるし、気を使いすぎるし、たまに少しうまくいくと今度はそれを失うのが怖くなる。

ゲームのキャラクターは親切だった。こちらが勝手に好きになっても困らないし、昨日の会話をあとから反省する必要もない。気まずい沈黙もなければ、「あの時の言い方、きつかったかな」と眠れなくなることもない。もちろんそんなふうに架空の世界へ避難してばかりいる高校生が健全かと聞かれれば怪しい。当時の私にとっては、そこがずっと安全だった。

FF6は避難先の中でも特別な場所だった。

ゲームとして好きというだけではなく、その世界を好きな人間と話せるのが嬉しかった。

高校のあとか、その少し先だったか、私は同人誌界隈の女の子と知り合った。かわいい子だった。だったけれどエドガーとマッシュをくんずほぐれつさせていた。初めて聞いた時はもちろんかなり混乱した。兄弟なのにそうなるのかと思ったし、男同士をそういう見方をする人が実在するのかと思った。もっと驚いたのは、そこまで深く、しかも楽しそうに好きなものへ潜っていく人が本当にいるのだということだった。

それまでゲームを好きになることと、その先にある世界をあまり結びつけていなかった。ゲームはゲームで終わるものだと思っていたし、せいぜい友だちと感想を言い合って終わりだと思っていた。

ところがその子はFF6をただのゲームとして終わらせていなかった。

キャラクターの関係性を勝手に組み替え、感情を増幅し、原作には一切書かれていない熱量をそこへ注ぎ込んでいた。エドガーとマッシュが何をどうくんずほぐれつしていたのか、正直そこはかなり曖昧にしか覚えていない。ただその子の中ではFF6がまだ生きていて、しかも私なんかよりずっと元気に暴れているのだということだけは、強く伝わってきた。

救われた気がした。ああ、こういう好み方をしてもいいのかと思ったのである。

ゲームのキャラクターのその後を勝手に考えたり、男同士の距離感を勝手に妄想したり、画面の外の感情を補完したりするのは、私だけの気持ち悪い癖ではなかったのだと知った。私はその子ほど大胆にはなれなかったし、エドガーとマッシュをそこまで激しく接触させる勇気も発想もなかった。

けれど少なくとも、「好きなものを好きなだけ深く掘っていい場所がある」ということは分かった。高校生活の中でクラスの空気に合わせようとしては疲れ、少し仲良くなると次の一歩が怖くなり、結局また一人で考えすぎてしまう私にとって、かなり大きな発見だった。

FF6は私をオタクとして生きていける場所があると教えてくれたゲームだったのだと思う。

女友達ができて浮かれていた高校1年の春も本当の私だったのだろう。体育祭の打ち上げで、これが青春かもしれないと少しだけ思ったのも本当だ。そのあとで自意識をこじらせ、会話のたびに反省会を開き、結局またゲームや物語のほうへ戻っていく私も、やっぱり本当だった。FF6はその面倒くさい本当のほうに、ずいぶん居心地のいい椅子を用意してくれていた。

にぎやかな教室の真ん中ではうまく呼吸ができなくても、誰かの妄想や解釈や愛情が暴走している場所なら、私は案外平気でいられた。

マリオで始まったあの時代の終わりに、私はようやく自分がどの方向へこじれていくのかを知ったのである。

そのこじれ方は思っていたよりずっと悪くなかった。

#創作大賞2026
#オールカテゴリ部門

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