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【今日は何の日】7月7日

7月7日、今日が歴史的にどんなことがあった日なのでしょうか?
何か行事のある日なのでしょうか?
小学生の家庭でのちょっとした会話のために、ぜひ使ってください。
1872年までの日本の出来事は旧暦を使用しています。


【今日は何の日】7月7日

行事・記念日

① 七夕

7月7日は七夕です。

織姫と彦星が年に一度だけ天の川を渡って会えるという中国の伝説が奈良時代に日本へ伝わり、日本古来の「棚機信仰」と結び付いて現在の七夕になりました。

ささに短冊を飾り、願い事を書く風習は全国で親しまれています。吹き流しなどを設置するところもあります。また、仙台七夕まつりは旧暦に合わせているので、行われるのは8月となります。

② 竹・たけのこの日

「七夕には竹を飾る」という風習にちなみ、全日本竹産業連合会が制定しました。
竹は成長が非常に早く、真っすぐ空へ伸びることから、古くから生命力や繁栄の象徴とされてきました。また、たけのこは春の味覚として親しまれ、日本料理には欠かせない食材です。
七夕飾りに使われる笹も竹の仲間として、同様の考えで飾られてきました。

③ 七夕・そうめんの日

七夕にはそうめんを食べる風習があります。
これは中国の小麦料理が由来とされ、日本では細長いそうめんが天の川を表すとも言われています。
平安時代には宮中でも七夕にそうめんを食べる風習があり、現在でも全国各地で七夕そうめんが提供されています。
日本三大そうめんとして、「三輪そうめん(奈良県)」「播州そうめん(揖保乃糸)(兵庫県)」「小豆島そうめん(香川県)」が有名です。

④ ゆかたの日

七夕の頃から各地で夏祭りが始まり、浴衣を着る機会が増えることから制定されました。
浴衣はもともと平安時代の貴族が入浴時に着た「湯帷子」が起源とされています。いつからか、夏に外でも着てよい服装として広まりました。

何があった日

① 734年7月7日 聖武天皇が相撲を観覧

『続日本紀』には、734年7月7日に聖武天皇が宮中で相撲を観覧したことが記されています。
これが日本で確認できる最古の「相撲観覧」の記録とされています。

聖武天皇

当時の相撲は現在のスポーツとは異なり、五穀豊穣や国家安泰を祈る儀式的な意味合いも持っていました。
のちに宮中行事として「相撲節会」が定着し、武士の時代を経て現在の大相撲へと発展していきます。

② 781年7月7日 富士山が噴火

『続日本紀』には781年7月7日に富士山が噴火したことが記されています。
これが文献で確認できる最古の富士山噴火の記録です。

歴代の富士山噴火記録
734年7月7日 (『続日本紀』・最古の噴火記録)
781年7月6日 (『続日本紀』)
800年3月14日 (延暦噴火)
802年1月8日 
864年5月25日 (貞観噴火・青木ヶ原樹海、本栖湖、精進湖、西湖形成)
937年 (山中湖、河口湖形成)
999年 
1033年 
1083年 
1435年11月 
1511年 
1560年 
1627年 
1633年 
1649年 
1707年11月23日 (宝永噴火)

その後も富士山はたびたび噴火を繰り返しました。当時は山頂から黒い煙が出ていたとも言います。『竹取物語』の最後に、かぐや姫から不死の薬をもらった帝は、富士山の山頂で薬を焼いてしまいました。その煙が今でも立ち上ることから「不死の山」ならぬ「富士の山」と呼ばれるのだ、と記されています。
現在も活火山であり、日本最大の山であると同時に、噴火の危険性を持つ山でもあります。

③ 1609年7月7日 徳川家康が薩摩藩の琉球支配を認可

徳川家康は薩摩藩による琉球出兵を認めました。
すでに、薩摩藩の島津家久は琉球へ侵攻し、武力で首里城を制圧して国王の身柄をおさえていたため、琉球王国は薩摩への服属を余儀なくされます。

しかし、琉球は中国(明・清)との朝貢関係も続けたため、琉球は日本と中国の両方に従う「両属体制」という特殊な外交体制となりました。また、琉球王国は中継貿易を行っていたため、その利益を絶やさないために、薩摩藩は形式上は琉球王国の独立を認めたといいます。薩摩藩にさとうきびなどの税を払わないといけなくなり、琉球王国の人々は困窮することになりました。
特に、税のさとうきびを払うために、食料となるほかの穀物を作る余裕がなくなって餓死者を出す「黒糖地獄」というききんも発生しました。

④ 1615年7月7日 武家諸法度が制定される

大阪夏の陣で豊臣氏が滅亡した直後、徳川幕府は武家諸法度を制定しました。1615年に徳川家康・秀忠が出したものを「元和令」といったりします。なお、1週間後の7月13日には一国一城令も追加で出され、1つの国につき城の数は原則1つとされ、それ以外の城は取り壊すよう命じられました。

武家諸法度「元和令」概要
・文武両道に励むこと(学問と武芸をともに重んじる)
・酒色にふけるなど、ぜいたくな生活を戒めること
城の修築・新築は幕府の許可を受けること
・大名同士が勝手に婚姻(結婚)してはならない(幕府の許可が必要)
・徒党(派閥・同盟)を組んではならない
・私的な戦争や争いを起こしてはならない
・大名は領内を正しく治めること
・家臣を適切に登用し、政治を正しく行うこと
・身分や礼儀を守ること
・法令に従い、幕府の命令を守ること

これは全国の大名が守るべき基本法であり、その後も将軍が代替わりするごとに老中から発表されました。代替わりごとに少しずつ内容が変わっていくのが特徴で、その将軍が強調したい政策が盛り込まれたようです。たとえば、3代将軍・徳川家光は、参勤交代や、大船の建造禁止を武家諸法度に盛り込みました
この法律に違反すると、改易(領土を没収されること)、転封(領地を移されること)、減封(領地を減らされること)などの処罰を受けました。

武家諸法度違反や後継ぎの不在でとりつぶされた大名の数

⑤ 1823年7月7日 シーボルトが長崎に着任

ドイツ人医師シーボルトがオランダ商館の医師として長崎に赴任しました。若いころから日本のことに興味があったシーボルトは、本来オランダ人しか来日できない中で、ドイツ人なのにオランダ人といつわって日本へやってきたのです。
長崎に鳴滝塾を開き、高野長英など多くの日本人医師へ西洋医学を教え、日本医学の発展に大きく貢献しました。種痘を広めようとしましたが、長い航海でワクチンが腐敗しうまくいかなかったことでも知られています。

日本人女性との間の子どもをもうけ、その子はのち楠本イネとして、日本初の女医となりました。
一方、帰国の際、伊能忠敬の日本地図の写しを国外へ持ち出そうとした「シーボルト事件」で国外追放となりました。

シーボルト

⑥ 1858年7月7日 徳川斉昭らが登城禁止処分

大老で彦根藩主の井伊直弼は13代将軍徳川家定の死去と、自らの推薦していた紀伊藩の徳川慶福(将軍就任に際し、徳川家茂と改名)の就任に伴って、将軍継嗣問題や日米修好通商条約に反対した人々を一挙に処分しました。
のちにいう「安政の大獄」が本格化したのです。

井伊直弼

同年6月22日、日米修好通商条約の締結が発表されました。23日、越前藩主・松平慶永(親藩)が江戸城に登城する井伊直弼に追いすがり、天皇の許可を得ない勝手な条約締結を責めました。翌24日、水戸前藩主・徳川斉昭と水戸藩主・徳川慶篤親子や、尾張藩主・徳川慶勝、そして越前藩主・松平慶永らが、不時登城(本来の登城日ではない日に江戸城に来ること)を行い、井伊を責め立てました。井伊直弼は親藩大名たちを前にしてひたすら頭を下げるのみだったといわれています。25日も同様の状態が続きました。

そんな中、7月6日に将軍・徳川家定が亡くなったのをきっかけに、不時登城を行って幕政に意見を言い、逆らった大名たちを処罰し始めたのです。

安政の大獄で処罰された主な人々
隠居・謹慎   一橋慶喜………一橋徳川家当主
        松平春嶽………越前藩主
        徳川義勝………尾張藩主

        伊達宗城………宇和島藩主
        山内容堂………土佐藩主
        堀田正睦………佐倉藩主・老中

御役御免・差控 徳川慶篤………水戸藩主
        板倉勝静………備中松山藩主・寺社奉行
        永井尚志………軍艦奉行
永蟄居     徳川斉昭………前水戸藩主
死刑・獄死   橋本左内………越前藩士
        吉田松陰………長州藩士

譜代大名である井伊直弼が一方的に水戸藩などの親藩を処罰したことは、格上を処罰することになり、御三家の武士たちの面目をつぶすような出来事でした。水戸藩の武士たちが中心となって井伊直弼を暗殺する、桜田門外の変に直結することになります。

⑦ 1884年7月7日 華族令

華族令が公布され、明治政府は華族制度を整備しました。
公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五爵制が導入され、旧大名や公家などが新たな貴族となりました。
華族は貴族院議員となる資格を持ち、明治憲法下の政治を支える存在となります。

1884年当初の主な華族
・公爵
五摂家(旧藤原氏の一族。近衛家、鷹司家、九条家、一条家、二条家)
徳川家、毛利家、島津家
(島津久光と島津忠義を別家とする)
三条家(三条実美)
岩倉家(岩倉具視の子)
・侯爵
公家のうち清華家(花山院家、久我家、醍醐家、中山家、四条家など)
大名のうち国持大名(岡山藩池田家、鳥取藩池田家、福岡藩黒田家、広島県浅野家、久保田藩佐竹家、紀伊藩徳川家、尾張藩徳川家、佐賀藩鍋島家、徳島藩蜂須賀家、熊本藩細川家、金沢藩前田家、土佐藩山内家)
木戸家(木戸孝允の子)
大久保家(大久保利通の子)

・伯爵
公家のうち堂上公家(姉小路家、烏丸家、三條西家、清水谷家など)
大名のうち5万石以上(彦根藩井伊家、米沢藩上杉家、仙台藩伊達家、津藩藤堂家、盛岡藩南部家、対馬藩宗家など)
大木家(大木喬任)
黒田家(黒田清隆)など
・子爵
それ以下の貴族、それ以下の大名
・男爵
貴族の分家など、南朝の子孫(新田氏など)、神職、大名の主要家臣

⑧ 1898年7月7日 アメリカがハワイを併合

アメリカはハワイ共和国を正式に併合しました。
太平洋の中継基地として重要視され、その後真珠湾海軍基地が整備されます。
現在でもハワイはアメリカ50番目の州として知られ、日本からの移民も多かった土地です。

⑨ 1919年7月7日 カルピス発売

七夕の日にカルピスが発売されました。
創業者・三島海雲が内モンゴルで飲んだ乳酸菌飲料をヒントに開発したものです。白いカルピスが天の川をイメージして七夕発売になったという逸話も知られています。
発売から100年以上たった今でも、日本を代表する飲み物として愛されています。

発売当初のカルピス

⑩ 1937年7月7日 盧溝橋事件

北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突しました。
当初にらみあっていた両軍でしたが、日本兵が1名行方不明になったのをきっかけに交戦が始まったとされ、両軍どちらが先に発砲したのかはわかっていないといいます。もっとも、行方不明だった日本兵は用を足していただけだったようなのですが、一度始まった戦火は収まらず、あっというまに中華民国全体へ広がりました

現在の盧溝橋

これが日中戦争の発端となり、その後8年間にわたる戦争へ発展します。
日本軍はその年のうちに首都・南京を制圧しましたが、蒋介石率いる国民政府は内陸へ逃走。日本軍は陸と空から攻めたて、戦争は長期化・泥沼化して収拾がつかなくなりました。

⑪ 2017年7月7日 核兵器禁止条約が採択

国連で核兵器禁止条約(TPNW)が採択されました。
核兵器の保有・使用・開発などを全面的に禁止する初めての国際条約です。2026年現在、批准(加入を含む)国は74カ国です。署名・批准・加盟を合わせると99カ国・地域となっています。主にアフリカ、東南アジア、ラテンアメリカが多いです。

2026現在の批准国一覧(74)
アジア
バングラデシュ、カンボジア、ラオス、モルディブ、モンゴル
ネパール、フィリピン、タイ、東ティモール、ベトナム
パレスチナ

オセアニア
クック諸島、フィジー、キリバス、ニウエ、ニュージーランド
パラオ、サモア、ツバル、バヌアツ

ヨーロッパ
オーストリア、アイルランド、リヒテンシュタイン、マルタ
サンマリノ、バチカン市国

アフリカ
ベナン、ボツワナ、ブルキナファソ、ブルンジ、カーボベルデ
コモロ、コンゴ共和国、コートジボワール、コンゴ民主共和国
ジブチ、赤道ギニア、エスワティニ、ガンビア、ガーナ
ギニアビサウ、レソト、マダガスカル、マラウイ、ナミビア
ニジェール、ナイジェリア、ルワンダ、サントメ・プリンシペ
セーシェル、シエラレオネ、南アフリカ、南スーダン
トーゴ、ウガンダ、ザンビア

中南米・カリブ海(ラテンアメリカ)
アンティグア・バーブーダ、ベリーズ、ボリビア、チリ
コスタリカ、キューバ、ドミニカ、ドミニカ共和国、エクアドル
エルサルバドル、グレナダ、ガイアナ、ホンジュラス、ジャマイカ
メキシコ、ニカラグア、パナマ、パラグアイ、ペルー
セントクリストファー・ネービス、セントルシア、
セントビンセント・グレナディーン、トリニダード・トバゴ
ウルグアイ、ベネズエラ

一方で、核保有国は参加しておらず、日本もアメリカの「核の傘」の下にあるため批准していません。日本は核保有国が参加していない核兵器禁止条約の枠組みには無理があるとして、別のやり方での核軍縮の方法を探っている状態です。

誕生日

① 1844年7月7日 陸奥宗光

紀伊藩の出身で、若いころは坂本龍馬や中岡慎太郎と行動を共にしていました。
外務大臣として不平等条約の一部改正に成功し、1894年の日英通商航海条約締結を実現しました。これによって日本は治外法権(領事裁判権)を撤廃し、日本で犯罪を犯した外国人を、日本の法律で裁けるようになりました。

陸奥宗光 外務大臣

また、1895年の
を務め、多額の賠償金や遼東半島、台湾、澎湖諸島といった海外領土を得ることができました。

下関条約のようす

頭がきれることで、切れるものつながりで「カミソリ大臣」と呼ばれるほど頭脳明晰だったといいますが、若くして結核で亡くなりました。

② 1860年7月7日 グスタフ・マーラー

オーストリアの作曲家・指揮者。
11もの交響曲を作曲したことで知られています。

③ 1901年7月7日 円谷英二

日本を代表する特撮監督。『ゴジラ』『ウルトラマン』シリーズの礎を築き、「特撮の神様」と呼ばれています。
ミニチュア撮影技術は世界中の映画にも大きな影響を与えました。

円谷監督と着ぐるみのウルトラマン

亡くなった日

① 1129年7月7日 白河天皇

まだ若いうちに天皇から引退し、幼い天皇の代わりに実権をにぎる上皇として1086年に院政を始めました。引退してからは法皇となりました。「治天の君」として政治を主導したため藤原氏の摂関政治をおさえて日本の政治を牛耳るようになりました。
一方、天皇でないため身の回りを守る武力がなく、僧兵に対抗するため、武士を都に呼び寄せて身辺警護をさせました。これが、武士が都に進出するきっかけとなりました。

白河法皇(上皇が出家したすがた)

「白河上皇の三不如意」が有名です。鴨川の水、さいころの目、山法師(比叡山の僧兵のこと)とされています。

院政はその後約100年間、日本政治の中心となります。

② 1930年7月7日 コナン・ドイル

イギリスの小説家。
名探偵『シャーロック・ホームズ』シリーズの作者です。
推理小説というジャンルを世界的に発展させた功績は非常に大きく、現在でも世界中で読み継がれています。

コナン・ドイル

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