#44【時事解説】イランの戦争とその影響
2026年、中東情勢が再び世界を揺るがしています。
2月28日、アメリカ・イスラエル軍によるイランへの攻撃が開始されました。
日本から遠く離れた中東の出来事ですが、実は私たちの生活にも大きな影響を与えはじめました。
そして中学入試でも、「イラン」「ホルムズ海峡」「イスラム教」は重要な時事テーマとなるでしょう。入試対策として、流れをまとめておきましょう。
アメリカとイランの対立はどうして起きたのか
まず押さえておきたいのは、今回の問題が突然始まったものではないということです。アメリカとイランの対立は長年続いてきましたが、その中心にあるのがイランの核開発をめぐる問題です。
ここで注意したいのは、イランがすでに核兵器を持っているという話ではないことです。問題になっているのは、核兵器につながる可能性のあるウラン濃縮をイランが進めているのではないか、という点です。
ウラン濃縮そのものは、原子力発電など平和利用にも関係します。しかし濃縮の度合いが高まると、核兵器の材料に近づく可能性があります。そのため、アメリカやイスラエルは強い警戒感を持ってきました。特にイスラエルにとって、イランが核兵器を持つ可能性は自国の安全保障に直結する重大問題です。
国連加盟国は、定期的にIAEA(国際原子力機関)の査察を受け入れる必要があります。日本もきっちり受け入れ、原子力発電はしていても核は持っていませんよ、と確認してもらっています。しかし、イランはIAEAの査察を拒否し続けているのです。
そうした中で、ついに、米・英によるイスラエルによる攻撃が行われたのです。イラン側はこれに強く反発し、報復を行っています。その結果、中東全体の緊張が一気に高まり、周辺国も警戒を強める状況になっています。
つまり今回の対立は、「アメリカが急にイランを攻撃した」という単純な話ではありません。イランのウラン濃縮、イスラエルの安全保障、アメリカの中東政策、そしてイラン側の反発が重なって起きている問題です。
中学入試の時事問題としては、細かい軍事作戦名を覚える必要はありません。大切なのは、核兵器そのものではなく、核兵器につながる可能性のあるウラン濃縮が問題の中心にある、という点を理解しておくことです。
イランの歴史
イランの歴史をみることで、ウラン濃縮問題の発生以前から、アメリカとの関係、イスラエルとの関係が悪化し続けていたことを知ることができます。
まず、イランはかつてペルシャ(ペルシア)とよばれ、中東の大国のひとつでした。
今でも、ペルシャ猫、ペルシャじゅうたんなどにその名を残しています。
日本の奈良時代のころ、日本は当時の中国へ遣唐使を派遣し、大陸の宝物を多く持ち帰っていました。その多くは、ペルシャから、砂漠の中の道「シルクロード」を通って中国へもたらされたものです。これらは東大寺正倉院に納められ、現在では国宝に指定されています。

聖武天皇の時代の宝物が現存し、毎年11月の正倉院展でその一部が公開されている。
「ペルシャの水差し」には見覚えのある人も多いのではないでしょうか。
遠くペルシャの物品が、東の果てだった日本にもたらされていたのです。

こうした流れから、正倉院は「シルクロードの終着点」と呼ばれてきました。
イランでは、イスラム系の王朝が統治を行ってきました。第一次世界大戦では中立でしたが、第二次世界大戦の最中に、アメリカ・ソ連に攻め込まれ、戦後も不安定な統治が続きました。
戦後のイランはアメリカによって支援され、皇帝(イランでは「シャー」とよばれた)の下で政治が行われていました。
これに不満をもった人々が、王朝を打倒し、皇帝を追放して新しい国家が作られたのです。
1979年 イラン革命です。
ホメイニ師を最高指導者とするイスラム原理主義の国家が設立されました。
冷戦の最中だったアメリカ・ソ連のどちらの陣営にも加わらず、イスラム教シーア派の教えにのっとった政治・国づくりをかかげたのです。
最高指導者の下に、大統領・首相など通常の政府が置かれるという政治体制でした。

アメリカの支援を受けた王朝を倒したことでアメリカと対立し、さらにまわりのアラブ諸国よりも急進的なイスラム教をかかげ、革命を起こしたことで、周囲のイスラム教国からも警戒されることとなりました。
イラン革命からの現在に至るまでの「イラン・イスラム共和国」の歴史をまとめておきます。
1979 イラン革命。第2次オイルショックが発生
1979 アメリカ大使館人質事件…テヘランの米大使館を襲撃・人質をとる
→アメリカとイランの国交断絶
1980 イラン・イラク戦争
1983 テロ組織「ヒズボラ」がイランの支援でレバノンの米軍基地を攻撃
1988 イラン・イラク戦争が終結
1989 ホメイニ師が死去
2代目最高指導者にハメネイ師(アリー・ハメネイ)が就任
2015 イランの核開発凍結を条件に、アメリカが経済制裁を緩和
2018 アメリカが、イランへの制裁を再び強化
2020 アメリカが、イラン革命防衛隊のソレイマニ司令長官を殺害
2025 アメリカ・イスラエルがイラン攻撃(12日間戦争)
結局のところ、イランの歴史はアメリカとの対立の歴史、そしてイスラエルとの対立の歴史となるのです。
アメリカ・イランの関係悪化は、1979年の大使館人質事件から継続的で、イラン近海ではアメリカとイランの航空機・船舶の経度の軍事衝突が続いている状況でした。
さらに、イスラム原理主義のイランは、建国以来「イスラエルの国家承認を拒否し、その消滅を目指す」という国家方針を掲げています。
アメリカの支援で第二次世界大戦後に建国されたイスラエルはユダヤ教の国で、アラブ諸国のイスラム教とは一線を画しています。
この根本的な宗教的・政治的対立に加え、イランはイスラエルを敵視し、パレスチナのハマスやレバノンのヒズボラなど、イスラエルと敵対するテロ組織を支援していました。
こうした流れが、2026年のイラン対アメリカ・イスラエルの全面開戦につながったと考えられます。
現在のイラン

イランは西アジア、中東地域に位置する大国です。
首都はテヘラン。
人口は約9200万人で世界17位前後、日本よりやや少ない人口規模です
面積は約165万㎢で世界17位、日本の約4.4倍もの広さがあります
国土の多くは高原や山地、砂漠からなり、日本とはかなり異なる自然環境を持っています。

イスラム教の国は緑色が用いられることが多い
経済面では、中東有数の資源国として知られています。
石油や天然ガスの埋蔵量は世界有数であり、「資源大国」と呼ばれることもあります。世界の石油埋蔵量の約1割、天然ガス埋蔵量の約15%を保有しているとされています。
GDP(国内総生産)は約4700億ドル規模で、世界30位台前半に位置しています。一方で、経済制裁の影響もあり、一人あたりのGDPは先進国ほど高くありません。
日本は、アメリカによるイランへの経済制裁と同調しつつも、多くの石油をイランから輸入していました。2000年代には、日本にとって、イランは石油の輸入先第3位でした。いまなお、ドライフルーツ、ペルシャじゅうたんなど、イランからの輸入は少量ながら続いています。
外交面でも日本とイランは交流があり、2019年には、当時の安倍晋三首相がイランを訪問しています。安倍首相はアメリカ・イランの仲介を行おうとし、アメリカとの軍事衝突を回避するよう提唱しました。

2026年の戦争の流れ
2025年12月、イランでは経済危機、通貨リアルの暴落、物価高騰をきっかけに、全国規模の反体制デモが広がりました。デモは100以上の都市に拡大し、体制転換を求める声も含まれるようになりました。イラン政府はデモを厳しく弾圧し、2026年1月上旬には多数の死者が出たと報じられています。
2026年1月13日、アメリカのトランプ大統領はイラン国民に対し、抗議活動を続けるよう呼びかけました。さらに1月23日には、空母エイブラハム・リンカーンを含むアメリカ艦隊が中東へ向かうと発表され、アメリカは中東地域に大規模な軍事力を集結させ始めました。
この時期、アメリカと欧州側はイランに対し、ウラン濃縮の永久停止、弾道ミサイル計画への制限、ハマス・ヒズボラ・フーシ派などへの支援停止を求めたとされていますが、交渉は順調ではなかったようです。
2026年2月28日、アメリカ・イスラエルはイランへの攻撃を開始しました。イスラエル側はこれを、イランによる脅威を取り除くための「先制攻撃」と説明しました。攻撃対象には、イランの核関連施設だけでなく、テヘラン周辺の政府中枢も含まれていたと報じられています。
攻撃は、中東各地の基地や空母から発進した航空機によって、複数の都市や施設に対して行われ、陸上からの侵攻作戦ではありません。
3月1日には、イランの最高指導者アリー・ハメネイ師が死亡したと発表されました。後日、その息子にあたるモジタバ・ハメネイ師が、3代目のイラン最高指導者に就任したと発表されました。しかし、モジタバ・ハメネイ師は公式の場に姿を見せず、アメリカによる爆撃で重傷を負ったのではないかと言われています。

攻撃に対し、イランはアメリカやイスラエルへの報復を開始しました。
ペルシャ湾周辺の米軍基地やイスラエルに対してだけでなく、バーレーン、カタール、クウェート、アラブ首長国連邦などに対しても、ミサイルやドローンによる攻撃が相次ぎました。

こうした攻撃を受けて、周辺諸国は空域を封鎖したため、中東上空の民間航空機の運航にも大きな影響が出ました。航空会社は中東路線を停止・変更し、世界の物流や人の移動にも混乱が生じました。
そして海路にも影響が出ました。
ホルムズ海峡の海運が、事実上封鎖されたのです。
ペルシャ湾の出口にあるこの海峡は、世界の原油輸送にとって極めて重要な場所です。
その後段階的に和平の話し合いが行われ、パキスタンやフランスが仲介を行いました。6月中旬にはホルムズ海峡は閉鎖がとかれ、アメリカ船舶の護衛のもと一般のタンカーも通行できるようになりましたが、その後再封鎖が発表されるなど、事態は混迷を極めています。

アメリカとイスラエルの温度差も明らかになってきています。
アメリカは、紛争が中東全体を巻き込んだものになることを望んでいません。早期決着と外交での解決を望んでおり、長期戦がもたらす政治的・経済的コスト(原油価格の高騰など)を警戒しているとされています。
トランプ大統領は中間選挙を控えており、共和党が第一党の地位を保つことができるかが焦点です。
一方、イスラエルとしては、イラン情勢は中東における安全保障を意味します。イランや、イランが支援するテロ組織などの脅威に対しては、徹底的な打撃を与えてでも抑止力を回復させる強硬姿勢を重視します。目標達成、つまりハマスやヒズボラの無力化まで戦いたいという考えがあるでしょう。
ホルムズ海峡封鎖は日本にどのような影響を与えたのか
イラン情勢が日本に与えた最大の影響は、ホルムズ海峡の問題でした。
ホルムズ海峡はペルシャ湾の出口にある狭い海峡で、日本が輸入する石油の約9割以上がこの海峡を通っています。
現在の日本の石油(原油)輸入先1位はアラブ首長国連邦、2位はサウジアラビア、3位はクウェート。いずれもタンカーにのせ、ペルシャ湾からホルムズ海峡を通って日本へ運ばれているのです。

① アメリカの自衛隊派遣要請
アメリカは同盟国に対して中東地域の安全確保への協力を求めました。つまり、各国もホルムズ海峡や中東へ軍隊を派遣してほしい、と言ってきたわけです。
しかし日本政府は、自衛隊の直接派遣について慎重な姿勢を取りました。
日本は憲法上、海外への自衛隊の派遣に厳しい制限があります。また、イランは歴史的に日本と友好的な関係を築いてきた国でもあります。そのため、日本は軍事参加ではなく、外交的な解決や人道支援を重視する立場をとりました。
高市首相は、トランプ大統領との会談で、日本国憲法9条による自衛隊派遣の制約と、自衛隊は軍隊ではないといった内容を説明したと言われています。
日本、イギリス、フランス、韓国、中国などが艦艇の派遣をアメリカから要請されました。イギリスは、ホルムズ海峡およびその周辺海域における商船保護と航行の安全を目的とした多国籍任務に向けて、艦艇やドローンなどを中東地域へ派遣する方針を明らかにしています。
② 石油不足の心配と石油備蓄の放出
ホルムズ海峡の封鎖によって、多くの国が石油不足を心配しました。
しかし日本には世界有数の石油備蓄があります。
日本は、1970年代のオイルショックを受けて、全国に石油備蓄基地を設置しました。

国家備蓄、民間備蓄などを合わせると、およそ250日分前後の石油が確保されているとされています。政府は備蓄の一部を放出し、市場への供給を維持しました。
そのため、ガソリン価格は多少上昇したものの、1970年代のオイルショックのような深刻な混乱には至りませんでした。
政府は、備蓄された石油の放出を開始しています。
3月16日から民間備蓄の取り崩し(義務量の引き下げ)を皮切りに順次実施しており、3月24日からは約1か月分の国家備蓄の放出を開始しています。さらに5月2日からは、国家備蓄の追加(第2弾)として約20日分の放出が開始されました。
また、石油の輸入先を中東だけに依存するのではなく、アメリカなど他国からの輸入も増やす方針をとっています。しかし、アメリカの石油と中東の石油では性質や純度に違いがあり、日本の精製施設がそのまま転用できない可能性が指摘されています。
③ ナフサ不足と「白黒のポテトチップス」
今回、多くの日本人に広まった言葉が「ナフサ」でしょう。
ナフサは石油から作られる原料で、プラスチック、印刷インク、接着剤、医療用品などさまざまな製品に利用されています。ナフサは、ホルムズ海峡の混乱によって価格が大きく上昇しました。
一方で、赤沢経済再生担当大臣は「現時点で深刻な不足ではない」と説明しています。実際には備蓄や代替輸入によって供給は維持されました。
石油をナフサに精製していくと、ほかの物質も同時に精製されてしまい、その保存場所に困るという問題も指摘されています。

しかし、印刷インクの原料不足が問題となり、大手菓子メーカーのカルビーはポテトチップスの一部商品を白黒パッケージに変更しました。カラフルな袋が白黒になったことは、大きなニュースとなり、中東の戦争が私たちの生活とつながっていることを多くの人が実感する出来事となりました。

④ 韓国や東南アジアはさらに深刻だった
日本も影響を受けましたが、韓国や東南アジアの国々はさらに苦しい状況に置かれています。
韓国政府はガソリン価格の上昇を抑えるため価格統制を継続し、政府主導で代替ルートから石油やナフサを確保する対策を進めました。
中東情勢の緊張悪化による原油供給不安と価格高騰を受け、韓国政府は2026年3月以降、公用車を中心とした強制的な車両使用制限(曜日制)を導入しました。民間企業や一般市民に対しても公共交通機関の利用を促す「石油節約」の取り組みが広がっています。
日本は、韓国との定期的な首脳会談「シャトル外交」の中で、一定量の石油を韓国に提供する用意があることを明らかにしています。
東南アジアの国々では燃料価格の上昇が国民生活に直接影響し、航空路線の縮小や物流費の上昇も問題となりました。日本以上に中東からのエネルギーに依存している国々では、経済全体への打撃が深刻化したのです。
東南アジアの石油節約取り組み例(2026年3月当時)
①ミャンマー
車両使用の制限: ナンバープレートの最初の数字が「偶数」の車は偶数日のみ、「奇数」の車は奇数日のみ走行が許可されています。
②インドネシア
一般車両に対する給油量の上限(1日50リットルまで)が設定されています。公務員を対象に週1日の在宅勤務の義務化や公用車の使用半減が実施されています。
③ラオス
燃料不足と価格高騰による負担を軽減するため、学校への登校日数を週3日に縮小する措置が取られています。
④フィリピン
非常事態宣言が発動され、政府機関での燃料使用の1割削減および週4日勤務・在宅勤務が導入されています。
今回のホルムズ海峡危機は、「遠い中東の戦争」が決して他人事ではないことを私たちに教えてくれました。中東情勢は、ガソリン代、電気代、食品価格、そして私たちの身近な商品のパッケージにまで影響を与えているのです。
まとめ
今回のアメリカによるイラン攻撃とホルムズ海峡危機は、日本から遠く離れた中東の出来事に見えます。しかし実際には、ガソリン代、電気代、物流費、食品包装、石油化学製品など、私たちの生活に直接影響を与えました。
中学入試の時事問題としては、大切なのは、①イランがかつてペルシャと呼ばれた歴史ある国であること、②1979年のイラン革命以降、アメリカやイスラエルとの対立が続いていること、問題の中心に③ウラン濃縮があること、そして④ホルムズ海峡が日本の石油輸入にとって極めて重要であることです。
遠い国の戦争が、近くの生活を変える。
今回のイラン情勢は、そのことを強く示した時事問題だったと言えるでしょう。
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