「どの自分も必要なんで。よろしく」と、力強く言えるようになった
なんでわたしは毎日書いてるのか。アウトプットしたいから。
何をアウトプットしたいのか。心の中にいつの間にか沸き立ってくる、モヤモヤとか、ワクワクとか、そんなエネルギーの塊みたいな思いを言葉にして表現したい。表現してどうなるのか。自分自身をよく知り、もっと自分と仲良くなれるから。
ざーっと思うがままに書いてみました。書いてるのは何でなのか。改めて問われると、「うん?」て立ち止まってしまう。何でて、なんでやろ。悩むなー。
でも掘り下げて考えるほどに、書くことはとっても大切で。欠くことのできないものだと実感しました。
わたしは元からいっぱい考える性分です。考えるけど、これっちゅう形には出来ない。あっち飛びこっち飛びと、とっ散らかってました。するとどうなるか。煮詰まるのです。
煮詰まればジャムなど、おいしそうな物ができそうなもんだけど。わたしの場合は黒焦げになるか、腐敗してくように、自分の中でドロドロの気持ちが熟成されて。ドロドロになった思いは「自己否定」となり、わたしに覆い被さってくる。
小難しく例えたけど、要するに書く前のわたしは、むっちゃくちゃ自己否定が強かった。聞いた人が「ちょっとヤバいやん」て顔が引きつる程度でした。それが変わってきたのです。
わたしが表現するときに心がけてること。それは素直であること。心にわいた気持ちを言葉にするとき、いつも自分へ確認してます。「この言葉はほんとうに、たった今の思いを書いてる? かっこつけてない? かわいそう感を出してない? 盛ってない?」
そのまんまを書くとは、ジャッジとは真逆の態度で、今までの社会生活ではあんまし出来てなかった在り方です。
わたしの本当になりたい姿とは、ありのままで生きてくこと。「『自己否定』という名の分別なんて、まっぴらゴメンだー」て暴れ回るような、元気な性分が奥底に眠ってた。素直に書いてくことで、そんな自分を呼び覚ませた気がします。
いつからだったかな。あんなにしてた自己否定が減ったんですよね。わたしはnoteにて、けっこうグチってます。怒ってるし、イラついてもいます。ハッピーやキラキラ記事なんて、ごくわずか。SNSなのにいいのか。アハハーと笑ってごまかしです。
でも紛れもない、日々の生きてる自分の姿を書いています。思ったこと、感じたことを言葉にし、つづってる。“書く”を通して、「どの自分も自分だな」と頭だけじゃなく、体感で思えるようになりました。
固定記事にもしているのですが。わたしはしんどかった時の自分へ「生きてたら、こんなことあるよ」を届けたくて、書いてもいます。
過去の「ダメだ。ダメだ。こんなわたしなんてダメなんだー」と追い詰めた自分も、追い詰められた自分も、どっちもむっちゃ要る。あれもこれも全部が必要。絶対によろしくね。今のわたしは、力強く言えるのでした。
では また
#ところで 、あなたはなぜ書いてるんですか?
#書く部のお題で書いてみた

