ノノガの話をしよう(No No Girls)
これは彼女たちの物語でもあり、「わたし」の物語でもある。
彼女たちは民衆を率いる自由の女神である。
他アイドルとの違いとは?
No No Girls(以下ノノガ)が他のアイドルと違うのは、目線だ。
・一般的なアイドル=手が届かない憧れ、崇拝の対象、完璧な美しさを追求
・ノノガ=自信のないひとりの人間だということをさらけ出す、その上で応援している、視聴者が自分に重ねて感情移入している、一緒に戦っている
ノノガは目線が同じ
つまり、前者は下から見上げている。
ノノガは一緒に肩を組んで、「No」と戦っていく仲間である。
だから、オーディションがバズったり、HANAとしてYoutube再生回数がとんでもない数回っていたりするのを見ると思うのだ。
「私の代わりに、もっと先へ、もっと高みに行ってくれ」と。
美しい=無駄なものがないこと・完璧なこと?
彼女たちのプロモーションビデオや、パフォーマンスビデオのコメントには、よく「健康的な体型が素敵。見ていて安心する」というものがある。
確かに、令和のアイドルは少しの隙も見せぬほどの体型管理を強いられているのだろう。たまに薄すぎて全体のバランスが取れていない、アニメから出てきたのか?という子を目にする。それを見て「美=無駄がなく完璧」「同じように整えてこそ、万人に需要がある女性になれる」と思ってしまう少女が生まれる。少女と書いたが、少年しかり、性別問わずだ。
かといって、自身の目標のために自分がなりたい姿をクリエイトする、それを悪いとは思わない。「キレてるキレてる」で有名なボディビルの世界も、一般人から見るとやりすぎかもしれないが、当事者たちは理想像になるために制限し頑張っている。
「寛容さ」がない
現代アイドルは「不寛容」の世界に立っている。
無駄のない完璧な体型、隙のないトーク、裏のない私生活、それらを生身の人間に求めている。課金しているからいいだろう、「夢」を壊すな等、何の権限も持たない大衆が彼女たちを追い詰める。エスカレートし、ひとりの人間が壊れるまで遊ぶ。使えなくなったらまた新しいオモチャ(アイドル)へ。いくらでも替えはきくから、制限はどんどん厳しくなっていく。
不完全なままの私を愛してもよいこと
オーディションの随所でプロデューサーのちゃんみなが言っていた。
”あなたが今までやってきたこと、それを讃えてほしいんです”
”過去の自分に中指を立てちゃダメ”
昔あんな失敗をしたから、今ここ(どうしようもなく中途半端で、満足できない生活)がある。だから過去の私が悪いんだ。その延長線上の今の私を愛せるはずがない。どこを直せばいい?どこを変えれば?そう繰り返して自己啓発本がうずたかく積みあがる。過去と今の私を認められないのだから、いくら目標を達成しても、積み重なってきた自分にOKを出せない。
でもノノガは違った。やってきた過去があるから、今がある。過去の自分をそのまま認める。それが愛すること。
完璧でなくていい。いびつな私がもがき、天を目指す、その過程が人々に勇気を与える。弱さを持っているから、皆を理解でき、手を引っ張っていける。私はそう解釈した。
最終オーディションのCHIKAの映像は、何度見ても両肩が粟立ち目頭に突き上げるものがある。
私はここにいる。このままの私を愛して。見つけて。
どんな日も幸せ、毎日がご機嫌なんて不可能だと思う。でもドロドロした感情、異物を内包しているからこそ、宝石は唯一無二の輝きを放つ。
私も否定されてきたし、今も自分を否定し続けている。でも私こそNo No Girlsだと思うと、戦う毎日に彼女たちの背中が見えてくるのだ。
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