まいにち執行猶予
僕はカレンダーの空白が好きだ。
何も書かれていない日付を見ると、少しだけ心が白くなる。この日はまだ僕のものだ、と確認できるから。
予定が入ると、空白は静かに押しのけられる。通知は軽い音で届くが、その効力は意外と重い。まだ来てもいない日が、急に公的な匂いを帯びる。僕の一日は、その瞬間から少しだけ僕から離れる。
予定は当日よりも、その前日あたりで一番威張る。
「明日があるぞ」と言わんばかりに、夜の過ごし方にまで口を出してくる。たいした用事でもないのに、なぜか粗末に扱えなくなる。急に健康に気を遣ったりする。
予定は、未来を人質にするのがうまい。
その日までの僕を、ゆるく縛る。逃げられないほどではないが、完全に自由でもない。ちょうどいい強さで、袖をつかんでくる。
だから予定は、執行猶予に少し似ている。
罪状はだいたい「人と関わること」。
判決は軽い。だが確実に、生活のリズムを変える。
予定が入ると、僕は少しだけ借り物になる。
時間も気分も、仮押さえされたような感覚。社会に貸し出される、というほど大げさではない。ただ、完全な私物ではなくなる。
それでも僕は懲りずにまた予定を入れる。
波のようなものだと思っている。満ちれば濡れるし、引けば乾く。海に文句を言っても仕方がない。僕は海岸で、満ち引きを眺めているだけだ。
当日になると、予定は案外あっさり終わる。
威張っていた前日が嘘のように、数時間で通り過ぎる。拍子抜けするほど普通だ。拘束時間のわりに、余韻は薄い。
そしてまた、空白が戻る。
“予定”を取り出した時にしわくちゃに丸まったポケット。指で広げて直す。またちゃんと僕の形を保つ。
けれど、静かすぎる日が続くと、
僕は少しだけ僕の人生から遠ざかる。
誰にも呼ばれず、
何も待たれず、
ただ整った空白の中にいると、
自分が“生きている側”ではなく、
“見ている側”に回ってしまう。
海岸に立つのは好きだ。
だが、ときどきは足を波で洗われないと、
ここが現実かどうか分からなくなる。
だからまた予定を入れる。
自由を削るためではない。
自分がまだ“こちら側”にいられているかを、
確認するために。
まいにち執行猶予。
執行日は来る。
来なければ、
それはそれで少し怖いのだ。
