聖域で監獄 テーマ「家の中で好きな場所」side:夫
ごきげんよう、こにゃにゃちわ、目標共演岡崎体育。
父と弟はゴルフをするが私は打ちっぱなしも下手くそ。夫婦交代noteの夫です。
このnoteアカウントでは、1つのテーマについて夫婦交代で記事を書いていきます!✍️
今日のテーマ
「家の中で好きな場所」
今の家に住んで、六年になる。
長男が生まれて、1DKが手狭になり、二人目のことを考えようかというタイミングで、マンションを買った。
マンションを買った時の私は、もう少し外に出るつもりだった。
引き渡し会ではベビーカーのご家庭が多く、同じ保育園、小学校へ行くのだろうか、友達になれるだろうかと期待した。「家族ぐるみで出かけたりしてもいいよね」。
休日は出かけ、平日は会社に行く。
家は帰ってくる場所。安心の場所。そんなイメージだった。
ところが、人生というものはたまにこちらの見積もりを大きく外してくる。
コロナ禍である。
マンション内に友達はできず、仕事も家の中が中心になった。
人によっては状況元通りの方もいるだろうが、私は2026年現在もリモート中心、友達は思ったよりできないままである。
子どもは二人になり、やがて三人になった。
私は育休に入り、赤ちゃんも含めて家族でリビングに寝ている。
今や1日の大半はリビングだ。
昼のみ妻と買い出し、ランチ。
少しトイレ。
風呂20分。
あとは朝、洗濯物を干すためにベランダへ出る。
これで私の1日はだいたい説明できてしまう。
そんな私が、家の中で一番好きな場所。
普通に考えればリビングだろう。
一番長くいる。
テーブルもある。椅子もある。テレビもある。子どももいる。赤ちゃんもいる。妻もいる。カメもいる。生活のすべてがある。
しかし、生活のすべてがある場所には逃げ場がない。
兄弟喧嘩。
食べこぼし。
粘土で作ったもののアピール。
資格試験のテキスト。
パパ、お茶。
床に落ちたLEGO、紙片、キネティックサンド。
リビングは好きだ。
好きだが、それだけではない場所である。
では、
今の私が一番好きな場所は?
それは、ベランダである。
間取り図を見ると、おそらく「バルコニー」と書いてある。
ベランダとバルコニーの違いについては、私はよく知らない。知らないので調べた。
屋根があるかないかで違うらしい。うちは上の階のベランダ(バルコニー)が屋根になってくれるので雨は横殴りでなければ吹き込まない。
これはベランダか?バルコニーか?
私がベランダと呼ぶからベランダだ。
洗濯物を干す場所。
植物に水をやる場所。
そして、私の空間である。
部屋ではない。
壁もないし、エアコンもないし、机もない。
でも、家族五人で暮らしていると、「自分だけの場所」というものは驚くほど少ない。
仕事部屋はある。
しかし、仕事部屋は仕事をする場所であって、私が私に戻る場所というより、私が仕事用の私になる場所である。
トイレは、落ち着く。
落ち着くが、家族のために用が済んでもいつまでもいるわけにもいかない。
その点、ベランダはいい。
家の中だけど、家の中ではない。
外だけど、外でもない。
家族の様子は見られる。
でも、窓一枚分だけ離れている。
この窓一枚分が、たいへんよろしい。室内の喧騒と切り離されている。
私は毎朝、ベランダで洗濯物を干す。
冬は、そのためだけにダウンを着る。
それでも冬のベランダは寒い。
息が白い。
植物への水も少し温かくしてあげる。
春になると、その寒さが少しずつやわらいでくる。
まだ寒い。
ただ、息を吸った時に通る空気が変わったとおもう。
夏になると、今度は暑い。
洗濯物を干しただけで汗をかく。そこに充実さえ感じる。
東京に住んでいると、四季折々の景色を感じる機会はそれほど多くない。
山が見えるわけでもない。
田んぼが広がっているわけでもない。
しかし、ベランダに出ると、季節が分かる。
風の冷たさ。
湿気。
洗濯物の乾き方。
鉢植えの様子。
空の色。
そういうものが、毎朝少しずつ違う。
私は山で育った。
小さい頃から、実家の庭には植物がたくさんあった。
だから自然が少しでも近くにあると落ち着く。
大自然でなくていい。
絶景でなくていい。
ベランダの鉢植えくらいの自然で、私は落ち着く。
うちのベランダには、現在鉢植えが七つある。
枝豆。
子どもに「枝豆できてるよ」と言って取らせたこともある。春まではスナップエンドウだった。
食育も兼ねる。
さらに今、ハエトリソウがある。
子どもがあまりに欲しいと言うから買った。
食虫植物。
感覚毛に虫が触れると閉じるという仕組みだが、ちょうどいい大きさのハエがおらずカツオブシを与えてみた。
そのハエトリソウが、ずっとつぼみをつけていた。
そして今日、ついに花が咲いた。

私は驚いた。
ハエトリソウが花を咲かせるということを、初めて知った。
いや、冷静に考えれば植物なのだから花くらい咲かせるのだろう。
ハエを捕ることを期待していて、見つけた思わぬ可憐な花。
傍若無人な巨漢が実は達筆みたいな驚き。
いや、ハエトリソウのイメージはトラップを張る策士タイプ。ナイフとか舐めるキャラだけど実は病気の妹のために戦ってるとか。
そんなやついるのか??
このあと、実がなって、種ができるのだろうか。
どんな形か、調べずに待ちたい。
隣の鉢では朝顔も咲いている。
こちらは安心感がある。
朝顔は朝顔らしく、きれいに咲いている。
ハエトリソウの花に驚き、朝顔に安心する。
そんな朝が、ベランダにはある。
このnoteも、ベランダで書いていることが多い。
洗濯物を干しながら口でバーッと喋り、それを文字起こししている。
つまり私は、洗濯物を干しながら執筆している。
作家の仕事場なら書斎。あるいは図書館、ファミレス、ホテルの部屋。
机に向かってパソコンを叩く。
私の場合は、バスタオルを叩いている。
物干し竿の前で、スマホに向かってぶつぶつ喋っている。
近所の人にも聞かれているだろうか。
しかし、ここが私の執筆空間なのだ。
詩を書く時には、あえて無音にすることもある。
洗濯物を無心で干していると、言葉が浮かんでくることがある。
机に向かって「さあ書くぞ」と思っている時より、他のことをしている時の方が出てくる。
人間は、真正面から考えるより、手を動かしている時や、歩いているときの方が言葉に出会いやすい。
ギリシャ時代にも歩いて哲学する逍遥学派と呼ばれる人たちがいた。
ベランダは哲学をするのにちょうどいい。
家の中にいるようで、少しだけ外。
ベランダに潜む危険
私だけの空間にも危険はある。
最大の危険は、子どもである。
落ちることではない。
私がベランダで楽しく洗濯物を干していると、内側から鍵をかけてくることがある。
室内に戻ろうとして、ここが既に聖域から監獄へ変わっていたことに、気付く。
鍵をかけられた瞬間、私はただの締め出された人である。
真冬にやられると寒い。
真夏にやられると暑い。
どちらにしても腹が立つ。
しかも、子どもたちはだいたい笑っている。
こちらの怒りを、完全に娯楽として消費している。
舐めたものである。
それでも、そんなことも含めて、ベランダは私の場所なのだと思う。
今見渡せば、また枯れ葉やほこりが溜まってきている。
育休が始まった頃に掃除をしたが洗濯物を干しているだけでも、汚れていく。
夏になれば、ここで子どもたちと小さなプールを出すこともできる。
その前に、また少し掃除し直すとしよう。
家の中で好きな場所。
家族から窓一枚分だけ離れられる場所。
私にとっては、ベランダが一番好きな場所である。
昨日の記事について
ふしぎなもので、人ってその状態に名前がつくとそれだけで納得できるし、「他の何かのせい」にできると「じゃあ仕方ないな」って思えたりもするんだよね。
よくわかる。
最近だと子供が一週間ご飯を食べられなくなってとても心配していたが、病院に行って「扁桃肥大」と診察されて納得。
鼻をかむのが苦手とか、寝てる間の口呼吸とか、色んなことにこれで理由がつく!と病名がついてむしろ安心した。
しかし、翌週大きな病院で「そんなに大したことないです」と診察され直した時は逆に「え、それでいいの?手術、入院が必要じゃないの?」と慌てた。
納得したはずの数々に説明がつかない。扁桃腺さえとってしまえば彼はパクパクとご飯を食べ、身長はみるみる伸びて夢のプロレスラーになれるのでは?との期待が儚く散った。
結局、ご飯は食べられるようになったが、動画を見ながらダラダラしている。ただ、鼻をかむのが苦手な少年が残っている。
断っておくが元気が一番だとは思っている。
しかし、悩みの種に名前がついて解決手段や希望を持ってしまったこともまた、事実だ。
笑顔について
そんな夫が、子どもが生まれてからは本当に楽しそ〜うに笑うようになったし、表情も豊かだな〜と隣で見てて思います。
妻とはいるのは楽しいのですが、変顔とか見せないですからね。
子供といるときはこちらがどれだけ楽しもうとするかが大事です。
一緒になって走る、虫を探す、そんなときは自然と私も子供も笑顔になります。
