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川島杉山神社 帷子川流域紀行(1)

ライフワークとして鶴見川水系流域の杉山神社を巡ってきましたが

今回、いよいよ帷子川流域の杉山神社へと進出します。


まずは、最奥の川島杉山神社を目指して、相鉄線上星川駅からスタート。

駅近の川沿いに美味しそうなパン屋さんがあったのでお昼がわりに調達。
さらに先へと進むと…

あっ、環状2号線の高架だ!
高架下が楽しそうな公園になっている!

高架をくぐって、右手の高台へ進む。

おお、白い石の鳥居!

川島杉山神社

あれが社殿かな?
下から見えていたのは神楽殿だった
奥には愛らしい社殿
新旧の狛犬、かわいい!
古そうだけど、年号とかは無かった…というか消えていたのかも
ヤマザクラがちょうど見頃
社殿の右側に新しい社号碑が建っていた
境内からの眺め。環状2号線の高架と同じくらい高い

標高25m、帷子川からの比高は13mほどの高台に鎮座。

由緒

杉山社
除地、一段六畝三歩、村の中程の丘上にあり、村内の鎮守なり、勧請の年代をしらず、本地佛は不動の立像にて、長一尺、本社三間四方、拝殿は一間四方にて、前に石鳥居をたつ、共に東に向へり、例祭年々九月十二日、橘樹郡保土ヶ谷宿圓福寺持。

新編武蔵風土記稿 川島村

創立年代詳かでないが、口碑によると天文年中北条氏康が上杉朝定と戦い、この地に陣営の夜、日本武尊御東征を夢み、その加護により勝利必定と、ここに一祠を建て武運長久を祈ったと伝う。果して凱旋し、直に社殿を新築、除地一反歩を附し報恩の意を表した。氏康領民愛撫の念厚く、戦乱久しく庶民の困憊を救うために植林を奨励し、植林の祖神五十猛命を合祀したと伝える。寛永二十年江戸幕府より除地一反歩の寄進があり、元禄十年には三十貫目の寄附を受け社殿を修築した。弘化(1844)元年二月炎上の際、古文書記録類を焼失したが、同四年社殿、同二十九年本殿を新築した。現社殿は昭和三十年五月の造営になる。

神奈川県神社誌

新編武蔵風土記には創建年が不明とあったが、神奈川県神社誌(1981年刊)には天文年中(1532〜1555)、北条氏康のワードが出てきた。しかも、最初に日本武尊を祀り、後に五十猛命を合祀したと言う。

う〜ん、謎深い。疑問も湧いてくる。

私の疑問
・最初から、杉山神社として日本武尊だけを祀っていた?
・途中で五十猛命を合祀したから、杉山神社になった?
・そもそも、氏康は杉山神社を知っていたのか?

さらに言うなら、新編武蔵風土記稿は(社殿が火事になる前の)1829年までに編纂されているので、古文書に由緒(氏康のこと)が書かれていたら、絶対に見せると思うんですよね。


【超私説】小机衆・中田氏関与説

北条氏康勧請説が出てくるなら、私だって自分の妄想説を披露する!

杉山神社には古代と中世の2つの拡散時期があると考えられています。
古代は創建期にあたり、この地域に入植した氏族の氏神などを祀り始めた時期。中世の拡散期は鎌倉〜室町時代。武士団が結束を固めるため、有力土豪が祀る神をこぞって勧請したと推測されています。

私は、少し下った後北条期から近世にかけて、地域家臣団「衆」の中で同じようなことがあったのではないかと考えています。と言うのも、杉山神社の存在範囲が小机衆の勢力範囲とかなり一致しているからです。
(↓ それについて書いた過去の記事)

一例として、川島村は、小机衆の中田加賀守(本拠は矢上)の知行地でした。加賀守は小田原落城後、矢上に戻ったものの憤死。その息子の藤左衛門は、徳川入府後、矢上から川島村へ移り名主を務めました。

このことから、領主時に中田加賀守が小机郷で隆盛だった杉山神社を勧請したか、近世に入ってから名主・藤左衛門が勧請した可能性もなくはありません。

まあ、これも妄想でしかないので聞き流してください。帷子川紀行の続編では、別の説も考察しています。(脳内には常に複数の論者が意見を戦わせて…はい、ヤバい人なんです)

【ご参考】
戦国期矢上の領主中田氏の動向 盛本昌広 慶應義塾大学日吉起要 人文科学 2000.5


陣ヶ下渓谷公園

川島杉山神社の近くにある公園にも立ち寄りました。

西谷浄水場の北側に広がる谷戸状の樹林地帯です。環状2号線と帷子川が交差する地点の南西側には、近代的な道路と寄り添うように自然の渓谷が息づいています。
陣ケ下の地名は、源頼朝の家臣である和田義盛がこの近辺に狩のための陣を張ったことに由来しているとか。木もれ日の差し込む森、涼しげな水の流れ、その水に侵食された岩場など、横浜市内では唯一、渓谷としての景観を保っています。

陣が下渓谷公園(保土ヶ谷区) 横浜市HP

帷子川下流にある「和田町」にも、源頼朝の家臣和田義盛に因んでいるという伝承があります。まあ…和田義盛でなくとも、一般的に陣は高台に設置されることから、「陣」地名は高い所を表しているとも考えられます。(陣馬山とか…)

ぬ?なんだろう…
エリンギがニョキニョキ生えているみたい
お伽話の世界のような…
近未来の廃墟のような…

こちら陣ヶ下高架橋は、横浜ベイブリッジなどを手掛けた著名な橋梁デザイナー大野美代子さんらの作品。2003年土木学会デザイン賞最優秀賞を受賞しています。

実は、この公園に来たのは二度目。

前回、高台側から渓谷へと降りて来ました。渓谷の出口で突然、自然と調和した橋梁が目に飛び込んできます。まるでジブリ映画みたいな世界観。無機質な鉄筋コンクリート構造物なのにどことなく生物っぽさを感じ、心の底がザワザワするのでした。

何度来ても、その感覚が甦ります

渓谷は右に曲がって、森が深くなっていきます。
休憩所の先を少し登ると鉄扉があり、それを開けて下へと降りていくと渓谷に出ます。水辺の飛び石の上渡ると、広い岩瀬が出てきます。

ちょうど正午頃、天から光が注いでいます
前はロープも張っていなかったような…
もう一つの沢もここで合流しています
対岸の階段を登り、公園の中へと進みます。
主要幹線道路の環状2号のすぐそばに、こんな渓谷があるなんて
遊歩道を進むとウッドデッキがある広場に。ここで買ったパンを食べました
南口の広場にもベンチがあり、ゆったり過ごせます
みずのさかみち口の階段は見晴らしが良いです

横浜で唯一「渓谷」と呼ばれている谷戸。帷子川の支流にあたる市沢川の渓谷。れる。環状2号線が通るのに伴い、都市公園(風致公園)として整備された。2004年4月、陣ケ下渓谷公園として公開された。
明確な源頭といいうる地点は知られておらず、周辺の民有地や住宅地からの雨水、横浜市水道局西谷浄水場から出る雨水等の濾過水、保土ケ谷高校遊水池からの流入水などを水源としており、周辺が住宅地や環状2号線として開発される以前は地下水からの湧出を水源としていたと考えられている。

Wikipedia 陣ヶ下渓谷より
https://ja.wikipedia.org/wiki/陣ケ下渓谷

帷子川流域も複雑な谷戸地形。狭い低地と急峻な河岸段丘で、アップダウンが激しい地域です。続編では、地形についも考察したいと思います。