下末吉台地 鶴見川遺跡紀行(2)
単なるローカル高台にあらず、地質学的に超有名な台地!
前回からの続き
鶴見川下流域2

JR鉄道橋を越えた所からスタート。 (振り返って見ている図)

わ~森永の工場から甘いビスケットの匂い。
森永橋

ベイブリッジ・リスペクトのような斜張橋。川幅が狭くなっているせいか、橋脚が1本しかない。上から吊ってバランスを保っているのかな?

この日は、森永橋の先で浚渫(しゅんせつ)作業中でした。
上流から流れてきた土砂が、流れの緩やかな下流で沈殿してしまうと、水深が浅くなって大雨の時に水位がより上昇しやすくなります。それを防ぐために、定期的に川底に溜まった泥をすくっています。
ずーっと見ていたら、台船の乗務員と目が合った。いけない!オタクがバレる。それに、古墳に行かなきゃ行けないんだ…
諏訪坂古墳
森永橋から横浜方面に向かって住宅街を歩いていくと、奥まった所に諏訪坂公園があります。

入り口に、なにやらお花が供えてある。

お墓的な…?

こちらが諏訪坂古墳の石棺の蓋石の一部だそうです。
黒くて年期が入っていそうだけど、なんだか薄くて(当時の技術がスゴイのかもしれないけど)実感が沸かない…

元々は、ここから少し離れた諏訪家屋敷跡の近くに前方後円墳があったそうですが、開発により付近の諸々の石碑と一緒に、公園へお引越ししてきたようです。
諏訪坂古墳の築造年代

武蔵国造の乱はあったか?(埼玉県立さきたま史跡の博物館 利根川章彦)より引用
諏訪坂古墳は規模不明な前方後円墳で、古墳時代の終わりごろの築造のようです。この地域でも、大型前方後円墳→円墳→小型前方後円墳の流れ。
さて、この辺で…本日のメインイベント、いざ!下末吉台地へ。
下末吉台地
「下末吉台地?ローカルな高台でしょ」と思っている方、ちょっと待ってください。
ここは地質学的に大変有名な模式地(固有名称で呼ばれる地層が分布する代表的地点)なのです。

上図は、実際に鶴見区下末吉にある狭義の下末吉台地。
下末吉層の発見
地質学者・大塚弥之助(やのすけ)によって横浜市鶴見区下末吉の宝泉寺裏の露頭で発見され、1930年(昭和5)に模式地として下末吉層と命名。
模式地(広義)の下末吉台地
こちらのリンク先に分かりやすい地図が載っています↓↓
神奈川県を代表する海成段丘である下末吉台地は、多摩丘陵の南東に接する標高40m~50mの平坦面。
台地が形成された頃は平坦な海底面だったが、その後海面が下降して陸地化し、鶴見川、帷子川や大岡川などによる侵食が進んた。
さらに透水層から湧き出す水が谷戸や小河川を形成して台地を削り、尾根筋が樹状に広がる複雑な形をしている。
地層の断面図
いつも、説明もなしに下末吉面とか下末吉台地とか言っているので、少し解説を交えてご紹介したいと思います。

第1図は、関東地方の代表的な地層の断面を模式化したものです。左側が古い時代にできた地層面で、右に行くに従って新しくなります。
基盤(上総層)の次に下末吉層から始まる場所が下末吉面=下末吉台地で、この場所で発見されたのでこの名称がつきました。
下末吉台地の形成
下末吉台地の形成過程を見てみましょう。
①元は平らだった基盤面が、川の流れや波によって削られます。
②約13万年前に氷期が終わり、氷河などが溶けて海面が最大10m程度上昇。(下末吉海進)
③海に沈んだ台地面に、多摩川などから運ばれてきた土砂が堆積し均される。(下末吉層)
③海退で再び台地面が現れ、そこに火山灰が降り注ぎ、関東地方を被覆。(下末吉ローム層)
④氷期と間氷期による海面の上昇と下降に伴い、土砂礫の堆積→火山灰の被覆→浸食が繰り返され、台地が階段状に。
⑤地震による隆起や関東平野の沈降など地盤にも変化があり、最終的に標高40m~50m程度の台地下末吉台地(面)が形成。
この地域では、武蔵野面や立川面の台地は浸食により削れ、縄文海進でできた沖積地と接する段丘崖となった。

過去の海進と水位の変化図。(右が古い時代)

【ご参考】
台地の生い立ち よこはま里山研究所NORA
下末吉台地の高さ実感できる写真

諏訪坂公園から国道1号を渡り、台地の頂上を目指し長く緩やかな坂道を上ってきたら、左手にエグい下り坂が出てきました。この地点で標高約35m。頂上まではあと10m弱登ります。

こちらは台地の真ん中、末吉中学校近くの崖から末吉小学校を臨んだ写真。
縄文時代には、サスペンスドラマのラストシーンを撮影できたかもしれない?
上台遺跡

末吉中学校の入り口に、プレートが貼られていました。

これだけ…
上台北遺跡
中学校から500mほど北に進むと

上台北公園があります。

公園の掲示板に

お手製の案内板(しかもラミネートパウチ)。
一応、弥生後期の竪穴住居跡が4軒と住居内の小貝塚が発見されたそうですが、情報が少なすぎ…
ネットで調べてみたら、個人の方(西田進さん)のHPに、末吉中学校内の遺跡と鶴見高校内の貝塚を見学したレポートが載っていました。
小仙塚貝塚
県立鶴見高校の敷地内にあると聞いたのですが、学校正門周辺には何も表示がありませんでした。
塀に沿って三ツ池公園方向に下ると、高校と公園との境目に小道があり…


テニスコートと校庭との斜面に貝塚が露出していたようです。
三ッ池古墳

上台北遺跡から急な階段を下ると、三ツ池公園北門に出てきます。

グーグルマップによると、公園内のこの高台あたりに三ツ池古墳があるそうです。

園内から見た図。

近くに寄ってみたけれど、木が生い茂っていて分からない。高台に登っていいのか分からないので諦めた。そこで、埋文よこはまさんのお写真を…

直径20~30m程度の円墳で未調査とのこと。
その規模だと、たぶん自然地形と区別がつかないないだろうな。
今回の行程

台地上にポツポツと遺跡が見られますが、ほとんどが開発で消滅し、辛うじて学校内で保存されているようです。この地域は、早い時代から人々が開発していたので、遺跡調査が行われる以前に住宅や農地になっていたのかもしれません。
古墳の規模も大きくないから、大首長さんというよりは普通の首長さんのお墓かな。
今回、遺跡としては地味な絵ばかりだったので、三ツ池公園を散策した写真を、どうぞ。
三ッ池公園

谷戸地形を活かした公園、3つの池がすり鉢の底になっています。桜が有名です。

下の池

中の池。野鳥の観察ポイント。

上の池。水辺に親しむ場所。

噴水から上の池に繋がる遊水地帯。小さなお子さんの遊び場のようです。

こちらは、公園の山側を周回する自然歩道。
傾斜を使ったロングすべり台が楽しそう。

なだらかな沢筋を思わせる、レンガ舗装の道。

展望広場。遠くに見えるは、方向的に新川崎の高層ビルかな?

正門広場。正門出て、すぐ右に曲がると小仙塚貝塚(鶴見高校)。
今回、見られる遺跡は無かったけど、個人的にリアル下末吉台地を実感できたので良かったです。
次は、上末吉から駒岡までの遺跡を巡ります。
