豊臣兄弟!第24話「軍師官兵衛!」~官兵衛帰還、三木城落城―しかし“人を殺さない戦”への違和感
令和8年6月21日に放送された豊臣兄弟!第24話「軍師官兵衛!」では、
有岡城に幽閉されていた小寺官兵衛、のちの黒田孝高の帰還と、別所長治の三木城落城が描かれました。
播磨攻めは、羽柴秀吉・小一郎兄弟にとって大きな転機となる戦いです。
しかし今回のドラマでは、史実にある凄惨さよりも「人を死なせずに勝つ」「民の心をつかむ」という現代的な価値観が前面に出ており、歴史ドラマとしてはかなり違和感が残る回でもありました。
有岡城落城と荒木村重の逃亡
天正6年(1578)10月、荒木村重は織田方に反旗を翻します。
村重が籠もった有岡城、現在の兵庫県伊丹市にあった伊丹城への攻撃は、約1年にわたって続きました。
しかし天正7年9月2日、村重は有岡城をひそかに脱出。
息子のいる尼崎城へ移り、さらにのちには花隈城へ逃れます。
村重としては、毛利氏や大坂本願寺と交渉し、援軍を求める意図があったのかもしれません。
しかし結果としては、城に残された家臣や妻子を見捨てたような形になりました。
有岡城では、村重の妻・だしをはじめ、荒木一族や家臣の妻子が人質として残されました。織田方との交渉では、村重が尼崎城などを明け渡せば、人質たちは助命されるという条件が整います。
しかし村重はこれを受け入れませんでした。
その結果、12月13日には家臣の妻子122人が磔にされ、さらに512人が焼き殺されます。16日には、だしらが京の町中を引き回されたのち、六条河原で処刑されました。
だしは評判の美女で、処刑の場でも取り乱さず、着物を整え、髪を上げ、首を差し出したと伝えられています。太田牛一の『信長記』では、人々が「この哀れな死は村重のせいだ」と非難したとされます。
官兵衛の帰還と「黒田」への改姓
有岡城の落城により、長く幽閉されていた小寺官兵衛が救出されます。
官兵衛は無事に息子・松寿丸と再会。
松寿丸を救った竹中半兵衛の判断にも、深く思いを馳せたことでしょう。
その後、官兵衛は名字を「小寺」から「黒田」に戻します。
もともと官兵衛の本来の名字は黒田でした。「小寺」は、父の代に主君・小寺政職から与えられた名字です。当時、主君の名字を名乗ることを許されるのは大変な名誉でした。
しかし小寺政職は、羽柴秀吉のやり方に反発し、天正6年末に毛利方へ寝返ります。そこで官兵衛は政職を見限り、秀吉の直臣となりました。
秀吉からは1万石もの知行を与えられます。ここで秀吉は、のちに大きな力となる優秀な軍師・黒田官兵衛を家臣として得たことになります。
三木城攻めと「三木の干殺し」
一方、別所長治が籠もる三木城の戦いも続いていました。
三木城には7000〜8000人もの兵や民が籠城していました。
これほどの人数を支えるには、大量の兵糧が必要です。
その補給は、毛利氏や荒木村重からの支援によって成り立っていました。
秀吉は周辺の別所方の城を次々に落とし、砦を築いて三木城を包囲します。
さらに宇喜多直家を調略し、毛利方から寝返らせました。
西からの毛利の補給、東からの有岡城経由の補給が断たれ、三木城は完全に孤立していきます。
やがて城内の食料は尽き、牛や馬、その餌までも食べ尽くされました。数千人が餓死したともされ、この戦いは「三木の干殺し」と呼ばれるほど凄惨なものでした。
別所長治の切腹
天正8年正月、羽柴軍は三木城近くの宮ノ上砦や鷹尾山城を確保します。鷹尾山城には小一郎長秀の軍が入り、別所方はついに三木城のみとなりました。
追い詰められた別所長治は、自らの命と引き換えに城兵を助けるよう秀吉へ申し入れます。
秀吉はこれを受け入れ、最後の宴のために酒や肴を差し入れました。そして長治は、弟・友之や妻子とともに自害します。
長治の辞世は次の歌です。
今はただ恨みもあらず諸人の
命にかはるわが身と思えば
自分の命と引き換えに、城に籠もった人々が助かるなら、もはや恨みはない――という意味です。
ただし、実際に城兵全員が助命されたかは疑問があります。秀吉は後に長宗我部元親へ宛てた手紙で「みな首をはねた」とも記しています。
一方、秀吉が家臣の大村由己に書かせた『播州御征伐之事』では、秀吉が約束を守り、城内の人々を助けたという美談として描かれています。
ここには、秀吉の自己宣伝の巧みさが見えます。
今回のドラマへの違和感
今回、もっとも気になったのは、三木城攻めの描き方です。
史実では「三木の干殺し」と呼ばれるほど悲惨な兵糧攻めでした。
しかしドラマでは、主人公側に非人道的な作戦をさせたくないのか、その凄惨さがかなり薄められていました。
「人を殺さずに成果を出すのが賢い」という価値観は、現代的には理解できます。
しかし、それを戦国時代の登場人物にそのまま移植すると、どうしても不自然に見えます。
正直なところ、この期に及んで主人公側が「人を殺したくない」とメソメソしている描写には、かなり厳しいものを感じました。
もちろん、人の命を大切にする価値観そのものを否定したいわけではありません。
しかし、これは現代劇ではなく戦国大河です。しかも描かれているのは、三木城攻めという、史実上でも非常に凄惨な兵糧攻めです。
その場面でなお、主人公を「できるだけ人を殺したくない優しい人物」として描こうとすると、戦国時代の現実そのものがぼやけてしまいます。
戦をしている以上、人は死にます。
城を囲み、兵糧を断ち、降伏へ追い込むということは、直接斬り合わなくても、人の命を奪う行為です。
そこを曖昧にしたまま、「主人公たちは優しい」「民の心をつかむために人を殺さない」という方向に持っていくと、かえって戦の残酷さから目をそらしているように見えてしまいました。
「優しい主人公」にしすぎる問題
大河ドラマの主人公に、現代人が共感しやすい要素を持たせること自体は理解できます。
ただし、それが行き過ぎると、歴史上の人物としての輪郭がぼやけてしまいます。
今回の小一郎は、戦国のただ中にいる人物というより、現代的な倫理観を背負わされた人物に見えました。
人を殺したくない
民の心を傷つけたくない
できるだけ穏便に済ませたい
兄・秀吉の暴走を止めたい
こうした要素が積み重なることで、人物としての優しさは伝わります。
しかし一方で、「この人物が本当に戦国の厳しい現場で生き残れるのか?」という疑問も生まれます。
豊臣秀長は、後に豊臣政権を支える重要人物です。
兄・秀吉の補佐役として、軍事・外交・領国経営に関わった人物です。
だからこそ、ただ優しいだけではなく、必要な時には厳しい判断もできる人物として描いてほしい。
「殺したくない」と悩むだけでなく、戦国の現実を理解したうえで、それでも何を選ぶのか。
そこを描いてこそ、秀長という人物の重みが出るのではないでしょうか。
攻城戦の描写にも疑問
特に、三木城の攻城戦で「エイエイオー」と太鼓の連打によって城兵を精神的に追い詰めるような作戦は、現実味に欠けていました。
三木城には7000人以上が籠城し、数千人が餓死したともされます。
そのような凄惨な戦いを、「播州人の心をつかむために人を殺さない作戦」として描くのは、史実との距離が大きすぎます。
また、荒木村重も別所長治も、ドラマ上では勝手に自滅していったように見えてしまい、小一郎や官兵衛が知略で戦局を動かしたようにはあまり感じられませんでした。
「お主に官兵衛の代わりが務まるわけなかろう!」という台詞には、思わず視聴者も「まったくだ」と頷いたのではないでしょうか。
官兵衛回でありながら、官兵衛の知略のすごさも、小一郎の補佐役としての成長も、あまり際立って見えなかったのは残念でした。
まとめ
第24話は、官兵衛の帰還、黒田への改姓、三木城落城と、歴史的には非常に重要な出来事が続く回でした。
一方で、ドラマとしてはホームドラマ的な感情描写に尺が割かれ、戦国の戦いの論理や残酷さはかなり抑えられていた印象です。
もちろん、主人公側を魅力的に描きたい意図はわかります。
しかし、羽柴秀吉であり、小一郎であり、黒田官兵衛である以上、播磨攻めの凄惨さや冷徹な戦略を避けて通ることはできません。
「人を殺さない優しい戦国武将」として描くよりも、厳しい現実の中で何を選び、何を背負ったのかを描いた方が、豊臣兄弟の重みはより伝わったはずです。
今回の第24話は、歴史的な題材の重さに対して、ドラマ側の描き方がやや軽く、現代的な“やさしさ”に寄りすぎていたように感じました。
戦国大河である以上、きれいごとでは済まない部分も、もう少し真正面から描いてほしかったで
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