発達障害は個性か?(大人編)
この問題も取り沙汰されることがとても多いので、自分なりのスタンスを明確にしておきます。
子ども編はこちら ↓
大人の発達障害について。
人間の脳機能の凸凹がある程度以上になると、人は「グレーゾーン」や「発達障害」とみなされますが、それは明確な能力の優劣です。
凹の部分が目立つ人は、自分が納得するまで何かしらの対処を打たなくてはなりません。
何とか適職を見つける、訓練して能力を向上させる、生活の工夫で困難を避ける。
あるいは、かつての僕のように根本的な治療をしないとどうしようもない人もたくさんいます。
個性だろうと障害だろうと、論点が当事者個人の幸せであるならば、現実はそれ以外にありません。
べき論に意味はない

社会がどうみなすか、それは変えようがないと思います。
障害者が割を食うのは合理的な理由があります。(倫理的ではありませんが。)
社会に出て職場で人の足を引っ張ると損害を与えるからです。
それが、現状どうしようもないハンディキャップであったとしても、雇用契約で繋がっただけの他人には関係ないのです。
中小企業だろうと大企業だろうと、営利のために存在し、法人として生き残ることが最重要事項です。
そう考えると、障害をカミングアウトしている、していないが仕事が極端にできない、そういう人たちを有能な社員と同等に扱うことは難しいはずです。
社会が障害者に不寛容なのは弱者が憎いからではなく、単に無関心かつ利害が一致しないだけです。
もっと関心を持つべきだ、という動機から言論や社会運動に携わっていく人を多く見かけますが、それが実を結ぶまで、僕たちの寿命が持つのでしょうか。
人はみな限られた時間を使って生きています。
それぞれの目的が、傍から見て立派なものか、ただの強欲なのか、ジャッジする基準は単に「他者に利益があるか」だけです。
「社会がもっと豊かにればハンディキャップを背負った人に目を向けることもできるのでは」という意見も見かけますが、人間はどんな社会でも何かしら不満を言う生き物です。
「豊かな社会」が実現すれば、大半の人はさらに豊かさを目指すでしょう。
一言でいうと、みんな自分の幸せのために忙しいのです。
読んでもらっていて大変申し訳ないですが、当事者の人には論を語る労力を自分の幸福のために使ってほしいと切に思います。
社会はこうあるべき、それを考えるより自分の幸福を考えてください。
他人に委ねず決める

個性・障害、どちらでも現実は変わりません。
そして世の中のたいていの不満は「こんなの自分の意思じゃない」という感覚に尽きます。
自分の不得意に関して、個性なのか障害なのか、自由に決めればいいと思います。
プロの医師でも、発達障害という概念を正確に理解している人はいないでしょう。
不幸はオーダーメイドかつ複雑です。
ADHD、ASDといった言葉に囚われるのではなく、自己理解をどこまで深められるか、そこに鍵があります。
自分の不得意をリストアップして、これは許せるか許せないか、ひとつひとつ自問自答してください。
許せないものに対しては対策を講じなければいけません。
それは健常者でも同じです。
不具合の程度がはなはだしく違うことに文句を言っても仕方ありません。
また、その対策が生活上の工夫なのか、何かしらの訓練なのか、根本的な治療なのか人によって、困りごとによって異なってきます。
僕の場合は、許せないものが多すぎて根本治療を始めることにしました。
能力に比してプライドがとても高く、かつ好んで優秀な人間に関わり続けた結果なのでしょう。
動き出すのがいささか遅かったですが、少しずつ治療計画は進んでいき効果を実感しています。
味わってきた筆舌に尽くしがたい経験を埋めるにはまだ全く足りませんが、日々充実感を得ています。
大事なことは他人ゆだねないでください。
良かれと思い「障害は個性だから」といって励まそうとする人と、「この苦労が分かるものか」とケンカをする人たち、あるいはその逆のパターンをよく見かけます。
自分で決めて自分で責任を負わないと、結果的にうまくいっても満足が得られない、ということは誰にでもあります。
自分のことを親身に感じ最大限の援助をしてくれる家族や友人を持つ当事者もいるでしょう。
それは別に恵まれたのではなく、紛れもなくあなたの力です。
ですが、そういう人たちですらあなたの人生を背負っているわけではないです。
大人になった以上、家族ですら同じです。
ときには理不尽を嘆きたくなる事もあるでしょうが、そんなときには考えてみてください。
「自分の不幸がすべて他人や運命のせいだったら、納得し受け入れられるのか?」
僕には無理でした。
むしろ僕は、自分の不幸はすべて自分の判断ミスによるものだと思いたい性分です。
他人や運命などというものに翻弄されて割を食う、ということが大嫌いです。
それならば、自分があの時ああいう判断をしてしまったのが原因だ、と思う方がマシなのです。
僕のことを治療がたまたま上手くいっているだけと考える人もいるかもしれません。
(僕としては、ここまで来るのに運に助けられたのは1割程度だと思っていますが)
ですが、治療の成否よりも大事なのは自分が納得するまでやりきることではないでしょうか。

根本治療を完遂しようがしまいが、僕のやることは今後も変わらないと思います。
完治しない、などとは全く思っていませんが、仮にそうだとしてもやりきった方がだいぶマシだと思います。
他人に対し自分の流儀を推すことはありませんが、何かとてつもなくできないことがある人に「どうすれば幸せになれるか」を問われれば、以上が僕の意見です。
どう解釈するかより、どう動くかで決まるのだと思います。
個性は生まれもった性質ではなく、どう生きたかの結果です。
そのようなスタンスで、自分自身の体験をもとに発達障害/精神疾患の根本治療マガジン「健常者になろう!」を書いておりますので、ご興味があれば覗いていってみてください。
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昔の自分のようにお金がない人が多いと思いますので、無理はしなくて結構です。