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地方政治を本気で考える⑤


「頑張っているように見える活動」と、本当に街を良くする活動は違う

前回は、議員とは市民の要望をそのまま行政へ運ぶ人ではなく、

さまざまな声を調べ、比較し、街全体の利益へと組み直し、自ら判断の責任を引き受ける代表者ではないか。

ということを書きました。

では、私たち有権者は、議員がその責任を果たしているかどうかを、何を基準に判断しているでしょうか。

提案した政策でしょうか。

議会での発言でしょうか。

行政の無駄を見つけ、改善した実績でしょうか。

それとも、

道路脇で毎朝手を振っている。

地域行事へ頻繁に顔を出している。

SNSへ毎日活動写真を投稿している。

そうした姿を見て、

「あの人は頑張っている」

と評価しているのでしょうか。

地方議員の活動を見ていると、私は以前から疑問に感じていることがあります。

朝夕の交通量が多い幹線道路に立ち、通り過ぎる車に向かって、ひたすら手を振る。

いわゆる「辻立ち」です。

雨の日も、暑い日も、寒い日も立っている。

その姿を見て、

「毎朝頑張っている」

「いつも立っていて偉い」

「市民のために一生懸命働いている」

と感じる人もいるでしょう。

しかし私は、どうしても考えてしまいます。

そこで何時間手を振ることによって、具体的に街の何が良くなったのでしょうか。

■選挙期間中の街頭活動は、当然別である

最初に、誤解のないように書いておきます。

私は、選挙期間中の街頭活動まで否定するつもりはありません。

選挙期間は、候補者が自分の存在や政策、考え方を有権者へ伝え、投票を呼びかけるための期間です。

自分が何を目指しているのか。

なぜ立候補したのか。

当選したら何を実現したいのか。

それを街頭で訴えることは、当然の選挙活動です。

名前や顔を覚えてもらうことも、選挙では必要でしょう。

特に、大きな組織や後援会を持たず、まだ知名度の低い候補者が、自分という選択肢を市民に知ってもらうために街頭へ立つ。

その理屈は十分に理解できます。

どれほど具体的で優れた政策を持っていても、候補者として存在を知られなければ、有権者に比較してもらうことさえできないからです。

選挙期間中は、候補者自身の選挙活動をしている。

目的が明確です。

私は、そこまで否定しているのではありません。

■人が立ち止まり、意見を伝えられる場所なら意味は分かる

選挙期間外の街頭活動についても、すべてが無意味だと言いたいわけではありません。

例えば、人が徒歩で行き交う駅前や商店街、街中の広場などであれば、まだ意味は分かります。

通行する市民が歩みを止め、話を聞くことができる。

政策について質問できる。

その場で、自分の意見を伝えられる。

議員も、市民が何に困り、どのような疑問や不満を持っているのかを直接聞ける。

そこに双方向のやり取りがあるなら、それは市民との対話の機会になります。

自分の主張を話すだけでなく、反対意見も受ける。

質問に答える。

市民から新しい課題を教えてもらう。

そのような街頭活動なら、政治活動の一つとして理解できます。

しかし、交通量の多い幹線道路ではどうでしょうか。

車は数秒で通り過ぎます。

運転中の市民は、車を止めて議員へ意見を伝えることができません。

政策について質問することもできません。

議員の話を落ち着いて聞くこともできません。

手を振り返すことはあっても、それは政治的な対話ではありません。

そこにあるのは基本的に、

「私はここにいます」

「私の顔と名前を覚えてください」

という、一方通行のアピールです。

それは政策活動というより、知名度を上げるための自己宣伝に近いのではないでしょうか。

自己宣伝が必要な場面まで否定するつもりはありません。

しかし、自己宣伝と、市民のために価値を生み出す議員活動は、分けて評価する必要があると思います。

■普通の日に手を振ることは、誰のための活動なのか

私が特に疑問を持つのは、選挙でもない普通の日に、何時間も幹線道路で手を振り続けることです。

そこで議員自身の顔と名前は売れるでしょう。

「いつも立っている人」として覚えてもらえるかもしれません。

次の選挙に向けた知名度の維持にはつながるでしょう。

では、市民には何が残るのでしょうか。

道路の危険箇所が改善されたのでしょうか。

行政の無駄が一つ減ったのでしょうか。

新しい雇用が生まれたのでしょうか。

市民が利用しにくかった制度が改善されたのでしょうか。

地域の企業や商店が成長したのでしょうか。

困っている人の問題が解決したのでしょうか。

新しい政策が実現したのでしょうか。

もちろん、辻立ちをしている議員が、それ以外に何もしていないと断定することはできません。

街頭活動と並行して、政策づくりや議会活動に真剣に取り組んでいる人もいるでしょう。

私が問題にしているのは、

辻立ちをしていること自体を、議員としてよく働いている証拠のように評価すること。

です。

議員本人が、

「毎朝立っている自分は頑張っている」

と思う。

市民も、

「毎日見かけるから、あの議員はよく働いている」

と感じる。

しかしそれは、議員として生み出した成果を評価しているのではなく、目につく場所に長時間いることを評価しているだけではないでしょうか。

■同じ時間なら、もっと街のために使えるのではないか

普通の日に、道路脇で何時間も手を振る時間があるのなら、もっと街のためになる使い方があるのではないでしょうか。

街を歩きながら、ごみを拾う。

通学路で立哨し、子どもたちの安全を見守る。

道路や歩道、公園、河川、空き家などを巡回し、危険な場所や異常がないかを確認する。

商店や事業所を訪ね、現場で何に困っているのかを聞く。

福祉施設、学校、子育て支援の現場を訪ねる。

予算書や決算書、条例、事業評価を読み込む。

他の自治体の成功事例だけでなく、失敗事例も調べる。

経済、福祉、教育、防災、都市計画について学ぶ。

専門家や現場で働く人から話を聞く。

市民が質問や意見を伝えられる場を開く。

SNSを使うなら、活動写真を載せるだけではなく、ライブ配信などで市民から直接質問を受け、政策について対話する。

道路脇で一方的に手を振るよりも、そのほうがよほど街のためになると私は思います。

もちろん、ごみを拾っているから優秀な議員だという話ではありません。

立哨をしているから、必ず良い議員だということでもありません。

ごみ拾いや立哨も、写真を撮って自分を宣伝することだけが目的なら、結局は同じです。

大切なのは、行為の見た目ではありません。

その時間が、街の課題発見や解決、市民との対話、知識の獲得、政策づくりにつながっているかどうか。

そこです。

■街を歩けば、資料だけでは見えない問題が見える

議員が自分の足で街を歩けば、さまざまな問題が見えてきます。

歩道が途中でなくなっている。

車椅子やベビーカーでは越えにくい段差がある。

街灯が少なく、夜になると危険な道がある。

カーブミラーが汚れたり、木の枝で見えにくくなったりしている。

空き家の塀や庭木が道路へはみ出している。

公園の遊具が壊れかけている。

側溝が詰まり、大雨のたびに水があふれる。

バス停に屋根もベンチもない。

観光客向けの案内が分かりにくい。

商店街を歩いても、座って休める場所がない。

数字や会議資料を読むだけでは気づきにくい問題が、街の中にはいくらでもあります。

自分の足で歩いていれば、市民から声をかけられることもあるでしょう。

わざわざ議員へ電話したり、相談の予約を取ったりするほどではないと思っていた市民から、日常の小さな不便を聞けるかもしれません。

その小さな不便の積み重ねが、街の暮らしにくさや、事故の危険、観光客や事業者から選ばれない原因になっていることもあります。

決まった交差点に立ち続けることより、街を歩き、問題を探し、人と話すことのほうが、議員として得られる情報は多いはずです。

■勉強も、議員の大切な仕事である

道路脇に立つ姿は、市民から見えます。

しかし、資料を読んだり、制度を学んだりする姿は、ほとんど見えません。

だから勉強は、選挙の票につながりにくい活動かもしれません。

それでも議員には、学び続けてほしいと思います。

自治体の予算書や決算書を読む。

条例や契約の仕組みを理解する。

福祉や教育制度を学ぶ。

地域経済や雇用について調べる。

人口減少や公共施設の将来負担を分析する。

国や県の制度が、自治体へどのような影響を与えるのかを知る。

他の自治体の政策を研究する。

現場の専門家から話を聞く。

行政の説明が正しいかどうかを判断するためには、議員自身に知識が必要です。

市民の要望を実現可能な政策に変えるためにも、知識が必要です。

行政案へ反対し、代案を出すためにも、勉強が必要です。

「私は市民目線です」

「市民の気持ちは分かります」

というだけでは、複雑な行政を監視することはできません。

市民の感覚を持つことと、専門的な内容を学ぶことの両方が必要です。

道路で手を振る時間は見えます。

しかし、議員として本当に必要な仕事の多くは、見えない場所にあります。

だからこそ有権者は、見える姿だけでなく、

何を学んでいるのか。

何を調べたのか。

どのような政策へつなげたのか。

そこを見る必要があります。

■「見える努力」は、評価されやすい

なぜ辻立ちや行事回りが続くのでしょうか。

一つの理由は、努力している姿が市民から見えやすいからだと思います。

同じ時間、同じ場所に立ち続ければ、

「いつもいる人」

として覚えてもらえます。

雨の日や暑い日に立っていれば、

「こんな日にも頑張っている」

という印象を持ってもらえます。

地域の祭りや運動会、式典へ顔を出し続ければ、

「地域を大切にしている」

と思ってもらえます。

SNSへ毎日写真を投稿すれば、

「忙しく活動している」

ように見えます。

一方で、

予算書を読む。

政策を考える。

市民の相談を制度改善へつなげる。

行政と何度も協議する。

他の議員へ説明し、賛同を得る。

事業の効果を検証する。

こうした仕事は、市民からほとんど見えません。

一日中調査しても、道路脇で一時間手を振るほうが、多くの人の目に入ります。

数か月かけて政策を練っても、毎朝の辻立ちほど顔は売れません。

つまり、辻立ちや行事参加は、実際にどれだけ価値を生み出したかとは別に、

努力している姿を分かりやすく見せられる活動。

なのです。

人は、見えない努力より、目の前に見える努力を評価しやすい。

しかし、見えやすいことと、街にとって価値が高いことは同じではありません。

■会社なら「毎朝手を振る社員」をどう評価するか

会社に置き換えると、分かりやすいと思います。

ある営業社員が、毎朝会社の前に立ち、通行する車や人へ笑顔で手を振っていたとします。

雨の日も風の日も、毎日続ける。

地域の人からも、

「あの社員は毎朝頑張っている」

と評判になる。

しかし、その社員が、

営業先を訪問しない。

顧客の相談を聞かない。

見積書をつくらない。

契約を取らない。

商品や業界の勉強をしない。

会社の課題も改善しない。

そのような状態だったとしても、経営者は、

「毎朝手を振っているから、よく働いている」

と評価するでしょうか。

おそらく、しないと思います。

会社では、忙しそうに見えることと、仕事の成果は分けて判断されます。

何時間動いたのかだけではなく、

何を考えたのか。

何を実行したのか。

どんな価値を生み出したのか。

それによって評価されます。

政治も、同じではないでしょうか。

何日道路に立ったのか。

何人に手を振ったのか。

何枚名刺を配ったのか。

何件の行事へ参加したのか。

SNSへ何回投稿したのか。

それらは活動量ではあっても、議員としての成果そのものではありません。

問うべきなのは、

どのような問題を発見したのか。

何を調査したのか。

どのような政策を提案したのか。

行政の仕組みをどう改善したのか。

予算の無駄をどれだけ見直したのか。

街の暮らしや経済を、具体的にどう変えたのか。

そこだと思います。

■地域行事への参加も、参加しただけでは成果にならない

祭り。

運動会。

式典。

地域の集会。

学校行事。

議員が地域の行事へ参加することにも意味はあります。

市民と顔を合わせる。

地域の様子を知る。

普段聞けない話を聞く。

相談を受ける。

そのような機会になるからです。

しかし、行事へ顔を出すこと自体が目的になってはいないでしょうか。

開始前に挨拶をする。

写真を撮る。

SNSへ投稿する。

短時間で次の行事へ移動する。

一日に何件も回り、

「今日は多くの地域行事へ参加しました」

と発信する。

それによって、街の何が変わったのでしょうか。

行事で何を知ったのか。

誰と、どのような話をしたのか。

どんな課題を見つけたのか。

その後、行政へ何を提案したのか。

そこまでつながって、初めて参加した意味が生まれます。

参加件数は成果ではありません。

握手した人数も、撮影した写真の枚数も成果ではありません。

地域行事へ行くことが、次の選挙へ向けた顔つなぎだけになっているのなら、それは市民のためというより、自分のための活動です。

議員が次の選挙を意識すること自体は理解できます。

再選されなければ、継続したい政策を進められないという現実もあるでしょう。

しかし、再選することが目的になり、街を良くする仕事が再選のための手段になってしまえば、本末転倒です。

■SNSも「活動している感」を演出できる

議員がSNSを使うことには、大きな意味があります。

議会で何が議論されているのか。

自分がどの政策を提案しているのか。

予算や条例に、なぜ賛成または反対したのか。

それを市民へ分かりやすく伝えることができます。

市民から意見を受け取ることもできます。

政治に関心の薄かった人へ、情報を届けることもできます。

しかし、SNSも使い方によっては、

「活動している感」

を演出する道具になります。

朝の辻立ち。

地域行事への参加。

誰かとの面会。

研修や勉強会への出席。

視察先での写真。

これらを毎日投稿すれば、忙しく働いているように見えます。

しかし、

何を学んだのか。

どんな問題を発見したのか。

自分は何を変えるつもりなのか。

政策へどう反映するのか。

市民へどのような利益があるのか。

それが書かれていなければ、議員活動の報告としては物足りません。

「参加しました」

「お話を伺いました」

「勉強になりました」

「今後に生かします」

だけでは、何も判断できません。

何を聞いたのか。

何を問題だと考えたのか。

次に何をするのか。

いつまでに行うのか。

そこまで示してほしいと思います。

■私は、努力を否定したいのではない

ここまで厳しいことを書きましたが、私は議員の努力を否定したいわけではありません。

暑い日も寒い日も道路へ立つことには、体力も根気も必要です。

多くの地域行事へ参加することも大変でしょう。

市民からの相談へ対応し、行政と調整することにも時間がかかります。

それらすべてが無意味だと言いたいのではありません。

問題は、

努力したこと自体を、議員としての成果と同じものとして扱うこと。

です。

政治は、一人の議員だけで成果を出せないこともあります。

良い提案をしても、議会の賛同を得られない場合があります。

行政が動かないこともあります。

長い時間が必要な政策もあります。

だから、結果だけで機械的に評価すればよいとも思いません。

提案の内容。

調査の深さ。

議会での働きかけ。

実現できなかった理由。

その後の改善や再提案。

そうした過程も見る必要があります。

しかし少なくとも、

「毎朝立っています」

「毎日地域を回っています」

「たくさんの人と握手しました」

という行為だけで、議員として高く評価するべきではないと思います。

議員は、努力賞を競う仕事ではありません。

市民の税金から報酬を受け取り、街の未来に関わる判断をする公職です。

だから評価の基準は、

どれだけ頑張っているように見えるかではなく、街へどのような価値を生み出そうとしたか。

であるべきです。

■有権者の評価基準が、議員の活動を決める

政治家は、有権者から評価される活動へ時間を使います。

道路脇で毎日手を振る人が評価されるなら、道路脇に立つ議員が増えます。

地域行事を何件も回ることが票につながるなら、行事回りが増えます。

SNSへ活動写真を毎日載せることが「働いている証拠」になるなら、政策を考えるより投稿に力を入れる人も出てきます。

反対に、有権者が、

政策の具体性。

財源の説明。

議会での発言。

行政への提案。

問題解決の過程。

公約の進み具合。

市民との双方向の対話。

学びや調査の内容。

そこを評価するようになれば、議員もそこへ力を注ぐようになります。

つまり、「見せる政治」を生み出しているのは、政治家だけではありません。

私たち有権者の評価基準も大きく関係しています。

何度も見かけるから投票する。

いつも手を振ってくれるから投票する。

地域の行事へ来てくれたから投票する。

知人に頼まれたから投票する。

それでは選挙が、街の未来を託す人を選ぶ場ではなく、

一番よく顔を見かけた人を選ぶ人気投票。

になってしまいます。

■議員の仕事は、顔を売ることではない

政治家にとって、自分の存在や政策を知ってもらうことは必要です。

しかし、顔を売ることは議員活動の目的ではありません。

手を振った回数ではなく、提案した政策を見る。

立っていた時間ではなく、調べた内容を見る。

参加した行事の数ではなく、そこから何を変えたのかを見る。

投稿した写真ではなく、その後の行動を見る。

「頑張っています」という自己申告ではなく、議員として何を生み出したのかを見る。

私たち有権者が、その目を持つ必要があります。

議員の仕事は、頑張っている姿を見せることではありません。

街を良くすることです。

見える活動より、価値を生む活動を評価する。

自己宣伝と、議員としての成果を区別する。

有権者がその評価基準を持てば、議員の時間の使い方も変わるはずです。

そして、議員一人ひとりの仕事を厳しく見るのであれば、次に避けて通れない問題があります。

今の議員の人数は、本当に必要なのでしょうか。

議員定数を減らせば、本当に市民の声は届かなくなるのでしょうか。

次回は、

「議員定数を減らせば、本当に市民の声は届かなくなるのか」

について考えてみたいと思います。

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