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堤清二:「おいしい生活。」のアンチテーゼ

【 堤清二にとっての八ヶ岳 】

先日、八ヶ岳高原音楽堂でサラ・オレインの歌を聴いた

ここに来ることもサラオレインの生歌を聴くのも初めてだった

堤清二氏が八ヶ岳の開発に携わったことは聞いていたので、Google のAIモードに、なぜ開発したのかを聞いてみた

堤清二氏が八ヶ岳(現在の「八ヶ岳高原海の口自然郷」)の開発に乗り出したのには、ビジネス上の理由だけでなく、彼の思想家・芸術家としての個人的な背景が強く影響しています。

大きなきっかけと経緯は以下の3点に集約されます。

1. 父親(堤康次郎)との対抗心と継承
父・康次郎氏は西武グループの創業者であり、軽井沢や箱根を一大リゾート地に育て上げた「開発の父」でした。
父への意識: 清二氏は、父が作った「華やかで商業的なレジャー地」とは異なる、「精神的な豊かさを求める新しいリゾート」を自分の手で作りたいという強い対抗心と意欲を持っていました。
土地の取得: もともとこの土地(長野県南牧村)は、父・康次郎氏が戦後の混乱期に手に入れていたものでした。清二氏は、父が手付かずのまま残していたこの広大な原野を、自身の理想を実現するキャンバスとして選んだのです。

2. 「消費社会」への問いかけ
堤氏はセゾングループを率いる一方で、「消費が美徳」とされる社会に疑問を抱いていました。
脱・都市: 都会の百貨店で「モノ」を売るだけでなく、人間が自分を取り戻せる「静寂と自然」を提供することこそが、これからの企業の役割だと考えました。
自然との共生: 彼はこの地を単なる別荘地ではなく、「自然を壊さず、自然の一部として人間が住まわせてもらう場所」にすることを基本理念に掲げました。

3. 文化・芸術の拠点づくり
開発の初期段階から、彼は「ここに文化の香りを持ち込む」ことを計画していました。
サロンの形成: 1963年に「八ヶ岳高原ヒュッテ(旧徳川義親侯爵邸を移築)」を建設し、ここを拠点に文化人や芸術家が集まるコミュニティを作りました。
音楽の力: 前述の通り、リヒテルや武満徹といった一流の芸術家と交流する中で、「この美しい自然の中で音楽を聴く体験こそが、開発の究極の形である」と確信するに至り、その集大成として音楽堂が建設されました。

まとめ
堤清二氏にとって八ヶ岳の開発は、「父・康次郎を超えるための挑戦」であり、同時に「実業家と詩人(辻井喬)という二つの顔を統合する、理想郷づくり」であったと言えます。

<感想>
堤清二氏の、「おいしい生活。」(西武百貨店)のアンチテーゼとしての「八ヶ岳高原音楽堂」(八ヶ岳開発) 今年9月にはセゾン文化の象徴だった西武渋谷店も消滅し、昭和人間としては何となく寂しさを感じる
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元証券マンが「あれっ」と思ったこと
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