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新曲がヒットしにくくなった? データが示すリスナーの変化と「鮮度」と「発酵」

Billboard JAPANが「通算52週チャートインした楽曲」などを対象として一定のポイント減算を行う「リカレントルール」の導入を開始しました。徒然研究室は人間と社会の不思議に関心があるので、そもそもなぜルール変更が必要なほど「ヒットチャートに過去曲が増え続ける」という構造的な変化が起きているのか…背景にどんなリスナーの行動様式の変化があるのかを探ってみたいと思います。
見えてきたのは、ヒットの「鮮度」よりも「発酵」を愛で始めた、リスナーたちの新しい姿でした。


長く聴かれる曲は、本当に増えているのか?

まず、そもそも今回のルールの対象となる「52週を超えてチャートインしている曲」は、一体どれくらい存在するのでしょうか。Billboard JAPANの過去17年分のデータを視覚化してみると、その数が近年、明らかに増加傾向にあることがわかります。

もちろん、Vaundyさんの「怪獣の花唄」のように、リリースから数年かけてじっくりとリスナーに浸透し、チャート上位で愛されるようになる曲もあります。

Billboard JAPAN Hot 100におけるVaundy「怪獣の花唄」順位推移

もしこの曲がリリース時点で既にリカレントルール下にあったのならば、チャートイン数52回目となる点線の時点でポイント減算の対象となっていたことになります。その後に起きることになるブレイクは起きなかったか、起きたとしてもある程度緩やかなものになるかもしれません。

このように、時間をかけてリスナーに発見される「発酵するヒット」の存在を考えると、「長期チャートイン=悪」と単純に断じることはできません。

だからこそ、より本質的な問いが浮かび上がります。そもそもなぜ、リカレントルールの導入が必要なほど「ヒットチャートに過去曲が増え続ける」という構造的な変化が起きているのでしょうか?

データから見えてくるこの背景には、様々な要因が考えられるかもしれません。例えば、日本の人口ピラミッドは米国などと比べて若年層が少ない構造です。

サブスクリプションサービスが中高年層にまで普及すればするほど、かつてのように若年層が中心となって同世代の新人アーティストをチャート上位に押し上げる、という構造自体が変化している可能性も考えられます。

ただ後で触れますが、人口動態だけでは説明できない、もっと深いところで起きている変化があるようなのです。

なぜ「ヒットチャートへの関心」は増えないのか?

長くチャートに留まる曲が増えている。その一方で、不思議なことに「ヒットチャート」という存在そのものへの関心は、伸びていないようです。ここで「Billboardチャートでの長期チャートイン曲数の推移」と「Billboard/オリコンチャートに対する国内検索数の推移」を比べてみましょう。

Billboard関連の検索数は増えもせず減りもせずの一方、長期チャートイン曲は増加しています。チャートへの関心とチャートインの長期性には強い関係はないように見えます。 一方でオリコンチャート検索数が半減してきているのが目を引きます。

ストリーミングで聴ける曲数が爆発的に増えたにもかかわらず、なぜ「ヒットチャートへの関心総量」は、頭打ち、あるいは減少しているように見えるのでしょうか?

データは、ヒットチャートという「パッケージ化された全体」を能動的に見に行く人が、少なくとも増えてはいない可能性を示唆しています。

この謎を解く手がかりとして、人類学の「ダンバー数」という考え方を借りてみたいと思います。これは、「霊長類の脳のサイズ」と「その個体が安定した社会関係を維持できる集団の規模」との間に相関があるとする説で、人間の場合、その数は約150人と言われています。どんなにSNSが進化しても、私たちが深く関われる友人の数には、認知的な上限があるというわけです。

ダンバー数を示した概念図
出典: How many friends can you actually have? - Dunbar's Number Aagosh Chaudhary Aagosh Chaudhary

この考え方を、音楽のリスニングに当てはめてみるとどうでしょうか?
私たちには一種の「音楽版ダンバー数」とでも呼ぶべき、「認知的な上限」が存在するのではないか、と考えてみるわけです。一人の人間が本当の意味で関心を持ち、その動向を能動的に追いかけ、愛着を育むことができるアーティストや楽曲の数...それは、ストリーミングサービスが「無限の楽曲」へのアクセスを可能にしたとしても、実はそれほど簡単には増えないのかもしれません。

仮説:「無限の棚」と私たちの「限られた脳」

現代社会は、情報やコンテンツがかつてないほど豊富に存在する「アテンション・エコノミー」の時代と言えます。その環境下では、希少な資源は情報そのものではなく、それを受け取る人間の「注意(アテンション)」であると捉えられます 。情報が過剰に供給される結果、「注意の貧困」が生じると指摘されています 。

音楽においても同様で、ストリーミングサービスが提供する「無限の棚」は、リスナーに膨大な選択肢を与える一方で、個々の楽曲やアーティスト、ましてや集合的な指標であるヒットチャートに注意を向けることを困難にしています。ある調査では、人間の平均的な注意持続時間は数秒にまで低下しているとされ 、コンテンツの豊富さが注意を殺す」とも言われています

そして、その「限られた認知の枠」の中で、今いったい何が起きているのでしょうか。

現代のリスナーは、時代や国、ジャンルの垣根を越えて、多種多様な音楽を並行して楽しむ「文化的雑食性(オムニボア)」が高まっています。

この「音楽版ダンバー数」という認知の「枠の上限」と、「文化的雑食性」という「枠の埋め方の多様化」。この二つを掛け合わせてみると、新しい景色が見えてきます。

つまり、私たちの関心の総量(ダンバー数)は変わらないまま、その限られた枠の中に、これまでになく多様なアーティストや楽曲がモザイクのように詰め込まれていく...。その結果、一つ一つの楽曲に注がれる関心は、必然的に「広く、ほどほどの深さ」ならざるを得ません。

ここに今回の謎を解くヒントがあるように思えます。技術が「無限の棚」を用意しても、私たちの脳が一度に眺められる範囲は限られている。この認知的なボトルネックと文化的雑食性の掛け算が、「社会の最大公約数」であるヒットチャートへの関心が頭打ちに見える、根源的な理由なのかもしれません。

その結果、社会全体の「最大公約数」としてのヒットチャートへの関心は、個々のリスナーのリスニング体験との乖離が大きくなり、相対的に低下する可能性もあります。もしリスナーの「音楽版ダンバー数」が、新旧織り交ぜた、ニッチなものからポピュラーなものまで多様な楽曲で満たされている場合、その中で全国的な「トップ100」にランクインする楽曲の割合は小さく、そのチャート自体が「自分がしている音楽体験に」とってあまり意味を持たないと感じられるかもしれません。注意が希少な資源である以上、自分のリスニング実態を反映しないチャートを能動的に追跡する認知的なコストは高すぎるからです。

Luminateのデータによると、米国の総音楽消費に占める「カタログ楽曲」(リリースから18ヶ月以上経過した楽曲)の割合は年々増加していて、2019年の62.8%から2024年には73.3%に達しています 。

出典: The MBW Database Catalog vs. Current market share of annual total music consumption in the US, via Luminate (2019-2023)

この事実は、リスナーが新作だけでなく、リリースから長い期間を経た楽曲にも価値を見出し、積極的に聴取していることを示唆しています。「チャートインの総期間」のみを理由にチャート上の評価を下げることの妥当性にも疑問を投げかけうるデータとなっています。

「新しさ」から「物語」へ 価値基準の変化

テクノロジーの進化の速度と、容易には変わらない人間の「脳のOS」との間に生じた、静かなギャップ。その真っ只中で、私たちの音楽の聴き方は静かに、しかし確実に変容しています。

例えばレミオロメンさんの「3月9日」は20年前の曲なので、そこだけ見れば若年層にとって「新曲」であったことは一度もありません。しかし、元々藤巻亮太さんが友人の結婚式のために書き下ろした曲がいつしか卒業式で歌われるようになり、Billboard JAPANチャートでも3月に上位に現れるようになっています。

レミオロメン「3月9日」の順位推移

リリースから16年後の2020年に投稿され5千万回以上視聴されているレミオロメンさん「3月9日」のYouTube動画コメント欄を解析してみましょう。

右上のクラスタは「卒業」というイベントと強く結びついた感情を表すクラスタです。まさに卒業を控えている、あるいは卒業したばかりの現役世代からの「いま卒業式でした!」というようなコメントが多く、具体的な学校生活の場面(部活、授業、友達との日々)を振り返りながら、別れへの感傷、友人への感謝、そして未来への期待や不安といった、卒業直前の複雑な感情が率直に表現されています。

この楽曲が、リスナーにとって単なる音楽を超え、多様な「体験・記憶のアンカー」として機能していることが見て取れます。

またコメント欄が一種の「年次集会場」のようなコミュニティを形成している点が、最大の特徴と言えそうです。おもしろい…!

かつては「懐メロ」として明確に区別されていた過去の楽曲群が、新曲と並列に「今聴くべき曲」として立ち現れる。レミオロメンさんの「3月9日」が世代を超えて「再発見」され続けるように、リスナーは自ら「編集者」となって楽曲に新しい意味を与えている側面があります。

この変化は、ファッションの世界で起きている「古着市場の再生」とも似ているように感じます。

ゲオホールディングスさんの決算説明会資料から、リユース衣料・服飾雑貨のトップシェアチェーン「2nd STREET」の店舗数推移を視覚化してみましょう。

コロナ禍でも増加を続けて1000店に到達する勢いです。米国やアジアでも店舗を拡大中と報告されています。さらに、リユース世界市場の規模の推移を視覚化してみましょう。

古着市場は世界的に拡大していて、北米やアジア太平洋、欧州で長期的に成長するという見方もあります。

文化の世界で、「新しさ」の意味が変容しているわけです。

ファストファッションやECの便利さの一方で、リアル店舗で手間暇かけて探す一点物の古着には、「自分が探して見つけた」という特別な価値が生まれています。音楽の世界でも、「リリース日の新しさ」が至上の価値ではなくなりつつある、ということなのかもしれません。

ヒットの民主化:「発酵するヒット」と「スリーパーヒット」

こうして見ていくと、ヒットチャートには、瞬間風速で駆け上がる「鮮度の高い」ヒットだけでなく、レミオロメンさんの「3月9日」のように、生活に深く浸透し、時間をかけて熟成していく「発酵する」ヒットが存在することに気づかされます。

「発酵するヒット」は、エンターテイメント業界で「スリーパーヒット」として知られる現象とも重なります。スリーパーヒットとは、リリース当初は大きな成功を収めなかったものの、口コミやメディア露出、あるいは予期せぬインターネット上のバイラルな広がりなどによって、時間をかけてサプライズ的な成功を収める作品を指します 。  

歴史的に見ると、音楽におけるスリーパーヒットは、コマーシャルや映画での楽曲使用(シンク・プレイスメント)が主なきっかけとなることがありました 。例えば、1980年代から90年代にかけて英国でリーバイスのコマーシャルに使用された20世紀半ばの楽曲がリバイバルヒットした例などが挙げられます 。

しかし、現代のストリーミング時代、特にTikTokやYouTubeショートやInstagramリールといったショート動画プラットフォームの台頭により、スリーパーヒットが生まれるメカニズムは大きく変化し、その頻度も増加していると考えられます。リリースから数年、あるいは10年以上経過した楽曲が、これらのプラットフォーム上のトレンドをきっかけに再発見され、広範なリスナーにリーチするケースが頻繁に見られるようになりました 。

この変化は、「発酵」のプロセスがより民主化され、予測不可能なものになったことを意味してるように思えます。かつてのシンク・プレイスメントは、大手の音楽関連会社や広告代理店といった比較的中央集権的なゲートキーパーによってコントロールされていました。

しかし、TikTokのようなプラットフォームでは、ユーザー主導のオーガニックなトレンドによって、ほぼあらゆる時代の楽曲が再評価される可能性があります。これにより、楽曲のヒットの可能性は、リリース初期の短期間だけで判断されるものではなくなり、楽曲のライフサイクルがより流動的で長期的なものへと変化しています。「カタログ」はもはや静的なアーカイブではなく、新たなヒットを生み出す可能性を秘めたダイナミックなレパートリーとして機能するようになったのです。

これは、アーティストやレーベルにとって、楽曲の初期の成功だけでなく、長期的なポテンシャルを重視し、予期せぬ再浮上の機会を捉えるための構想が必要になることを示唆しているように思えます。

リカレントルールはチャートの「鮮度」を保つことを目指していますが、この「発酵」していく曲の存在は、ヒットチャートが単なるランキングではなく、時代の記憶と結びつく文化的な指標としての側面も持つことを示しています。

そしてこの構造を、ビジネスとテクノロジーの両面から加速させているのが、「過去カタログの収益化」というレコード会社の思惑と、プラットフォーマーによる「アルゴリズムによるパーソナライゼーション」です。

それはあたかも、長い動画の「切り抜き」だけで内容を把握したり、AIによる「要約」だけで長大な文章の内容を理解したりする、現代の情報行動様式そのもののようです。「オリジナルな全体」へのアクセスがショートカットされる中で、アルゴリズムが個人の興味関心に合わせて差し出してくれる情報の断片が、その人にとっての「世界」になる。

こうした構造を背景に、私たちは今、かつてのような「世の中のヒットチャート」という一枚の大きな鏡を覗き込んでいるというよりは、アルゴリズムによってパーソナライズされた、無数の「私だけのヒットチャート」の断片からの反射を眺めている。そんな時代にいる、ということなのかもしれません。

そして、変化は世界中で起きている

驚くべきことに、この「過去のヒット曲が最新チャートを占める」現象は、日本や米国だけのものではありません。Spotifyのデータを世界各国で比較してみると、この傾向がグローバルに進行していることがわかります。

日本はその先頭を走っていますが、若年層人口の多いインドネシアや、新興地域であるアフリカでも、長期チャートイン曲の比率は着実に高まっています。

まるで、スマホやSNS、ストリーミングサービスという「テクノロジー」が、私たちの音楽の聴き方にとって、世界共通の「OS」のような土台を提供しているかのようです。

これは、世界中のリスナーの「音楽の好み」が均一化しているというよりは、

「好みにたどり着くまでの『音楽との出会い方』のインフラ」

が、テクノロジーによって標準化され、グローバライズされている、ということなのかもしれませんね。

新しい時代の音楽地図を楽しもう

Billboard JAPANのリカレントルールは、こうした巨大な構造変化の中で、チャートの「鮮度」という価値をどうにか保とうとする、一つの試みです。しかし、私たちが今目の当たりにしているのは、単なるルール変更ではありません。それは、リスナー自身が「発酵」の価値を見出し、文化を能動的に編み直す「新しい価値観の萌芽」であり、私たちの「時間に対する感覚の変化」であり、そして、テクノロジーと人間の認知限界が織りなす「予測不能な文化のダイナミズム」そのものであるようにも感じます。

「私だけのヒットチャート」が溢れる世界。それは、共通の話題が失われた寂しい世界でしょうか…?

見方を変えれば、それは一人ひとりの「好き」という感情が、かつてないほどリスペクトされ、多様な時代の多様な音楽が、それぞれの文脈の中で等しく輝くことができる、もっと自由で豊かな時代の幕開けです。

そこでは、リスナーの役割そのものが変わっていくのかもしれません。ランキングの数字を追いかけるのではなく、自分の「好き」を深く掘り下げ、同じ価値観を持つ仲間と共有することに喜びを見出す。「誰かが作ったランキング」との距離感を自覚し、アルゴリズムの推薦を巧みに乗りこなしながら、自分の内なるものさしで音楽と向き合う。自らの手で時代に縛られず未知の音楽を「探し出す」行為そのものが、新たなエンターテインメントになり、ライブやフェスといった「偶発的な出会い」の場の価値も、いま以上に再評価されていくでしょう。

リスナーは、単なる消費者から、自分が愛でる音楽文化を支える担い手へと、その役割を変えていく。そんな意識の変化が、過去と現在がデジタル技術の上でフラットに、シームレスに繋がる、より重層的な音楽文化を育んでいくのでしょう。

作り手側もまた、一発のメガヒットを狙う従来の「狩猟型」のビジネスから、ファンとの関係性を深く耕し、長く収穫を得る「農耕型」へとシフトしていくのかもしれません。「チャートの順位」という単一のものさしではなく、「特定のコミュニティでいかに深く愛されているか」という新しい価値基準も、より重要になっていくはずです。

この変化の先に、どんな未知の音楽との出会いが待っているのか。そう考えると、なんだかワクワクしてきませんか…?

この記事のポイント

  • 「無限の棚」と「限られた脳」のギャップ: 私たちの音楽への関心の総量(音楽版ダンバー数)は限られる一方、多様な時代の曲を楽しむ「文化的雑食性」が進行。これが、長期ヒット曲の増加とチャートへの関心停滞を同時に引き起こしているのかも?

  • 「鮮度」から「発酵」への価値シフト: 「リリース日の新しさ」が絶対的な価値ではなくなり、生活に寄り添い時間をかけて愛される「発酵するヒット」も重要に。リスナーはもはや単なる受け手ではなく、自ら意味を見出す「編集者」になっている。

  • 「みんなのヒットチャート」から「私だけのヒットチャート群」へ: アルゴリズムによるパーソナライゼーションは、社会の大きな鏡だったヒットチャートを、無数の「私だけのヒットチャート」の集合体へと変えつつある可能性。

  • 世界共通で起きている地殻変動: この変化は日本特有のものではなく、グローバルな現象。テクノロジーが「音楽との出会い方」の土台を世界共通で提供し始めた結果と見ることができるかも。


以上、徒然研究室でした。Xでもオープンデータとプログラミングで関心あることを分析してポストしています。どうぞご贔屓に🙏


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