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夏休み最後の偽装工作

あれは小学校の頃の思い出。

夏休みも残すところあと二日となった、八月三十日。
溜まりに溜まった宿題を前に、私はどうしたものかと廊下で身もだえしていました。現実逃避と焦燥感の狭間で揺れていた、まさにその時です。玄関の呼び鈴が鳴り、町内会のおじさんが立っていました。

用件は、ラジオ体操の参加賞についてでした。明日の最終日はバタバタして渡せなくなるから、今のうちに体操カードと引き換えに配っているとのこと。「はーい」と元気よく自室に体操カードを取りに戻った私は、そこで目の前が真っ暗になりました。

机の横に掛けられたままのカードは、ほぼ新品。風に揺れるその白い紙面には、初日の一回しかハンコが押されていなかったのです。

このまま渡せば私が怠け者であることが、おじさんに露呈してしまいます。それは避けたい。しかし、カードを出さなければ参加賞はもらえない。それでは初日の朝、母に無理やり起こされて行った「ひと夏の苦労」が水の泡ではないか。たった一度の参加だったとは言え、私はその一回に掛けていた、むしろ夏休みのラジオ体操はその一日に集約されていたといっても過言ではない。
と、そうは言っても八方ふさがりなのは事実。そのまま渡すことを躊躇していると、窮すれば則ち通ず。今すぐ実現可能な「一計」を案じました。

(使われていない母の旧姓のハンコを押せば、気がつかれないのではないか…)

考えるよりも早く、ひらりと身をひるがえし母の三面鏡の前へ降り立つと、引き出しを漁り、古い認め印を取り出しました。
朱肉をつけ、カードの空白マスにリズミカルにハンコを押していきます。しかし、五、六回ほど押したところで、言いようのない不安感が頭をもたげました。
(すべてを埋めては、まるで嘘をついているようではないか…)
すでに不正の手にどっぷりと染まっていることなど棚に上げ、私は敢えていくつかの空白を残し、絶妙なバランスで偽装工作を完了させたのです。

「おーい、まだか?」
待ちくたびれたおじさんの声に背中を押され、何食わぬ顔でカードを差し出しました。おじさんはカードを一瞥(いちべつ)し、「あまり体操で見かけなかったけど、結構参加していたんだな」と呟きます。「へへへ……」と私が曖昧な笑みを浮かべていると、おじさんの視線がピタリと止まりました。

「なんだこれ。このハンコ、誰のだよ。お前、今自分で押しただろ」

瞬時の御用でした。生乾きの朱肉に見慣れない名前のハンコ。これでは誰の目にも不正が明らかでした。怒られる、と身をすくめた私に、おじさんは呆れたように苦笑いしながら、カバンから参加賞の鉛筆三本と自由帳を渡してくれました。
まさかのトラブルはありましたが、参加賞獲得作戦は遂行されたのです。

しかし、「ひと夏の苦労」が報われた満足感も束の間、すぐに別の恐怖が襲ってきました。果たしてあのカードは、この後どこへ行くのでしょうか。もし学校へ提出され、先生に不正がバレたら大ごとです。不安のあまり宿題どころではなくなった私は、「今日のお昼ご飯は何かな?」と問題先送り作戦に出たのでした。

当然、ツケは翌日に回ってきます。
八月三十一日。「ラジオ体操の不正がバレたらどうしよう」という未来の恐怖と「白紙のドリル」という目の前の現実。この波状攻撃に朝から涙を流しながらドリルをめくりましたが、まともに解いていては絶対に終わりません。
私は母に「お父さんは何時に帰ってくるの?」と尋ね、大人の力を借りようと画策しました。それが叶わないと悟ると、いよいよ最終手段に出ます。

問題文を読まずに頭に浮かんだ数字を解答欄に書き殴り、白眉(はくび)だったのはページが二枚くっついてめくれたときに「このページは見なかったことにする」という、偶然見えなかった作戦を敢行することでした。

もうそれは学習を超えた、提出のための儀式と呼べるものです。

こうしてあらん限りの悪知恵を駆使し、ドリルという名の巨大な障壁を次々と「攻略」していったのでした。

新学期の朝、何とかやっつけた宿題をランドセルに詰めていると、お腹がしくしくと痛み出しました。宿題は終わらせたものの、あのラジオ体操のカードが学校に届いているかもしれないという恐怖が、再び蘇ってきたからです。それでも、家にいては怒られるだけなので、私は勇気を奮い立たせ、一人学校へと向かいました。

新学期の初日は、提出箱にドリルを放り込むことから始まったため、一日中、いつバレるかと心臓のドキドキが収まることはありませんでした。しかし、あらゆる策略を巡らせたドリルも中身を見られることはなく、偽装されたカードは学校には届けられてもいません。あれほど命と胃壁を削ったにも関わらず、教室では平和な日焼け自慢が、そこかしこで繰り広げられるだけでした。

それにしても今思えば、私の偽装工作の何と小さいことでしょう。
体操で一度しか行かないことを正当化しようとする割に、ハンコを押してその場をしのごうとし、その時でも全部にハンコを押せない気の弱さ。

ドリルのページを重ねてめくってみては、ドリルが悪いと言い訳をしてしまう始末。
そうして後になってバレることを恐れておびえている。

全くもって「もっと豪胆にいろ」と叱責をしたくなります。

ただ、こうした悪になり切れない悪事をやってしまったことで、反省につながったのでしょう。
小さな悪事でも、どれほど心身をすり減らすか身をもって体験することが、大きな悪事を制止する糧になっています。

何せ今の私は正真正銘の「小市民」になれたのですから。

~終わり~


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