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とらが空を渡って一年 "旅立った日の記憶"

とらが空を渡って、今日で一年が経ちました。
長いようで、でも振り返ると気持ちの中ではあっという間な一年でした。
時間は流れていくのに、あの日の記憶は、昨日のことのように鮮明に思い出すことができます。

一年という区切りは、何かを忘れさせてくれるわけではなく、
むしろ、とらとの思い出をより色濃いものに昇華させてくれる気がします。
それは飼い主の自己満足かもしれませんが、
とらと過ごした時間や、声の響き、寝ている顔、ふとした仕草が、
今も胸の中にしっかり残っています。

【当日のこと】
あれだけご飯が大好きだったとらが、ご飯を食べなくなり、嘔吐もしていました。
その際の液は無色で、毛玉やご飯も含まれていませんでした。
それに加えて元気がなさそうに見え、動きが少ないので、病院に連れて行きました。

血液検査とエコー診断を経て、肥大型心筋症を起因とした肺水腫ではないかと診断を受け、
急遽、酸素室で入院することになりました。

そして2日目。お昼に面会に行き、お医者さんは「良くなってきている」と言ってくれました。
でも、とらと会うと元気がなさそうで、いつものように「撫でて」としに来る声と甘え方が、
どこか弱々しく感じられました。
「これが最後になってしまうかもしれない」  
そんな不安を抱えながら、一旦帰宅しました。

その日の夜、お医者さんから「すぐに来てください」と電話があり、タクシーで病院へ向かいました。
先に着いた妻から「2階に上がってきて」とだけメッセージが届き、
最悪の結果が頭をよぎりました。

病院に着き、2階に上がると、口にチューブを装着し、台の上でぐったり横たわるとらがいました。
妻は一言、「死んじゃった」と。
これが現実だと受け止めきれず、感情はすぐに出てきませんでした。
ただ、とらの体はまだ温かく、生きているようにしか思えませんでした。

とらの亡骸をどうすれば良いのか分からず、とりあえずお医者さんから話を聞き、
「まずは体を冷やす」ということだけ頭に入りました。
1階で会計を待つとき、抑えていた感情が押し寄せてきて、妻と2人で泣きました。

生きているとらを連れてきたリュックに、とらの亡骸をそっと入れました。
妻が壊れてしまうものを抱くように、大事に抱き抱えながら帰宅した夕方を、今日は思い出しています。

【一年経った今】
一年経っても、あの日の記憶は消えません。
でも、その悲しみは少しずつ形を変えて、今のつなとの日々を支えてくれています。

とらがいた時間が、今の自分の中に温かな記憶として残っていて、
思い出すだけで心の中に穏やかな時間が流れます。
その続きを、つながそばで生きています。

家族を失った悲しみは消えないまま、穏やかな優しさに変わっていく瞬間があると思っています。
同じような悲しさを受けて、そしてそれを乗り越えた方や、
まさに今悲しみの中にいる方に届くと良いなと思っています。

今回は当日の詳細をお話ししましたが、
これからは後日のこと──火葬業者への連絡や調整の仕方、
そして私たちがこの悲しみをどのように乗り越えていったかについても、
少しずつ発信していけたらと思っています。

よろしくお願いします。

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